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運命のひと(12)

運命のひと(12)









 思い出したように痛み始めた足腰を引き摺るようにして、薪が病院に着いたのは夜の8時ごろだった。
 今日の定例会は、脳波検査を理由に断った。本当はあの電話の一件で、酒を飲む気分ではなくなってしまったからなのだが、岡部に余計な心配を掛けたくない。

 二階堂から預かった名刺を夜間の受付に出すと、検査室へ案内された。つん、と鼻をつく消毒薬の匂い。その香りを纏った黒髪の女性のことを思い出して、薪は自分の失敗に気づく。
 そうだ、あいつには雪子さんがいたんだ。見合いなんか勧めて、失敗した。
 ヤケクソになって見合いしたからって、相手の女性の気持ちも考えずに行動するような男じゃないけど。このことを雪子が知ったら、やはり不愉快だろう。
 青木は無神経なところがあるから、悪気はなくても喋ってしまうかもしれない。雪子に見合いの話は黙っているように、注意しておかないと。

 暗い気分に拍車をかけるように憂鬱なことを思い出して、薪の足取りがさらに重くなる。先に立って案内をしてくれていた受付の女性が薪の方を振り返り、「おかげんが悪いのですか?」と声をかけてきた。初対面の相手にそんな心配をさせたことを知って初めて、薪は自分がひどく落ち込んでいることに気付いた。
「大丈夫です。ちょっと寝不足で」
 せめて、にっこりと笑ってみせる。どんな心境でも笑顔を作れる訓練をしておいてよかった、と薪は思う。

「よく来てくれたね、ツヨシ。そこに座って」
 広い検査室の中、見たことの無い機械に囲まれて、二階堂は薪を待っていた。
 どこかで聞いた曲が流れている。題名は知らないが、二階堂が初日に第九で流していたあの曲だ。
 脳波検査をするのに音楽を流すなんて、おかしなことをする。平常の状態で測定しなければ意味がないと思うが、何を考えているのだろう。
「カバンはそこの籠に入れて。上着脱いで。ネクタイも取った方がいいな。ワイシャツのボタンも外したら」
 ネクタイは取れるけれど、シャツのボタンは外せない。首の付け根に残った痣が見えてしまう。
 
 電極がたくさんついた機械の隣に、歯医者で使うようなリクライニングチェアが置いてある。その上に横たわって、薪は薄いベージュ色の天井を見た。
 額から後頭部まで、6つの電極が取り付けられる。
「えらく簡易的じゃないですか? 標準は21個じゃありませんでしたっけ」
「よく知ってるね。脳全体を多角的に見るときには60個くらい付けるんだけど、これはただのモニタリングだから。見るところも決まってるし」
 電極の具合を確かめるために、二階堂は薪の頭を抱えるようにして後ろ首から後頭部を触っている。白衣の下で、二階堂の貧弱な胸が動いているのが見える。骨ばった男の手が自分の首に触れるのを、不快に思う。青木に触られると気持ちいいのに、これはどういった現象なんだろう。

「じゃあ、始めるよ。リラックスしてね」
 二階堂はいくつかのスイッチを解除し、レバーを下げた。ヴォン、とハードディスクがうなる音がして、チカチカとモニターの画面が点滅する。モニターに映っているのは、脳の略画だ。全体的には緑色だが、ところどころに赤や黄色が分布している。
「ふうん。とても落ち着いてて理想的な脳だね。あの濃度でこの状態は意外だな」
 どういう意味だ。脳全体が迷彩色にでもなってるとでも思ってたのか。
「ツヨシ。ちょっとこの問題、考えみて」
 簡単な積数の計算問題。これを解けということだろうか。
「√2/3。52。3.8562」
「ちょっと待って。暗算でいけちゃうの? それ」
 答えを言わなくても良かったのか。それならそうと言ってくれればいいのに。
「しかも、殆ど稼動してない……いや、早すぎて視認できないのか。数字にはちゃんと表れてる」
 プリンターから打ち出される数字と記号の羅列は、薪にも理解不能だ。ここまでくると、さすがについていけない。
 
「すごいよ、ツヨシ。きみの脳は人類の宝だ。学問の道に進むべきだよ。どうして警察官なんて職業を選んだんだい?」
「小さい頃からの夢だったんです。ずっと警官に憧れてました」
「親が警官だったとか?」
「僕の両親は、小学校に上がる前に交通事故で亡くなったんですけど。そのときに僕の面倒を見てくれた巡査が、とても親身になってくれて。子供心に感激して、将来は絶対に警察官になろうと」
「そうなんだ」
 何故、こんなことを喋っているのだろう。
 こんな話、誰にも―――いや。鈴木には話したっけ。なぜ警察官になりたかったのか、どうして官僚を目指すようになったのか。何を目的として警察機構に身を投じたのか。
 
 鈴木とは、すべてを語り合った。お互いの夢の話を、一晩中でも喋り続けた。
 そのうち、鈴木は弁護士希望だった自分の夢を薪の夢に揃えてきて。一緒の部署に配属されたら最高のコンビになるな、と頷きあって。
 その夢は叶ったけれど。
 鈴木はもう、いない。

「ご両親のこと、思い出しちゃった? 前頭前野が動いてる」
「いえ。亡くなった親友のことを」
 二階堂は、はっと息を呑んだ。小野田から事件の顛末を聞いているのだろう。
「君の親友か。さぞ、いい男だったんだろうね」
 自分を実験体にしている男が、彼特有の暢気な口調を崩さずにいてくれたことに感謝して、薪は口を開いた。
「鈴木は……僕の親友はすごくやさしい男で。僕が何をしても怒ったことなんかなくて、全部許してくれて」
 そう。
 僕に命を奪われてさえ、鈴木は僕を愛してくれた。僕に生きることを望んでくれた。
 昔はとてもそんな風には考えられなかったけど、今はそう思える。あいつのおかげだ。あいつが、鈴木の真実を僕に見せてくれたから。

「彼のことが、とても好きだったんだね」
「ええ。大好きでした。だからとても辛くて。この世界と引き換えにしてもいいと思うくらい、彼に帰ってきて欲しかった」
 薪の脳の片隅で、微かな光が点滅した。
 おかしい。
 どうして自分は、こんなことを二階堂に喋っているのだろう。
 こんなプライベートのことを、両親や鈴木のことを。青木にだって喋ったことがないのに、どうして?

「ああ。彼を愛してた?」
「ええ。ずっと長いこと彼に恋をしていて」
 ちょっと待て。
 どうしてこんなことまで喋ってるんだ、僕は?
 喋ってるというか、喋らされてる。操られてる。

 薪は、官房室で二階堂とした会話を思い出す。
『ひとのこころの動きを作るのは、脳ですよ。脳内の電気信号が人間の行動のすべてです』
『その電気信号を操ることができれば、好意も悪意も思いのまま』
 ……まさか、こいつ!

 頭についた電極をむしりとろうとした。右手でコードを掴んで、自分を操る電波の糸をなぎ払ったつもりだった。
「その信号はブロックしてある。動かせないよ」
 突拍子もない仮説が的を得ていたことを知って、薪は驚愕する。
 外部的な刺激を脳に送り込んで、その人間の感情すらも支配する――こんなことが可能なのか。
「僕をどうするつもりですか」
 身体が動かせないのだから、何をされても抵抗できない。
 例えばこの場でレイプされても、悲鳴を上げることすらできない。それどころか、悦びの声を上げてヨガらされる可能性も……。

「君をどうこうしようなんて思ってないよ。たしかに、電気刺激でβエンドルフィンを分泌させて君をインフォマニアに仕立て上げることはできるけど。そんな下らないことには興味がない」
 こんなことをされているのに、怒りは湧いてこない。怒りを抑えるホルモンを分泌させる電気信号が送り込まれているのだろう。
「こうやって脳の状態を見れば、君が考えることは何でも分かる。好きなものもキライなものも、欲しいものもそうでないものも」
 分かるだけでなく、操ることもできる。
 マイナスの考えはプラスに。暗い思考は明るく前向きに。
 それは精神科医のセラピーを機械化したような技術で、非道と言われれば否定はできないけれど、現実に効果が上がればこれから普及するかもしれない。
「僕なら、君の望むままの快楽を与えてやれる。もちろん性的な快楽だって。快楽中枢に直接刺激を与えてやれば、肉体的な負担もないし。昨日みたいに、足を引き摺って歩かなくてもよくなるよ」
 マッサージで身体の疲れを取るのも、脳に電気刺激を与えてストレスを解消するのも、大きな差はない、と言いたいのか。学者らしい極端な考え方だ。
 
 頭の中で皮肉を言いながらも、薪の心は凪いでいく。
 こんな穏やかな気持ちを味わうのは、何年ぶりだろう。

「でも、君が本当に欲しいのは、こういう時間だ。安らぎが欲しい、と願っているはずだよ」
 その通りだ。
 穏やかで満ち足りた時間。
 第九の仕事でささくれ立った心を癒してくれる、至福のとき。充実した人生を送るために必要なのは、激しい恋愛感情ではない。そんなものは疲れるだけだ。
「君に必要なのは、そういう相手だよ。彼では、無理だ。彼を選んだのは、君の間違いだ。彼との関係は、君を追い詰めるだけだ」
 二階堂の指す人物が脳裏に浮かんで、薪は苦笑した。顔の筋肉は動かなかったが。

 間違い。
 そうかもしれない。あいつとは、趣味も性格も合わなくて。

 出会ってからずっと、すれ違いや誤解ばかり重ね合ってきた。
 傷ついたり傷つけられたりして、心から血を流し続けてきた青木との関係。
 僕を完璧に理解してくれる相手となら、そんなことはないのだろう。言葉も要らないし、その不足を身体で補うなんて下らない真似もしなくていい。
 何も言わなくても、思いが通じる。
 欲しいと口に出さなくても、それが目の前に差し出される。本当はこうして欲しいのに、と苛立つこともなく、恥ずかしさに身を捩ることもなく、この男は僕に望むままの快楽をくれるのだろう。
 脳が震えるほどの楽しさや、指先までしびれるような快感や、薪が求めてやまない永遠すらも。
 快適で、満ち足りて、欲しいものは何でも手に入るこの世の天国。

 それはひどく魅力的で。
 そして。
 なんてつまらない世界だろう。

「つまんないです、そんなの」
 時計の短針が9の文字に近付く頃、頭に取り付けられた電極を外してくれた二階堂に、薪は笑いながら言った。

 

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Kさまへ

いらっしゃいませ、Kさま(^^

>二階堂先生がかけてた曲って

・・・・・・・なんでわかったんですかっ!!??
いや、題名はそのまんま、曲名から取ったんですけど。

だって、まだ歌詞の一部も出してないし、あれって15年くらい前の曲だし・・・・あ、ちがうのか?わたしの知らない同じ題名の曲があるのか?最近のヒット曲なんか知らないから。(←世捨て人)
すみません、ぜひKさまが思い浮かべたアーティスト名を教えてください。

同じ曲がKさまの脳内でリフレインされてたら、とってもうれしいです。
書いてる間中、わたしの脳内にもこの曲がリピートされておりました♪♪

二階堂を好きと言っていただけてうれしいです。
わたしもけっこう、気に入ってます。(小野田さん系の飄々としたキャラは好き)

そうですね、小野田さんの思惑は、そんなふうにも取れますね。
これからの展開については・・・・・・うふふ~、先をお楽しみに~。(←疑惑を否定しないあたりが悪魔)
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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