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運命のひと(9)

運命のひと(9)






「二階堂先生、また眠ってる」
 自分の捜査に行き詰まりを感じ、上司に相談をするために室長室へ入っていった小池が、呆れたような声を出した。どうやら薪は不在で、代わりに脳科学者が惰眠をむさぼっていたらしい。
「室長を部屋から追い出しといて、いい度胸だよな」
「薪さんもよく黙ってるな」
「仕方ないだろ。官房長と三好先生にだけは、薪さん頭が上がらないんだから」
「他の人間に対しては、20階建てのビルの屋上から見下すような態度だけどな」
「ひとをひととも思わないってか」
「どうせ俺たちのことなんか、ドレイだと思ってんだよ、あのひとは。何か面白くないことがあるたびに、バックアップだリーディングテストだって。先週だって、青木がうまいこと言わなかったら」

「そんなこと、思ってない」
 涼やかなアルトの声が背後から響いて、小池は自分が探していた人物が、同じモニタールームにいたことを知る。
 薪は身体が小さいから、大型のモニターやうず高く積まれた書類の山に、いとも簡単に埋もれてしまう。しかも職務中は無駄口を叩かないので、居るか居ないかわからない。

「大事な部下を奴隷だなんて。僕がそんなこと、思うはずないじゃないか」
 薪がてっぺんに来ているとき特有の猫なで声。この声が出たら、警報発令だ。命が惜しかったら、一目散に逃げ出すことだ。
「おまえらは奴隷なんかじゃない。でも」
 小池以外の職員たちは、素早く机の下に潜る。スケープゴードになった小池には気の毒だが、全員が一度にこの被害に遭ったら、第九は機能停止に陥ってしまう。
「証拠を見つけられない役立たずは家畜以下だ! さっさと仕事しろ!!」
 ……人間ですらない。
 道理で人権を認めてもらえないわけだ。

「僕の人間性を非難するヒマがあったら、モニターを見ろ! おまえに預けた事件はどうした? 一体、いつまでかかるんだ。検証期間はたった3か月だぞ」
「さ、3か月分を一人で見るには、2週間は掛かります」
「全部見ろって言ってないだろ。事件に関係するところだけ見ればいいんだ。いつも言ってるだろ、捜査資料を読んで当たりを付けろって」
「それがその、いくつか仮説は立てたんですが、どれも見当違いだったみたいで」
「どれ、見せてみろ」
 おずおずと小池が差し出した捜査メモに、薪はさっと目を走らせた。亜麻色の瞳が、限りない侮蔑の光を宿す。

「おまえの頭には何が入ってるんだ? 廃油か、ヘドロか。ゾウリムシが頭の中で繁殖してるのか? アメーバーだってもう少しマトモな説を立てるぞ、この原生動物が!!」
 小池が立てた仮説が書かれたメモを見て、薪は部下の説明も聞かず、一方的にがなり立てた。まったく、ひどい上司だ。
 言葉にするのも憚られるような罵詈雑言が聞こえてくる。薪のきれいな顔と声で、面と向かってあんなことを言われたら。
 普通の人間では、神経がもたない。可哀想に。小池は午後から仕事にならないだろう。
「わかったな。今日中に見つけろよ。できなかったら週末どころか、盆休みもないと思え」

 現在、地球上で一番気温が低いのはこの部屋ではないのか。
 薪が小池の前から離れて、もといた席に戻ると、ようやく溶け始めた氷の中で、職員たちはそうっと地表に顔を出した。
「だ、大丈夫か? 小池」
「平気……原虫には心なんかないから……」
 崩壊している。
 職員たちは同僚に哀れみの眼差しを向けたが、長くそちらを見ていると自分にもとばっちりが来ると考え、仕方なく自分の仕事に戻った。

 ぼうっとしている小池の前に、再び小さな、しかし凶悪な人影が差し、幾枚かの紙片を突きつけた。小池の目が、反射的にその紙に記された文字を追う。
「え? これって」
 小池はにわかに目を光らせると、MRIマウスを操作した。キーボードを素早く打ち込み、1時間ほどで目的の画を探し当てた。その間、薪はずっと小池のそばにいて、何も言わずに小池がサーチする画像を見ていた。

「これ、ここです!」
 興奮した声を嘲るでもなく、かと言って過剰に反応するでもなく、薪は静かに応えを返した。
「見つかったじゃないか」
「……室長のおかげです」
「ちがう。おまえはちゃんと気付いてたんだ。だからこれだけのヒントで、その画に辿りついた。あと一歩、いや、数ミリのところまで来てたんだ」
 先刻と同じ涼やかな、しかし限りない慈しみを感じさせる声。ふっと微笑みかけた笑顔の美しさに、小池の心臓がさっきとは別の意味で跳ねる。
「いいか、小池。おまえに足りないのはこの感覚だ。常識に捕らわれていては、異常な犯罪心理には近づけない。あり得ない、と思い込んで可能性を切り捨てるな。とはいえ、この反射鏡に気が付いたのはさすがだな」
 華奢な手を小池の肩に置いて、その顔を間近に覗き込み。にっこりと笑って、しかし言葉は辛辣に。
「よくやった。奴隷に格上げしてやる」
「はい! ありがとうございます!」
 喜ぶところか!?
 一度、強制的に自己崩壊させられた小池には、常識が解らなくなってしまったらしい。

 薪がその場を離れると、部下たちはわらわらと小池の側に寄ってきて、口々にその手腕を褒めた。事件の重要な手がかりを発見した同僚に温かい言葉をかけ、励まし、彼の努力を認めてねぎらう。
「すげえじゃん、小池。薪さんにあんなに褒められるなんて」
「滅多に出ないぞ、あの顔は」
「うひゃあ、これは難しいよ。ってか、普通は気付かないだろ、こんなの」
「これ見つけられたら、薪さんも褒めるしかないだろな」
 奴隷に格上げする、というのが褒め言葉かどうかはかなり疑問が残るところだが。とにもかくにも、小池のテンションは上がったようで、上機嫌でパソコンのキーボードを叩き始めた。

 それを確認して、薪は室長室へ入る。
 小池の事件は片がつきそうだ。あと懸念があるのは宇野の案件だ。自分のパソコンに、あの事件のデータは転送しておいた。宇野に気付かれないように、目を通しておこう。
 週末を安心して過ごせるように、なるべく今日明日で仕上げておきたい。青木とのデートの最中、部下から掛かってくる電話ほど薪の気を削ぐものはないからだ。

 室長室の寝椅子には、怠惰な脳科学者が長々と手足を伸ばしていた。
 二階堂は、薪に負けず劣らずよく昼寝をしている。薪とは理由が違うが、夜はろくに眠っていないのだろう。
 薪が席についてPCを立ち上げたとき、ゆらりと人の動く気配がして、二階堂が目を覚ました。
「どうせなら、仮眠室を使ったらいかがです?」
 寝ぼけ眼の脳科学者に皮肉をぶつけて、薪は自分の不満を解消する。
 薪だって、時間があれば眠りたい。ヤキモチ妬きの恋人のせいで、最近ずっと寝不足気味なのだ。いや、もともとの原因はこいつじゃないか。

「なるほど。みんなのノルアドレナリン濃度は、君が調整しているわけだ」
 眠っていたはずの脳科学者は、寝椅子に寝転がったまま、訳のわからないことを言い出した。
「相手の自尊心を傷つけないように、さりげなくヒントを出してあげてるの?」
「……何のことですか」
「昨日ツヨシの机にあったメモと、さっきモニタールームから聞こえてきた言葉が同じだったのは、偶然?」
 捜査には首を突っ込むな、とあれほど言ったのに。懲りない男だ。

「二階堂先生。勝手に資料を読まれては」
「そうやって、部下に気を使い上司に気を使い。君はいったい、いつ休むの?」
「僕はひとに気を使ったりしませんよ。そういうのは苦手なんです」
「苦手と言いながら、君は僕にも気を使ってる。僕が休めるように、わざとモニタールームで仕事をしてくれてるんだろう?」
「あなたと一緒にいたくないだけです」
 なにを自惚れてるんだ、こいつ。
「やれやれ。嫌われちゃった」
 ため息混じりに、二階堂は半身を起こした。困った顔で、薪の方を見る。

「あんなことをするからですよ」
「ただの挨拶だったのに。研究室では、あれが普通だよ」
 たしかに。
 薪もロスにいた頃は、男からも女からも、半強制的にキスをされてた。特に事件が解決したときには、みんなテンションが上がりまくってて大変だった。服を脱がされて、とんでもないところにキスを……これも青木に知られたら、地獄を見ることになりそうだ。
「ここは日本です」
「反省してるよ。もう、しない。ごめんなさい」
 ぺこりと頭を下げた二階堂に、薪は思わず苦笑した。
 今まで青木の手前、随分がんばってきたが、そろそろ限界らしい。小野田の血縁だけあって、どうもこの男は憎めないのだ。
 二階堂の謝罪は、これまでにも何回も受けている。素直に謝ってくる相手をいつまでも無視し続けるというのも、存外難しいものだ。
 
「どうして最初の日、みんなにあんなことを言ったんです?」
「セイジが、いつもこういう冗談を言ってるって。みんなに早く馴染むには、この手に限るって」
 黒幕は小野田さんか。
 なるほど、それでセクハラジョークだったのか。まったく、自分が急がしくて嫌がらせにこれないからって、甥を使うなんて。
 二階堂から状況報告を受けて爆笑する小野田の顔が脳裏に浮かぶ。今度会ったら、つまづいた振りをして小股払いを掛けてやる。

「論文のほうは、順調ですか?」
「うん。おかげさまで。君の協力のおかげだよ。ありがとう、ツヨシ」
 率直な感謝の言葉に、屈託のない笑顔。
 昔、薪の傍にはいつも。
 こんな風に自分に微笑みかける、大切な人がいた……。

「あなたのように笑う男を知ってます」
 意識せず、そんな言葉が口をついて出た。薪は自分でも驚き、次いで何故この男にそんなことを言ってしまったのだろう、と考えた。
「僕に似ているの? 会ってみたいな」
「いえその……彼はもう、この世にはいません」
 薪がその事実を告げると、二階堂は少し戸惑った表情になった。
「すみません、不愉快なことを。死んだ人間を引き合いに出したりして」
「いや。大事なひとだったの?」
「ええ。とても」
「そうか。それで君の扁桃体は人の死に対して過剰な反応をするのか。ますます持って、君はこの仕事に向かないな」

 畑違いの科学者から適性不合を指摘されて、薪はむっと眉を顰めた。上司に諭されるならともかく、警察の仕事を知りもしない学者に言われる筋合いはない。
「強い喪失体験を経験すると、人はその事象に対して過敏になる。つまり、君は普通の人間より人の死に対するストレスに弱い、ということだよ」
 室長の資質に欠ける、と言いたいのか。失礼な。
「たしかに、僕はそんなに強い人間じゃありませんけど。でも、室長の椅子に座って10年になります。それなりの実績は上げてきましたし、それほど不向きだとも思いませんが」
「うん。君はこの仕事に誇りを持ってる。それはよくわかるよ。けど、君が受けるストレスは深刻なものだ。プライベートで君のストレスを上手く解消してくれるものはある?」
「今のところ、風呂と日本酒ですね」
 実は恋人がいるが、それは秘密中の秘密だ。話すわけにはいかない。
「友だちとか、いないの?」
「この仕事についてから、疎遠になりまして」
「じゃあ、恋人の青木くんだけが君の安らぎってわけか」
「いや、あいつは安らぐって言うよりは振り回されてるっていうか、頭痛の種っていうか、えっ!?」
 薪の手から数枚の書類が落ちて、彼の周りに散らばった。振り返りざまに落としたものだから、そのうちの何枚かは二階堂の足元に落ち、骨ばった手がそれを拾い上げた。

「何をバカなことを」
「あれ? 青木くんが言ったんだよ。オレの薪さんに手を出さないでください、って」
 あ、あ、あ、あの、バカ!!!
「なんだ。青木くんの片思いってことか」
「違います。それは青木の冗談です。こういうジョークが流行ってるんですよ」
 何気なさを装って、薪は床に落ちた書類を集めた。ここで狼狽したら、それを肯定することになってしまう。
 ポーカーフェイスの影では、浅はかな恋人に対するこの世のものとも思えぬ罵りの言葉が次々と湧いてくる。沸点に達する怒りに、からだが熱くなってきた。頬が赤くなってしまっているかもしれない。
 薪は書類で顔を隠すようにして、室長室を出ようとした。

「ツヨシ。書類」
 二階堂の手に残った3枚の書類。宇野の事件の捜査資料の一部だ。
 薪は大股に彼に近付き、白衣から突き出た枯れ木のような手から書類をひったくった。
「ツヨシ。明日の夜、デートしようよ」
 二階堂のデートしようよ、は挨拶の代わりと言ってもいいくらい、頻繁に聞いている。まったく、懲りない男だ。
「脳波検査の後にさ。食事して、映画見て、軽くお酒飲んで。扁桃体とモノアミン神経伝達物資の関係について話してあげるから」
 だれが食事中にそんなこと聞きたがるんだ。てか、そんな誘いに僕が乗るとでも思っているのか。

「お断りします」
「あ、そう。じゃ、青木君が言ったこと、みんなに喋っちゃおうかな」
「あれは冗談だと」
「冗談なら構わないだろ? 青木君がこんな面白いこと言ってたよって」
 まずい。
 いや、本気にするバカはいないと思うが、万が一ということもあるし。
「……食事だけなら」
「ダメ。映画とお酒も」
「映画までです。お酒は、緊急の事件があったときに困るので」
 というのはタテマエで。
 青木は、自分の目が届かないところで薪が酒を飲むのをひどく嫌がる。薪は全然記憶にないのだが、昔、薪が酔って前後不覚になったおかげで、青木はとても不愉快な思いをしたのだという。詳細については話してくれないが、あの単純な男が根に持っているくらいだから、さぞかし酷いことをしたのだろう。そうなると、薪も知りたくない。

「わかった。ああ、明日が楽しみだな」
 誰が二人きりでデートなんかするか。青木と打ち合わせて、適当なところで電話で呼び出してもらおう。二階堂の言うことを聞かなければならなくなったのは青木のせいなのだから、少しは役に立ってもらわないと。
 ニコニコと嬉しそうに笑っている二階堂を見ていると、僅かに心が痛んだ。
 本来なら正直に恋人がいることを話して、自分のことは諦めてくれと頼むのが筋なのだが。男の恋人ってのは、こんなことでも苦労する……。

 重苦しい気持ちで室長室を出た薪だが、結局、二階堂とのデートはキャンセルされた。
 それは、翌日薪の身に訪れた思いもかけない出来事の余波と、二階堂自身の都合によるものだったのだが。
 後に、薪はその夜の自分の行動をとても後悔することになる。しかし、それは致し方のないことだった。

 人間には。
 未来に何が待っているか、知ることはできない。他人の心の奥底に眠る秘密を、透かして見ることもできない。
 二階堂が何を考え、何を思って薪にあんなことをしたのか。
 その真実を薪が知ったのは、すべてが終わった後だった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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非公開コメント

Sさまへ

Sさま、えっと、あっ・・・・・す、鋭すぎる・・・・(^^;

すみません、何も言えません。
ごめんなさい(><)
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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