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運命のひと(15)

運命のひと(15)






 室長会議終了後、薪は小野田のところへ顔を出すことにしている。
 定例報告と銘打っているが、事件の報告書はその都度所長に提出してあるので、大した報告事項はない。つまりこれは、小野田がかわいい秘蔵っ子の顔を見たがっているのだ。

「おはようございます、緑川さん」
 官房長付けの秘書にぺこりと頭を下げて、にっこりと微笑む。
 ここへはしょっちゅう来ているから、秘書とも顔なじみだ。薪が甘いケーキが苦手なことも知っているし、コーヒーには砂糖やミルクを入れないことも承知している。
「あれ? 小野田さん、電話中ですね」
 秘書の机の上の電話の外線ランプが点滅しているのを見て、薪は小野田が個人的な電話をしていることに気づく。
 官房室の外線は5つ。5つ目のラインは、小野田のホットラインだ。この番号は薪も知らない。
「電話は奥さまからですから。甥御さんのことみたいですよ。薪室長なら、入っても大丈夫だと思いますけど」
 小野田の甥と言われて、薪は豆台風のように自分の職場を掻き回して行った脳科学者のことを、苦笑と共に思い出す。

 二階堂が居なくなって、半年が過ぎた。
 季節は冬になり、2063年も暮れようとしている。
 第九にも平穏な日々が戻ってきて、仕事や日常の煩雑さの中に紛れ、彼のことも忘れかけていた。そういえば、論文は完成したのだろうか。あれほど協力してやったのだから、論文が出来上がったら連絡を寄越すのが当たり前だと思うが。
 まあ、学者なんてそんなものか。あの男に常識を期待しても無駄だ。

 薪はファイルを両手で持つと、秘書に向かってそれを差し出した。
「いえ。この報告書を渡しに来ただけなので。緑川さんから、渡しておいていただけますか」
 肉親からの電話なら、職務に関する機密事項ではない。しかし、小野田のプライベートに立ち入るのも気が引ける。
「あら。それは困ります。せっかく薪くんが来たのに、どうして帰しちゃったんだい、って叱られちゃいます」
 小野田の口調をそっくり真似て、彼女は片目をつむって見せた。さすが小野田の秘書だ。茶目っ気がある。
「直接お渡しになられたほうが、よろしいかと」
 少し迷ったが、時計を見て秘書の勧めに従うことにした。今朝は会議が長引いて、時刻は10時近い。早く第九に行って、仕事の指示をしなければ。

 天然木材を使用した重厚なドアをノックする。さすが、官房室長。第九の室長室のドアの倍は厚みがある。防音効果も高く、これなら大声を出しても隣室には聞こえないだろうと思われる。
 ドアを開くまで、小野田の声は全く聞こえなかった。通話ランプに気付かなかったら、電話をしていたことは分からなかった。
 ましてや通話の内容が、薪も知っている人物に関する重大なことだという事実も。

 知るはずがなかった。いや、知らなくて良かった。
 その人物は、彼にこの事実を知られることを望んではいなかった。

「そう……やっぱり、手術することにしたんだ。月曜日? ちょっと待って」
 ついぞ聞いたことのない小野田の深刻な声に、薪は足を止めた。
「困ったな。ぼくはその日はどうしても外せないんだ。君が立会いに行ってくれる? うん、頼むよ」
 手術、と小野田は言った。
 その手前の会話は、よく聞き取れなかった。聞き覚えのある名前が小野田の口から出たような気がしたが、自分の聞き間違いだと思った。
「潤也には、今夜にでも会いに行くよ。多分、これが最後だろうからね。姉さんたちも覚悟はできてるみたいだし。潤也も、これでようやく楽になれると思うしかないって、泣いてたけどね……。
 今夜、君も一緒に来る? うん、ぼくは潤也の顔見たら、一足先に日本に帰って」

 バサッと耳障りな音がした。
 小野田が大事な電話をしているのに、なんて無神経な、と腹が立ったが、その音の原因は自分が持っていたファイルが床に落ちたからだと分かって、薪は自分の手がひどく震えていることを知った。手の震えは指先だけのものではなく、身体全体が戦慄いた余波によるものだったと気付くころには、まともな呼吸ができなくなっていた。
 小野田は薪の姿を目に留めて、電話を切った。
「ごくろうさま。できたら、そのファイルは床じゃなくて机の上に置いてくれないかな」
 いつものように呑気な口調で薪に話しかける小野田には、電話をしていたときの沈痛な表情はなく、薪は一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 提出用のファイルを拾うでもなく、呆然とその場に立ち尽くしている薪を見て、小野田は軽く肩を揺すった。席を立って薪の足元にかがみ、自ら床に散乱した紙片とファイルを拾い集めた。
「いつもながら、君の報告書は解りやすいね」
 上司に床の書類を拾わせた無作法な部下の態度に怒るでもなく、小野田はにこにこして薪の提出物に及第点をくれた。ありがとうございます、と言おうとして、薪は自分のくちびるが動かないことに焦った。

「……小野田さん」
 細くて、かすかに震えている情けない声。
「行っていいよ」
「小野田さん!」
 薪が声を荒げると、小野田はとても困った顔をした。
 その顔は、半年前は頭痛の種だったモヤシのような風貌の男に似て、薪の心臓をぎゅっと締め付けた。

「ああ、潤也が怒るだろうな。君には絶対に知られないようにしてくれって、あれほど念を押されてたのに」
「知られないようにって、どういうことですか? 事故か何かに遭われたんじゃないんですか?」
「ちがう。潤也はね、脳腫瘍を患ってたんだ」
「脳……腫瘍……」
「うん。脳幹に出来た腫瘍で、手術は不可能だと医者に言われた」
 脳幹は脳と脊髄をつなぐ場所にあり、大脳と自律神経の制御を行なっている。脳幹が壊れれば自律神経が失調し、呼吸も心臓も停止してしまう。人間の生命維持そのものに関わる器官なのだ。
 深いところにあるから、脳を掻き分けるようにして手術をしなくてはならないし、髪の毛ひとすじのミスも許されない。ミスは患者の死に直結する。ミスをせずに手術を終えたとしても、植物状態になる可能性が9割を超えるという。初めから悲惨な結果が分かっているような手術を、執刀してくれる医者を探すこと自体が難しい。
 脳幹は、脳外科医にとって禁忌の領域なのだ。

「きみが潤也に初めて会ったときに話してた論文。あれが潤也の最後の論文だったんだよ。あのあと、すぐに療養生活に入ったんだ。ストックホルムの脳専門の病院でね。薬物治療しか道がなかったから、潤也は8年もそこで過ごすしかなかった」
 8年。
 その月日が、彼の風貌を変えたのか。
 病院で過ごす日々が、毎日投与される薬品が、彼を白く細く作り変えていった。機関紙に掲載された写真と似ても似つかぬ姿になっていたのは、そのせいだったのか。
「一時期は効いた薬も、だんだん効かなくなって。何度も薬を変えたけど、やっぱりダメで。病巣は広がる一方で、もう長くないことは解ってたんだ。だから思い切って日本に来たんだ」
 いよいよ自分の命が終わりに近づいたとき、故郷の地が踏みたくなった。そういうことか。
 それが最初からわかっていれば、乱暴なことはしなかったのに。

「そうだったんですか。彼は、自分が生まれた国で最期のときを過ごそうと……」
「ちがうよ。潤也は君に会いに来たんだよ」
「は? 何でそこに、僕が出てくるんですか?」
 相変わらず自覚のない子だね、と意味不明の前置きをして、小野田は薪が知らなかった叔父と甥のプライベートを教えてくれた。
「ぼくがいつも話して聞かせる君の武勇伝が、潤也は大好きだった。君が関わった事件のことは、全部かれに話してやったんだ」

 小野田が甥の慰みにと、面白おかしく話したという事件の数々。個人情報や残虐な部分はオブラートに包み、薪の活躍を大げさに装飾して、心躍る冒険活劇のように語って聞かせたのだろう。
「潤也は君に憧れてた」
 警察庁の要職に居る叔父の口から聞かされる、現実的で痛快な物語。その主人公に会いたくて、二階堂は第九に来たがったのか。
「潤也はね、すごく喜んでたよ。きみがあの論文を今でも覚えてくれてて。8年前も喜んでたけど、こないだはもっと嬉しかったと思うよ」
 やっと思い出した。
 あの当時、脳に関する論文に目を通すようにと薪に科学雑誌を与えたのは、小野田だった。その論文について小野田と議論を交わした覚えはないが、何がしかの感想は述べたような気がする。それを彼に伝えたのか。

「ツヨシとは運命的なものを感じる。そう言ってたよ」
「……戻ります。失礼します」
 短い退室の挨拶を口の中で呟いて、薪は官房長室を出た。
 秘書が「お帰りですか」と笑いかけてきたが、笑みを返すことができなかった。
 廊下に出て、薪は右手で顔を覆った。
 こみ上げてくる感傷を奥歯で噛み殺して、薪は警察庁の長い廊下を歩いていった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Kさまへ

鍵拍手いただきました、Kさまへ。

すみませんっ、でもまだ早いです。泣くのはこれからです。(←鬼か、鬼なのか!?)

ヒトデナシですみません(^^;

Kさまへ

鍵拍手いただきました、Kさまへ。

>「それが最初から分かっていれば」いえ、薪さん、彼は、そんなことは望んじゃいない。薪さんが、彼の事情を何も知らずに、今、目の前に居る彼を見て、判断して、接する、それで彼は幸せだったと思う。

ああ、そうです、その通りです。
二階堂は自分の病気のことは決して薪さんには報せてくれるなと、小野田さんに頼んでました。
彼が欲しかったのは同情ではなく、かといって薪さんを欲したわけでもなく。
ただ、何でもいいから薪さんの役に立ちたかっただけです。自分に残された僅かな時間で一番したかったこと、それが薪さんの力になることだったんです。


二階堂のこのあとは、はい、ええ、その・・・・・・。
つ、つづきをどうぞ(^^;

Aさまへ

Aさま。

>嫌な予感はしてたんです(><)

伏線貼りましたから♪
昔は太ってたのに今はガリガリに痩せてるとか、いつも眠ってるとか。
最後に憧れの薪さんに会えて、話せて、彼は幸せだったと思いますよ。


>愛してくれた人が次々と亡くなってしまうのが薪さんの悲劇

あああ、そうなんですね。(;;)
ホント、みんな長生きしない。 取り残される方が辛いのにね。
まったく、青木さんには長生きしてほしいです。

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
10万拍手ありがとうございます!
いつの間にか9歳になってました。( ゚Д゚)
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