土曜の夜に花束を(7)

土曜の夜に花束を(7)







 週末の金曜の夜に自宅のリビングでたったひとり、薪は膝を抱えている。
 テレビを見るわけでもなく、雑誌を繰ることもなく、ただぼうっとソファに座っている。亜麻色の瞳はとても陰鬱で、長い睫毛は下方に伏せられている。
 昼間、モニタールームから洩れ聞こえた会話が耳に残って離れない。職務時間中は何とか平静を保っていたが、自宅に帰ってひとりになると、頭の中がそのことでいっぱいになってしまった。
 ホテル街で、青木が雪子と一緒だった。そういう場所で男女が一緒にいれば、疑われても仕方ない。この1週間、青木に避けられていると感じていたが、やっぱりそういうことか。

 薪は1週間前の、苦い初夜を思い出す。
 あれがきっかけで、青木は女性の素晴らしさに目覚めたのかもしれない。ただ3Pは何かの間違いだろう。偶然知り合いに会ってしまったとか、そんなことだったに違いない。ふたりとも、そんなことを楽しめるタイプじゃない。
 優しい青木は翌朝謝罪に来てくれたけど、薪は素っ気無い言葉でドアも開けずに追い返した。心配して来てくれた相手にあの態度は良くなかったと自分でも思うが、あの時はとても人と会えるような状態じゃなかった。身体中痣だらけで、腰から下は言うことをきかなくて、まともに立つこともできなかった。眼は真っ赤に腫れて顔は思いっきりむくんで、あんな僕を見たら青木が気にする。持たなくていい罪悪感を抱えられて、気を使われるのはまっぴらだ。
 
 何より、申し訳なくて。青木に合わせる顔がなかった。
 1週間も前から、いや、何ヶ月、もしかしたら1年以上も。青木があんなに楽しみにしてたのに。夢にまで見た初めての夜だったのに。薪も男としてその気持ちは良く分かる。気になる女の子との初めてを想像するときの高揚感は体験済みだ。青木のことだから、きっとロマンチックで穏やかな情交を思い描いていたのだろう。なのに、僕が未熟なばっかりに、その夢は粉々に砕かれて、醜い残骸だけが残る結果になってしまった。
 覚悟はしてたけど、あそこまで痛いとは思わなかった。本当に死ぬかと思った。鈴木としたときの方がまだマシだったような。あの夜のことはよく憶えてないけど、命の危険は感じなかったと思う。それとも、死んでもいいと思ってたのか。

 セックスって、楽しいもののはずだ。
 薪だって女の子とするときは楽しいし、気持ちいいし、幸せな気分になれる。性的な快感はもちろん、あの柔らかい肉に包まれているだけで夢心地になる。
 でも、僕は男だから。そんな感触をあいつに与えてやることはできない。第一、男の身体は女の子みたいに綺麗なものじゃない。それは初めから分かっていたことで、つまりこの結末も決まっていたということか。
 だったら、初めからこうすればよかった。もっと早くにあいつの目を覚ましてやればよかった。そうすれば青木は、2年もの時間を無駄にすることもなかったのだ。
 自分の我儘で、ずるずると青木の気持ちを引っ張ってしまった。あいつの隣の席は居心地がよくて、誰にも譲りたくなくて。

 俯くと、ぽたりと手の甲に水滴が落ちる。だれに見られているわけでもないが、薪は慌てて涙を拭った。
 いいんじゃないか、これで。雪子さんと幸せになって欲しいってずっと思ってたはずだ。なんで涙なんか。

 止まらない涙に、薪はようやく自分の心に気付く。
 ばかだ、僕。
 ちゃんとあいつのこと、好きになってたんだ。こんなに泣けるくらい。
 鈴木のときで懲りてたはずなのに。絶対に最後はこうなるって分かってたはずなのに、だから男は好きにならないって決めてたのに、また同じ間違いを繰り返して。

 短い夢だったな、と薪は思う。
 わずか1週間の夢だった。
 2年もの間僕を好きでいてくれたのに、寝たら1週間で終わってしまった。2年も続いた片思いが恋人になったら1週間で冷めてしまうなんて。まるで蝉だ。
 予想はしていた、こうなるかもしれないって。寝たら青木は僕から離れていってしまうかもしれないと、不安はあった。昔からこっちの方面は苦手で、女の子だって本当は片手に余るほどしか経験してない。ましてや男なんて。
 鈴木もそうだった。僕とのセックスに満足できなくて、だから僕との関係は長く続かなかった。僕が鈴木とうまく行かなくなった理由は他にもたくさんあったけど、そのことも大きな要因だった。事実ケンカの原因は、鈴木の女関係が一番多かった。
 もし、僕が鈴木の想像のように彼を悦ばせてあげられたら……鈴木は僕を愛してくれてたんだから、僕たちの関係も変わっていたのかもしれない。でも、僕にはその才能はなくて。どうしても鈴木が望むように、あの行為を快く感じることはできなかった。
 特に鈴木の心が見えなくなってからのセックスは、耐え難いくらい痛かった。いくら感じようとしても駄目だった。鈴木に愛されてる実感がなければ、あの行為はただの地獄だった―――。

 そんな過去が、薪に過剰な思い込みを与えたのかもしれない。自分は決して男同士のセックスで快感を得られない。あんなに愛した鈴木が相手ですらあの有様だったのだから、他の男なんか言わずもがな。そんな気持ちが彼の身体を固く強張らせたのかもしれない。
 いずれにせよ薪の過去の経験は、新しい恋人との関係に有利には働かなかった。
 
「やっぱり僕にはおまえしかいないみたいだな」
 一旦はしまった親友の写真をクローゼットの奥から取り出して、寝室に向かう。ベッドに座って、薪はそのやさしい笑顔に話しかける。
「ごめんな、鈴木。ちょっと浮気しちゃった」
 薪はまた、鈴木のところに帰るしかなかった。他の誰も自分を受け入れてくれる人はいない。
「うん……ただの気の迷いだよ。少し寂しかっただけ」
 青木の恋人になっても拒絶しても、結果は同じことだった。あの楽しい時間は戻ってこない。だったら余計なことをしなければ良かった。せめて普通の上司と部下でいられたかもしれないのに。
「大丈夫だよ。明日になったら、また元気になるから。僕にはおまえがいるもんな」
 親友の笑顔の上に、ぼたぼたと涙が落ちる。
 今夜の寂しさはひとしおで、このままだと夜中泣き通してしまいそうだ。
 それもいいかもしれない。いっそ枯れるほど泣いてしまえば、明日は泣かずに済むかもしれない。

 いつものように薪は、鈴木の写真を胸に抱く。これからも自分は鈴木のことだけ想って生きていく決意をしようと試みる。
『僕は鈴木だけのものだよ』
 ひと月前は自然に口から出てきた言葉が、なぜか言えない。そう思うだけで涙が溢れてくる。でもこれは、鈴木を想って流す涙じゃない。そのときの涙は、自分に深い愛情と誇らしさを与えてくれた。こんな絶望に満ちた気持ちにはならなかったはずだ。

 すすり泣く声にチャイムの音が重なって、薪は顔を上げた。
 今日は定例会は中止だと岡部には言ってある。青木との関係が破綻した今、彼のほかにこの家を訪ねるものはいないはずだ。まさか、金曜の夜に新聞の勧誘でもあるまい。もしそうだったら表に出て行って、腹いせに小股払いを食わせてやる。
「どうして」
 リビングで防犯カメラの映像を確認すると、信じられない人物がそこには映っている。
 たった1週間、自分の恋人だった男だ。腕に百合の花束を抱えている。
 何をしに来たのだろう。律儀な男だから、正式に別れを言いにきたのだろうか。でも、あの花束は?
 雪子が好きな花は、チューリップとひまわりだ。それを薪は青木に教えたことがある。百合は、鈴木が……いや、薪が好きな花だ。

 どういうつもりなのか、ドアを開けるのが怖い。しかし、青木はとてもしつこい性格だ。薪がここに居るのは明かりを見て確認しているから、居留守は使えない。薪がドアを開けなければ、一晩中でもそこで待っているだろう。
 薪は涙を拭いて、ぎゅっと唇を噛む。鏡を見て自分が情けない顔になっていないことを確認する。いくらか目が赤いが、PCの画面を凝視していたせいだとでも言っておけばいい。
 深呼吸をして、腹の底に力を入れる。絶対に弱気な顔なんか見せない。何を言われても平気な顔で「わかった」と言ってやろう。僕が破局をつらく感じていることなんか、こいつは知らなくていい。

 悲壮な決意とともに薪がドアを開けると、青木はうれしそうに微笑んで花束を差し出した。薪がいま考えていたような目的で、この男がここに来たとはとても思えない。
「間に合ってよかったです。お出かけはこれからですか?」
「べつに出かける予定なんかないけど」
「そうなんですか? 定例会が中止だって岡部さんから聞いたから、出かける用事があるのかと思ってました」
 用事はないが、酒を飲む気にもならなかっただけだ。薪は落ち込んだときは酒を飲まない。あれは楽しい気分で飲むものだ。不味い酒は飲みたくない。

「会えてうれしいです」
 いつものように薪の手に花束を押し付けて、青木は満面の笑顔になった。この笑顔に、薪は弱い。腹の底に沈めた弱い自分が顔を出してしまいそうになる。
「おまえ、今日はMRIのメンテ当番じゃなかったか」
「小池さんが代わってくれるって言うから、甘えちゃいました」
「なんでここに来るんだ。時間が空いたら雪子さんを誘えばいいじゃないか」
 少し躊躇して、だが薪はきっぱりと言った。アフターにここを訪れた青木の気持ちを確かめたい。

「どうして三好先生が出てくるんですか?」
「今井が言ってた。おまえが雪子さんとホテル街を歩いてるのを見たって」
 薪は、言い訳を聞きたがっている自分に気付く。
 別れる覚悟をしたはずなのに、青木の顔を見た途端、その決心が早くも揺らいでしまっている。「三好先生とは何もないです。今井さんの見間違いですよ」そんな言葉を、自分は聞きたがっている。
 しかし、青木は一切の言い訳をしなかった。ただ一言、
「オレは薪さんを裏切るようなことはしてません」
 黒い瞳は、真っ直ぐに薪の目を見ている。青木はこんなウソが吐ける男ではない。ならば、青木がここに来た理由は。
 
「ところで、オレ腹ペコなんですけど。なにか残ってませんか?」
 メシ食いに来たのか!?
 僕の家は食堂じゃない、と怒鳴る気力も無い。薪は胸のうちでため息を吐くと、青木を中に招き入れた。

 青木の能天気なバカさ加減のおかげで、友だちには戻れるかもしれない。
 それでもいい、接点がなくなってしまうよりずっといい。あれはなかったことにして、知らない振りで記憶の底に封じ込めて鍵をかける。放射性廃棄物より深いところに埋めて、二度と掘り起こさない。僕の気持ちも、青木の気持ちも。僕たちにはそれ以外、一緒にいられる術はない。
 薪が望んでいた友人関係に戻ってホッとするはずの心がズキズキと疼くのは、先刻の涙の余波だ。これが一番、ベストな選択だ。付き合い始める前、もう何十回も同じ思考の迷路に迷って、そのたび同じ結論にたどり着いた。自分が考える最適な関係に落ち着こうとしているのに、何を悲しむことがある。
 
 思考と感情が見事に反対を向いた自分の精神状態に翻弄されつつ、薪はアルファベット柄のエプロンを身に着けた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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No title

こんにちは☆薪さんの偉いところはけして、相手を責めないで自分が悪いと思うところですね。でも、そんなに相手をセックスで悦ばせてあげられないことに卑屈になることないのに。薪さんとプライベートの時間を過せることだけでも凄いことなんだから!でも、薪さん自身ももう、友人じゃ我慢できないところにきてるんですねー。

鈴木さんの時のように青木が雪子と結ばれるのを祝福するなんて地獄ですよね(><)青木が脳天気でしつこくてよかった!でも、薪さんずっと、この時のこと結局忘れられなかったんですねぇ(^^)

次の鈴薪話、ビッチな薪さんて・・薪さんがエッチも上手だったら最強の悪女ですわ(^▽^)

あやさんへ

あやさん、こんにちは。

> そんなに相手をセックスで悦ばせてあげられないことに卑屈になることないのに。

んー、この時期の薪さんは、自分自身の気持ちがまだ不安定で、何もかもに自信が持てない時期なんですね。そんな精神状態なので、ちょっとした失敗にもビクついて、すぐにもうだめだ、と思い込んじゃうんですね。
最初はこんなに初心でかわいかったのに、これが5年も経つとセックスの途中で爆睡しますからねー。慣れって怖いですねーww。


> 次の鈴薪話、ビッチな薪さんて・・薪さんがエッチも上手だったら最強の悪女ですわ(^▽^)

わたし、ビッチ大嫌いなんですけどね(^^;
鈴薪さんだけは特別ですね。
青木さんと愛し合っていても、鈴木さんにだけは許しちゃうんじゃないかな。それが原因で青木さんと破局を迎えることになっても。薪さんは鈴木さんを殺してるから、迫られたら拒めないと思います。それも罪悪感100%ではない辺りが、わたしが鈴薪に萌える理由です。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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