執行猶予(2)

執行猶予(2)







「薪。室長の仕事、つらい? 我慢できない?」
「うん。でも辞めたくない」
「じゃあ、頑張らなきゃ」
「うん」
「オレがついてるよ。ずっとおまえの傍にいるから。だから一緒に頑張ろう」
「うん。頑張る」
 皮肉屋だと評判の第九の室長は、親友の前では呆れるほど素直だった。

「オレにできることなら何でもするから」
「じゃ、これ」
 薪はすっと鈴木から離れると、部屋の明かりを点けた。キャビネットから大量の書類を出してくる。
「期限は明後日だ。よろしくな」
「ええ!? だってこれ、おまえが溜め込んだんだろ」
「仕方ないだろ。VIP捜査に掛かりきりで、ぜんぜん書類ができなかったんだから」
「これだけの量を明後日までにって、徹夜してもきついぞ」
「何でもするって言っただろ。警察官に二言はないよな、鈴木警視」
「……はい、室長」

 鈴木がため息混じりに薪から受け取った書類の多くは、室長所見をつける段階まで仕上がった報告書だ。室長の仕事はこれに目を通すことだが、その確認作業を鈴木にやらせるつもりなのだ。
 報告書には元となった画のカウンタが記されているから、それを引き出せばいいのだが、とにかく量が半端ではない。こういう場合は重要な部分だけ2,3箇所確認して判を押してもいいのではないかと思われるが、何事もきっちりとやりたがる薪はすべての内容を逐一確認しないと判を押さない。それを鈴木に手伝わせるということは、薪が彼に絶大な信頼を寄せていることの証明でもあった。

「官房長が言ってた。自分の信念を貫くためは、出世するしかないって」
 肩を竦めて書類の束を抱え、室長室を出ようとした鈴木は、薪の言葉に足を止めた。
「僕、絶対に偉くなってやる。僕の意見には誰も逆らえないくらい。僕がこの事実を公にするって言ったら、誰にも手出しができないくらい。すべてを掌握してみせる」
 書類につける所見をPCで打ち込みつつ、薪は冷静な口調で言った。
「うん。がんばれ、薪。オレがついてる」
「おまえなんか何の役に立つんだよ。僕がせっかく所長に特別承認申請してやったのに、昇格試験に2回も落ちやがって」
 先刻、大泣きしていた人間とは思えないセリフだ。たった今まで、この男に慰めてもらっていたのではないのか。
 その変わり身の早さに怒るでもなく、鈴木は申し訳なさそうにうなだれた。

「だって、あの試験めちゃめちゃ難しいんだもん」
「僕があれだけ教えてやったのに。今回はヤマも当たってただろ」
「問題自体が難解でさ。読んでるだけで時間がなくなっちゃったんだよ」
「なに大げさなこと言ってんだ。1時間もあれば充分だろ、あんなの。あとの2時間は昼寝のためにあるんだぞ」
「おまえだけだよ、そんな非常識なやつ」
 短い会話の間に、早くも2件の報告書が仕上がっている。3件目に取り掛かりながら、今年も申請しておくからな、と薪は厳しい口調で宣告した。

「今度は外すなよ。おまえが警視正になったら、二人で本部に殴り込み掛けるんだから」
「オレも一緒にか?」
 殴り込みとは穏やかではないが、これはもちろん比喩だ。出世のためには警察庁に戻って内勤に励み、本部に人脈を作り上層部に入っていかなければならない。実は薪の元にはすでに、官房室への転属の打診が幾度か来ている。何故かれが上層部への近道を断り続けているのか不思議だったのだが、どうやらこの辺に原因があったと考えるのは単純すぎるだろうか。

「当然だろ。おまえは僕の……一番の部下なんだから」
 命令的な言葉とは裏腹に、そのときの薪の表情はひどく不安げだった。キーボードを叩く手を止めて、じいっと鈴木の顔を見つめる亜麻色の瞳には、ありったけの懇願が含まれているように思えた。
 鈴木はにっこりと笑って、薪に近付いていった。自分に向けられた小さな頭に手を置く。部下が上司に取る態度ではないが、薪の目も部下を見る目ではない。
「わかったよ。今年は必ず合格するから」

 その言葉を聞いたときの薪の顔は見ものだった。
 ぱっと花が開くように、明るい笑顔だった。まるで無邪気な子供が母親に笑いかけるような無心さだった。田城は彼のこんな笑顔を、今まで一度も見たことがなかった。
 こころから信頼している相手にだけ見せる顔。そして鈴木もまた、薪のことをこころから大切に想っている。ふたりの様子を見れば、それがわかる。
 薪にとって、親友とのこの絆こそが第九の室長という重責に耐えるための原動力になっているのだ、と田城は知った。

 それほど信頼しあった彼らの上に、あの災厄は振りかかってきた。
 自分の支えだった親友をその手で撃ち殺し、生ける屍のようになった薪を見て、田城は心を痛めた。薪は平静を装っていたが、彼の今までの仕事ぶりを知っている田城から見れば、彼の精神が崩壊し始めていることは明白だった。
 その当時、所長の田城のところには、さかんに薪の人事異動の打診が来ていた。
 それは事件の責任を被っての降格人事ではなかった。薪のパトロンと称される官房長が用意した警察庁官房室付けの参事官という役職は、現在と同等の階級だった。彼の心を癒すためにも、第九を離れたほうがいい。この人事は最適のものと思われた。
 しかし、薪はその提案を断った。

『僕がいま、ここを離れるわけにはいきません』
 部下をすべて失ったこの状態で、室長の自分までいなくなったら第九は潰れる。彼はそう考えていた。彼は何とかして第九を存続させようと、たったひとりで研究室の仕事を切り盛りした。
 彼はまるで自分に罰を与えるかのように、がむしゃらに働き続けた。時々、床に倒れたまま眠っていることもあった。田城が気づいたときには仮眠室へ運んでやったが、あのころは田城自身事件の整理に追われていたから、床で目覚めることのほうが多かったはずだ。
 
 薪が選んだのは、庇護者が用意してくれた歩きやすい街道ではなく、いばらの道だった。
 彼にとってその道は、針の上を歩き続ける苦行にも等しかった。心無い人々の言葉に傷ついて、彼が夜中にひっそりとモニタールームで泣いているのを田城は何度も見ている。
 そんなとき、彼が座る席はいつも決まっていた。左端の前から二番目。かつての親友のデスクだった。
 自分が殺した部下の席に座って、薪はぼんやりと空を見ていた。
 かつては叡智に輝いていた亜麻色の瞳は、一生を後悔で終えた老人のように曇っていた。わずかな希望も未来も、そこには見出せなかった。どこまでも深い闇だけがそこにはあって、田城はこの青年が自分の未来を諦めてしまったことを悟った。

 自分自身が諦めた時点で、その人間の進歩は止まる。
 周囲の弾劾を撥ね退けてでも上に行こうという気迫が、当時の薪からは感じられなかった。親友相手に「本部に殴り込みを掛けてやる」と意気込んでいた彼とは別人のようだった。警察庁始まって以来の天才と謳われた彼が警視正止まりで終わるなどと、いったい誰が予想しただろう。

 それほどまでに憔悴していても、薪はとびきり優れた捜査官だった。
 鈴木の死後もあまたの事件を解決に導いた。捜査一課との合同捜査も幾度か試み、多大な功績を立てた。その実績は世間や署内の第九に対する白眼視を覆し、一部のものには絶大な支持を得るまでになっている。
 本人さえ昔の気概を取り戻してくれれば、まだ巻き返せる。
 薪ほどの人材を、一研究室の室長ごときで終わらせるのはもったいない。第九の特殊性を鑑みても、8年という就任期間は長すぎる。
 田城はそう思って、幾度となく薪に警視長の昇格試験を受けるよう持ちかけた。が、彼はどうしても首を縦に振らなかった。
 薪は警視正になって10年。試験を受けるのに特別承認も上司の推薦もいらない。しかし試験にパスしなければ、いくら実績があっても警視長にはなれない。長官や次長の命があれば別だが、2年前にあれだけの事件を起こした彼がその特別昇任を得られるのは、まだ先のことと思われた。

 田城がいくらヤキモキしたところで、本人のやる気を引き出せない分にはどうしようもない。本人が満足しているのならこういう生き方もありか、などと薪のことは半分諦めかけていた田城は、5月半ばの月曜日、第九から上がってきた報告書の一番下にあった一枚の書類に驚愕の声を上げた。
 そしてすぐに1本の電話を掛けた。それは、田城以上に彼の決心を喜んでくれるはずの人物に宛てたものだった。
 
「小野田官房長。あなたの秘蔵っ子が、ようやく目を覚ましてくれたみたいですよ」




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Mさまへ

こんにちは、Mさま。
拍手コメント、ありがとうございました!


>でも、薪さんって自ら苦しい道を選ぶ・・・そのことが贖罪につながることだと思ってる雰囲気はありますよね・・・。本当はそうじゃないよって言いたいけど・・・(これ以上は苦しむ薪さん、見たくないもん!)

そうなんですよね・・・・・。
『エピソード・ゼロ』でもさんざん書いたんですけど、自分が苦しむことで贖罪が為されるわけじゃないのは解っていても、自分を許せない心がそうさせるんでしょうねえ。

え?わたしがSなだけじゃないのかって?
・・・・・・あははは、そうかも(^^;)  すみません~っ。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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