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ファイヤーウォール(7)

ファイヤーウォール(7)






 石鹸のいい香りが、鼻孔をくすぐる。
 その芳香は、青木の下にうつ伏せになった細い肢体から漂ってくる。自分の手の中でゆっくりと蠢く、しなやかな筋肉。身体の横に手を回すとあばら骨がはっきりと分かってしまうが、その壊れそうな頼りなさが返って男の欲望をそそる。

「あ……んん……」
 つややかなくちびるから洩れる、なまめかしい吐息。
「痛っ」
 びくっと背筋を震わせて、薪は声を上げた。
 白い指が堪らなく色気を感じさせる形に強張って、布団にすがる。
「すみません、強すぎました?」
「平気。痛いけど、気持ちいいんだ」
 痛みの中に快感がある。この快感で薪の全身を満たしてやりたい。薪が望むなら、どんなことでもしてやりたい。薪が喜ぶことといったら風呂と日本酒、そして――――。

 恒例のマッサージである。

 岡部がいないので、今日は青木にお鉢が回ってきた。メシを食ったのだからその分は身体で返せ、と室長命令が下ったのだ。さっきの上目遣いはこれが目的だったに違いない。
「もう痛くって痛くって。吐き気がするくらいだったんだ」
「今週は書類地獄でしたもんね」
 岡部に手ほどきを受けて、マッサージも少しはコツを掴んできた。
 うつ伏せた薪の腿の上あたりに軽く跨るような格好で、両の親指を使い、力加減に注意して背中を押してやる。強すぎず、弱すぎず、薪の反応を伺いながら。
 薪が一番凝りを覚えるのは、右の肩だ。しかし、揉むのは肩ではなく背中である。肩甲骨と背骨の間、背骨寄りの位置を重点的に揉み解してやると、楽に腕が動かせるようになるという。

「書類も原因のひとつだけど、今日はいやなことがあってさ。僕はストレスがかかると肩が凝るんだ」
「岡部さんから聞きました。間宮部長にセクハラされたって」
 警務部長の間宮には気をつけろ、と岡部が口を酸っぱくして言っているのに、薪本人はそれほどの危機感は感じていないらしく、今までに何回もこんなふうに迫られては、その度にキャビネットを蹴り飛ばしている。
「だからって、物に八つ当たりしちゃ駄目ですよ。キャビネットが可哀想です」
「可哀想なのは僕だ! あんなことされて、あんなもん……!」
 今日はいつもの、気障な口説き文句だけでは済まなかったらしい。
「何をされたんです?」
「抱きつかれた」
 それは充分薪の怒りの原因になるが、そのくらいなら小野田にしょっちゅうやられている。実は青木もしたことがある。でも、その時はキャビネットは無事だったはずだ。
「それだけですか?」
「……言いたくない」
 よっぽどのことをされたのだろうか。まさかキスとか、それ以上のこととか。

「どうしてあの時、この手が動かなかったんだろ」
「自力で逃げてきたんじゃないんですか?」
「小野田さんが助けてくれたんだ。あんまりびっくりして動けなくなっちゃって。あのままだったら生で、うう、気持ち悪くなってきた」
「ナマってなんですか?」
「子供は知らなくていいことだ」
 薪は時々、青木を子ども扱いする。青木のことを童貞だと疑ったり、AVを見て腰砕けになってしまうほど純情だ、と思い込んでいる節がある。

「子供じゃありませんよ。オレ、もう少しで25なんですから」
「僕より12歳も年下のクセに」
 早く生まれたからと言って、すべてにおいて薪の方が大人だとは思えない。仕事中は決して出さないが、薪には意外と子供っぽいところがある。
 普段の冷静な室長の顔と、その大人げない顔とのギャップは、青木を思わず微笑ませる。

「お子様には刺激が強すぎる話だ」
「こう見えても、けっこう場数踏んでるんですよ。薪さんが知らないだけです」
「わかったわかった。そういうことにしといてやるから、肩のほうも頼む」
 嘲笑う口調で青木の言葉を軽くいなすと、薪はパジャマのボタンを外した。うつぶせになったまま、細い首から薄い肩まで襟をはだけて露にすると、自分の手で凝りのひどい部位を指し示した。
「この首と、肩の境目のところが痛いんだ」

 白いうなじが目に突き刺さってくる。薪の後ろ首はとてもきれいだ。浮世絵の美人画のように、秀逸な色香を持っている。
「あっ、んあっ」
 そしてこの声。
 万が一、間宮に聞かれたら大変なことになりそうだ。
「あん、いっ、いっ、気持ちいいっ……!」 
 ……間宮でなくても大変なことになりそうだ。
「次は腰を頼む」
 パジャマのズボンを腰骨の辺りまで下げて、薪は青木の手を待つ。別に誘っているわけではなくて、ズボンのゴムの部分が邪魔になるからそうしているだけだ、と解ってはいても――――。
「岡部さんて、すごい人ですね」
「まあな。岡部のマッサージはプロ級だからな」
 青木が言いたいのは、そういうことではない。
 
「もうちょっと下。もうちょっと。あっ、ああん! そこっ!」
「岡部さん、助けてください……」
 薪の細い腰がびくびくと跳ね上がって、青木のそこに触れてくる。視覚聴覚触覚と三拍子が揃ってしまった。これで反応しなかったら、それは健康な男子ではない。
 自分の下になった薪の腰の動きに、青木は昨夜の夢を思い出す。
 この腰が自分の腰に絡みついて激しく上下に動かされ、この腕が自分の背中に縋りつき、この足が自分の足に絡んで―――― さっきから聞かされているよがり声としか思えない薪の声が、耳の奥に木霊して、青木は自分の下腹部が張り詰めるのを感じた。

「青木? なんでやめちゃうんだ?」
「いえ、あの」
 薪は不思議そうな顔になり、身体を捻って青木を見た。亜麻色の瞳が、ぎょっと見開かれる。
「お、おまえ、それ」
 薪の顔が青ざめた。
 さっと青木の膝の間から抜け出すと、ずざざっと後ずさり、座布団を抱え込んで、知らない男でも見るように青木の顔を見た。

 まずい。自分の状態に気付かれてしまった。
 焦るがどうしようもない。男のそこが簡単に大人しくなるような聞き分けの良いペットだったら、男はあれほど易々と女の言いなりにはならない。
 青木は慌てて薪から身を引き、ソファの後ろに隠れて顔を伏せた。
「す、すみません」
 しかし、あれを耐えろと言う方がムリだ。恋をしている相手が自分の下で刺激的な格好で淫らな喘ぎ声を上げて。青木じゃなくても、10人中10人がこうなるはずだ。
 しかし、薪にはそれは理解できない心情らしかった。
 
「ずっとそんな目で僕のことを見てたのか?」
 低い声で、薪は言った。
『そんな目』と言うのはどういう目だろう。
 薪をセックスの対象として見ているのかと聞かれれば、イエスと答えるしかない。夢に見るのは薪の姿ばかりだ。当然、そういう状況も含まれている。
 
「まさか、昨日の夜もこんなふうになってたのか? 風呂場で僕の裸を見て? それでずっと後ろ向いてたのか?」
 答えなければ肯定の意味に取られる。しかし、青木には嘘は吐けなかった。
 自分のことで確かめたいことがあったら、直接自分に聞いて欲しい。薪に嘘は吐かない、と先日約束したばかりだ。
「こないだ僕の夢ばっかり見るとか言ってたけど、その夢って」
 青木の沈黙を肯定と受け取って、薪は屈辱に頬を染めた。つややかなくちびるをぎりっと噛み締めて、怒りの形に眉を吊り上げる。

「僕がそういう風に見られるの、大嫌いなこと知ってるだろ!」
 それは知っている。
 しかし、薪も自分の気持ちは知っているはずだ。知っていて、今までこうして付き合いを重ねてきたのではないのか。
 青木はそう思っていた。薪との距離は次第に近づいていると。自分の気持ちを理解した上で、薪のほうから歩み寄ってくれていると。
 しかし、薪の思惑は違っているようだった。

「おまえはわかってくれてると思ってた。僕が普通の男だって。だって僕の外見しか知らない連中と、おまえは違うだろ? こうやって腹を割って話をしたり、一緒に飲んだりしてきたじゃないか。どうしてそんなこと」
 薪の亜麻色の瞳の色が、嫌悪に染まる。侮蔑をこめた視線で見据えられて、青木は心が凍りつくのを感じた。
「おまえなんか間宮と一緒だ! 穢らわしい!」
 その言い方はあんまりだ。
 やましい心がまるで無いと言ったら嘘になる。しかし、間宮のように無理強いしたり、薪の気持ちを無視した行動をとった覚えはない。

 言いたいことは沢山あった。
 薪は青木の気持ちを承知の上で、自分の部屋に誘って二人きりになって。無防備に青木の下になって艶かしく身体をくねらせて、あんな甘い声を出して平気で肌を晒して。その姿態に青木の男の部分が反応したからといって、それを責めるのはあまりにも身勝手だ。
 しかし、青木は惚れた相手にはどこまでも弱い。薪がとても傷ついた顔をしているのを見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 薪はつかつかと青木のほうに歩いてきた。襟元を摑まれて引き摺られる。間髪を入れず、左の頬に拳が飛んできた。
 口の中が切れて血の味が広がる。それは薪の心の傷から流れた血だ。
「二度とここへ来るな!」
 激しい拒絶の言葉に青木はうなだれて、薪のマンションから出て行った。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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