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ジンクス(6)

ジンクス(6)






 室長には、ゆっくりランチを摂る習慣がない。
 いいところ売店のおむすびか、それも面倒なときには非常食用に研究室においてあるクッキーやビスケットなどをつまんで済ませてしまう。
 以前、青木は室長に「レトルト品とかインスタントものばかり食べていると体を壊すぞ」と注意されたことがあるが、薪にだけは言われたくないと思う。室長の小言には、自分を省みないものが存外多いのだ。

 この時間、薪はたいてい昼寝をしている。
 食べることに時間を割くより、そのぶん眠っていたいらしい。室長室の寝椅子か、この季節なら研究所の芝生の上か。薪のお気に入りの寝床はいくつか心当たりがある。
 今日は雲ひとつない秋晴れ。こんな日はきっとあそこだ。
 果たして、薪はそこに仰向けになっていた。
 第九の建物が見える大きな樹の下で、例の分厚い洋書を胸の上に乗せて、安らかな寝息を立てている。
 白いワイシャツ姿で、片方の手は広げられもう片方の手は洋書に置かれ、足はのびのびと伸ばされている。カウチだと足が伸ばせないので、気候さえ良ければ芝生のほうが気持ちがいいのかもしれない。

 その隣に正座して、青木は薪が目覚めるのを待つことにした。
 重い洋書を乗せた胸が、ゆっくりと上下している。顔に直接日が当たっているが、まぶしくないのだろうか。
 そこには、三田村に強制されたという屈辱的な行為に対しての悔恨も恥辱も表れてはいない。清廉で誇りたかく、ただただ美しい、いつもの静かできれいな寝顔。
 青木は、自分の夢が恥ずかしくなる。
 夢の内容は自分でも制御不能だ。しかし、室長のこんなに清らかな姿を見てしまうと、このひとを辱めるような真似をしてしまったという罪悪感が青木を苦しめる。そのくせ青木の手は、唇は、目の前のきれいな生き物に触れたい、キスをしたいと自然に求めてしまう。二律背反というやつだ。

 それにしても、ほんとうにきれいな寝顔だ。
 まるで人間じゃないみたいだ。ほんのわずかな欲さえ持っていないように見える。食欲も性欲も、世俗的な出世欲も、そこには片鱗すら見えない。まあ、睡眠欲だけは人一倍あるようだが。

 室長の寝顔をじっくりと見られる幸運に、青木は感謝している。できればずっと見ていたいくらいだが、そろそろ時間だ。
「室長。10分前ですよ」
 小さな呼びかけに、薪は眉根を寄せた。長い睫毛がゆっくりと開く。
「……すずき?」
 幸せそうな微笑。まだ半分、夢の中にいるようだ。
「いいえ、青木です」

 小さな手の甲を瞼の上に乗せ、軽くこする。ゆるゆると上半身を起こし、両手を斜下方に開いて、胸を反らす。力を入れた両の腕がしなやかに反り返って、大きな欠伸とともに、それはどうやら伸びのしぐさであるらしい。
 薪は仕事時間と自由時間の切り替えがはっきりしていて、今は冷血な室長の表情はどこにもない。子供が昼寝から醒めてぼうっとしているときのように、寝ぼけまなこで首を振る様子がとても可愛らしい。
 
「どうした。なにか用か」
「室長。先ほどは本当にすみませんでした」
「なんだ、まだ気にしてたのか」
 芝の上の胡坐をかいて、薪はこともなげに言った。
 平手打ちは冗談にしても、皮肉屋の室長のこと、剃刀のような嫌味のひとつやふたつは覚悟していたのだが、薪は何も言わなかった。三田村の前で自分がさせられたことを思えば、その原因を作った青木に腹いせをしてきてもおかしくはないのに、そんなことはおくびにも出さない。
 考えてみれば、薪が怒るのは捜査ミスやそれに繋がる画の見落としをしたときだけだ。それ以外のことで怒鳴りつけられた覚えはないし、暴力行為を受けたこともない。
 もっとも、薪に大声で叱られるときよりも、氷のような冷たい目で見られるほうが青木にはよほど堪えるのだが。

「青木。おまえ、なにか悩みでもあるのか」
 室長は唐突にそんなことを聞いてくる。表面には出さないつもりでいたが、自分の内面の葛藤を見抜かれていたのだろうか。だとしたら、嘘をついても仕方がない。
「……あります」
「どんなことだ。僕に話してみろ」
「仕事のことじゃありませんから」
「いいから、話せ」
「……薪さんには言いたくないです」
 というか、絶対に言えない。言ったら確実に殺される。

 薪は俯いてしまった青木の顔をじっと見ていたが、口を割りそうにもないと判断してか、話題を変えた。
「今朝の件だが、何故あんな初歩的なミスをしてしまったのか、自分でわかるか?」
 何故、と改まって聞かれると、こうだ、という理由は意外と出てこないものだ。うっかりしていたとしか言いようがないが、それでは答えにならないだろう。
「ああいった本人にも原因の解らないミスはヒューマンエラーといって、仕事に慣れないうちは誰にでも起こることなんだ。僕だって昔はやったさ」
 室長がミスをするところなど想像もつかない。青木の目には、室長は何事においても完璧なひとに見える。
 が、それはあくまで仕事のときであって、職場を離れた日常生活ではそうでもないことを青木は知っている。捜査以外のことでは、勘違いも思い込みも激しいのが薪の特徴である。
 先日薪の家に行ったときには、薪のいろいろな顔が見られて楽しかったが、大変なこともあった。あの薪の裸体が頭から離れないせいで、あんな邪な夢を見た挙句、こんなつまらないミスをしてしまったのかもしれない。

「どんなに努力を重ねても、人間である限りは集中力が切れる空隙が必ずくる。ヒューマンエラーはそういう時に起こる。それを防ぐには普段からの心のケアが大切なんだ。悩みがあったり、嫌なことがあったりしたら集中力を持続させるのは難しい。いつも自分を平静な状態に置いておかないと、あの手のミスはなくならない」
 青木にもそれは解っている。
 分かっていても、他人に話せることではない。
「言葉に出すことで悩みは軽くなる。おまえにも誰かしらいるだろう。友達とか先輩とか、信じられる相手が。そういう相手に話を聞いてもらえ」
 話せる相手といわれても、現段階ではひとりしか思いつかない。しかも、女性だ。こんな話題を振っていいものかどうか、大いに疑問である。

「たちの悪いことに、あの手のミスは連鎖するんだ。おまえみたいにミスしたことを引き摺っていると、必ずまた同じようなミスを起こす。だから気持ちの切り替えが必要なんだ。
 おまえには何か、ジンクスのようなものはないのか?これをすると必ずうまくいく、みたいな。ネクタイとか、ジャケットとか、時計とか」
「特にはないです」
「じゃあ作れ。儀式みたいなもんだから、何でもいいんだ」
「室長はどうしたんですか? その、昔のミスのとき」
 青木の問いに、薪は目を丸くした。青木が大好きな子供っぽい表情になって、かすかに頬を赤らめる。
「僕は……いいだろ、僕のことは」
「室長と同じものだったら、効き目があると思うんですけど」
 控えめに、だがしぶとく言い募る青木に、薪はしばらく考え込んでいたが、やがて胡坐を解いて立ち膝の姿勢になった。そのまま膝で青木の傍に寄って来て、片方の手を青木の肩に置き、もう片方の手で青木の頭をやさしく撫でた。

……なるほど。これは効きそうだ。

「女の子にやってもらうと良く効くんだがな」
 オレには室長のほうが効くと思います。
 室長は、誰にやってもらってたんですか――?
 その台詞はふたつとも、言葉にできなかった。一つ目は言ってはいけないことだったし、二つ目は答えを聞きたくないことだった。

 1時の鐘が鳴って、薪は仕上げとばかりに青木の頭をくしゃくしゃと掻き回し、脱ぎ捨ててあったジャケットに袖を通して立ち上がった。
「じゃあ、誰かに相談しろよ。これは室長命令だからな」
「はい」
 小さな背中の後に着いて、青木は歩き出す。室長に乱された髪はこのままにしておきたいところだが、そうもいかない。手櫛でさっと整えて、そこに薪の手のぬくもりを探す。さっきの室長の小さな手の感触を思い出せば、もう何でもできるような気がする。
 落ち込んだ気持ちが嘘のように、仕事に対する意欲が湧いてくる。それが室長のためにもなると思うと、なおさら頑張ろうという気持ちになる。
 このひとのためなら何でもできる。

 華奢な背中を見つめながら、青木は心の中で大きく膨らんでいく薪への思いを感じていた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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