オフタイム(3)

オフタイム(3)








 岡部のおかげで薪の意外な一面を知ることができた青木だったが、翌週には更に大きく薪のイメージを変える出来事があった。
『青木くん。面白いもの見せてあげるから、道場に来なさい』
 一日の職務を終えての帰り道、法一の女医からそんな電話が入ったのだ。

「法医第一研究室の女薪」と称される彼女は、腕利きの監察医である。第九にもちょくちょく解剖所見と差し入れを持って来てくれるのだが、それはカモフラージュで、本当の目的はたぶん薪だ。
 こんな言い方をすると恋愛関係かと思われがちだが、雪子の方はそれをきっぱりと否定している。
 雪子は、薪が射殺した鈴木の婚約者だった。それを青木は、本人の口から聞かされたばかりだ。
『婚約者を殺した男と、恋仲にはなれないわ』
 青木の邪推を、雪子はそんな言葉でばっさりと切り捨てた。その上、青木の薪に対する気持ちまであっさりと看破して見せた。現在、雪子は青木の恋の相談相手である。

 ただ、薪の方はどう思っているのかわからない。

 薪は雪子に対してだけはいつもにこやかで優しくて、どう見てもただの女友達に対する態度とは思えない。もしかしたら、鈴木が生きていたころから雪子に想いを寄せていて、でも親友の彼女だから遠慮していたのかもしれない。それがあの事件のせいで、余計に愛してはいけない女になってしまった。だが、諦めきれない―――― ふたりの関係は、そんなふうにも取れるのだ。
『親友でライバルなの』
 雪子は、薪との関係をそう定義づけた。
 親友は分かるが、ライバルというのは意味不明だ。仕事の上で張り合っている、ということだろうか。犬猿の仲である捜査一課と違って、第九と法一はそれほど対立することはないのだが。

 さておき。
 雪子が指定した道場は警視庁の中にある。
 警察官にとって、武道の修練は大切な仕事のひとつだ。特に現場に出る一般の警察官には、警察学校を卒業する際に柔道あるいは剣道の初段習得が義務付けられている。しかし、青木のようなキャリア組には、そのような義務付けはない。キャリアは基本的に現場には出ないからだ。警大で柔道の基本だけは学んだが、実戦経験はないに等しい。道場に行くのも、これが初めてだ。
 ましてや監察医の雪子にとっては、道場などまったく関係のない場所と思われるが、いったい何事だろう?

 道場の扉を開けて中に入った青木は、思わず我が目を疑ってしまった。
 自主稽古に余念のない多くの職員に混じって、青木の見知った顔がある。雪子と薪と岡部の3人だ。
 薪が似合わない柔道着姿で雪子と向かい合っている。まさか組み手をしようとしているわけではあるまいが、この状況はそれ以外に説明のつけようがない。
 お互い真面目な顔をして腰を低くし、相手の道着を取りに行く。雪子の足が外側から薪の足首を払い、見事な大外刈りが決まった。
「痛ッ!!」
 なるほど、面白いものとはこのことか。

 薪の醜態に、青木は思わず噴き出してしまう。いくら自分より体が大きいとはいえ、女の雪子にこうも簡単に倒されてしまうとは。
 しかし、そこがまた可愛らしい。薪の弱さは青木の庇護欲をかき立てる。守ってあげたいという気持ちになるのだ。
「いま、受身取るヒマなかっ……手加減してくださいよ、雪子さん」
「ムリよ。薪くん相手に手加減できるほど、あたし強くないもの」
「よく言いますよ。いたた」
 畳の上に座り込んで、薪は左の腰の辺りを押さえている。薪の柔道の実力は、大したことはないらしい。それも当たり前のことだ。薪は青木と同じキャリア組。武術など必要ない。

 青木の姿に気づいて、雪子がこちらに歩いてきた。女だてらに道着姿がばっちり決まっているのは、薪より10cm以上も高い身長の為せる業だ。
「青木くん。見てた? あたしの勇姿」
「すごいんですね、三好先生」
「まあね」
「引き換え、うちの室長は」
 薪はまだ座ったままだ。よほど痛かったらしい。
 これまた道着姿が板についた岡部が、薪に手を貸して立たせようとしている。岡部に比べると、薪の道着姿はまるで中学生くらいの子供のようで、それだけで笑えてしまう。

「あら。薪くんは強いわよ」
「だって、いま」
 薪が振り返って青木のほうを見る。青木の表情を見て取って、自分が笑われているのが分かったらしい。ジロりと凶悪な目をして、それから何を思ったのかニヤリと笑った。
「青木。ちょうどいい。練習相手になってくれ。雪子さんも岡部も僕とは実力が違いすぎて、痣が増えるばかりなんだ」
「いいですけど」
 青木も柔道は授業で習った程度だが、この体格差である。負けるとは思えない。それどころか、下手をしたら怪我をさせてしまうかもしれない。
 青木は岡部に道着の上だけを借りて、紐を締めた。雪子がそっと青木の袖を引いて、アドバイスをしてくれた。
「寝技に持ち込めば、勝てるかもしれないわよ」
 青木の気持ちを知っている雪子ならではの、きわどいアドバイスだ。その時、青木はそう思っていた。

 薪と向き合って礼をする。顔を上げて相手の目を見る。重心を低くして、構えを取る。
 薪がこちらに踏み込んできた。意外と素早い。あっと思ったときには道着の襟を摑まれて、下に潜り込まれていた。体勢を崩したところに足払いを掛けられてたたらを踏む。何とか踏みとどまるが、けっこうきつい蹴りだ。
 小さいくせに生意気な、と細い腕に手をかける。これだけの体重差があるのだ。押さえ込んでしまえばこっちのものだ。
 ところが。

 薪はさっと身を翻すと、青木が伸ばした腕を自分の肩にかけ、前方に引っ張った。そのまま思いがけない力で引き摺られ、周りの風景が一回転したかと思うと、次の瞬間畳の上に仰向けに倒されていた。
「おまえ、弱すぎ」
 きれいな顔で厳しい意見を吐いて、薪は腕を組んだ。
「うそ……」
 薪との身長差は、30cm近くある。体重は30キロ以上違うはずだ。それなのに、自分を投げ飛ばすなんて。

「だから寝技に持ち込めって言ったのに。体重かけちゃえば、身動き取れないんだから」
「大丈夫か? 青木」
 仰向けになったままの青木に、岡部が屈んで話しかけてくる。
「岡部さん。室長って柔道やってたんですか?」
「知らなかったのか? 薪さんは柔道と空手、どっちも2段だぞ」
「えっ!? あんなちっこいのに?」
 途端、道場の空気がビシッと凍りついた。
「バカおまえ、それ言ったら……!」

「青木。警察官は日頃の鍛錬が大切なんだ。僕がたっぷり稽古つけてやる」
 バキボキと華奢な手を鳴らして、薪はにっこりと微笑んだ。こういう時、薪は本当にきれいに笑う。笑いかけられたほうは、めちゃめちゃ怖いが。
「いえあの、今日はちょっと用事が、痛たたたたッ!!」
 左の肘に関節技を決められて、青木が悲鳴を上げた。
「あらあら。仲のいいこと」
 他人事だと思って、雪子は呑気なことを言っている。こっちは本当に痛いのだ。
 と、腕にかけられた力が不意に消えた。さっと手を離して、薪は岡部のほうに歩いていく。

「雪子さん、こいつの手当てお願いします」
 雪子にそれだけ言うと、後はもう青木の方を見もしない。
「岡部。今日、一杯飲まないか?」
「いいですよ。『瑞樹』にしますか?」
「うん」
 そんな羨ましい会話を交わしながら、2人の上司は連れ立って道場を出て行った。残された青木は、ひどく寂しい気分になる。

「いいなあ……岡部さん」
「妬かない妬かない。これからよ」
 雪子は元気付けてくれるが、青木には自信がない。捜査官としても男としても、自分はまだまだ未熟だ。岡部のように薪に頼ってもらうには、あと何年かかることか。
「あたしに任せなさい。最短コースで薪くんの心に入らせてあげるから」
「ほんとですか」
「あたしが何年薪くんの親友やってると思ってるの? 薪くんのことなら、職場のだれより詳しいわよ」
 まったく、雪子は青木にとっては女神のような存在だ。いつもこうして青木のことを励ましてくれる。迷ったときも悩んだときも、その強気な瞳で青木を導いてくれる。

「三好先生。夕飯、何がいいですか?」
 下心みえみえの青木の誘いに、道着姿の美女は嫣然と微笑んだ。





テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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