エピソード・ゼロ(5)

エピソード・ゼロ(5)




 法医第一研究室の入り口で、薪はピザの箱を持ったまま逡巡していた。

 顔を出して、いいものだろうか。
 いや、仕事の上では既に、何度も顔を合わせている。合同会議の席で、向かいに座ったこともある。
 あの時、終始うつむいていた僕を、雪子さんはどう思っただろう。一度も彼女の顔をまともに見なかった僕を、卑怯者だと軽蔑しただろうか。

 ……何をいまさら。
 軽蔑も何も、僕は彼女の婚約者を殺した人間だ。彼女には、僕を弾劾する権利がある。彼女がその権利を行使してくれるのを、僕は期待していたのではなかったのか。
 2ヶ月程前、市立病院の屋上で。
 雪子に憎まれたいと望んでいたのは、ただのポーズだったのか。悲劇の主人公を気取りたかっただけの、浅はかな絶望ごっこだったのか。
 僕は、彼女に罵られることを怖がっているのか。

 こんな風にドア口に立ったまま、やっぱり帰ろうかと迷っていたことが前にもあった。葬儀の後、鈴木の自宅を訪ねたときだ。
 あの時のじっとりとした空気が戻ってきたような気がして、薪は息をつめた。

「薪室長」
 不審者のような薪に声をかけてくれたのは、雪子の助手の女の子だった。名前は確か、菅井といったか。
「雪子先生にご用ですか? 今、呼んできますね」
「あ、いや、あの……ピザのお礼を言いたかっただけだから。君から伝えておいてもらえませんか」
 薪の言葉が終わるのを待たず、彼女は研究室に入ってしまった。雪子先生、と呼びかける声がする。

 雪子はすぐに出てきた。
 仕事のことだと思ったらしく、手にボールペンと手帳を持ち、その場でメモが取れる体勢を整えていた。
 ピザの箱を両手に持ったまま、雪子の顔を凝視している薪を見て、彼女は手帳を閉じた。沈んだ顔つきになると、ごめんなさい、と謝った。
「ごめんね。余計なことして。もう、しないから」
 彼女は、とても申し訳なさそうだった。
 自殺未遂で搬入された病院にいたときより、暗い表情だった。

 雪子が謝らなければいけないことなど、何もない。
 すべては僕の。

「次は、ハーゲンダッツのアフォガードがいいです」
 ピザの箱が潰れるくらい強く両の手に力を込めて、薪はリクエストした。
「雪子さんが、ご自分で持って来てください。もちろん、雪子さんの分も一緒に」
 僕は何を言ってるんだろう。
 言うべき言葉は、こんなものではない。でも、何を言えば彼女の気持ちが楽になるのか、薪にはそれがわからない。

 謝罪を?
 それとも、こんなことはやめて下さいと、お互い辛くなるだけでしょうと、差し伸べてくれた手を払いのけたらいいのだろうか。病院の屋上で、頭上から彼女の手を払ったように、あの行動をもう一度繰り返すべきなのだろうか。彼女のありったけの勇気とやさしさを踏みつけにして、自分の欲しいものを得ようとする、それは正しい行動だろうか。

「僕が、F&Mのダージリンティーを淹れますから」
 罵りの言葉は欲しいけれど、鈴木の両親と同じように、僕を憎むことで彼女が傷ついていくのなら。
 その役目は、彼女にはさせられない。

 この選択は、間違っているのかもしれない。
 彼女との友情は、ここで断ち切るのが正しいのかもしれない。
 これから僕たちは、傷つけ合うだけの関係になっていくのかもしれない。
 お互いの顔を見るたびに、僕たちの間にいた彼のことを、その痛ましい死を思い出して、傷を新たにしていくのかもしれない。
 だけど。

 僕は、彼女の笑顔が見たい。

「ダージリンは高いから。アッサムでいいわ」
「助かります。第九の予算も厳しくて。下半期には確実に削られそうだし」
「あらやだ、第九も? うちもよ。新型のスコープ、欲しかったのに。先送りだって。まったく、上の連中は現場の人間の苦労を分かってないのよね」
「分かります分かります。僕も、第九のシャワールームをユニットバスに改造して欲しくて、田城さんに5回も申請書を出したのに撥ねられちゃって。埒が明かないから、次は直談判に持ち込んでやろうかと」
「……上の人間には上の苦労があるのね」
「なんでいきなり達観してんですか?」
 
 田城所長もかわいそうに、と笑いだす彼女に、薪は涙ぐみそうになった。

 13年前のあの時も、薪は雪子の強さに助けられた。そして、現在も。
 まるで彼女は自分を導く女神のようだ、と薪は思った。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

Mさまへ

鍵拍手いただきました、Mさま。

叫び、受け取りました!
ありがとうございました!!

・・・・・でも、なんで鍵?(笑)
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
文字サイズをお選びください
最新記事
最新コメント
拍手のお返事
いつもありがとうございます!

最新拍手コメのお返事はこちらです。

過去の拍手レスの確認は、該当記事の拍手欄を押してください。
鍵拍手コメのレスは、記事のコメント欄にお返しします。
月別アーカイブ
カテゴリ
詩 (1)
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
こんにちは(^^
現在の閲覧者数: