新人騒動(9)
新人騒動(9)
「岡部さん、何とかしてください!」
副室長の新任研修から帰って来た岡部を待ち受けていたのは、今井の懇願だった。
その内容は察しがついている。何かと問題の多い新人のことだ。指導員の今井はその新人といちばん接点が多いため、ストレスもそうとう溜まっているのだろう。
「おまえの他に適任者がいないんだ。もう少し頑張ってみてくれよ」
出張中の室長に代わって報告書の閲覧をする手を止めて、岡部は今井を勇気付けるように言った。実際、今井のほかには須崎の相手ができそうな職員はいない。須崎はキャリア以外の言うことには耳を貸さないし、青木では力量不足だ。
「俺よりも青木のことです。このままじゃ、青木が可哀想ですよ」
「なんで青木が」
話を聞くと、新人の仕事をしようとしない須崎の代わりに、青木が遠藤と一緒に雑用をこなしているという。
それは、姫宮が抜けたことを自分の指導力不足によるものと責任を感じて、残された遠藤の負担を軽くしてやろうという、青木らしい心遣いだった。
「青木は去年、ずっとひとりで新人の仕事をしてきたから、その大変さが分かってるんだ。だから遠藤を手伝ってやりたいんだろう」
「それはそうかもしれませんけど。でも、須崎は感謝するどころか青木をバカにしてるんです。『実力主義の第九ではこの配役が順当でしょう』とか言いやがったんですよ!」
第九でいちばん温厚な男がここまで憤るのを、岡部は初めて見た。
今井でもこんなに怒るんだな、怒らせたほうも只者じゃないな、と妙な感心の仕方をしてしまう。
「でもなあ。青木が自分から進んでやってることなんだろ。周りの人間が思ってるほど、本人は自分を可哀想だとは感じてないんじゃないか?」
「いいえ。青木は落ち込んでます」
「どうして」
「自分より須崎のほうが、覚えが早いからに決まってるじゃないですか。一年前の自分と比較して、がっくりきてるんですよ」
謙虚な振りをして、けっこう図々しい男だ。自分の習得能力を全国1位と比べて、劣っていることに落ち込むなんて。
「しょうがねえな。あんなガキに踊らされて」
「須崎の能力はたしかにずば抜けてますからね。ここに来てまだ2週間なのに、もうお宝画像を制覇しちゃいましたよ」
「ほう。大したもんだ」
「呑気に構えてる場合じゃありませんよ。このままじゃコンビを組むことになったときに、須崎のほうがメインで青木がサブということもあり得るんじゃないか、と不安がってましたよ」
後輩の心痛を思いやって、今井は眉根を寄せる。たしかに1年くらいの年の差なら、立場が逆転してしまう可能性は大いにある。
「第九は完全実力主義ですからね。青木の実力が須崎より劣っているなら、それは仕方のないことですけど。でも、そうなったときの青木の気持ちを考えると」
「今井。おまえ、本気でそう思ってるわけじゃないだろうな」
「そりゃ俺だって、青木の味方をしたいですけど」
今井を安心させるように、岡部はにやりと笑った。
「心配するな。あんなガキより、青木のほうがずっと上だ」
「青木のやつが? I種試験全国1位よりもですか?」
「すぐにわかる」
岡部は再び報告書に目を落とす。薪の出張中に、できるだけ多くの書類を片付けておいてやりたい。
薪の負担を少しでも軽減してやりたいと思い続けてきた岡部だが、副室長に就任したいま、それを実行に移すことができる。副室長の肩書きよりも役付手当てよりも、岡部にはそれが嬉しい。
今井が言ったことについては、岡部はそれほど心配していない。
青木は繊細そうに見えて、芯は強い男だ。薪のイジメに耐え抜いたうえ、薪の右隣の席を確保した男なのだ。並みの神経ではない。放っておいても大丈夫だ。
しかし、と岡部は思いなおす。
やはり一声掛けておいたほうがいいかもしれない。青木は調子付くと、実力以上の力を発揮するからだ。自分がフォローしてもいいが、岡部よりも効き目の高い人物がいる。フォローはその人物に任せるべきだろう。
このところ、青木は毎朝その人物と、いくばくかの時間を香り高いコーヒーと共に過ごしているらしい。そのときにでもフォローを実行してもらえるよう、頼んでおこう。
今日は第九にいないその人に連絡を取るために、岡部は携帯電話を取り出した。
「岡部さん、何とかしてください!」
副室長の新任研修から帰って来た岡部を待ち受けていたのは、今井の懇願だった。
その内容は察しがついている。何かと問題の多い新人のことだ。指導員の今井はその新人といちばん接点が多いため、ストレスもそうとう溜まっているのだろう。
「おまえの他に適任者がいないんだ。もう少し頑張ってみてくれよ」
出張中の室長に代わって報告書の閲覧をする手を止めて、岡部は今井を勇気付けるように言った。実際、今井のほかには須崎の相手ができそうな職員はいない。須崎はキャリア以外の言うことには耳を貸さないし、青木では力量不足だ。
「俺よりも青木のことです。このままじゃ、青木が可哀想ですよ」
「なんで青木が」
話を聞くと、新人の仕事をしようとしない須崎の代わりに、青木が遠藤と一緒に雑用をこなしているという。
それは、姫宮が抜けたことを自分の指導力不足によるものと責任を感じて、残された遠藤の負担を軽くしてやろうという、青木らしい心遣いだった。
「青木は去年、ずっとひとりで新人の仕事をしてきたから、その大変さが分かってるんだ。だから遠藤を手伝ってやりたいんだろう」
「それはそうかもしれませんけど。でも、須崎は感謝するどころか青木をバカにしてるんです。『実力主義の第九ではこの配役が順当でしょう』とか言いやがったんですよ!」
第九でいちばん温厚な男がここまで憤るのを、岡部は初めて見た。
今井でもこんなに怒るんだな、怒らせたほうも只者じゃないな、と妙な感心の仕方をしてしまう。
「でもなあ。青木が自分から進んでやってることなんだろ。周りの人間が思ってるほど、本人は自分を可哀想だとは感じてないんじゃないか?」
「いいえ。青木は落ち込んでます」
「どうして」
「自分より須崎のほうが、覚えが早いからに決まってるじゃないですか。一年前の自分と比較して、がっくりきてるんですよ」
謙虚な振りをして、けっこう図々しい男だ。自分の習得能力を全国1位と比べて、劣っていることに落ち込むなんて。
「しょうがねえな。あんなガキに踊らされて」
「須崎の能力はたしかにずば抜けてますからね。ここに来てまだ2週間なのに、もうお宝画像を制覇しちゃいましたよ」
「ほう。大したもんだ」
「呑気に構えてる場合じゃありませんよ。このままじゃコンビを組むことになったときに、須崎のほうがメインで青木がサブということもあり得るんじゃないか、と不安がってましたよ」
後輩の心痛を思いやって、今井は眉根を寄せる。たしかに1年くらいの年の差なら、立場が逆転してしまう可能性は大いにある。
「第九は完全実力主義ですからね。青木の実力が須崎より劣っているなら、それは仕方のないことですけど。でも、そうなったときの青木の気持ちを考えると」
「今井。おまえ、本気でそう思ってるわけじゃないだろうな」
「そりゃ俺だって、青木の味方をしたいですけど」
今井を安心させるように、岡部はにやりと笑った。
「心配するな。あんなガキより、青木のほうがずっと上だ」
「青木のやつが? I種試験全国1位よりもですか?」
「すぐにわかる」
岡部は再び報告書に目を落とす。薪の出張中に、できるだけ多くの書類を片付けておいてやりたい。
薪の負担を少しでも軽減してやりたいと思い続けてきた岡部だが、副室長に就任したいま、それを実行に移すことができる。副室長の肩書きよりも役付手当てよりも、岡部にはそれが嬉しい。
今井が言ったことについては、岡部はそれほど心配していない。
青木は繊細そうに見えて、芯は強い男だ。薪のイジメに耐え抜いたうえ、薪の右隣の席を確保した男なのだ。並みの神経ではない。放っておいても大丈夫だ。
しかし、と岡部は思いなおす。
やはり一声掛けておいたほうがいいかもしれない。青木は調子付くと、実力以上の力を発揮するからだ。自分がフォローしてもいいが、岡部よりも効き目の高い人物がいる。フォローはその人物に任せるべきだろう。
このところ、青木は毎朝その人物と、いくばくかの時間を香り高いコーヒーと共に過ごしているらしい。そのときにでもフォローを実行してもらえるよう、頼んでおこう。
今日は第九にいないその人に連絡を取るために、岡部は携帯電話を取り出した。