岡部警部の憂鬱Ⅱ(6)

岡部警部の憂鬱Ⅱ(6)





「限界だっ!」
 たった今まで舞台の上で優雅に振舞っていた夢のような美女は、岡部の前で、いつものわがままな上司になった。
 
「お疲れ様です」
「暑い。苦しい。腹減った。岡部、早く帯ほどいてくれ。一人じゃ脱げないんだ」
「ここではムリですよ。ひとの目がありますし」
 舞台にはすでに別の演技者が立っているが、こちらにちらちらと視線をくれている者が何人かいる。彼らの目線はとても熱い。どうやらまた室長室のキャビネットには、悲惨な運命が待っているようだ。
 
「じゃ、どこか部屋を借りて」
「二人していなくなるのはまずいでしょう」
「なんで」
「まだ宴席の途中ですから。部長たちもこっちを見てるし、失礼ですよ」
 本音は、この姿の薪とふたりで中座したら、あらぬ噂を立てられそうで怖い。そこに帯をほどいていた、などという目撃証言が加わったりしたら、小野田や間宮と同系列に並べられそうだ。それは死んでも避けたい。
「宴席がはねるまで、我慢できないんですか?」
「ムリだ。これ、ものすごくきつくて何も食べられないし。血の流れまで止まってるみたいで、貧血おこしそうだ」
 薪の苦痛をよそに、室長会のメンバーが何人か集まってくる。彼らは口々に舞台を褒め称え、薪に酌をしたがった。

「薪室長。お見事でした。」
「とても素晴らしかったですよ」
「みなさんに喜んでいただければ、僕も嬉しいです。こんなおかしな格好をしてるのに、だれも笑ってくれないから。引かれちゃったかと不安だったんです」
 マスコミ対策用の完璧な笑顔になって、薪は彼らの賞賛に応える。薪は室長会ではネコを被っているのだ。
「笑うなんてとんでもない」
「ええ、ものすごくきれいでした。目の保養になりましたよ」
「近くで見ても、きれいな女の人にしか見えませんよ。室長、本当は女性なんじゃ」
「コンパニオンより美人ですよ」
 彼らは日舞に詳しいわけではないから、賞賛しているのは見た目の美しさだ。薪にとって、それは怒りの対象である。

 曖昧に会釈して、薪は杯に口をつける。
 岡部から見れば薪の機嫌がどんどん悪くなっているのは明白だが、室長会のメンバーは岡部ほど薪の扱いに慣れているわけではない。彼の不機嫌の原因に気付かずに、さらに怒りを煽るようなことを言い始める。

「よく似合ってますよ、その着物。着慣れてる感じですね」
「化粧が上手ですね。いつもしてるんですか?」
「肌がすごくきれいですけど、エステとか行ってるんですか?」
 男がエステなんか行くか! と、いつもの薪なら相手を怒鳴りつけている。
 着付けをしてくれたのは法一の菅井という女の子だし、化粧は雪子の手によるものだ。男の薪にそんなことができるわけがない。しかし、事を荒立てたくないのか、薪は相手の言葉に逆らおうとはしない。
 薪にしてみれば、今年の懇親会は踏んだり蹴ったりだ。せっかくの懐石料理なのに、帯がきつくて何も食べられないし、その上こんな腹立たしいことまで言われて。このままだと後がコワイ。

 空っ腹に日本酒を飲み始めた上司を見て、岡部はそっと携帯のメールを打つ。化粧でわかり難いが、薪の顔色はあまりよくない。この上司には休息が必要だ。
「薪さま。部下の方がお見えですけど。緊急のご用件とかで」
 料亭の仲居の呼び出しに、岡部は時計を確認して思わず笑ってしまう。
 早い早い。岡部のメールから、20分も経っていない。相変わらず、薪のところに来るのはジェット機並みに速い。
 急を要する案件はなかったはずなのに、と訝しがる薪に、岡部はそっと耳打ちする。
「青木を呼びましたから、着替えをしてきて下さい。何ならそのまま帰ってもいいですよ。俺が残りますから」
 2、3度瞬きをして、薪はホッとしたような顔になった。よほど疲れているのだ。
「悪いな。頼む」
「はい」
 MRIシステムにトラブルが起きたらしい、という理由をつけて、薪は宴席を中座した。その後姿に見蕩れている何人かは、これから間違いなく薪の頭痛の種になりそうだ。

 残った岡部のところに、幹事の水谷が顔を出す。
 水谷は気持ちのいい男なのだが、思い込みが強いというかひとの話を聞かないというか、とめどなく誤解が発展してしまう傾向がある。この男との会話には、注意が必要だ。
「いやあ、それにしてもきれいでしたね、薪室長。夢に見そうですよ」
「今度は道場で、室長の勇姿を見ることをお勧めしますよ。あのひとは本当に男らしいですよ」
「またまた。いつまでもその冗談は通じませんよ」
 まだ冗談だと思っているのか。この男の思い込みの激しさは、薪クラスだ。

「水谷副室長。いい加減信じてくださいよ。室長が自分ではっきり言ったじゃないですか。日舞も生花も習ったことはないって」
「ほんと、奥床しい方ですよね。謙遜しちゃって。たった2週間ぽっちで、あんなに上手く踊れるようになるはずないじゃないですか」
 薪は謙遜はしない。できることはできる、とはっきり言う。試験の結果に自信があるくせに、まるでダメだったような口ぶりで話す人間のほうがよっぽど嫌らしいと考えている。

「実はうちの奥方が、昔日舞を習ってたんですよ。あの衣装は、その教室の発表会の時に着たもので。だから見れば解るんですよ。さすがに名取とはいきませんけど、2,3年はやってらっしゃるはずです。俺の目は節穴じゃありません」
 節穴ではなく、色眼鏡である。先入観が水谷の観察眼を誤らせたのか、それとも薪が上手く踊りすぎたのか。ど素人の岡部には知るよしもない。

「来年も是非お願いしますと薪室長にお伝えください」
 誤解は解けないまま、水谷副室長は去って行った。
 来年の懇親会が今から恐怖の岡部だった。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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