23日目の秘密(12)
23日目の秘密(12)
夏の夜の霊園は、淡い月明かりに照らされて、闇の中に沈んでいた。
天空の霊園の名に相応しく、長い石の階段が果てしなく続く。その階段を、薪はゆっくりと昇っていく。亜麻色の短髪に夜目にも白い肌。痩身を喪服に包み、百合の花束を抱えている。
時刻は夜の10時。
こんな時間にこんな場所に来るものは、他には誰もいない。昔は子供たちの間で肝試しという風習があったらしいが、最近は見かけなくなった。幽霊や妖怪の類は時代が進むにつれてその居場所を無くし、2060年の現代では、子供たちの心の中にさえも住めなくなってしまったようだ。
薪は、ほのかな明かりを頼りに目的の墓所へと進む。
もうここへは何度も来ているのだろう。真っ直ぐに前を見て、迷いなく歩いていく。
やがて薪は、ひとつの墓石の前で足を止めた。暫くの間立ち尽くす。
夏の夜風が短い髪をなぶり、美しい額が顕わになった。
「また来ちゃったよ。ここに来たって、おまえに会えないのはわかってるのにな」
そう呟いて花束を墓前に供える。その場に屈み込んで、手を合わせる。
3分ほどで合掌を解いて、屈んだ姿勢のまま墓石を見つめた。
鈴木家之墓、とある。薪が1年前に射殺した親友が眠る場所だ。
自宅で写真に話しかけるように、薪は墓石に小さな声で語りかけた。
「雪子さんは元気だよ。お父さんとお母さんも。今、車の中から見てきたけど、元気そうだった。妹さんも来年成人式だってね。きれいになってたよ」
今日は鈴木の命日ではない。
もちろん間違えたわけではなく、鈴木の両親と顔を合わせたりしないように、わざとずらしたのだ。
鈴木の両親とは、大学時代からの付き合いだった。自宅から大学に通っていた鈴木の家に、薪はよく遊びに行っていた。それは警察庁に入ってからも続いた。あの事件が起こるまで、実に15年もの交流があった。
鈴木の両親は一人暮らしの薪を暖かく迎え、家族の団欒の中に混ぜてくれた。幼い頃にふた親を亡くした薪にとって、それは宝物のような時間だった。
あの事件が起きたとき、鈴木の親は薪を責めなかった。
それが逆に辛かった。
糾弾して殴って欲しかった。刑法上の罪など関係なく、罵って欲しかった。
覚悟していたのに、厳しい言葉は何もなかった。
ただ、拒絶された。
『二度と顔を見せないでください』
そう、頭を下げられた。
薪は引き下がるしかなかった。
本当は雪子のように、鈴木の遺体に取りすがって泣きたかった。しかし、薪にはそれは許されなかった。息子を殺した男が、息子の遺体に触ることを両親が許してくれるはずもなかった。
だから薪は、鈴木の葬儀にも参列していない。
棺に入った鈴木の姿を見ることも、最後のお別れも献花も何も―――― 本当に、何ひとつできなかった。最後に見たのは、病院で医師の必死の蘇生術を受ける鈴木の姿だった。
鈴木の両親は2人ともとても優しい。だからあんなにやさしい息子が生まれたのだと薪は思う。薪のことを恨めば楽なのに、優しすぎてそれができない。逆に、恨みがましい気持ちに傾く自分たちを責めてしまうのだろう。そんな彼らにとって、薪の姿を見ることは苦痛以外の何ものでもない。
これ以上、苦しめたくはない。
四十九日も月命日も、こうして日をずらして、なるべく人のいない時間に訪れてきた。鈴木の好きだった百合の花を携えて、黒装束に身を包んで、長い石段を何度のぼってきただろう。
「1年たったな。鈴木」
もう、1年なのか。
ようやく、1年なのか。
自分はあと何年、待てばいいのか……。
「僕は頑張ってるよ。がんばってるから」
息が、つまる。
鼻の奥が痛い。
「だから……早く迎えにこいよ。鈴木……」
つらい。
もう、たえられない。
はやく、はやく、おまえのところへ行きたい。
でも、殺人者にはそんな勝手は許されない。贖罪はまだ、終わってはいない。
第九の地位が確実なものになるまで、雪子さんが幸せになるまで……まだ死ねない。
涙は止めようがなかった。地べたに腰を落として、薪は泣いた。
静まり返った霊園に、薪のすすり泣く声だけが、いつまでも響いていた。
―了―
(2008.9)
夏の夜の霊園は、淡い月明かりに照らされて、闇の中に沈んでいた。
天空の霊園の名に相応しく、長い石の階段が果てしなく続く。その階段を、薪はゆっくりと昇っていく。亜麻色の短髪に夜目にも白い肌。痩身を喪服に包み、百合の花束を抱えている。
時刻は夜の10時。
こんな時間にこんな場所に来るものは、他には誰もいない。昔は子供たちの間で肝試しという風習があったらしいが、最近は見かけなくなった。幽霊や妖怪の類は時代が進むにつれてその居場所を無くし、2060年の現代では、子供たちの心の中にさえも住めなくなってしまったようだ。
薪は、ほのかな明かりを頼りに目的の墓所へと進む。
もうここへは何度も来ているのだろう。真っ直ぐに前を見て、迷いなく歩いていく。
やがて薪は、ひとつの墓石の前で足を止めた。暫くの間立ち尽くす。
夏の夜風が短い髪をなぶり、美しい額が顕わになった。
「また来ちゃったよ。ここに来たって、おまえに会えないのはわかってるのにな」
そう呟いて花束を墓前に供える。その場に屈み込んで、手を合わせる。
3分ほどで合掌を解いて、屈んだ姿勢のまま墓石を見つめた。
鈴木家之墓、とある。薪が1年前に射殺した親友が眠る場所だ。
自宅で写真に話しかけるように、薪は墓石に小さな声で語りかけた。
「雪子さんは元気だよ。お父さんとお母さんも。今、車の中から見てきたけど、元気そうだった。妹さんも来年成人式だってね。きれいになってたよ」
今日は鈴木の命日ではない。
もちろん間違えたわけではなく、鈴木の両親と顔を合わせたりしないように、わざとずらしたのだ。
鈴木の両親とは、大学時代からの付き合いだった。自宅から大学に通っていた鈴木の家に、薪はよく遊びに行っていた。それは警察庁に入ってからも続いた。あの事件が起こるまで、実に15年もの交流があった。
鈴木の両親は一人暮らしの薪を暖かく迎え、家族の団欒の中に混ぜてくれた。幼い頃にふた親を亡くした薪にとって、それは宝物のような時間だった。
あの事件が起きたとき、鈴木の親は薪を責めなかった。
それが逆に辛かった。
糾弾して殴って欲しかった。刑法上の罪など関係なく、罵って欲しかった。
覚悟していたのに、厳しい言葉は何もなかった。
ただ、拒絶された。
『二度と顔を見せないでください』
そう、頭を下げられた。
薪は引き下がるしかなかった。
本当は雪子のように、鈴木の遺体に取りすがって泣きたかった。しかし、薪にはそれは許されなかった。息子を殺した男が、息子の遺体に触ることを両親が許してくれるはずもなかった。
だから薪は、鈴木の葬儀にも参列していない。
棺に入った鈴木の姿を見ることも、最後のお別れも献花も何も―――― 本当に、何ひとつできなかった。最後に見たのは、病院で医師の必死の蘇生術を受ける鈴木の姿だった。
鈴木の両親は2人ともとても優しい。だからあんなにやさしい息子が生まれたのだと薪は思う。薪のことを恨めば楽なのに、優しすぎてそれができない。逆に、恨みがましい気持ちに傾く自分たちを責めてしまうのだろう。そんな彼らにとって、薪の姿を見ることは苦痛以外の何ものでもない。
これ以上、苦しめたくはない。
四十九日も月命日も、こうして日をずらして、なるべく人のいない時間に訪れてきた。鈴木の好きだった百合の花を携えて、黒装束に身を包んで、長い石段を何度のぼってきただろう。
「1年たったな。鈴木」
もう、1年なのか。
ようやく、1年なのか。
自分はあと何年、待てばいいのか……。
「僕は頑張ってるよ。がんばってるから」
息が、つまる。
鼻の奥が痛い。
「だから……早く迎えにこいよ。鈴木……」
つらい。
もう、たえられない。
はやく、はやく、おまえのところへ行きたい。
でも、殺人者にはそんな勝手は許されない。贖罪はまだ、終わってはいない。
第九の地位が確実なものになるまで、雪子さんが幸せになるまで……まだ死ねない。
涙は止めようがなかった。地べたに腰を落として、薪は泣いた。
静まり返った霊園に、薪のすすり泣く声だけが、いつまでも響いていた。
―了―
(2008.9)