ビアガーデン(6)

ビアガーデン(6)







 売店の弁当で昼食を済ませて第九に帰り、青木は室長室を覗くことにした。
 雪子に愚痴を聞いてもらうばかりでは申し訳ない。青木が努力しているという姿勢を見せなければ、雪子も協力のし甲斐がないに違いない。アドバイザーに実の有る報告ができるように、薪との距離をもっと縮めなければ。

 昼休みは、薪の昼寝の時間だ。
 気候の良い春や秋は中庭の芝生に寝転んでいるときが多いが、今は夏だ。冷房の効いた室内のほうが気持ちよく眠れるこの季節、薪は室長室のカウチで熟睡しているはずだ。眠りを妨げるのは憚られるが、それほど時間を割かせるつもりはない。10分ばかり早く起こしても、大した違いはないだろう。
 予想通り、薪は室長室で眠っていた。
 毎日毎日ろくな食事も摂らずに、よく眠れるものだ。青木なら腹が減ると、夜中でも目が覚めてしまうが。
 両手を胸の上に載せて、分厚い洋書を抱いている。片膝を立て、もう片方の足は床に降ろして、顔は背もたれの方に向けている。きれいな寝顔が見えないのが残念だ。

「んん……」
 狭いカウチの上は寝苦しいのか、薪が鹿爪らしい顔をしてこちらを向いた。いつもは安らかなその寝顔が、今日はひどく苦しげだ。部屋には心地よく冷房が効いているのに、薪は額に汗をかいている。
 研究室では夏でもきっちりとスーツを着て、汗ひとつかかない薪が―――― きっと二日酔いだ。
「う……」
 眠りも浅そうだ。これなら少しばかり早く起こしても、せっかく気持ちよく寝てたのに、と怒られることはないかもしれない。

「ふ……っく、あっ」
 苦しげな呻き声とともに、薪のきれいな顔が歪められた。二日酔いで、気分が悪くなったのかもしれない。顔色も真っ青だ。

「薪さん。気分が悪いなら、吐いちゃったほうが楽ですよ」
 デスクの下から屑入れを持ってきて、肩を揺すって声を掛ける。薪は目を覚ますと同時に跳ね起きた。
 青木のワイシャツを両手で掴み、蒼白な顔を押し付けてくる。大切な洋書が床に落ちたが、それを気に留める余裕はないようだ。よほど切羽詰っているらしい。
「いやちょっと、そこに吐かないでくださ……!」
 いくら薪のものでも、ゲロのついた服では午後から仕事にならない。
 肩を掴んで引き離そうとするが、薪は夢中で青木にしがみついている。両腕を背中に回して、ガタガタと震えている。二日酔いではなく、どうやら怖い夢でも見たらしい。
 
「大丈夫ですか?」
 小さなからだを抱きしめてやり、髪を撫でてやる。感情が乱れたとき、薪はこうしてやると落ち着くのだ。
 しかし、その日の薪は、もの凄い勢いで青木の腕を振り払った。
「薪さん?」
 寝椅子の隅に身体を縮こめるようにして座り、両手で頭を押さえている。信じられないものを見るような目で、青木のことを見ている。

「ゆるして……もう……」
「え?」
「違うっ……僕をそんな目で見るな!」
 薪の様子を見て、青木は夢の内容を察した。
 いつもは冷静な亜麻色の瞳が、異常な光を帯びている。眼のふちには大粒の涙が浮かんでいる。青木は黙って踵を返し、室長室を出た。
 今の薪にとって、自分の顔は恐怖を与えるだけだ。この顔は薪の亡き親友の顔と同じ―――― 薪が殺した男の顔なのだ。

 あの事件から2年が経とうというのに、まだ薪の傷は癒えない。
 薪があの事件に捕らわれている限り、薪のこころに青木の入る余地はない。以前、そこに立ち入ろうとして、薪をひどく傷つけてしまった。薪のあんな泣き顔を見るのは、二度とごめんだ。

「薪さん、どうかしたのか」
 ヒステリックな薪の声を聞きつけて、岡部が様子を見に来る。
「夢を見たらしくて。オレがいると、よけい怖がっちゃうみたいだから」
 こう言えば、岡部には薪の夢の内容がわかる。岡部は薪の事情を、青木よりも良く知っている。ここは岡部に任せたほうがいい。
 岡部は軽く頷くと、室長室へ入っていった。ドアの隙間からそっと伺うと、岡部は寝椅子の上にうずくまった薪の隣に座って、何事か話しかけている。岡部の顔を見て、薪は少し落ち着いたようだ。その瞳に涙はない。

 青木は、岡部に微かな嫉妬を覚える。そして自分の顔に、もっと激しい嫉妬をする。
 なんでこんな顔に生まれてきてしまったのだろう。よりにもよって、愛した人が殺めてしまった親友の顔にそっくりなんて。

 本当のところ、自分ではそれほど似てはいないと思うし、周りの人間に聞いても同じ意見が返ってくる。鈴木の婚約者だった雪子にいたっては「鈴木君のほうが3倍イイ男だった」と断言されてしまった。
 それが薪の目には、まるで親友の生まれ変わりのように映るらしい。
 だからこそ最初のうち、薪は自分のことを見てくれたのだ。そして自分を助けてくれた。この顔のおかげで薪に関心を持ってもらえたのだから、逆に感謝しなければならないのか。
 それに、この顔を利用して、図々しく薪の家に押しかけたりもした。大好きだった親友にそっくりな自分を、薪が拒絶しきれないであろうことは、実は計算のうちだった。
『薪くんは押しに弱いから、ガンガン行きなさい』
 青木の恋のアドバイザーは薪の大学時代からの友人で、彼の性格を心得ている。
 鈴木も物怖じしない男だったらしい。にっこり笑って、どんな人間にも平気で近づいて行ったという。そんな屈託のなさが薪のこころを射止めたのだ、と雪子は主張していた。

 鈴木はまた、限りなくやさしい男だったとも聞いた。
 そのやさしさが薪の我が儘を助長させた、と雪子は言うのだが。おそらくこれは冤罪だ。薪の我が儘は天性のものだ。薪と親友だった15年間、鈴木はずっと薪の我が儘に振り回されていたのだろう。

 きっと心の底では、その我が儘をうれしく思いながら。
 鈴木の脳を見たことがある青木には、それが解るのだ。

 薪のことを本当に大切に思っていなかったら、鈴木はあんなことはしなかった。雪子という婚約者までいた鈴木が、自分の脳を撃ってまで薪を貝沼から守ろうなどと、普通の友人ではありえない。それでなくても鈴木の目に映る薪はとてもきれいでかわいくて、いくらか幼げな薪の雰囲気が、二人の裏の関係を表しているような気がした。

 きっと鈴木は、薪のガーディアンだった。

 周りから見たら、薪の方が名実共に鈴木より強い。柔道は黒帯だし、階級は警視正で役職は室長。昔から薪の鬼のような仕事振りは有名だから、鈴木が親友でも容赦はしなかったに違いない。
 が、薪は強そうに見せかけて、その実ひどく脆いところがある。
 その脆さが出てしまったときに支えてくれたのが、鈴木だったのだろう。だから鈴木との間に、あんなジンクスができたのだ。

 自分がそれを踏襲できたのは、鈴木に良く似たこの顔のおかげだ。だが、いま薪を怖がらせてしまったのも、やはりこの顔だ。感謝するべきか恨めしく思うべきか、青木には判断がつかない。

 いつになったら、薪は自分を見てくれるのだろう。
 薪が自分の中に鈴木の影を探すことなく、親友に良く似た第九の部下としてではなく、青木一行個人として見てくれる日が、来るのだろうか。

 やがてすっかり冷静さを取り戻した薪が、澄ました顔で室長室から出てくる。岡部と職員のシフトの話をしながら、青木の方を見もしない。
 鈴木とまったく共通点のない岡部は、その確かな捜査官としての実力で、始めから薪の信頼を得ている。鈴木の顔を借りて薪を慰めることしかできない自分とは、えらい違いだ。

「いいなあ。岡部さんは」
 連れ立ってモニタールームを出て行く二人の背中に、青木は大きなため息をついた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんにちは。
フォロー、ありがとうございます。
「薪さんを失う」は「第九に戻らない」という意味合いでしたか。 よかった、教えていただいて。 がっつりカンチガイしてました。

そうですよね、この事件の後、薪さんは警察を離れてしまう可能性が高いのですよね。
射撃練習場で密会していたお偉いさんに、「根っからの警察官の君が警察を離れて大丈夫なのか」と心配されてましたものね。
青木さんが第九に留まる以上、薪さんとは別の道を行くことになってしまうのでしょうか…… (TT)(TT)(TT)


> しづさんの想像も・・(тт)

最悪、ですよ、最悪。
とても納得のできる終わりではありません。 て、もちろん清水先生のお気持ちが一番なんですけどね。 納得できない、なんておこがましいんですけど。
でもイヤなものはイヤー。


> 薪さんは普段は全然、似てると意識してないと思います。
> 眼鏡をかけてない時や鈴木のように失いたくないと感じた時に鈴木さんに見えてしまうだけで。

ええ、そう思います。 冷静に見て「鈴木に似てる」って思ったの、初めて会った時くらいじゃないですか? 
後は、心の乱れによる見間違えですよね。 乱心してる時しか、見間違えてませんものね。

とあるブロガーさんが、
薪さんの中には、「鈴木さん=死・危険」という公式ができていて、危険を感じた時、死を間近に感じた時、青木さんを鈴木さんと見間違えてしまうのではないか、という仮説を立ててらしたのですけど。
ああ、なるほど、と思って。 これ、すごく納得いく考えだと思いませんか? 
青木さんが自分の危険を顧みず、少女をヘリで救出しに行くと言い出した時、トイレでカニバリズム事件のことを口にした時、お姉さんの葬儀の時。 全部、死の影を感じ取れる場面なんですよね。

薪さんが安定すれば、見間違えることもなくなるのかな。
穏やかな心持ちで、鈴木さんを偲べるようになって欲しいな。

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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