ファイヤーウォール(5)

ファイヤーウォール(5)





 科学警察研究所のすべての研究室の責任者が一同に会し、それぞれの研究成果の発表や報告を行う室長会議は、1月に2回、金曜日の早朝に開催される。
 第一から第八までの研究室からは、室長と副室長が出席しているが、第九には在籍職員の数から副室長という役職は存在しない。よって室長会議に出席するのは薪ひとりだ。今日の第九の捜査報告は、過去3年間の誘拐事件の統計による傾向と対策である。青木が作っておいてくれた資料を元に、薪がいくらか手を加えたものだ。

 定刻の5分前に会議室に入った薪は、何故か、ざわざわと落ち着かない雰囲気に気が付いた。
 この会議は、見慣れた顔ぶればかりの、いわば定例会のようなもので、気心の知れた者同士の和やかな空気の中で行われることが多いのに、今日はいったいどうしたことだろう?

 会議室の中をさっと見渡して、薪はその原因を理解した。それは所長の隣に座している、ひとりの警視長の存在によるものだった。
 警察庁人事課警務部長、間宮隆二。
 警察庁内の人事権を一手に握るこの男は、様々な会議やミーティングにランダムに顔を覗かせては、人事評価の参考にしている。この男の一言で、自分の役職が変わるかもしれないのだ。みなが落ち着かないのも当然である。

 薪も間宮とは、捜一や5課との合同会議、あるいは警察庁の全体会議でよく顔を合わせている。薪としては、ある事情からあまり間宮の顔を見たくはないのだが、向こうも仕事なのだから、これは仕方のないことだと割り切ることにしている。
 会議に顔を出しているからと言って、間宮はその内容に口を挟んでくるわけではない。黙って話を聞いているだけだ。
 しかしその目は鋭く、職員たちの仕事に対する精通振りを見ている。いかに自分の仕事を理解し、愛し、熱意を持って取り組んでいるか、それを見抜く力をこの男は持っている。

 朝8時から始まった1時間弱の会議が終わり、自分の研究室へ三々五々散っていく職員たちに紛れて廊下を歩いていた薪は、後ろから間宮に呼び止められた。
「ちょっといいかい?」
「なんでしょうか」
 言葉は丁寧に返すが、その眼は氷のように冷たい。薪はこの男が大嫌いだ。

 初めて会ったときの屈辱的な行為を、薪は根に持っている。
 間宮は自分の部屋に呼び出した薪を突然抱きすくめて、腰の辺りを撫で回した挙句、隣の部屋でもっと親密になろう、と誘ってきたのだ。
 自分より上の階級とはいえ、我慢にも限度がある。薪はその場で間宮を蹴り倒して、第九に帰った。以前から頼んであった女子職員の配属の件はお流れになってしまったが、薪はそういう風に自分が見られたり扱われたりすることが、いちばん頭に来るのだ。

「女子職員の件だけど。4月の異動で回してあげるから、申請書を出しに来なさい」
 間宮の指示に、薪はびっくりする。
 自分を袖にした男の要望を叶えてくれるなんて。前任の三田村とは、えらい違いだ。

 意外な展開にすぐには返答ができず、言葉を失ってしまった薪を見て、間宮は首を傾げた。
「あれ? 要らないのかい?」
「あ、いえ。ぜひお願いします。すぐに書類を用意しますので」
 慌てて応えを返す。このチャンスを逃してなるものか。
「そう言うかなと思って」
 間宮は、小脇に抱えたレターファイルから一枚の書類を出して、薪に見せた。それは職員の増員申請書で、あらかたの内容は記入されており、あとは申請者のサインと印を押すだけになっていた。
「業務の内容は、君のほうで書いてくれるかい? あとは君のサインと、判子は持ってる?」
「はい」
「そこの部屋で書き込むといい。今日中に許可を出してあげるよ」
「ありがとうございます」

 薪はこの男を少し見直した。
 色事に関しては節操がないと有名な男だが、仕事は良くできるとの評判も同じくらい高い。
 ちらりと見えたレターファイルには、会議に出席していた人間の名前と評価対象となる実績や、先刻の会議の発表内容が書き込まれていた。中味までは見て取れなかったが、『間宮ファイル』と呼ばれるそのファイルには、職員の細かい個人情報まで、ぎっしりと書き込まれているとの噂である。

 間宮に促されて小会議室に入り、机に向かって申請書に業務内容を記入する。
 女子職員が欲しいわけは、男ばかりの職場に花を添えたいという希望からではない。本音では30%くらいはそれもあるのだが、一番の理由は第九の新人の負担を軽減するためである。
 新人の青木は、キャリア入庁にも関わらず、最年少という理由から第九の雑務を一手に引き受けている。お茶くみからコピー取りから伝票の整理や夜食の買出しまで、自分の仕事をする暇がないくらいに忙しい。
 青木も第九に入って1年が過ぎた。そろそろ雑用から開放して、捜査活動に専念させてやりたい。それには雑用をこなしてくれる、女子職員が必要だ。

「書けたかい? 」
 お願いしますと書類を差し出すと、間宮はにこりと笑ってそれを受け取った。

 こうしてみると、間宮はなかなかいい男だ。
 苦みばしったハードボイルド系の伊達男という感じだ。
 だれかれ構わずベッドに連れ込むというが、それは決して無理矢理に引きずり込むというわけではないらしい。きちんと手順を踏んで、それなりの付き合いをしたうえで、合意のもとに何人もの愛人を作っている、という話である。その手並みの良さのひとつに、このダンディな容姿が一役買っているのは間違いない。
 また、間宮の審美眼はとても厳しく、かなりハイレベルな容姿でないと、食指が動かないらしい。一部の奔放な女子職員たちの間では、『間宮部長と寝た』というのがひとつのステータスになっているとかいないとか。
 要は、相手のほうにもいくらか食い気があるのだ。間宮が次長の娘婿だということも、警務部長という役職も、彼らの心を射止めるのにいくばくかの役割を果たしているのだろう。

「……なんだい? この”お茶汲み(室長用のコーヒーを除く)”って注釈は」
「気にしないでください。それは第九の舞台裏です」
 つい調子に乗って、余計なことを書いてしまった。
 女子職員が来ても、自分のコーヒーだけは青木に淹れてもらうつもりでいる。
 この頃、あいつのコーヒー以外は美味いと思わなくなってきた。中毒ともいえる症状に、薪は少し困っている。

 書類に判を押そうとした薪の手を、がっしりした男の手が握ってきた。反射的に振り払おうとした薪に、間宮は爽やかに笑いかけた。
「薪くん。最初に会ったときは済まなかったね。失礼なことを言って」
 間宮の素直な謝罪の言葉に、立ち上がりかけた薪の足が止まる。
 警察機構の中に置いて、上の階級の人間が下の者に謝罪をするなどということは、まずありえない。薪は上下関係などくだらないと考えているから、自分が悪いと思えば部下の岡部の小言を黙って聞いているが、普通はそんなことは許されないのが警察というところだ。
 間宮は警視長だから、警視正の薪より役職は上だ。それが自分に頭を下げるなんて。

「俺の悪いクセなんだ。美人と見ると放っておけなくて。君の立場も考えずに、無神経なことを言ってごめんよ」
 白い歯が眩しい笑顔だ。体育会系の男だと聞いていたが、なるほどスポーツマンらしい快活さだ。
 小野田と岡部は間宮のことを散々に腐したけれど、本当はそんなに悪い男ではないのかもしれない。『ふたりきりになったら、その場で犯されちゃうから気をつけてね』と小野田は言っていたが、そこまで危険な男には見えない。

「いえ。僕のほうこそ乱暴な真似をして、申し訳ありませんでした」
 間宮に謝ることができて、薪はこころの中でほっとしていた。
 小野田にはそのままにしておくように言われたが、やはり警務部長を蹴り飛ばしたのはまずかったと後悔していたのだ。三田村のように根に持つタイプじゃないから大丈夫だよ、と小野田は断言したが、第九の人事権もこの男が握っているのだ。不興を買いたくはない。
「あはは。あれは痛かった。きみ、柔道黒帯なんだって?」
「ええ、一応」

 さりげなく離そうとした手を両手で握られて、薪は困惑する。
 悪い人ではなくても、ゲイはゲイだ。気持ち悪いことには変わりない。
「あの……手を放してください」
「あ、ごめん」
 間宮はバツが悪そうに頭を掻き、薪の手を放してくれた。
 なんだ。ちゃんと話が通じるじゃないか。
 小野田さんも岡部も大袈裟なんだから、と薪は安心して席を立った。

「薪くん。俺は本気だからね。きみに対する気持ちは、いい加減なものじゃないよ」
「は?」
「俺はきみに一目惚れしたんだ。きみが官房長に義理立てするのも分かるけど、俺の気持ちも分かって欲しい」
 男に告られるのは、何度されても気分が悪い。
 困惑と焦燥。ゆっくり湧き上がってくる嫌悪感と怒り。それらすべてが薪のきれいな顔を歪ませる。
「お気持ちは嬉しいんですけど、僕にはそういう趣味は」
 不意に抱きすくめられて、薪は体を強張らせる。すぐさま小股払いを仕掛けようと伸ばした右手が何かに触れて、思わず技が止まった。
 身長差約20センチの間宮の腰が、薪の腹に当たっている。しかしこの異物感は。

 その正体を察して、薪は20秒ほど固まった。ぞわっと体中の産毛が逆立って、手の甲にまで鳥肌が立った。
 窓の外まで殴り飛ばしてやりたかったが、あまりのショックに身体が動かない。かくかくと顎が震えて、言葉も出ない。
 間宮は硬直している薪の手を取って自分の股間に導き、その膨らみにズボンの上から触れさせた。瞬く間に硬さを増してくるそのおぞましさに、薪は貧血を起こしそうになる。

「俺の気持ち、解ってくれたかい?」
 解ってたまるか! ひとに汚らしいもん押し付けやがって!

 叫びは声にならず、薪の手は固まったまま動かなかった。
 目の前が真っ赤になって、激しい怒りに飲み込まれようとしたとき、間宮は唐突に薪の身体を放した。
「なにしてるの?」
 小会議室の入り口に、小野田が立っていた。
 第九の室長である薪には、室長会議の帰りに官房室へ寄って、定例報告をすることが義務付けられている。薪が来るのが遅いので、小野田は様子を見に来てくれたらしい。

「薪警視正が貧血を起こしまして」
「ほんとだ。顔が青いね」
 穏やかな口調で言葉を交わしつつ、小野田は薪の身体を間宮から奪い取るようにして引き寄せた。これ見よがしに肩を抱き、心配そうに顔を近づける。
 間宮のにこやかな口許が、微かに歪められた。

「大丈夫? 薪くん。昨夜、ちょっと激しすぎたかい?」
「なっ……!」
 小野田の大胆なノロケに、薪は怒ったような顔をしながらも、大人しく肩を抱かれたまま部屋を出て行った。
 仲睦まじげに廊下を歩いていく恋人たちの姿を見送って、間宮は形良く長い眉をしかめる。
 薄い唇をぎゅっと引き結んで、腕を組む。切れ長の一重目蓋の目が、ついさっきまで薪が座っていた椅子を見た。

「書類をもらうのを忘れたな」
 2度目の申請書は、薪が持って行ってしまった。
 第九の女子職員の人事は、どうやら先送りになりそうだった。




*****

 そしてまた、二人の男の間で揺れ動く魔性の警視正の噂が広まるのでした。(笑笑)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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