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桜(4)

桜(4)








 青木は、真っ赤な血の海の中にいた。

 手や足に纏わりつく紐のようなもの―――― それは、人間の腸だった。
 これはいつもの悪夢だと分かっていても、青木の恐怖は本物だった。払っても払っても追いかけてくる生きた内臓に、夢の中でも嘔吐を覚える。だれか助けて、と叫ぼうとしたが、口の中にまで入ってくる臓物がそれを許さない。

 そのとき、助けを求めて伸ばした青木の手に何かが触れた。
 やわらくて、あたたかい、小さな手。
 それは地獄のような悪夢の中で、不思議と信じられる力強さを持っていた。

 青木の手を、誰かの手が握ってくれている。
 これは、夢ではない。いや、やっぱり夢かも知れない。どちらにせよ、そのぬくもりが青木を底なし沼のような夢から引っ張りあげてくれたのは確かだった。

 それから夕方まで。
 青木は、2ヶ月ぶりにぐっすりと眠った。



*****




 目が覚めると、モニタールームには誰もいなかった。時刻は7時を回っていた。
 本当に、よく効く睡眠薬だ。夢にうなされずに眠れたのは久しぶりだった。

 室長室には、まだ明かりがついていた。
 先刻の自分の無様な姿を思い出すと室長と顔を合わせるのは気が重いが、勤務時間中にこんなに長い時間熟睡してしまったことへの謝罪と、睡眠薬のお礼も言うべきだろう。

「室長。すみません、オレこんな時間まで」
 見ると室長の机はきれいに片付いている。
 左の角にきちんとファイルが重ねてあるのは、青木が小池と担当していた事件だ。どうやら、先輩が不甲斐ない後輩の分も仕事をしてくれたらしい。
 申し訳ない気持ちで一杯になる。室長だって今日は、急ぎの仕事があったわけではない。自分を待っていてくれたのだ。

 ゆっくり眠って冴えた頭で周りを見れば、そんなことも分かってくる。この2ヶ月、自分がどんなに余裕を無くしていたか、そのせいで人の思いやりに気付かずに過ごしてきたのか―――― 青木は素直に、先刻の岡部の言葉を信じることにした。

「よく眠れたか?」
「はい。あの薬、よく効きますね」
「そうだろう。以前、岡部が僕にくれた薬でな。僕もそれから眠れないときは使ってるんだ」
 室長でも、眠れない夜があるのか。
 ……当たり前だ。この人は、誰よりも重い過去を背負っている。

「おまえには、特によく効くと思ったんだ」
 鞄を持って立ち上がり、帰るぞ、と声を掛けてくれる。いつもは鬼のようだと思っていた室長が、今はやさしく見える。
 
 玄関口までの長い廊下を室長と2人で歩く。
 今までなら胃が痛くなりそうな状況だが、不思議と緊張感はない。室長の雰囲気が、仕事のときとはうってかわって穏やかなものだからだろうか。

 本当は、こんなひとなのかもしれない。
 ただ単純に仕事に厳しいだけで、嫌がらせをしたり、意地悪をしているわけではないのかもしれない。

「悪夢を見ないで済むコツは、対象となりそうなものを眠る前に自分の中で別のものに変換しておくことだ」
 廊下を歩きながら、唐突に薪は話し始めた。脈絡も話の筋も突然すぎて、青木には一瞬薪の言葉が理解できなかった。

「例えばさっきおまえは、内臓が自分に絡みつく夢を見ていただろう」
 なんで夢の内容を知っているのだろう?
 いくら室長が切れ者だからといって、他人の夢の内容まで解るなんて。

 もしかして、自分がうなされている様子を見ていたのだろうか。
 ならば、さっきのあのやさしい手は……。

「それは、その前に見たMRIの画像のせいだ。あれを人間のものと思わずに、牛や豚のものと置き換える。きれいに洗ってパック詰めされたものを思い浮かべてみろ」
「そういえばオレ、モツなべ大好きなんですよね。出身が福岡だから」
「いや、別に食べなくても……まあいい。でも、気持ち悪くなくなっただろう?」
「はい」
 普段の無愛想な室長とは別人のように、安眠のための秘策を教えてくれる。
 青木は、嬉しかった。
 やはり岡部の言葉は本当だ。自分は室長に嫌われているわけではない。

「それから、寝る前には何か自分の好きなものを見るんだ」
「好きなもの、ですか?」
「彼女の写真とか画集とか、星が綺麗な夜ならそれでもいい」
 彼女とは別れたばかりだ。うなされそうだ。
「じゃあ、今日は公園の桜を見ます。オレの家の前に公園があって、そこの桜が今すっごくきれいなんですよ」
「桜か。そういえば、今年はまだ見てないな」
「え? だめですよ。日本人なら桜を見なくちゃ。すぐに散っちゃうんですから。よかったら観に来ませんか? ここから20分くらい歩きますけど」

 玄関を出て正門をくぐる。駅に行くなら青木のアパートとは反対の方角だ。
 薪は、立ち止まって逡巡する。無意識に手を口にあてて、小首をかしげる。仕事が絡まないとこんなに無防備な顔をするのか、と青木は薪から目が離せない。

「そんなにきれいなのか?」
 自信たっぷりに頷いて、青木は歩き出した。




*****




 青木のお勧めのスポットは、かなり大きな公園だった。

 園内に30本はあろうかという桜の樹が、満開に咲き誇っている。
 薄いピンク色の花びらが群生して、闇の中に幻想的な風景を描く。嫋嫋たる美しさ、秘められた艶かしさ。朧月に映えて、桜はその魅力を余すところなく曝け出している。桜の名所でもなければなかなかお目にかかれないような、実に見事な眺めだ。

 薪は大きく目を瞠り、息を呑んだ。
 小さな口唇をすぼめて、わずかに開く。いつもはきりりと吊り上がった眉が、今は驚きの形に変わって緩やかなカーブを描いている。
 その表情の愛くるしさ。
 桜より、この室長の顔のほうがよっぽど希少価値だ。

「すごいな」
 桜を見上げて、薪はうっとりと微笑んだ。
 その微笑に青木の目は釘付けになる。
 こんなにきれいに微笑むひとを、いままで見たことがない―――――。

「花のような」とか「天使のような」とか、世の中には美しい笑顔を表現する言葉はいくらでもある。
 しかし、これは。
 次元がちがう。すべての美辞麗句が陳腐な響きに成り下がるようで、何も言えない。
 ただ素直に、きれいだ、と青木は思った。

 夜風が亜麻色の短い髪を揺らす。桜の花びらが薪の周りを戯れるように舞って、まるで桜の精のような―――。

 あれ? と青木は首を傾げる。
 このひとは、本当に室長なのか? こんなにきれいなひとだったか? こんなに愛らしい顔をしていたか?
 きちんとスーツを着てネクタイを締めているのに、なんで桜の化身みたいに見えるんだ?

 夜桜の魔力か。十六夜月の悪戯か。

 ゆっくり歩いて、夜桜の中を散策する。桜の樹の陰に隠れるたびに、薪が消えてしまうのではないかと不安になる。
 あちこちに視線をめぐらせる薪の姿から、目が離せない。桜を見に来たはずなのに、自分は室長ばかりを見ている。

 儚げでたおやかで、限りなく清楚で―――― それは、青木の理想の女性を具現化したような姿だった。
 青木の心臓がとくんと脈打って、息苦しさを覚える。が、それは今までの気まずさゆえのものではなく、もっと甘い痛みを伴うものだ。

 このひとは男のひとだ。いったい自分は何を考えてるんだ?

「いいものを見せてもらった。今夜は僕もよく眠れそうだ」
 公園をぐるりと一周して、薪は帰途についた。駅まで送りますと申し出たが、女子供じゃあるまいし、と断られた。
 遠ざかっていく細い背中を見えなくなるまで見送って、青木は自宅への道を歩き始めた。


テーマ : 二次創作
ジャンル : 小説・文学

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Hさまへ

9/18にコメントくださった Hさま。


Hさん、こちらこそ、ご無沙汰しちゃってすみません~!
ホント、朝夕は冷え込むようになりましたよね。寝る時は毛布が欠かせなくなりました。Hさんも、お風邪など召されてませんか?


>40過ぎてから1年が過ぎるのが早くなった

ふふ。
分かる分かる、その通りです。
わたしなんかもうすぐ40代終わっちゃうので、余計にそう感じますよ。碌なことしてないのに、もうお昼? とか、しょっちゅう(^^;



>しづさんの法医第十研究室を知って、しづ薪さんと出逢ってから
>もうすぐ1年になります。

あらまあ。もうそんなになるんですか?
Hさんにお声掛けていただいたの、ついこないだだと思ってたのに。本当に早いですねえ。


>満開の桜も霞んでしまうような美しいしづ薪さんに魅了されました。
>やはりしづさんは「天才秘密ブログのAuthor・行間の魔術師」ですね。

ありがとうございます。
過分なお褒めの言葉をいただく度に同じようなことを言ってしまうのですが、本当にわたしの手柄じゃないんですよ~。

原作薪さんの美しさは、ベースとしてみなさんの中にありますよね。
そこに加えて、Hさんの想像力の豊かさ、文章を映像に変換する精読力の高さ。
そう言ったHさん個人の能力が、わたしの拙い文章を補完してくださっているわけです。

これが普通の小説なら、書き手の能力の差は、感動の差にそのまま結び付くと思いますが、
二次創作に限っては、本当にすごいのは、読者さんなんです。
うちのオヤジ薪さん、美しく想像してくださって、ありがとうございます(^^)


>今では、薪さんとしづ薪さんのいない世界なんて考えられません
>素晴らしき出会いに感謝しています。
>しづさん、ありがとうございます。(人´∀`).☆.。.:*ありがとぉ☆彡

うっ……(;;)
うれしいです、嬉し泣き。
最近ちょっと、自分の無力さを噛みしめる日々が続いてたので、そう言ってもらえるとすごくうれしい。
こちらこそ、ありがとうございます。
本当に本当に、ありがとう。



>映画

あはははは!!
Hさん、正直だな!(>▽<)

いや、分かります。
わたしもおんなじこと思いましたよ。
難しかったですよね~。話が難しいんじゃなくて(ストーリーも解り難かったですけど)、この映画で何を訴えたいのか理解するのが難しいw


>やっぱり原作の秘密のすばらしさは実写映画やアニメでは表現できない

いいアニメも、いい実写もあるんですけどねえ。
「進撃の巨人」のアニメは、すごくよかったと思います。(実写はアレでしたけど)
「脳男」は原作より映画の方が良かったと思います。
「るろうに」の映画は、原作ファンの方にはあまり受け入れられなかったようでしたが、わたしは面白いと思って観ました。
そこへ行くと「秘密」はひたすら残念としか(^^;

あ、ただね。
わたしが面白いと思って観ていた「るろうに」も、原作ファンの方に言わせると酷かったって聞きました。
原作に思い入れがあり過ぎると、フラットに楽しめないものなのかもしれませんねえ。


プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
10万拍手ありがとうございます!
いつの間にか9歳になってました。( ゚Д゚)
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