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ファイヤーウォール(9)

ファイヤーウォール(9)







 翌週の定例会に、青木の姿はなかった。
 先週、所用で薪の家に行けなかった岡部は、今日の定例会を楽しみにしていた。いつものように青木を誘うと、しかし思いもかけない答えが返ってきた。
「オレ、薪さんに二度と来るなって言われちゃいましたから」
 二度と来るなとは穏やかではない。ケンカでもしたのだろうか。

 薪は決して社交的ではない。しかし一旦懐に入ってしまうと、とことん甘えてくるし、とてもやさしい。そのぶん我が儘にもなるようだが。
 青木には自分と同じくらい、いや、それ以上に心を開いているように思っていた。岡部と二人で酒を飲むときより青木と3人でいるときのほうが、薪の笑顔が明るかったからだ。
 以前青木が定例会に来なかったとき、薪は明らかに淋しそうだったし、青木が実家の不幸で第九を離れていたときは、見るも哀しいほどに萎れてしまっていた。
 そこには多分、岡部と薪の間にはない何かがあって―――― それはおそらく、青木の薪に対する特別な感情が深くかかわっている。今年の初めに岡部が目撃した室長室での出来事は、その発露とも言えるだろう。

 何があったんだ、と訊いた岡部に青木は俯いたまま、「オレが悪いんです」と答えた。青木が今週の初めに左頬を腫らしていたのを思い出した岡部は、何があったのか凡その察しをつけた。
 先週、自分がここにいなかったとき、恋焦がれた相手とふたりきりになった青木は男の本能に負けて、薪に迫ってしまったのだろう。
 青木はまだ若い。岡部より10歳以上も年下だ。その頃の自分と比べても、青木はかなり自制心の強い男だと思っていたが、限界はあったようだ。
 薪が怒るのも分かるが、薪は青木のそんな気持ちを知っていたはずだ。
 このひとは無神経というか気を使わないというか、青木の前でも平気で裸でうろちょろしたりするから、岡部としては時々、青木のことが可哀想になったくらいだ。
 今回もそんなことではないか。薪はいつも青木を一方的に責めるが、第三者の目から見ると薪の方に大半の原因があることが多い。

 仕事には一切の私情を挟まないのがポリシーの薪は、職場では見事に冷静な室長の仮面を被っていたが、誰かに自分の鬱憤をぶつけたかったに違いない。薪の自宅のリビングで、コップに注いだ冷酒を傾けながら岡部が水を向けると、薪は堰を切ったように喋り始めた。

「絶対に連れてくるな! あいつはもうここへは出入り禁止だ!」
「まあそう言わずに。青木も反省してますから」
 反省どころか地の底まで落ち込んでいる。
 この1週間、青木は昼の食事をほとんど残していた。親の葬儀から帰ってきた直後も食欲だけは衰えなかった男が、何があったのかと職員食堂のおばさんに訊かれたくらいだ。

「あいつがこの前、僕に何したか知ってるのか?」
「だいたいは。でも、あれは薪さんも悪いですよ」
 はっきりとは聞いていない。だからこれはハッタリに過ぎないが、事件の関係者から話を引き出すときには有効な手段だ。
「なんで僕が悪いんだ」
 憤懣やるかたないといった表情で、薪は腕を組む。つややかなくちびるを尖らせて、怒りを顕にする。薪の怒りが1週間も持続するところを見ると、相当ヤバイことまでしてしまったのだろうか。青木にしては思い切ったものだ。

「薪さん、あいつの気持ち知ってるんでしょう? あいつが自分のことをそういう目で見てるって言ったのは、薪さんですよ」
 薪は黙ってぐい飲みの酒を呷った。今夜は悪い酒になりそうだ。
「そんな人間の前に、裸で出て行くほうにも問題があるんですよ。男だったらそうなっちゃうでしょうが。押し倒したくなって当たり前ですよ」
「押し倒されてなんかいない! そんなことされたら、ビンタぐらいで済むはずないだろ!」

 倒されてない?

 青木から無理矢理聞きだした話では、「風呂から上がった薪のマッサージをしていたら、我慢できなくなってしまった」とのことだった。
 その状況で、他に何かすることがあるとは思えないが。
 
「じゃあ、何されたんですか?」
「何もされてない」
「何もされてないのに殴ったんですか? それは傷害ですよ」
「違う! あいつ、僕のハダカ見てエレクトしたんだ!!」
 それはするだろう。
 青木は薪のことが好きなのだ。好きなひとの裸体を見てそういう状態になるのは、男なら当たり前だ。
 
「だからぶん殴って追い出したんだ! 僕をそんな目で見てたんだぞ! これが許せるか!?」
「そんな目って」
「間宮と同じだ! 汚らしい!」
「それはひどいですね」
「だろ? 僕がどれだけ傷ついたか」
 岡部の言葉に、薪は我が意を得たりとばかりに身を乗り出してきた。
 僕の気持ちを分かってくれるのは岡部だけだよ、と満足そうな顔をして杯を呷る。空になったぐい飲みを岡部のほうに突き出すが、岡部はそれに酌をしようとはしなかった。

「ひどいのは薪さんのほうですよ」
 岡部の返答がよほど意外だったらしく、薪は大きく目を瞠ってくちびるを窄めた。眉を吊り上げて、すぐに言い返してくる。
「なに言ってんだ。僕は被害者だぞ」
「いい加減にして下さい、子供じゃあるまいし。男ってのはそういう生き物でしょうが。あなただってここに、女の子が裸で出てきたら、そういう状態になるでしょう」
「男が女のハダカ見て勃たなかったら、人類は滅びるじゃないか」
「なら青木だって同じでしょう」
「同じじゃない! 僕は正常であいつは変態じゃないか。岡部、変態の肩持つのか?」
 あんなに自分を慕ってくれていた部下を残酷な一言で切り捨てようとする薪に、岡部は義憤を覚える。レイプされたとか、その間際まで行ったならともかく、青木は薪の誘惑ともいえる媚態に負けて身体の一部が反応してしまっただけだ。
 それぐらいのことで人間性のすべてを否定されてしまったら、この世に誠実な男はひとりもいなくなってしまう。

「青木は変態じゃありませんよ。相手が男なら誰でもそうなるわけじゃないでしょう」
「僕を見てそうなったんだぞ。立派な変態じゃないか」
「青木は薪さんが好きなんですよ! 好きなひとの裸を見たら、男は反応するんです。相手が男だろうと女だろうと、母親だろうと!」
「……母親はまずいだろ」
「例えです、たとえ」
 つい口が滑ってしまった。
 例えにしても、とモゴモゴ言っている薪に真実を悟らせないためにも、ここは青木の話に集中だ。

「青木はあなたにはいつも誠実だったじゃないですか。無理強いしたり弱みに付け込んでどうこうしようとしたり、そんなことはしなかったはずです。それを間宮と一緒だなんて。青木が可哀想ですよ」
 岡部が青木の弁護に回ると、薪はむっとした顔になってそっぽを向いた。酒が入っているせいもあるが、この上司は、時々ひどく子供っぽい。
「青木があなたに気に入られようと、今までどれだけ努力してきたか知ってますか? いつも遅くまで残ってMRIの自主訓練をしているのも、昔の捜査資料を読み返しているのも、みんなあなたの力になりたいと思ってやってるんじゃありませんか」
 指導員として青木の努力をずっと見てきた岡部は、その原動力の正体に気付いていた。薪に対する気持ちが青木をあそこまで仕事にのめり込ませたのだ。純粋に薪の役に立ちたいと思って努力を重ねた月日を、こんなことくらいで否定されてしまっては、青木があまりにも不憫だ。

「それにあなたは青木の気持ちを知っていて、ここに招いたんじゃないですか。俺がいないときだって、ふたりでメシ食ったり酒飲んだりしてたんでしょう? 青木がその気になっても無理はないんじゃないですか?」
「僕が呼んだんじゃない。あいつが押しかけてきたんだ」
「同じことですよ。あいつと一緒のとき、あんなに楽しそうに笑ってたじゃないですか」
 薪の顔がどんどん険しくなる。
 亜麻色の目が怒りの形に吊り上り、華奢な肩が竦みあがっていく。
「受け入れてやれとは言いませんよ。俺だってそんなのは反対ですから。でも、青木の気持ちを知っていてそんな態度を取りながら、それに男が反応したからってそのことを責めるのはあんまりですよ」
 薪は、じっとうつむいてくちびるを噛んでいる。黙って岡部の話を聞いているときの薪は、聞き流しているか反論を考えているかのどちらかなのだが、この顔つきは多分後者だ。

「岡部には分かんないんだよ!」
 始まった。いつもの逆ギレだ。
「岡部はいいよ、そんなふうにどこから見ても男らしい男でさ! でも、僕は昔から色んな嫌な目に遭ってきてっ、僕をそういう目で見る男は許せないんだよ!」
「それは青木のせいじゃないでしょう」
「じゃあ、僕のせいだっていうのか!」
「そうは言いませんけど」
「電車の中でチカンに遭ってあちこち触られて、僕がどれだけ悔しかったかなんて、おまえには分かんないんだよ!」
 それはわからない。解りたくもないが。
 それにしても、しかし。
「チカン、遭ったことあるんですか」
「ある。昔ほど頻繁じゃなくなったけど、今でも時々」

 世の中狂ってる。顔だけ見れば女でも、触ってみればたしかに男の身体だ。薪の専用マッサージ師としてそのからだに触り慣れている岡部には、ちゃんとわかっている。
「なんで捕まえないんですか」
「恥ずかしくって声なんか出せないんだよ! 男のくせにチカンに遭うなんて、って、なんでこんな話になってんだよ、今は青木の話だろ!?」
 痴漢の話は薪が言い出したのだが。相変わらず自分のことは棚に上げる人だ。
「とにかく、あいつは僕の信用を裏切ったんだ。絶対に許さない。仕事は仕事だから職場では今まで通りにするけど、プライベートではいっさい関わりたくない!」

 薪は頑固だ。言い出したら聞かない。
 それを覆すには少々キツイことも言わなければならない。この話はしたくないが、青木がこのまま薪のもとを離れるのは、薪にとっても思わしくない結果になるはずだ。
 薪には自覚がないようだが、青木はすでに薪の心の中に深く入っている。今は頭に血が上っているから、ここに青木がいなくても平気だが、これが1月も経てば、薪はまたしょんぼりしてしまうに決まっている。自分で遠ざけておいて淋しくなって落ち込むのは、薪の十八番だ。

 しかし、薪がそれに気付いたときには、青木の方だってさすがに愛想を尽かしてしまっているだろう。二度と来るなと言っておいて、寂しくなったからまた来いと言ったりしたら、どんなにやさしい男でもいい加減にしろ、と怒鳴りつけたくなる。青木だってそこまで都合のいい男にはなりたくないはずだ。
 青木が薪にこころを残しているうちに、薪の方から歩み寄らないと、この二人の関係は破綻したままだ。そちらの方向に進展してしまっても困るのだが、また静かに飲んでさびそうに微笑う薪に戻ってしまうのは、もっと困る。
 岡部は最後のカードを切ることにした。

「薪さんは青木のことを一方的に責めますけど、あなただってひとのことは言えないんじゃないですか」
「どういう意味だ?」
「鈴木さんとはどうだったんですか?」
 これを引き合いに出すのはルール違反だが、これ以外に薪の翻意を促す手段はない。
「なっ!」
 いちばん触れられたくない過去に突然切り込まれて、薪はパニックになる。思わず取り落とした空のぐい飲みが、床にころころと転がった。

「ぼ、僕と鈴木はそんなんじゃ」
 目が泳いでいる。薪は咄嗟の嘘は下手くそだ。
「プラトニックだったなんて言わせませんよ。この耳がちゃんと聞いてるんですから」
 抱きつかれて愛していると叫ばれて、あんな切ない表情をされれば、ふたりの間にはからだの関係があったと確信できる。岡部の勘に間違いはなかったらしく、薪はうつむいて顔を赤くした。
「鈴木さんとそういう過去があったからって、あなたをゲイだとは思いませんけどね。でも、その当時あなたは、鈴木さんのことをそういう目で一度も見なかったんですか?」
「鈴木は……特別で」
「青木にとっては、あなたが特別なんですよ。なんでそう思わないんです?」

 岡部の問いに、薪は答えられなかった。頭の中では様々な思惑が巡らされていたのかもしれないが、そのくちびるは二度と開かなかった。
 そのまま黙って寝室に入っていく。薪が立腹しているのは明らかだったが、岡部も今回は引く気はない。青木も可哀想だが、結局は薪の身に返ってくる。
「今日は引き上げるか」
 2人分の酒席の道具を片付けて、岡部は部屋を出た。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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岡部さん素敵!!
このわがまま坊主にもっと言ってやって言ってやって~~!!

やっぱり岡部さんでしょ(シーラカンスさんへ)

> 岡部さん素敵!!
> このわがまま坊主にもっと言ってやって言ってやって~~!!

あははは!
わがまま坊主!
みひろさんの命名、ヤンチャ坊主に続く第2弾、ですね。(笑)

さーて。
シーラカンスさんの鬱憤も晴れたみたいだし、(え?ぜんぜん晴れてない?・・・・すいません)
わがまま坊主にはおしおきしないと。(腐笑)

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Mさまへ

いらっしゃいませ、Mさま。

> こちらの岡部さん、とっても素敵でした。

ありがとうございます。
主役のふたりよりも主役にふさわしいんじゃないか、という岡部さんです。(笑)

>薪さんよりも岡部さんが持てる場所・・・
> 薪さんは見向きもされなくても、岡部さんはうはうはです!

・・・・・・・あの・・・・・・うちの岡部は、ノーマルなんですけど・・・・・・。
あ、海、とか・・?
いや、でもなんか、腐の香が・・・・
Mさまに限って、そんなことを知っているとは思いませんので、わたしの考えすぎですね(^^;)

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Mさまへ

Mさま、こんにちは♪


> 伏線みっけ!!

見つけてくださって、ありがとうございますっ!
探してくださったんですか?
うれしいです~~♪♪♪


> 薪さんって、こうゆう会話を一言一句忘れてくれませんよね…。岡部さん気の毒

そうそう、でもって、一言一句違わずに繰り返すという。(笑)
6巻の屋上のシーン、よかったですよね。(^^


> 他にとっても好きな人がいるから、岡部さんは薪さんの色香にクラッといかないんですね!

そうなんですよ!
これはわたしなりの、岡部さんが薪さんの色気に惑わされない理由です。


> 岡部さん素敵なのにもったいないなぁ。私も第9で結婚するなら岡部さんがいいです

おおお、Mさま、ライバルですね!(笑)<結婚。
ですよね、夫にするなら岡部さん、恋人なら今井さん、友だちなら曽我さんがいいです。
青木さんと薪さんには関わりたくない、遠くから見ていたいの。


> 原作読んでると『薪さん、もう岡部さんにしとこうよ。岡部さんの方が青木より頼りになるって!そしたら私達も、もっと安心して見ていられるのにっっ!』
> って思うんだけど、でも薪さんが青木じゃなきゃ嫌だって…ブツブツ(←言ってない)

いや、言ってますよ! 
毎回叫んでるじゃないですか、あんなにっ!!(←幻聴)
いやー、もう、薪さんが捜査会議で青木さんを庇っているシーンは、ふきだしの中の文字が、「僕の青木に文句のあるやつ、出て来い!」と脳内で変換されて困りましたよ。(←幻覚)

冗談はともかく、
本当にその通りなんですよね。
薪さんが好きだって言わなければ、わたしだってあんな頼りない青二才・・・・・(ひどい)
だけど今度の事件で、青木さんも自分の罪を背負うことになって、薪さんの気持ちにいっそう寄り添えるようになったのかしら。 だったら、彼の評価も変えないといけませんね。(^^
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

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10万拍手ありがとうございます!
いつの間にか9歳になってました。( ゚Д゚)
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