ラブレター(6)

ラブレター(6)






 青木がにやにやしながら、右手の絆創膏を眺めて過ごした日の午後。
 場所は室長室である。

 例によって書類に囲まれた室長と、慣れない会議の議事録の作成に悪戦苦闘している副室長は、第九のオアシスと称される美人職員が淹れてくれたコーヒーを受け取った。
「横川さん。これから、僕のコーヒーは淹れなくていいです」
「どうしてですか?」
「僕は朝と昼休みに、必ずコーヒーを飲むんです。だから、10時と3時のコーヒーは要りません。ずっと言おうと思ってたんですけど」
 みどりは少し不満そうな顔をしたが、すぐにそれを引っ込めて、わかりましたと明るく笑った。
 なるほど、天使のように愛らしい笑顔だ。薪のマスコミ対策用の笑顔も非の打ち所がないほど美しいが、こんなふうに周りの雰囲気を和らげる効果はない。

「室長がお留守の間に、第7研究室の水谷副室長からお電話がありました。日本舞踊がどうとか」
「日本舞踊?」
 みどりの報告に、思わず岡部は議事録を握り締める。先日の室長会での大失敗を思い出して、岡部の顔が青くなった。
「流派のこととか、着物のこととか。意味がよく解らなかったので、水谷さんが仰るとおりに、メモをしておきました」

 差し出されたメモを受け取った薪の顔が、びくりと強張った。
 亜麻色の目を大きく見開いて、信じられないものを見たような顔をしている。
 それもそのはずだ。
 メモの内容は、薪に「室長会の懇親会で日本舞踊を披露して欲しい」という依頼なのだ。

 初めての室長会で、岡部はとんでもない失敗をやらかしていた。
 薪がいなくなった後、これから仲間になる他の研究室の副室長たちと四方山話に興じていたところ、薪の話になった。
 岡部は、薪の株をあげてやろうと、彼が柔道と空手の黒帯保持者であることをみなに話した。ところが、それは冗談になってしまい、岡部が軽い気持ちで口にした「日本舞踊と生け花を習っている」という冗談の方が、本気に取られてしまった。
 その冗談は人づてに伝わるうちにどんどん話が大きくなり、生け花は池ノ坊の師範格、踊りは花柳流の名取、ということに落ち着いてしまった。果てには「室長会の懇親会で一曲舞ってもらおう」という意見まで出てしまったのだ。
 しかしそれ以降、なんの音沙汰もなかったから、あれはその場限りの戯れだったのだと岡部は思っていた。が、こんな電話が来るところをみると、彼らは本気で3週間後の懇親会の余興として、薪に舞を披露してもらうつもりでいるらしい。

 メモを持った薪の手が、微かに震えている。
 顔色も真っ青だ。
 一を聞いて十どころか千を知る薪のこと、そのメモの意味するところを察したに違いない。

「あの、室長? どうなさったんですか?」
「え? あ、いや……とてもきれいな字だと思って」
 ごまかしている。本当のことは言えまい。
「わたし、お習字習ってるんです」
 文字の美しさを褒められたみどりが、嬉しそうに頬を染める。今どき、こんな純情な娘も珍しい。
 ……純情すぎるような気もするが。

「字が綺麗な人は、心も綺麗だって言いますよね」
 薪の言葉を聞いて、岡部は思わずPCの画面をオールクリアしそうになる。
 この朴念仁の室長が、女性に対してお世辞めいたことを言うのを初めて聞いた。そっと様子を伺うと、ふたりはお互いの目を見つめ合っている。
 連中には可哀想だが、もしかすると、もしかするかもしれない。
 青木のやつは泣くだろうが、いずれ薪にも、こういう相手ができて当たり前だったのだ。薪はゲイでも不能者でもない。これが自然な展開だ。

「岡部。ちょっと席を外してくれるか」
 職務時間中に口説くつもりだろうか。
 薪らしくないが、これは渡りに船だ。岡部はこの場を早く逃げ出したかった。
 第7研究室の副室長の誤解の原因を作ったのが自分だとバレたら。考えただけでも寒気がする。

 ノートPCと書類を抱えて慌しく室長室を出ると、ドアの側で聞き耳を立てているヒマ人が2名。みどりにご執心の、小池と曽我である。
「なにやってんだ、おまえら」
「休憩してるんです」
 確かに今は3時の休憩時間で、どこで休もうが個人の自由だが、なにもこんなところにしゃがみ込まなくてもよさそうなものだ。

 こいつらの考えていることは、解っている。
 薪にホの字のみどりが、薪とどんな会話をしているのか、気になっているのだ。
 ……それは岡部も気になる。
 薪はみどりと話をするつもりなのだろうが、その先のことまで職務時間中に進んでしまったら大変なことになる。だからほんの少し室長室のドアを開けておいたのは、いやらしい覗き根性ではなく、純粋に室長を心配してのことだ。

 そのドアが突然、バタンと大きく開いて、巻き毛の天使が飛び出してきた。息を弾ませて、ショックを受けたような顔をしている。
「どうしたの? みどりちゃん」
「室長が、急にわたしに抱きついてきて!」
 みどりの切羽詰った訴えに、モニタールームが静寂に包まれる。
 そして次の瞬間。
「あははは! みどりちゃんでもそういう冗談、言うんだ!」
「すげえ! 今年の冗談大賞かも!」
 モニタールームは爆笑の渦に包まれていた。

「な……どうしてみなさん、笑ってるんですか!? わたしは、セクハラの被害に遭ったんですよ!」
 みどりは本気のようだが、そんなことはありえない。
 ここには岡部を含めた3人の証人がいる。中の様子が見えたわけでないが、何かあれば空気で判る。無理矢理抱きつけば物音だってするだろうし、悲鳴は上がらずとも息遣いぐらいは聞こえるはずだ。そのためにドアを空かしておいたのだ。
 だいたい、間宮のセクハラに日々悩まされている薪が、他人に同じことをするはずがない。室長室からは、薪が席を立つ音すら聞こえなかった。

「それは、何かの誤解だよ」
「本当なんです。小池さんなら、信じてくれますよね?」
「大丈夫だよ、みどりちゃん。うちの室長は、生きてる女の子には興味ないから」
 何かとみどりの肩を持つ小池までもが、彼女の言うことを信じない。
 こういうことに関しては、普段の信用、もとい冷たい態度がモノを言う。薪に言い寄る女性は数知れず、その好意のすべてを見事に無視してきた。その冷血漢がセクハラなんて、普通の男のようなことをできるわけがない。
 実は、こんな訴えは初めてではない。
 薪に袖にされて逆恨みした女性が、根も葉もない言いがかりをつけてくるのは時々あるのだ。
 彼女たちは勇気を出して薪に好意を打ち明けて、でも冷たい態度で切り捨てられて、思い詰めてそんな行動に出てしまったのだろう。今回も多分それだ。

「傷害と名誉毀損はあっても、セクハラとチカンだけはないな」
「逆にされるほうだもんな」
 辛辣なジョークは冗談になっていない。薪からその事実を聞かされたことのある岡部は、それを顔に出すまいと必死だった。

 誰も自分の言うことを信用してくれないと解って、みどりはうつむいた。
「もしかして、男の人にしか興味ないってことですか?」
「ああ、あれはデマだけど」
「女性にも男性にも興味ないよ、あのひとは。事件のことしか頭にないんだ」
「あるとすれば、青木を苛めることくらいかな」
「あのときはホント、楽しそうだもんな、あのひと」
「あんまりです! どうしてわたしの言うことを、信じてくれないんですか!」
 みどりはとうとう最後の手段に出た。両手を顔に当てて、泣き出したのだ。
 一般的に、男は女の涙に弱い。女性に免疫のない第九の連中は、なおさらのことだ。

「ど、どうしよう。泣いちゃったよ」
「岡部さん、何とかしてくださいよ。副室長でしょ」
「どういう理屈だよ」
「誰だよ、女の子泣かせたの」
「室長だろ」
「そうだ、あのひとが悪いんだよな」
「横川さん。その辺にしといたほうがいいですよ。せっかくみんなが、冗談だってことにしてあげてるのに」

 女の涙にひとりだけ動じていないのは、意外なことに一番年の若い捜査官だった。
 青木はやさしい男なのに、薪のことになると豹変する。薪を傷つけたり貶めたりする者に対しては、驚くほどに攻撃的になる。

「どういう意味ですか」
「オレたちは捜査官ですよ。ひとの嘘を見抜くのが仕事です。あなたの嘘なんか、とっくに」
「彼女は嘘を吐いたわけじゃない」
 騒ぎに気付いたらしく、薪が室長室から出てくる。
 険悪なムードの男女の間に割って入って、この場を収めようと事情を説明しはじめた。
「誤解したんだ。転んだ拍子に、そんな具合になってしまって」
 彼女の申し立てに、尤もらしい理由をつける。
 ふたりが転んだときの物音に、室長室のドア口で聞き耳を立てていた3人が3人とも気付かなかったとしても、薪がこう言うのだから岡部たちはそれを信じるしかない。

「横川さん、申し訳ありませんでした。不愉快な思いをさせて」
「不愉快だなんて……わたし、ちょっと驚いただけで」
 コインの裏を返すように、みどりはころりと意見を変えた。
 彼女の目の縁には涙の跡もなく、化粧も落ちていない。
 この女は見かけによらずしたたかだ。
 ひとは見かけによらないものだ、と長年の経験から知っている岡部は、彼女の真実に少しずつ気付き始めている。

 お騒がせしてすみませんでした、と素直に頭を下げて、みどりは帰り支度を始める。パートタイマーの彼女は、4時までの勤務だ。
「お先に失礼します」
「ごくろうさま。気をつけて帰ってね」
「また明日ね、みどりちゃん」
 いつもの笑顔を取り戻したみどりに、職員たちはにこやかに手を振る。みどりもとびきりの笑顔でそれに応えて、どうやら第九は貴重な女子職員を失わずに済んだようだ。

「あ、ちょっと、横川さん」
 帰ろうとしていたみどりを、薪が呼び止めた。
「不愉快な思いをさせてしまったお詫びに、ラウンジでケーキでもいかがですか?」
 ありえない光景に、第九の面々は声もない。
 あの室長が。
 女の子をお茶に誘ってる……。
「わあ、うれしい!」
 二つ返事で薪の誘いを受けて、みどりはうきうきと薪の後ろを着いていった。

「ずるいよな、薪さん」
「フォローに見せかけたナンパだろ。みどりちゃん、あのひとの好みっぽいもんな」
「室長の好みって?」
「自分より背の低い女性」
「明確な好みだな」
 などと、口では言うものの。
 薪の本音は、付き合いの長い第九の面々には解っている。
 彼女がいなくなってしまうと、また青木の負担が増える。
 二年目になる新人を雑用から解放して、捜査活動に専念させてやりたい、と室長は考えている。だから、彼女を庇ったのだ。
 しかし、それは青木には多分、伝わっていない。
 青木の目には、室長が嘘をついてまで彼女を庇っているとしか映っていないだろう。ここはフォローを入れておいてやらないと……。

「なんて、他人のこと心配してる場合じゃねえよ。どうすんだ、懇親会」
 来月の頭に、暑気払いを兼ねて開かれる予定の室長会の懇親会には、部長や局長も出席するはずだ。第7研究室の水谷副室長を始めとする室長会のメンバーの、薪に対する誤解を、一刻も早く解かなくては。
 心配事が多すぎてパニックに陥りそうな第九の副室長は、まず一番大きな憂いをなくすため、水谷副室長の携帯番号を押した。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんにちは。


> でも、女の涙も通用しない状況(笑)

わははー、だーれも信じませんねー。
彼らは薪さんが青木くんのために女子職員を入れたこと、そのために大嫌いな間宮部長に頭を下げたであろうことも察しがついているので、そこまで苦労して手に入れた女子職員が研究室にいづらくなるようなことはしないと解っているのです。 理解してないのは青木さんだけです。


> もう~っ薪さん!青木の為とはいえ、優し過ぎるよ(><)

あ、いやー、これはちょっと別に理由があって~、
ここの薪さんは自分の意志でみどりを誘ってます。 青木さんのためじゃなくて、自分のためです。 そこまでは第九のみんなも気づいてないんです。


> 薪さんの日本舞踊、素敵でしょうね~!(>▽<)絶対、やることになりますよね!?

もちろん。(笑)
次の話に出てきますので、お楽しみに~。(^^

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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