ファイヤーウォール(13)

 前の章とこの章の間に、前作『二年目の桜』が入ります。
 前作の最後の部分で、官房室の事務の女性から『Pホテル』でのランチのお誘いを受けた後の顛末が書いてあります。

 さー、ここからが本番です♪
 ほんのりピンクから、ショッキングピンクへ、とのリクエストがありましたが、ご期待に添えますかどうか。
 せいぜい、桃色だと思いますよ。わたし、乙女ですから。(笑)






ファイヤーウォール(13)





 ペニンシラホテルの最上階には、小野田のお気に入りのレストランが入っている。
 ちょっとした祝い事―――― 例えば事件が無事解決したとか、第九の実績が上層部で評価されたとか、そんな時にはよくここで、薪にランチを奢ってくれる。
 今日はたぶん残念会だな、と予想しながら、薪はホテルのエントランスをくぐった。

 3月の始めに起こった刺殺事件が、第九には甚だ不本意な結果に終わって、落ち込んでいるであろう薪を、小野田は元気付けてくれようとしているのだ。
 しかし、今回の事件は、その水面下に潜む別の秘密を守るために、薪が自らの判断で捜査不能と断定し、捜一に花を持たせたのだ。よって、薪は落ち込んでなどいない。落ち込んでいるのはおそらく、こういうことに免疫の無い第九の新人のほうだ。

 元気をつけるためのランチが必要なのは、自分ではなく青木のほうだったのだが、官房長からのお誘いが掛かってしまった。
 薪とのランチを小野田に掠め取られて、青木はとてもがっかりしていた。しかし、相手が小野田では仕方がない。一乃房には、この次連れて行ってやろう。何ヶ月先になるかはわからないが。

 豪奢なシャンデリアのかかった広いロビーで、薪は小野田の姿を探す。
 まだ来ていないようだ。小野田はたいてい先に来て薪を待っているのに、今日はどうしたのだろう。そういえば薪を誘うのに、事務員にメモを渡すなんてことも初めてだ。
 連絡を取ってみようかとも思ったが、小野田は携帯電話が嫌いだ。緊急の用件ならともかく、こんな些細なことで、小野田に不愉快な思いをさせたくない。

「薪くん。君も待ち合わせかい?」
 思いがけない声に振り向くと、薪がこの世で3番目に嫌いな人間が、ソファに座ってコーヒーを飲んでいた。
 間宮隆二警務部長。初対面で薪をベッドに誘ったエロ親父だ。

「俺もなんだ。友人と一緒に、ランチを食べようと思ってね」
 その友人というのは女の人でしょう。ランチだけで済むんですか?
 思わずそんな皮肉が出そうになる。薪はこの男の性癖を、限りなく軽蔑している。
 しかし、間宮の階級は警視長。警視正の薪は、この男に逆らうことはできない。警察というところは、上下関係がとても厳しい。上の人間には絶対服従。それが警察機構に生きるものの定めである。何事にも限界はあるが。

「君は、官房長と待ち合わせ?」
「はい」
「じゃあ、お互い相手が来るまで話でもしようや。きみ、コーヒーを頼む」
「いえ、僕は」
「ブルーマウンテンをストレートで」
 1杯2千円もするコーヒーをチラつかされて、薪は少し迷う。ラウンジのドリンクメニューを見るたびに、一度でいいから飲んでみたいと思っていたのだ。薪がいくら独身貴族でも、こんな贅沢は滅多にできない。
「どうぞ。座りなさい」
「失礼します」
 薪は軽く会釈して、間宮の向かいの席に腰を下ろした。
 すぐに小野田がここに来る。それにいくら間宮が常識外れでも、こんな人目の多いところでは何もしないだろう。

 フロアの女性が、コーヒーを運んでくる。期待を込めてカップを取り上げ、鼻先に近づける。とてもいい香りだ。青木が淹れるコーヒーといい勝負だ。
 白いカップに口をつける。
 口中に広がる甘さを含んだ苦味。微かな酸味と深いコク。さすがはホテルのコーヒー、と言いたいところだが、薪には少し濃度が濃すぎる。後味が良くない。
 これが青木のコーヒーだと、喉を通った後、さわやかな後味が残る。薪はコーヒー党だから色々なところでコーヒーを飲むが、今のところ第九のバリスタに土がついたことはない。今回の勝負も青木の勝ちだ。
 困ったものだ。2千円もするコーヒーより、部下が淹れたコーヒーのほうが美味いなんて。自分の味覚も、あまり確かなものではないようだ。

「官房長と君との付き合いは、長いんだってね」
「そうですね。10年になりますか」
 小野田に初めて会ったのは、薪が26のときだった。
 警視正昇任のための、特別承認を受けたことがきっかけだ。あの話は、小野田のほうからしてきたのだ。

「そんなになるのか。じゃあもう夫婦みたいなものか」
 一般的な意味合いからは外れるが、こういう表現は珍しくない。
 薪も岡部のことを自分の女房役だと思っているし、他の部署の室長と副室長だって似たようなものだろう。しかし、薪は官房室の人間ではない。小野田の女房役は、事務次官の田端が妥当なところだろう。
「飽きてこないか? 10年も同じ相手じゃ。新鮮味がないだろう」
「そんなことは、考えたことがありませんけど」
 毎日同じ部下の顔を見ていると飽きてくる、という人もいるかもしれないが、小野田とはそれほど頻繁に顔を合わせているわけではない。それに、なんだか微妙なニュアンスの違いを感じるが、気のせいだろうか。

「君は、自分が上になるのが好きなんだってね。でも、いつも同じ体位じゃつまらないだろう。それとも官房長はもうお年だから、君が動いてあげてるのかい?」
「……何の話なんですか?」
 あんたの頭にはそれ以外入ってないのか! と怒鳴りつけたいのを必死で堪える。
 こいつもあの下らない噂を信じているらしい。真実を確かめもしないで、他人から聞いた話を信じ込んで、それでも警察官か。
 
「小野田さんと僕は、そんなんじゃありません」
「今更隠さなくてもいいだろう。庁内でも有名だよ」
「あれは根も葉もない噂です! たちの悪い中傷です!」
 あの噂には、本当に頭にくる。
 しかし、この噂が蔓延してしまったのは、小野田にも原因があるのだ。小野田は確かに薪に目を掛けてくれるが、愛情表現(セクハラ)も欠かさない。それは他人の目があるところでも、堂々と行なわれる。
 薪は噂が自分の耳に入れば、このようにして必ず否定しているが、小野田は何故か否定しない。それどころか、勝手に尾ひれをつけたりする。このまま放っておいたら、噂に羽根がついて自由に飛び回りそうだ。

「だって、官房長が言ったんだよ。いつもベッドでは、薪くんが自分の上だって」
 ……羽根どころかジェットエンジンが装着されている。
 もう、宇宙の果てまで飛んでいって欲しい。そして二度と帰ってくるなと言いたい。
「それは、小野田さん特有のジョークなんですよ」
 間宮のような男相手に、こんなきわどいジョークが通用するものかどうか、少しは考えて欲しい。小野田のことは尊敬しているし感謝もしている薪だが、このジョークの趣味だけはいただけない。

「本当に?」
「手帳に誓って、本当ですよ」
「やっぱりそうだったのか。君はそんな人間じゃないと思ったんだ」
 素直な肯定の言葉に、薪は思わず間宮の顔を見た。
「最初に俺の誘いを断っただろ? だから君はノーマルな男なのかなって。あの噂は何かの間違いかもしれないと思って、官房長と話をしてみたんだよ。そうか、冗談だったのか」
 間宮に信じてもらえるとは、思っていなかった。意外に話のわかる人かもしれない。
「君はそんな外見だから、誤解されやすいのかもしれないね。でも、中身はすごく男らしいだろ? 柔道だけじゃなく、空手も黒帯なんだって?」
 さすが人事部長として、多くの職員を見てきただけのことはある。
 間宮には、人の本質を見抜く力が備わっているようだ。次長の娘婿というだけで、この役職に就いたわけではないのかもしれない。

 ――――薪は自分のことを、男らしいと認めてくれる人間には、気を許しやすい。
 薪の機嫌を取ろうと思ったら、「男らしい」と褒めることだ。例えそれが白々しくても、上辺だけでも構わない。ひとは「自分が自分の理想像に近付いていることを他人に認められる」という快感には抵抗できない生き物だからだ。

「俺も誤解されやすいタチでね。まあ、確かにちょっと惚れっぽいんだけど。でも、見境なしに誘ったりはしないよ。君には本当に一目惚れでね」
「分かっていただけたと思いますけど、僕は男には興味ないです」
「あはは。また振られちゃった」
 あっけらかんとした調子で、間宮は頭を掻いた。
 間宮は体育会系の男で、根に持たない性格だと小野田は言っていた。
 最初の誘いを断った時、薪は上役である彼を蹴り倒してしまったのだが、そのことについても間宮は薪を責めたり仕返しをしようとはしなかった。小野田や岡部が言うほど、最低の人間ではないのかもしれない。
 もしかしたら先月の小会議室の出来事も、小野田との噂を聞いて、薪のことをそういう種類の人間だと誤解しての行動だったのかもしれない。誤解が解ければ、この先はセクハラの心配もなくなるはずだ。

 肩の力が抜けて、薪はソファに背中を預けた。
 安心したら急に眠くなってきた。前川美佐子の事件があって、1週間ほどまともに寝ていないから、こんなに気持ちのいいソファにゆっくりと座っていたら欠伸が出てしまう。
「疲れてるみたいだね」
「すいません。ちょっと寝不足で」
 横を向いて手で口元を隠すが、部長の前で失礼だ。
「そういう時は10分間でも眠ると違うよ」
 確かに、短時間の昼寝は効果的だ。甘えてしまいたいところだが、上役の前でさすがにそういうわけには。

「いえ、大丈夫です」
 言ったそばから、瞼が下りてくる。
 ダメだ、ものすごく眠い。
 おなかが空いたのはそのうち忘れてしまうが、眠いのは我慢できない。薪の日課では、昼休みは昼寝の時間だ。いつもなら今頃は熟睡しているはずだ。1時のチャイムがなるまでは、決して目を覚まさない。薪は知らないことだが、部下たちの間でこっそりと、「第九の眠り姫」のあだ名がつけられているくらいだ。
「寝ちゃいなよ。官房長が来たら、起こしてあげるから」
「すみません」
 やわらかいソファに沈み込むように、薪は眠りに落ちた。

 穏やかな寝顔に、間宮は思わず見蕩れる。
 こんなにきれいな寝顔を見たのは、初めてだ。長い睫毛に白い肌。形の良い鼻につややかな唇。長く見ていたら口付けずにはいられない、蠱惑的な美貌。

「お客様。どうされましたか?」
「何でもないよ。眠ってしまっただけだ」
 心配そうに声を掛けてきたフロア係に、間宮はポケットから部屋の鍵を出して見せた。
「部屋で休ませることにするよ」
 亜麻色の髪の青年をひょいと抱き上げて、恋多き警務部長はエレベーターのほうへ歩いていった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

だめだこりゃ

こんばんは 
本当はこの前からコメさせていただこうと思ったのですが・・。
とりあえず・・・
薪 さ ん ち ょ ろ !!!
これならわんすけでも騙せます・・・。

Re: だめだこりゃ(わんすけさんへ)

こんばんは、わんすけさん。

> とりあえず・・・
> 薪 さ ん ち ょ ろ !!!
> これならわんすけでも騙せます・・・。

うはははは!
まったくです。ゴメンね、アホで。
てか、わたしがバカなので、ひねった作戦が考えられないだけです。(笑)

とにかく、『男らしい』『カッコイイ』『男の中の男』という褒め言葉には、コロッといきます。そりゃあもう、びっくりするくらい簡単に・・・・・先の話で出てきますので、そのときも笑って、いえ、つっこんでいただけると嬉しいです。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
文字サイズをお選びください
最新記事
最新コメント
拍手のお返事
いつもありがとうございます!

最新拍手コメのお返事はこちらです。

過去の拍手レスの確認は、該当記事の拍手欄を押してください。
鍵拍手コメのレスは、記事のコメント欄にお返しします。
月別アーカイブ
カテゴリ
詩 (1)
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
こんにちは(^^
現在の閲覧者数: