運命のひと(6)

運命のひと(6)









 その事件の被害者の死因は、餓死だった。
 誘拐され、閉じ込められ、水も食料も与えられず、そのまま放置された。彼女が死ぬまでの20日間。犯人は、それをずっと見ていた。ただ見ていた。
 命乞いをする若い女性の姿を。助けてくれるなら自分を自由にしてもいいと、からだまで投げ出そうとした彼女を、見ているだけだった。
 鉄格子の間から細い腕を伸ばし、泣きながら助けを求める彼女を、何日も何日も犯人は見続けた。日に日に弱っていく彼女は、口数も少なくなり、次第に眠る時間が多くなっていった。それでも犯人は、水の一滴も彼女に与えようとはしなかった。

「どこまで残酷なことをしやがる……!」
 脱水によって腫れあがった唇と舌で、彼女が最期に何を言ったのか。第九で一番読唇術に秀でた小池ですら、読むことが出来なかった。
「こいつ、人間じゃないですよ。ひとが死んでいく様子をずっと見ているなんて」
「自殺した犯人は、学者だったそうだ。これは実験だと」
 供述書をめくりながら、薪が事件の背景を説明する。その声は事務的で、流れる言葉は雅やかな音楽のように淀みない。
「ひとが何日で死ぬかの実験だったと、供述したそうだ。自殺した理由も実に明白だ。『刑務所に入ったら、もう実験ができない。それでは生きている意味がない』 犯人が残した遺書だ」
 留置所の中で自分のベルトで首を吊って、犯人は自殺した。送検前の被疑者に自殺されるという警察の失態に焦った上層部から、大急ぎで脳を見るようにと指示を受けていた。
「サイコ野郎が」
 岡部が低い声でぼそりと呟く。叩き上げの岡部は、少々言葉が悪い。
 
「可哀相に。何も悪いことをしていないのに、こんな目に遭って」
「まだ19ですよ。成人式の着物も用意してたって、捜査メモにありました。辛いでしょうね、ご両親」
「余計な事を書くなよ、曽我。報告書にその記述は必要ない」
 素っ気無い口調に、曽我は顔を上げて室長のきれいな横顔を見た。
 いつも通りの冷静な顔。どんな惨たらしい画にも表情を変えない。薪が氷の室長と噂される所以である。
 しかし。
 机の上に置かれた薪の左手が握り締められ、微かに震えていることに、曽我は最初から気付いていた。

「仕方ないよ。それが彼女の運命だったんだ」
 聞きなれない言葉に驚いて振り向くと、白衣の脳科学者が薪の後ろに立っていた。
 モニタールームで仕事をする職員の状態を観察する、という名目で、二階堂は機密情報満載の第九に居座り続けていた。よくこんなことを室長が許したものだと最初は思ったが、小野田の圧力が掛かっているのを知って納得した。
 彼が相手では、断ることもできなかったのだろう。他の重役ならともかく、小野田は薪の恩人だ。そもそも薪を引き上げてくれたのも小野田だし、薪が警視長の階級にありながら第九の室長を務めていられるのも、みんな彼のおかげなのだ。

「モニターは見ないでくださいと、お願いしたはずですが」
「ツヨシ。手が震えてる」
 骨ばった手が、小さな拳を覆った。刹那、火傷でもしたようにそれを払いのけ、薪は二階堂に向き直った。
 二階堂は、自分の手が払われたことを気にする様子もなかった。それどころか微笑さえ浮かべて、ムッと眉を顰めた薪の顔を見る。

「きみが心を痛めることはない。これは彼女の運命で、きみには何の責任もないんだ」
「運命?」
 第九の中に、こんな考え方をするものはいない。
 否、警察中探しても運命論者はいないのではないか。なんでも運命だと諦めていたら、殺人事件の捜査などできないだろう。

「これが運命だとでも言うんですか」
 射るような瞳で、薪は第九の異邦人を見た。彼を包んでいた静謐なオーラが、一気に緋色に燃え上がる。
 薪の冷静さは上辺だけのものだということを、第九の職員たちはみんな知っている。どんな残酷な画にも顔色ひとつ変えない酷薄さは仮面のようなもので、その下には滾ったマグマのような熱い情熱が渦巻いている。今だって、薪の心の中は熱帯性低気圧のように荒れ狂っている。被害者への哀悼と、犯人への怒りと。
 それが分かっているから、職員たちは何も言わない。この男のように余計なことを言って、必死で自分を抑えている薪の苦労を無駄にすることなど、絶対にしないのだ。

「こんな風に、理不尽に殺されることが? 人生を強制的に誰かに終了させられることが?」
 言葉が重なるほどに、激していく声。普段は低く抑えられているアルトの音程が、少しずつメゾソプラノに近付いていく。
 薪の本来の声は、中高音のアルトだ。いつもはできるだけ低い声で喋るように心掛けているのだが、興奮するとそれを忘れてしまう。薪の声のトーンが上がってきたら、避難勧告発令だ。部下たちは我が身可愛さに、うつむいて自分の仕事に没頭する。
 
「じわじわと死を待つしかなかった彼女の気持ちが、あなたに解るとでも言うんですか!?」
 部屋中の空気がビリビリと振動するほどの怒気を放って、薪の声が響いた。部下の中でこの薪に言い返せるものは誰もいない。こうなってしまった薪には、岡部でさえ近寄らない。
 誰もが自分の席から動こうとしない中、いちばん近くにいた曽我がわが身の不運を嘆きつつ、丸い坊主頭を縮こめた。

「そうだね。可哀相だね、とても」
 のんびりと応えを返した二階堂に、全員が驚嘆の眼差しを向ける。
 この状態の薪を前に、平然としている。
 まともじゃない。こいつには、怖いという感覚がないのか。
「でも、やっぱり運命なんだよ」
 しかも、自分の持論を曲げようとしない。捜査官モード全開の薪に、そんなことを言おうものなら。

「研究に協力するとは言いましたが、捜査に口を出していいとは言ってません」
 言わんこっちゃない。(いや、誰も口に出してはいないが)急に口調が静かになるのは、薪の雪嵐攻撃開始の合図なのだ。
「そんなつもりはないよ。ただ、君があんまり辛そうだったから」
 尖った氷柱のような目線で、薪は二階堂を拒絶した。薪を包む空気は、液体窒素並みの超低温。触ったら間違いなく凍傷になる。
 冷凍庫に限りなく近付いた室温に、部下たちは身震いする。哀れにもブリザードの直撃を受けた曽我は、すっかり凍り付いている。
「邪魔です。出て行ってください」
 すっと腕を真横に上げて、出口を指差す。
 薪が本気で怒っているのがようやく分かったのか、二階堂は素直に引き下がった。

 薪は、二階堂が出て行った後もしばらくドアを睨みすえていたが、帰ってくる様子がないのを見ると、やっと肩の緊張を解いた。
「曽我。報告書には人間の脱水症状についての注記を入れておけ」
「はい。あの、期限は」
「決まってるだろ。今日中だ」
 怒ってる。もう、めちゃくちゃ怒っている。
 とばっちりを受けた曽我はいい迷惑だが、これは確実に全員に飛び火する。
「おまえらが抱えてる案件も、全部今日中に片付けろ! いいな!」
 ああ、やっぱり!

「よかった、昨日上げておいて」
「小池。おまえはMRIのリーディングテストだ」
「えええ!」
 薪の八つ当たりが始まった。何か面白くないことがあると、いつもこの調子なのだ。まったく、横暴な上司を持つと苦労する。
 心の中でぶつくさと文句を垂れる部下たちの中にひとり、薪に近付いていく男がいる。右手にコーヒーを載せた盆を持ち、手馴れた仕草でそれを薪の前に差し出した。

「薪さん。ずるいですよ。わざと残業作ったでしょう」
 薪は黙ってコーヒーを飲む。細い肩のラインが、コーヒーの芳香に溶けるように弛緩していく。
「いいですけどね。今日の取調べが明日に延びるだけですから」
 リラックスしていた肩が、ぎくり、と強張った。カップを持つ手が止まっている。
「延びた分、利子がつきますからね。覚悟しといてくださいよ」
 右手の微かな震えが、黒茶色の液体の表面を波立たせる。華奢な肩は竦みあがって、優雅な首が縮こまった。

「ああ、明日は土曜日なんですね。朝までどころか、一昼夜でも平気か」
「そ、曽我!」
 上ずったアルトの声が響いた。その慌てふためいた口調に、職員たちが一斉に振り返る。
「報告書は月曜でいいから! 他のものも、今日は残業なし! 定時で帰れよ、いいな!?」
 突然、残業命令を撤回した上司に驚きつつ、今日のアフターの予定をキャンセルせずに済むことになった幸運に感謝して、職員たちはその快挙を成し遂げた後輩をそっと誉めそやした。
 
「すっげー、青木。薪さんになんて言ったんだよ」
「コーヒーに人間の性格が良くなるクスリでも入れたのか?」
「企業秘密です」
 にっこりと笑って、謙虚な後輩は全員分のコーヒーを淹れるために給湯室へ歩いていった。





*****

 どんだけ怖いんでしょう。
 うちの薪さん、エッチ嫌いだからなあ。(笑)



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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非公開コメント

どちらにせよ

明日は土曜日なら同じなのではと思わず突っ込んじゃいました。
本当どんだけ怖いんでしょう(笑)。
この件に関してはさすがの薪さんも青木君には勝てないのですね。
青木君本当強くなったなぁ~(遠い目)。
それにしても二階堂さんって間宮さんに似てませんか?
一歩間違えば大丈夫ですか?的な、あの相手の気持ちを全く気にしない見事なまでのポジティブさ(笑)。
失礼しました、つい本音が(汗)。
でもあの小野田官房長の親戚だからなぁ、見たまんまではないんでしようね。
深い裏がありそうな予感も。
これからの展開が楽しみです。
久しぶりのコメントなのに自分全開ですみません。
更新されてる~と飛びついて一気に読んでしまいました。
実は私もしづさんのお話読めなくなるのでは?と不安だった一人です。
これからも素敵なお話の数々を読めると思うと嬉しさのあまり小躍りしそうに(オイオイ)。
という訳でこれからも楽しみにしてます。


Kさまへ

鍵拍手いただきました、Kさまへ。

KさまのドS(笑)
ビビリまくりの薪さん、かわいいですか?
わたしも書いてて楽しいです!ホントに、Kさまとわたしの好みって、被ってますね♪♪ うれしいです(^^)(あっ、逃げないで・・・・)

ルナルナさまへ

こんばんは、ルナルナさま。
今夜は寒いですね(><)


> 明日は土曜日なら同じなのではと思わず突っ込んじゃいました。
> 本当どんだけ怖いんでしょう(笑)。

あははは!
もう薪さんの運命は決まっちゃってるんですね(笑)


> この件に関してはさすがの薪さんも青木君には勝てないのですね。

うちの薪さん、これだけは苦手なんですよ(^^;
他のことなら負けないんですけど、こっち方面はまるでダメで・・・・恋愛もエッチも、中学生レベルです。ガキ薪さんです。


> 青木君本当強くなったなぁ~(遠い目)。

たくましくなりました。
薪さんにこんな口がきけるようになるなんて。青木のクセに(笑)


> それにしても二階堂さんって間宮さんに似てませんか?

え!?
そうですか!?

> 一歩間違えば大丈夫ですか?的な、あの相手の気持ちを全く気にしない見事なまでのポジティブさ(笑)。
> 失礼しました、つい本音が(汗)。

おお、なるほど。たしかに!
あはは、わたしのギャグツボがこういう感じなんで、似ちゃいましたね。
あ、でもでも、二階堂は間宮とは正反対です。下半身が。(下品ですみません・・・)


> でもあの小野田官房長の親戚だからなぁ、見たまんまではないんでしようね。
> 深い裏がありそうな予感も。
> これからの展開が楽しみです。

どき。
えーっとえーっと、・・・・・すみません、つづきを読んでください(^^;
楽しみと言っていただいて、とってもうれしいですっ!期待を裏切らないように、がんばります!


> 久しぶりのコメントなのに自分全開ですみません。
> 更新されてる~と飛びついて一気に読んでしまいました。

ぜひ全開で!もっとぶっちぎってくださってけっこうです!
その方がわたしも楽しいです!!


> 実は私もしづさんのお話読めなくなるのでは?と不安だった一人です。

あ、もしかしてこれは、ラストカットの始まりの、「これが最後のお話です」というウソっこですか?
いや、あの時は本当だったんですけど、色々ありまして・・・・すみません。記事、訂正しておかないと(^^;


> これからも素敵なお話の数々を読めると思うと嬉しさのあまり小躍りしそうに(オイオイ)。
> という訳でこれからも楽しみにしてます。

ありがとうございますっっ!!楽しみにしていただいて、望外の幸せです!!
あ、でも、うちのSSはギャグが基本なので、「素敵」なんて言葉が形容詞につくようなお話ではありません(ーー;) 3部はRもキツイし、グロイし汚いしイタイし・・・うう、がっかりさせちゃいそうで怖いです。どうか広いおこころでお願いします。

Aさまへ

Aさま。


>閉じ込められて餓死というと、2009を思い出してしまいますがあの時の薪さんも凄く辛かったです(><)

可哀想でしたねえ。
薪さんがモニター見てあんなに青くなったの、初めてじゃなかったですか?
もともと豪胆な人だと思ってたので、少し意外でした。 前回の三浦あかねさんの事件が尾を引いているのかとも思いましたが。



>二階堂なりに思いやりで言ったのでしょうけど微笑を浮かべながらとかだと軽く感じちゃう。

そうですね~、二階堂は軽い男なんで。
まあ彼には彼なりの理由があってわざとそう見せてるんですけどね、この辺はおいおい。 ラストまで読んでいただくと、少し意味が変わって聞こえるかもしれません。

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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