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23日目の秘密(2)

23日目の秘密(2)







 青木の運転する車の助手席では、疲労困憊した室長が死んだように眠っていた。

 危ないと解ってはいても、運転しながらちらちらとそちらを見てしまう。疲れ果てた室長の様子が、気になって仕方ない。
 赤信号を幸いと、青木は横を向いて室長の具合を確認する。
 青白い顔をして、浅い呼吸をしている。仕事中は厳しく吊り上げられている眉が、今は目蓋に合わせて自然なカーブを描き、その寝顔をひどく幼いものにしている。
 重なり合った睫毛の長さは、映画女優さながらだ。疲れの浮き出た頬にはいつもの張りはないが、その分白さが強調されて、車窓から差し込む朝の光に溶けてしまいそうだ。
 清廉で、淡い美貌―――― そのくせ口唇だけは妙につややかで、グロスを塗ったように光っている。これで化粧をしていないのだから、いっそこわい。

 きれいだな、と青木は思う。

 室長の寝顔は、なかなかじっくり見られるものでもない。つい見とれてしまっていると、後続車にクラクションを鳴らされた。いつの間にか青信号だ。室長の眠りを妨げないように、ゆっくりと車をスタートさせる。

 ずっと心配していたのだ。
 6月の終わりに起こった連続殺人事件を皮切りに、第九の捜査ラッシュが始まった。ピーク時は、一度に5件の事件をMRI捜査にかけていた。
 すべてが進行中の事件だったため、どの捜査も火急の対応が必要だった。一刻も早く犯人を検挙して、これ以上の犠牲者を増やしてはならない。職員全員が研究室に泊まりこみ、交代で仮眠を取りながら捜査に当たった。
 室長は、労働基準法を無視した勤務体制(シフト)を組んだ。
 第九は本来なら週休2日制だが、その表によると休日は10日に1度だけだ。それでも部下たちが何も不満を訴えないのは、事件の緊急性と捜査の重要性を知っているからだ。そして誰も室長を恨まない理由は、薪が休日どころか仮眠すらろくに取らないで捜査に打ち込むことを知っているからだ。

 今月の初めにも1度、薪は睡眠不足と貧血で倒れた。
 雪子と岡部の叱責をBGMに、ベッドの中でパンをかじっていた室長の姿は記憶に新しい。ただ、本人はあまり反省していないようで、彼の職務状態の改善は見られなかった。その後も倒れこそしなかったが、何度も貧血を起こしているのを青木は見ていた。
 ただでさえ細い身体なのだ。そんなに体力があるはずはない。
 それを言うと室長の不興を買うのがはっきりしているので誰も指摘しないが、薪は男にしては背も低く、体も小さい。抱えあげて仮眠室へ運んだことがあるが、5ヶ月前に別れた彼女よりもずっと軽かった。
 成人男性の平均身長が175cmを超えようという昨今、160cmをいくらも超えない薪の身長は、女性と変わらない。いや、青木の元カノや雪子に比べると、10cm以上も低い。体重も10キロくらい少ないような気がする。
 そんな薪が根性だけは誰にも負けなくて、常人を遥かに超えた気力でもってその脆弱な肉体を酷使するのを、第九の職員はみな心配しているのだ。

 もっと自分が室長の役に立てれば、と青木は不甲斐ない自分を叱咤する。
 青木はまだ、第九に入って半年。一人前にはなれていない。早く一人前になるために、室長命令で青木は今月、昇格試験を受けることになっている。
 その昔、青木のようなキャリア組には、昇任のための試験はなかった。
 一般の警察学校を卒業した警察官には昇任試験があり、その試験をパスしないと上の役職には就けない。しかし、有名大学を出て国家公務員Ⅰ種試験に合格して警察庁入りする俗にいうキャリア組は、入庁時の役職がすでに警部補、23歳で警部、25歳で警視という具合に自動的に昇任していき、45歳になれば警視長の役職が約束されていた。

 が、年々開いていく一方のノンキャリアとの格差が両者の間に対立を生み、捜査にまで支障をきたす様になった。本来ならば現場の者同士、話し合いで解決するべき問題だが、両者の価値観の相違がそれを許さなかった。
 ノンキャリアの者たちが特に不満に思っていたのは、試験も受けず特別な手柄を立てずとも、所轄と警察庁を行ったり来たりするだけでエスカレーター式に出世ができる、キャリア組にだけ許された昇任制度であった。
 そこで政府は、ノンキャリアの不満を少しでも解消するため、またその役職に相応しい人間を選考するためという理由で、キャリア組にも昇任のための試験を設けることを決定した。
 それが2045年―――― 薪が警察庁入りする2年前のことだ。

 キャリア組のために作られているだけあって、一般の警察官が受ける昇任試験より遥かに難しい。この問題を一般にも公開することによって、ノンキャリアとの差を明確にする。ひいてはキャリアの地位を確固たる物にするための制度なのだが、実際はそのあまりの難しさのために試験に合格できない者もいる。そのため、今はキャリアでも30歳で警部という役職も珍しくなくなった。
 この制度が採用される前に警察庁に入った者には、旧態の昇任制度が適用されている。いわば早い者勝ちで、田城や三田村はその口だ。一見不公平なようだがこれは当たり前のことで、今までの上下関係を突然ひっくり返してしまったら命令系統が混乱し、組織が壊滅してしまう。仕方のないことなのだ。

 このキャリア専用の昇任試験のことを一般の昇任試験と区別して『昇格試験』と呼び、毎年7月に実施されている。青木が受けようとしているのは、警部用の昇格試験である。
 しかし青木は、試験よりも薪について捜査を学びたい。
 実は今日から試験準備のための休暇を貰っていたのだが、そんな理由で第九に出てきてしまった。3日間の休暇を取った室長の代理を務める岡部にそれを指摘され、ついでに薪さんを送ってくれと頼まれた。
『人手がいると思うから、今日は薪さんを手伝ってやってくれ』
 家でも仕事をするつもりなのだろうか。第九の資料は殆どが対外秘なので、持ち出し厳禁のはずだ。だから捜査が混んでくると、第九に泊り込む羽目になるのだ。まあ何にせよ、室長の家に行って室長と一緒に過ごせるなら、どんなことでも大歓迎だが。

 ここだけの話、青木は薪に惚れている。

 上司としての薪を尊敬しているといったことではなく、もっと世俗的な意味合いで、つまり恋をしているのだ。
 好きな人の家で、好きなひとと一緒に過ごせる。青木の頬が自然に緩むのも無理はない。
 鼻歌でも歌いたい気分で、青木はハンドルを切った。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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