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つむじ風(3)

つむじ風(3)







 自動ドアが開くや否や、疾風のように駆け抜けていった小さな人影は、室長室に飛び込むとバン! と力の限りにドアを閉めた。すぐにガンガンガン!という金属音が聞こえてくる。
 昼過ぎに部長会議から帰ってきた室長が、キャビネットを蹴り飛ばすこの音は、もはや定時のチャイムのようなものになっていて、第九の職員たちは誰も驚かない。

「また間宮部長かな」
「今日は何をされたんだろうな」
「部長会議は、誰も同席できないからなあ。部長の天国だろうな」
 キャビネットを蹴り飛ばす音が途切れたところを見計らって、副室長の岡部が室長室へ入っていく。なにやら喚き散らす声が聞こえてくるが、薪は興奮しすぎていて会話になっていない。
『ぜんぜん懲りてない』とか『どうしてホテルの屋上から突き落とさなかったんだ』などと、職員たちには意味不明の言葉を叫んでいる。

 そこに、第九のバリスタがコーヒーを運んでくる。室長の機嫌を直す魔法の液体に、職員全員が期待をかけている。
「青木。頼んだぞ」
 先輩の声掛けに、青木はにっこりと笑う。あのブリザードが吹き荒れる部屋の中に入っていけるのは、岡部とこの男だけだ。
 岡部には副室長という立場があるからそれも道理だが、青木には立場的な優遇は何もないはずだ。それでも、薪の機嫌を直すことはできる。もはや職人の域に達した、そのドリップ技術のおかげだ。
 それに加えて、この男は薪に何を言われても落ち込んだりしないらしい。見かけによらず図太い男だ。薪は、最初から青木にだけはとても厳しかったから、あのきれいな顔で口汚く罵られるのにも、慣れてしまったのかもしれない。

 室長の世話は副室長とバリスタに任せて、他の職員たちは昼食を摂りに職員食堂に向かう。貴重な昼休みを室長の八つ当たりで台無しにされるなど、まっぴらごめんだ。
「あれのどこが『素敵な思い出』なんだ!? あの男、おまえに殴られたショックで、頭おかしくなったんじゃないのか!」
 青木が室長室のドアを開けると、薪の棘だらけの声が突き刺さってくる。よほど酷い目に遭ってきたらしい。
「ああいう輩は、自分の都合のいいように、記憶を書き換えることができるんですよ。怒っても無駄です。無視するに限ります」
「僕にも限界があるんだ!」
 何をされたんです?と岡部に目で訊かれて、薪は吐き捨てる口調で被害報告をする。
「隣の席に陣取りやがって、あちこち触ってきたんだぞ! 周りの目があるから我慢してたらいい気になりやがって、下半身のほうまで!」
「手を捻り上げてやればよかったじゃないですか」
「そんなことしたら、僕がセクハラされてるのがみんなに解っちゃうだろ! 女の子ならともかく、男の僕がセクハラなんて!」
 それはもう既に、署内中の噂になっている。知らないのは薪だけだ。

 本人が聞いたら怒り狂うだろうが、もともとあった官房長の愛人説とミックスされて、今の薪はふたりの男の間で揺れ動く悪女的な役回りになっている。薪がどちらの男を選ぶのか、あるいは小悪魔のように両方と付き合うのか、署内で密かに賭けが行なわれているらしい。が、この噂がデマだという賭け枠は存在しないようだ。それがあればこの賭けは、第九職員の総取りなのだが。

「室長。コーヒーいかがですか?」
 薪は、むくれた顔のまま青木の方を見る。とても怖い顔だが、これは青木に心を許してくれている証拠だ。
 これが敵対している捜一の竹内あたりだと、薪の顔は途端に無表情になる。機嫌の悪さは周囲の空気に流し込んで、自分自身は冷静な室長の仮面をつける。怒りでも悲しみでも、薪が心の中を表に出すのは限られた人間の前だけだ。

 あとは頼んだぞ、と青木に目で合図をして、岡部は入れ違いに部屋を出る。
 これで間宮の話は打ち切りだ。となれば、自分に用事はないはずだ。
 薪は、青木の前で間宮の話はしない。2ヶ月前に薪を襲った事件の真相については、青木には秘密のままだ。でないと、薪を崇拝するこの男が、何をしでかすかわからない。青木はとても大人しい男なのに、キレるともの凄いことをしてくれるのだ。

 コトリと微かな音を立てて、机の上に白いマグカップが置かれる。すかさず、華奢な手がそれを持ち上げた。
 自分に落ち着きと安らぎをくれる魔法の液体を鼻先に近づけて、薪はその香りを楽しむ。ひとくち含んでほっとした笑みを浮かべる。自分の気分が12歳も年下のこの男に操られることに抵抗はあるが、それでもやはりこいつの淹れるコーヒーは美味い。
 雑用はすべて新人に任せて、自分は捜査活動に専念しろ、と命令したのは薪だが、その一部は既に撤回済みで、朝のコーヒーだけは青木に淹れてもらっている。低血圧の薪の朝には欠かせない飲み物だし、どうせ飲むなら美味いほうがいいに決まっている。これから一日が始まる、そのタイミングで気合を充実させるには、最高の一杯なのだ。

 そんな薪を、この上ない幸せな気分で、青木は見つめている。
 自分が淹れたコーヒーに微笑んでくれる室長の姿を見るのは、青木の人生最大の喜びと言っても過言ではない。このひとの笑顔のためなら、自分はなんでもする。もうずいぶん前から、青木は薪に、心を捕らわれている。

「会議のときにもコーヒーは出たんだけど、あれをコーヒーというのはもはや詐欺だな」
 薪はオーバーに眉をしかめてみせる。青木のコーヒーが、薪の気分を上向かせた証拠だ。
「そんなに不味かったんですか?」
「あれって、カフェテリアからポットで持ってきたやつだから。香りもとんじゃってるし、えぐみも強いし」
「カフェテリアのコーヒーは、豆もそこそこですし、大型のコーヒーメーカー使ってますからね。食事や甘いものと一緒ならいけますけど、コーヒーだけだとちょっとつらいでしょうね」
「違う。おまえが悪いんだ」
「どうしてですか?」
「昔は平気だったんだ。缶コーヒーも食堂のコーヒーも、普通に飲めたんだ。おまえのコーヒーを飲みだしたら、途端に不味く感じるようになってしまった」
 薪の言い分は、明らかにおかしい。『青木が悪い』というゴールを決めて、そこから逆に理論を辿っていったとしか思えない。

「会議中には必ずあのコーヒーが出るから、そのたびに僕は我慢してそれを飲まなきゃいけない。おかげで僕は、会議に出席するのが憂鬱でたまらない」
 さも青木を糾弾するような顔で、無茶苦茶な言いがかりをつけてくる。青木が困った顔をすると、薪の表情は生き生きと輝く。
 薪はこういう会話が大好きだ。誰かを凹ませたり落ち込ませたりするのが、心の底から楽しいのだ。どうやら青木は格好の生贄(オモチャ)になってしまったらしい。間宮のセクハラによる鬱憤を晴らすには、これが一番なのだろう。
 でも。
 亜麻色の瞳が笑っている。それは青木にとって、とても嬉しいことだ。

「そうだ、おまえがカフェテリアに勤めればいいんだ。そうすれば、会議中もまともなコーヒーが飲める」
「ええ~?」
「ここより楽しいかもしれないぞ。カフェテリアには女の子もいるし」
「カフェテリアの女性って、全員50歳以上ですよね」
「おまえ、前に年上が好きだって言ってたじゃないか」
 にやにやと意地悪な笑いを浮かべていた薪の顔が、不意に冷静な室長の仮面をつけた。
 職務時間中は厳しい顔を崩さない薪だが、今は昼休みだ。オフタイムに薪がこんな顔をするということは、近くに気を許していない人間がいるということだ。
 果たして青木が振り向くと、遠藤が室長室のドアの陰に立って、こちらを見ていた。

「遠藤。なにか室長に用事か?」
「いいえ。青木先輩と一緒に、食事に行こうと思って」
 固い表情をしているからと言って、薪は遠藤を嫌っているわけでも警戒しているわけでもない。ただ、まだ慣れない人間の前では、薪は自分を出さない。特に新人の前では室長としての威厳を保ちたいらしく、穏やかな大人の表情をしていることが多い。

「室長、お昼どうします?」
「僕はいい」
 間宮にあんなことをされてきたばかりで、きっと食欲がないのだ。
 多分、こうくると思っていた。あちこち触られたと言っていたから、薪がしたいことは予想がつく。
「それなら、昼休みの間に風呂に入ったらどうですか?」
 風呂と聞いて亜麻色の目が輝く。表情は変わらないが、薪の瞳はとても多くのことを語るのだ。
「遠藤が気を利かせて、用意しておいてくれたんですよ」
 気を利かせたのはもちろん青木だが、ここはこう言っておいたほうがいい。実際に用意をしたのは遠藤だし、まるっきり嘘というわけでもない。

 冷静な顔つきのまま、目だけは子供のようにきらきらさせて、薪は席を立った。室長室を出て行く背中が、明らかにウキウキしている。抱きしめたいくらい可愛い。
「遠藤。ありがとな」
「は、はい」
 すれ違いざま、薪は遠藤に声を掛けた。穏やかな微笑つき。
 青木が薪にあんな顔をしてもらえるようになったのは、4、5ヶ月経ってからだ。薪は、今年の新人には甘い。それとも、自分のデキが悪すぎたのだろうか。

 後輩に対するわずかな嫉妬を顔に出さないようにして、青木は遠藤に笑いかける。
「よかったな。室長に礼を言ってもらえて」
「室長って……笑うとやさしそうですね」
 まずい。
 自分のライバルが増えてしまうかもしれない。竹内だけでも厄介なのに、冗談じゃない。
「さっきは鬼のように怖かったけどな」
 さりげなく釘を刺しておく。この件に関してだけは、青木は計算高い仕掛け人になる。
「ですよね。なんですか? あの勝手な言い分。常識じゃ考えられませんよね」
 薪との話を聞いていたのか。職場での会話には気を使っているから、自分の気持ちを悟られるようなことは、言わなかったと思うが。

「まあな。でも、上司だから。仕方ないよ」
「青木先輩って、本当にやさしいんですね。神様みたいです」
「言っただろ? 怖くて『はい』しか言えないんだ」
「……岡部副室長、呼んで来ましょうか?」
 青木の冗談に笑って、遠藤は青木に対する過大評価を撤回してくれた。

 ……この世に本当に神様みたいなひとがいるとすれば、きっとそれは薪だ。
 すべてを見通し、すべてのひとを救おうとする。量り知れないやさしさと深い愛情。自分が抱えた傷の分だけひとはやさしくなれるというが、薪を見ているとその通りかもしれないと思ってしまう。
 薪の傷は誰よりも深い。その痛々しさも、青木を惹きつける要因のひとつなのだ。
 あのひとの支えになりたいと思い始めて、1年。
 自分はいくらかでも、薪を支えられる人間に近付いただろうか。薪のこころを癒してやれるようになっただろうか。

「青木先輩。早く行きましょう。限定ランチ、売り切れちゃいますよ」
「それは一大事だな」
 きれいに飲み干された白いマグカップを持って、青木は遠藤の後を追った。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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ひゃひゃひゃひゃ…

薪さんと間宮、面白すぎです。
全然懲りてない間宮、最高!
もの凄い脳内変換ですね、そして仕事はきっちりするところも笑える。
薪さん、これからも頑張って下さい(笑)

薪さんは男らしいですよ!<まだ言ってる(^^;

テンプレ替えられたんですね。
こっちの方が雰囲気にあっているし、わかりやすい気がします。
難を言えば、本文の文字がもう少し大きい方が読みやすいかな…。

Re: ひゃひゃひゃひゃ…(めぐみさんへ)

いらっしゃいませ、めぐみさん。

> 薪さんと間宮、面白すぎです。
> 全然懲りてない間宮、最高!

M 『面白い!?め、めぐみさん、僕の味方だったんじゃ・・・・?』

ありがとうございます♪
でもきっと、ここを笑い飛ばしてくれるのは、めぐみさんくらいだと思います。
わたしはこういうの、大好きで面白いと思うんですけど。だぶん、またヒンシュクかってるんだろうな(^^;

> もの凄い脳内変換ですね、そして仕事はきっちりするところも笑える。

かれはとても前向きな男でして。
岡部さえ来なければ、いまごろ薪さんは自分に夢中だったのに、と信じております。
果てしないです(笑笑)

> 薪さん、これからも頑張って下さい(笑)
> 薪さんは男らしいですよ!<まだ言ってる(^^;

M 『ありがとうございます!がんばります』(←その一言で、すべて許せる男(笑))

> テンプレ替えられたんですね。
> こっちの方が雰囲気にあっているし、わかりやすい気がします。
> 難を言えば、本文の文字がもう少し大きい方が読みやすいかな…。

はい。
テンプレのイメージと内容のギャップが激しくなってきたので、替えてみました。
なによりも、せっかくリンクしていただいた方のお名前が出ないのが、申し訳ないし、自分でも悲しいし。

文字の大きさですが。
わたしのPCには、上部にツールバーがありまして、そこの『表示(V)』というタグを押しますと、文字の大きさを選べるようになっております。そこで大きさを変えられたので、このテンプレでも大丈夫かと思ったんですが。
PCには詳しくないので、もしも文字が拡大できないようでしたら、また替えようと思っています。めぐみさんのPCの環境を教えていただけるとうれしいです。

Aさまへ

Aさま、こんにちは~。


>原作で最初、薪さんが青木に厳しかったのは鈴木さんに似てると言うこともあると思うのですが・・

心配でたまらなかったんでしょうね。
きっと、青木さんの顔を見るたびに、狂気に飲まれた鈴木さんの顔が思い起こされて・・・・。


>あまり、心を開けない人には逆に敬語なんですね。雪子とか(^^;)

イジワルと皮肉は薪さんの愛情表現。
相手が好きなら好きなほど、意地悪に磨きが掛かるというか。 
・・・・・小学生?(笑)


人見知り傾向は、わたしもありますよ。(^^;
緊張すると上がってしまって、上手く話せなくなるので~、こちらこそ失礼があったらすみません~~。


>原作の青木は薪さんの傷の深さをいつのまにか忘れてしまいましたね(´`)
>青木自身もトラウマを抱えることになりましたが・・だからこそ、薪さんの苦悩が解るはずだと期待してますが。

自分のせいで犠牲者が、というのは、薪さんと同じ十字架ですよね。 
薪さんは親友、青木さんは姉夫婦。 どちらも自分に近しい人が犠牲になってしまった・・・・ 今や、誰よりも薪さんの傷を理解できるのは青木さん、ということになっているはずなのですが、そういうシーンは出てきませんね。 不思議ですね。
忘れてしまっているのだとしたら、えらい薄情な話ですよね。 1巻で、あの薪さんが泣き崩れる場面を見ているのに・・・・。
青木さんには1巻を読み直せ、と言ってやりたいです。(笑)
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

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10万拍手ありがとうございます!
いつの間にか9歳になってました。( ゚Д゚)
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