新人騒動(7)

新人騒動(7)






 翌朝、青木が約束の10分前に室長室を訪れると、室内は既にコーヒーの匂いで満たされていた。そのコーヒーを淹れたのは、前評判の高い全国1位の新人、須崎武彦である。
 
「おはようございます。青木先輩」
「おはよう」
 実は、青木はこの新人が少し苦手だ。
 ずば抜けて頭が良いと聞いているせいか、どうしても一歩引いてしまう。指導員の今井が舌を巻くほど、機器操作の習得は早いらしい。入室前に、すでに基本操作は自己学習してきたらしく、今はもうサーチの段階に入っているそうだ。一年前の自分とは雲泥の差である。

「それで薪室長。これなんですけど」
 須崎は難しそうな物理学の専門書を開いて、薪と話をしている。
 この新人は頭の訓練と称して、休み時間によく数学や物理の問題集に取り組んでいる。青木も何年か前には習ったはずだが、試験が終わればそんなものは忘却の彼方だ。もともと青木は、勉強が好きではない。

 須崎は薪に憧れているらしく、こうして毎朝室長室を訪れている。
 思い返せば、自分が薪とまともに話が出来るようになったのは、去年の4月ごろ。第九に入って、3ヶ月も経ってからのことだ。それまでは、怖くて声も掛けられなかった。

 天才同士で話が合うのか、薪も須崎の質問には笑顔で答えている。青木もこうして薪に教えを乞うたものだが、こんな風に同等の話ができたわけではなかったから、そのときの薪の態度は自然と上司のものになっていた。
 それが須崎とは、まるで旧知の友達同士のように、さくさくと話が進む。打てば響くといった感じだ。青木との会話はこうはいかない。薪と自分では頭のレベルが違いすぎるのだ。

 頭の良い新人をやっかんでも仕方ない。青木がここに来たのは、仕事をするためだ。キャビネットの中身を移動するのが今朝の仕事だ。ふたりのことは放っておいて、青木は作業に取り掛かることにした。
「新しいキャビネットと取り替えるから、その資料は一旦窓際の床に置いといてくれ」
「はい」
 肉体労働を青木に命じておいて、薪は須崎との会話に戻る。本来は新人の仕事だと思うが、薪が自分に直接命じたのだ。これは自分の仕事だ。

 須崎は楽しそうに薪と話をしている。先輩がこういう仕事をしていたら、自分から手伝いを申し出るのが普通だが、須崎にはそういう気持ちはないらしい。体を使う仕事はキャリアの仕事ではないと思っているらしく、彼はコピー取りもお茶汲みもしない。
 青木は壁際のキャビネットから資料を取り出し、棚ごとに分けて窓際の床に資料を置く。それを幾度も繰り返す。何度目かの資料を運んで窓から外を見ると、ちょうど青木の後輩が出勤してくるところだった。

 窓を開けて声をかけようとして、青木は思わず手を止める。
 姫宮の周りにたゆとう、重苦しい空気。落ち込んだ肩、丸められた背中。重い足を引き摺るようにして、第九の門の前に立つ。
 正門を見上げて、しばし立ち尽くしている。やがて小さく嘆息して諦めたような表情になると、とぼとぼとまるで老人のような足取りで門の中に入ってきた。
「姫宮……」
 そうして改めて彼を見直してみると、彼の憔悴ぶりは尋常ではない。
 あの不健康そうな肌の色も、ストレスによる血行不良と考えられる。自分の前では元気そうに装っていたが、頭痛も吐き気も慢性化しているのだろう。食事も睡眠も摂れていないに違いない。

 弱りきった後輩の様子に、青木は自分を恥じた。
 薪の言うとおりだ。
 自分は今まで、姫宮の何を見てきたのだろう。
 初めてできた後輩の存在が嬉しくて、自分の知識が誰かの役に立つことが嬉しくて、肝心の相手に対する気遣いを忘れていたなんて。

「姫宮はおまえに遠慮してるんだ。おまえがあんまり一生懸命だから、第九を辞めたいって言えなかったんだ」
 いつの間にか、隣に薪が立っている。
 薪はこれを見せたくて、青木を今朝ここに呼んだのだ。
「異動願いは、オレから姫宮に渡します」
「うん。希望する部署があったら、訊いておいてくれ。なるべく希望に沿うように所見をつけるから」
「ありがとうございます」

 この室長室の窓からは第九の門が丸見えだ。もしかすると室長はここで、毎日職員たちの出勤の様子を観察していたのかもしれない。
 そういえば、誰かの体調不良を一番に見抜くのは必ず薪だ。
 もしそうなら、昨年の自分のことも、薪はここから見ていてくれたのだろうか。今の姫宮にそっくりな、あの頃の情けない自分の姿を。

 第九に入ってすぐにあの自殺事件があって、翌月から青木は3ヶ月の間に5つも専門分野の研修に行かされた。
『おまえ程度の半端な知識で、ここの仕事が務まると思うな』
 薪にはそう言われたが、そのときの青木は薪という人を理解していなかったから、単に自分の能力に不満で、頻繁に研修を組むのだろうと思っていた。もしかして、顔を見るのも不愉快なくらい嫌われているのかも、とも。
 今になってようやくわかった。
 薪はあの頃の自分をここから見ていて、自分のことを心配して、徐々にMRIの惨たらしい画に慣れることができるように、何日かずつインターバルを置いてくれていたのだ。その頃さかんに自分に異動願いを出せとせっついたのも、自分の身を気遣ってのことだった。
 やはり自分は薪に守られていたのだ。

「オレのことも、見ててくれてたんですね」
 微笑を添えた青木の言葉を、薪はいつもの冷たい横顔で受け取る。返事はないが、こういう場合のこのひとの沈黙は肯定の意味だ。
「ありがとうございます。オレが今、ここにいられるのは薪さんのおかげで」
「薪室長、こっちへ来てください。ネットに情報がアップされてます」
 青木の感謝の言葉は、須崎の無遠慮な呼びかけに中途で遮られた。

 なんて空気の読めない新人だろう。今は自分が薪と話をしていたのに。
 薪も薪だ。須崎に呼ばれてさっさとそちらへ行ってしまった。宙に浮いた自分の気持ちは、どこへ持っていけばいいのだ。

 収まらない腹の虫を無理矢理押し込めて、青木は作業を続行した。キャビネットが空になり、すべての資料が運び出されたのは業務開始15分前だった。青木が資料運びをする間、須崎はずっと薪と楽しそうに喋っていた。最後まで、一冊の書籍すら運ぼうとしなかった。
「室長。終わりました」
「ご苦労だった」
 須崎が青木を横目で見ている。眼鏡の奥の丸い瞳には、密かな優越感が含まれている。

「青木」
 敬礼して退室しようとした青木を、薪は呼び止めた。
「まだ時間あるだろ。コーヒー、淹れてきてくれないか?」
 朝のコーヒーは須崎が淹れてきてくれたはずだが、お代わりが欲しいのだろうか。
「薪室長、僕が淹れて来ます。これは新人の仕事ですから」
 薪のコーヒー以外は淹れたことがないくせに、よく言えたものだ。これからお茶汲みは、こいつの専門職にしてやる。
「青木先輩のお手を煩わすなんて、とんでもない」
 とんでもないのはおまえの性格だ。

「須崎。僕は青木のコーヒーが飲みたいんだ」
 薪は穏やかな口調で、しかしはっきりと言った。
「明日から、朝のコーヒーは青木が淹れるから。おまえはここに来なくていい。新人には、朝の仕事が沢山あるはずだぞ」
 初めて須崎の顔から笑みが消えた。
 須崎は青木の顔をじろっと睨みつけると、無言で室長室を出て行った。まるで子供だ。
 どうして天才というのはこう、強烈なパーソナリティを持っている人間が多いのだろう。薪もかなりエキセントリックだが、ここまで未熟ではない。それとも須崎と同じくらいの年の頃は、こんな風だったのだろうか。

「2杯目ですから、さっぱりとキリマンのストレートでいきますか?」
「うん。おまえに任せる」
 薪の華奢な手からボーンチャイナのマグカップを受け取って、青木は3日ぶりのコーヒー職人に変身した。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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新人さん話、面白いです♪

>とんでもないのはおまえの性格だ。

に爆笑しちゃいました。
原作でも青木にこういうヤキモキ、して欲しいですね。

それにしてもしづさん、新人たちの性格設定&描写、上手すぎデス。
これだけたくさんのお話を読ませていただきましたが、分かりにくいところとか、1つもないですもんね、スゴイです。

Re: 新人さん話、面白いです♪

毎度です、めぐみさん!
SLIPのほうも順調ですね。ああ、あの男、だれなんだろう・・・・犯人と決まったわけじゃないけど、心配・・・・って、これはめぐみさんの拍手コメに書くことですね(^^;)失礼しました。

> >とんでもないのはおまえの性格だ。
>
> に爆笑しちゃいました。

本当に、狙ったところでウケてくれますね。
うれしいです!

> 原作でも青木にこういうヤキモキ、して欲しいですね。

まったくです。
原作にも薪さんにべったりの新人が出てきて、青木くんがヤキモチ妬くところとか、見てみたいです。
でも、実際に出てきたら、岡部さんが妬くんでしょうね。(笑)

> それにしてもしづさん、新人たちの性格設定&描写、上手すぎデス。
> これだけたくさんのお話を読ませていただきましたが、分かりにくいところとか、1つもないですもんね、スゴイです。

リアルなRを目指してますから!って、違いますねww

ありがとうございます。
でも、それはめぐみさんの読解力と、脳内補完能力が優れているからです。本人が読み返しても、あれれ?と思うところがありますから。(苦笑)
今回の事件なんか、わかってもらえるかどうか、今から不安です・・・・。

Aさまへ

Aさま、こんにちは!


>青木が入ってすぐ、移動願を出せと言っていた薪さん。やはり、青木には無理だと思ったのでしょうか?単に鈴木さんに似ているからだけでなく。

そうですね、原作でも思いっきり言われてましたね。(^^;
薪さんの厳しい言葉の裏側には、確かな観察力とやさしい気遣いがある、と妄想してみました。


>原作でも優秀な新人が入って青木が嫉妬する展開を期待したものです。山本さんが入った時、超ガッカリして(笑)

青木さんじゃなくて、岡部さんがバリバリ妬いてましたね。(笑)


>須崎の明日からの動向が気になります(´`)
>青木、コーヒー職人復職おめでとう!

須崎は~、もう本当にとんでもない性格してて~~、
でも結局は彼もあおまきさんをくっつけるためのキャラですから♪ それなりに貢献してくれたものと思います。
青木さんは永遠に薪さんの専属バリスタということで。(^^

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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