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ファイヤーウォール(1)

ファイヤーウォール(1)






 真っ白い撥水タイルが張られた浴室で、亜麻色の髪の青年が、気持ち良さそうに手足を伸ばして湯に浸かっている。
 真新しい湯船。ピカピカ光る蛇口とシャワー。洗い場の鏡も、曇りひとつない。
 第九のユニットバス。これは薪の昔からの夢だった。

 室長という役職柄、職場に泊まり込むことが多い薪は、シャワー室と仮眠室の常連客だったが、実は大の風呂好きだ。温かい湯を張った湯船にゆったりと浸かって、職員のシフトを組んだり、事件の推理を組み立てたり、時には頭を空っぽにしてリフレッシュしたりする。湯の中はリラックス効果が高いせいか、割といい案が浮かんだりもするのだ。
 ただ、職場で昼間からゆっくり入浴というわけにはいかないし、進行中の事件があるときにはやはり時間が惜しいので、さっとシャワーで済ませることが多い。
 それでも、室長の風呂好きを知っている第九の新人が、気分転換にどうですか、と自分の仕事の合間をぬって、風呂の用意をしてくれる。用意も後始末もセルフで行うわけだから、これはかなり面倒な作業なのだが、この新人はとことんお人好しで、嫌がる素振りも見せずに薪に風呂を勧めてくれる。

 その日も時刻は10時を回っているというのに、書類が溜まって帰れない室長のため、心優しい新人は風呂の用意をしてくれた。薪がその時刻から風呂に入るとしたら、掃除の時間も含めて自分が帰るのは11時を過ぎてしまうのが分かっていて、まったくバカがつくほどに優しい男である。

 彼が薪にやさしいのは、今に始まったことではない。
 この新人は室長に傾倒していて、その忠誠心は第九の職員の誰よりも強い。もともと室長に憧れて第九に来た、という変わった男なのだ。
 その変わった男の名前は、青木という。

 そんな青木のことを他の職員たちは、おおかた薪の最年少警視正の肩書きに惹かれて来たのだろう、と思っていた。『氷の警視正』とか『鬼の室長』などと、とかく評判の良くない薪に憧れるとしたら、その1点に限るからだ。
 薪の真実の姿を知ったら、すぐに辞めてしまうに違いない。この見るからに気弱そうな新人が果たして1週間もつかどうか、職員たちの間で密かに賭けが行われていたことを青木は知らない。ましてや全員が1週間未満に札を張ってしまい、賭けが成立しなかったことは本人には絶対に内緒である。

 第九に入った新人は、2週間でその9割が辞めていく。
 MRIの凄惨な画に精神が耐え切れず、体を壊して去っていくものが全体の3割。そして室長の厳しさについていけないものが、6割。この新人は最後の1割に残ったというわけだ。
 だからといって、青木が特別優秀な人材だったわけではない。むしろ、逆だったといっても良い。だからこそ、彼は第九に残ることができたとも言える。
 たしかに、青木は東大の法学部を卒業したキャリアだが、第九ではただの新入りに過ぎず、配属されたばかりは、他の捜査官との間に絶大な実力の差があった。
 キャリア組というのは、概して挫折に弱い。
 頭は良く勉強もできるのだが、根性はいまひとつである。こういう職場に配属され、自分が一番出来の悪い人間の立場に置かれてしまうと、まずそのことに耐えられない。今まで人より劣った経験がないからだ。
 そこにきて薪の天才的な頭脳を見せ付けられると、自分が積み重ねてきたエリートとしての自信が粉砕されてしまう。自分の価値を見失うことから始まって、彼らのアイデンティティが崩壊するまでいくらも掛からない。
 エリートというのは悩みも高尚で、ナイーブだ。嫌な事があったらぱーっと酒でも飲んで忘れて、また明日元気に働く、なんて雑草(ノンキャリア)のような真似はとても出来ない。

 この新人の場合は、もともと飛び抜けて頭が良かったわけではない。
 もちろん一般的なレベルからしたら、東大法卒の学歴は大したものなのだが、キャリアで入庁するためには国家公務員Ⅰ種試験を受けて、全国でもトップレベルの高得点を獲得しなければならない。正直なところ、彼にはそこまでの頭脳はなかった。
 だが、彼はそれを果たした。

 これは第九でも一部の人間しか知らないことだが、青木が室長に憧れを持ったのは、大学時代のことだった。
 新聞記事で第九を知り、最年少警視正の存在を知り、その活躍を知って、何としてもここで働きたいと思うようになった。しかし、その当時第九に入れるのは超がつくエリートに限定されていたため、青木は必死で学業に励んだのだ。
 過去の経験から彼は、自分の身の程を知っていたので、自分が一番の下っ端という立場を素直に受け入れることができた。そして他の捜査官との大きな実力差を埋めようと、必死で努力をした。
 持ち前の粘り強さを発揮して、努力に努力を重ねた結果、いま彼は周りの人間が驚くくらいの力を身に付けてきている。特に第九の要でもあるMRIシステムの専門書には詳しく、エキスパートの宇野と並んで、システムエンジニアとしての地位を固めつつある。

 青木が1年がかりで手に入れた地位は、それだけではない。
 それは職務に関するポジションではないが、青木としてはこの立場が最高にうれしい。
 心から敬愛する室長のプライベートを、ほんのわずかだが共有できる立場。同性ならではのその関係を、飲み友達という。
 残念ながら2人きりではなく、岡部という先輩と一緒だ。
 岡部は薪がいちばん信頼している部下で、副室長的な立場にいるから、室長と副室長の親交を深める席に、新米の青木が紛れ込んでいるという状態なのだが。それでも青木にとっては、人生最大の楽しみといっても過言ではない。

 居酒屋やスナックなど、あまりうるさい場所が好きではない薪は、自宅で飲むことが多い。
 経済的だし、つまみも自分の好みに合わせた味付けにできる。薪は見かけによらずとても料理が上手だし、酒に酔うと処かまわず眠ってしまうクセがあるから、こちらのほうが都合がいいのだ。

 平日はなかなかお誘いがかからないが、週末の金曜日は薪の方から誘ってくれることが多く、最高に美味い手料理と、プライベート時の穏やかな微笑で彼らをもてなしてくれる。
 自分から誘っておいて、いつも一番最初に眠ってしまう薪をベッドに寝せて、そのあとは岡部とふたりで薪の話で盛り上がる。そのまま居間で雑魚寝して、翌朝は薪の美味しい朝食を食べて解散、というのがいつものパターンだ。

 薪と同じ屋根の下で眠ることができるこの特別な日を、青木はとても楽しみにしている。
 本音を言えば同じ部屋で、同じベッドで眠りたい。酒に酔って眠る薪もかわいいが、できることなら自分の腕の中で酔わせてみたい。目覚まし時計の代わりに、甘いキスで薪を起こしてやりたい。

 もうずい分前から、青木は薪に恋をしている。

 薪に振り向いてもらうため、様々な努力もしてきた。
 薪の大学時代の友人にアドバイスをもらい、思い切って図々しくなることに決めた。薪は気安く話しかけられない雰囲気の持ち主だが、意外なことに押しに弱いと彼女に聞いたからだ。
 だからたとえ平日でも退室時間が早いときには、手料理目当てを装って、薪の家に押しかけることにしている。迷惑そうな顔をしながらも、手を抜くことなく青木の分まで食事を作ってくれる薪のエプロン姿が、これまたかわいい。

 今週は薪の仕事が忙しく、連日深夜の帰宅となってしまったため、一度もそのチャンスは得られなかったが、週末はきっと一緒に過ごせる。薪もそのつもりで書類整理に精を出しているのだ。

 先々週、薪が作ってくれたちらし寿司の味を思い出しながら伝票の整理をしていると、研究室の壁にかかったインターホンが、ピーピーという音を立てた。
 このインターホンは、風呂場からの直通回線だ。つまり、薪からだ。

 薪が自分を呼んでいる。そんな些細なことすら、うれしい。
 青木は伝票を繰る手を止めて立ち上がり、受話器に手を伸ばした。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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