ラストカット 後編(5)

ラストカット 後編(5)





 獅子嚇しが響く雪景色の中庭は、松の木や石灯篭といった日本特有のオブジェに彩られて、宿泊客の目を楽しませている。
 国際化が進んだ今の世でも、からだに流れる血には大和民族の名残があるのか、こういう風景を見ると懐かしいような気がする。

 和風の静かな温泉宿を、薪はとても気に入ってくれたようだ。
 建物の中を見回す目がきらきらと輝いている。薪の目は、言葉よりも雄弁だ。
 その外見にそぐわず、薪は日本のものが大好きで、だから青木はここを選んだ。
 純日本風の建物、畳と障子と襖の部屋。窓を開ければベランダに露天風呂があって、中庭の雪景色が楽しめる。薪の好みにあったこの宿は、彼の笑顔を増やしてくれるに違いない。

 客室に露天風呂が付いているのを見つけた薪は、部屋係が挨拶に来る前に風呂に入ってしまった。さっきも雪山の温泉に入ってきたばかりなのに、そんなにお湯につかっていたら身体がふやけてしまうのではないだろうか。

 やがて、客室係が挨拶に来た。
 畳の上に正座して丁寧にお辞儀をし、お茶を淹れてくれた。定番の温泉饅頭をお茶請けに用意して、客がひとりしかいないことに気付いた彼女は、首をかしげた。

「ものすごく風呂が好きなひとで。もう、そこの風呂に入ってます」
「まあ。これを選んで頂こうと思ったんですけど」
 年配の人の良さそうな仲居が差し出したのは、何枚かの浴衣だった。
 模様はそれぞれ違う。水玉や小花柄、朝顔に金魚。渋めのものでは竹や梅。無地のものはピンクや水色、浅葱色に薄紫。
 しかし、これは当然女物だが。
 
「あの?」
「女性の方には浴衣をサービスしております。後ほど、お連れ様がいらっしゃるときに、またお伺いいたします」
「いや、それは困ります」
 受付の時、薪は青木の後ろにいて、一言も喋らなかった。ロビーに飾られた豪華な生花や、小さな橋の下に小川に見立てた水路がある様を、目を輝かせて見ていた。
 そんな子供っぽい表情のせいか、温泉に入ったせいで髪が濡れて前髪が額を隠していたためか、体型を隠すロングコートのせいか、薪は完全に女性に間違われているようだ。

 この事実を薪が知ったら、確実に怒り出す。絶対に帰ると言い出すに違いない。
 ここまで漕ぎ着けておいて、それはない。なんとしても避けたい事態である。
 薪が男だということをこの仲居に告げるべきか。しかしそれを言うと、また注目を集めてしまう。誤解させておいた方が、薪の機嫌を損ねないかもしれない。
 こういう田舎では、薪のようなタイプの男性は皆無に等しい。東京でも薪ほどの美貌には滅多と出会えないが、都会の人々はさりげなく見るだけだ。田舎の人は悪気はなくても、露骨に指を差してきたりするから困るのだ。

「じゃあ、旦那さまが選んで下さいますか?」
 青木の迷いをどうとったのか、仲居はくすくすと笑い、青木に浴衣を選んでくれるように頼んできた。
 
 青木はとりあえず、一番地味な浅葱色の浴衣を手にする。
 しかし、仲居は断然こちらの色が似合う、と薄紫の浴衣を推してきた。たしかにこちらのほうが薪のイメージだが、薪がこれを着ることはないだろう。
 
「奥様は肌がとても白くていらっしゃるから、こちらのほうがお似合いになると思いますよ。ほんと、おきれいな方ですよねえ」
「えっ。いや、奥様って」
「帯はこちらをお使い下さい。旦那さまにはこちらの浴衣を。これ以上、大きな浴衣はございませんので」
「はあ。ありがとうございます」
「夕食のお時間まで、お邪魔は致しませんので。ごゆっくりお寛ぎください」
 ……なにやら誤解されたらしい。
 客室係の再度の来訪を青木が断った意味を、そっちの方に取ったのか。
 彼女が仲居部屋に帰って仲間内でどんな話をするのか、薪には絶対に聞かせられない。

 猿と一緒にのぼせるほど温泉につかっていた風呂好きの奥様は、さすがに飽きたのか、ほどなく部屋に入ってきた。
 一応、腰にバスタオルを巻いている。ここは旅館だから、人の出入りもあるかもしれないと思っているのだろう。これが自宅だったら間違いなく素っ裸だ。
 
「どうでした? 露天風呂」
「サイコーだぞ。中庭の景色がきれいでさ」
 今日の薪はにやけっぱなしだ。温泉三昧のフルコースに、笑いが止まらないらしい。

 薪はキョロキョロと目を動かして、何かを探しているようだ。風呂上りに探すものと言ったらビールか着替えだ。
 やがて亜麻色の瞳が、薄紫色の浴衣の上で止まった。

「これ、まさかと思うけど僕のか」
 しまった、薪のサイズの男物の浴衣を用意してもらうのを忘れていた。
「そ、それはその、旅館の人が間違えて」
 何を間違えたのか、目的語を濁すところがポイントである。ここを明確にしてしまうと、雪嵐警報が発令されてしまう。
「いま、フロントに」
「まあいいか」
 よほど機嫌がいいらしく、薪は薄紫色の浴衣を素肌に纏うと、濃紫の幅広の帯をぎゅっと締めた。
 びっくりするくらい良く似合う。仲居の見立ては大したものだ。
 女の子のように帯の形を作ったりはしないが、それでもやはり浴衣姿というものは、男をクラクラさせる。めちゃめちゃ色っぽい。

「じゃあ、僕は大浴場に行ってくるから」
 ……まだ入るんですか。
 
 いや、だめだ。この状態のこのひとを男湯に入れたら、大変なことになる。
 露天風呂で温まった薪のからだは、柔らかそうな薄ピンクに色づいて、さっき飲んだ吟醸酒が目元を艶っぽく染め上げて――これでは襲ってくださいと叫んでいるようなものだ。警察官が犯罪者を増やすような真似をするわけにはいかない。
 
「そんなに続けて入ったら、湯疲れしちゃいますよ。もう少し休んでからにしませんか?」
「何度入ったって宿泊代は変わらないんだから。入らなきゃ損だろ」
 湯疲れして体調を崩すほうが、よっぽど損だと思うが。
 もとより、青木の言うことなど聞く耳を持たない薪である。こうなったら自分が付いていって、薪の身を守るしかない。
 そう決心して1階の大浴場まで下りていったのだが、薪は不意に庭に出たいと言い出した。いつもの気まぐれである。






テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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