ジンクス(13)

ジンクス(13)







 翌日、第九は天地をひっくり返したような大騒ぎになった。
 三田村部長から室長の左遷の辞令が出た―――― わけではない。

「薪さん! 大変です、ちょっとこれ、見てください!」

 室長の指示通り朝一でメモリーからデータを取り出していた今井が、血相を変えて室長室に飛び込んでくる。ノックを忘れたことなどないこの礼儀正しい部下に自分を失わせた原因―――― それは、昨夜薪が苦労して手に入れてきたメモリーであった。
 一つは確かに見覚えのある官僚の住所のデータだった。
 厚生省の官僚の自宅ばかりを狙った連続放火事件の捜査のために、このデータが必要だった。個人情報であるからには、外部に渡すデータは最低限のものにしなければならないという厚生省の言い分で、そのための抜き出し作業に時間がかかるという理由から、このデータは正規のルートではなかなか手に入らなかった。それを三田村に頼んで、裏から手に入れてもらったのだ。

 ところが、もうひとつは違った。
 薪がてっきりバックアップだと思って持ってきた二つ目のメモリーには、厚生労働省麻薬取締部の極秘データが入っていたのである。
 与党の高名な政治家。映画のスクリーンで世界的に有名な俳優。お茶の間の人気者のバラエティの司会者。若手のアイドルグループ―――― 誰もが一度は聞いたことのある名前がずらりと並び、その横に薬の種類と数量が書いてある。さらには金額と暴力団の名前が追記され、これが麻薬の売買データだということは誰の目にも明らかだった。

「これが公表されたら大変な騒ぎになりますよ、室長」
「とりあえず、現内閣は総辞職だな」
 麻薬犯罪の捜査は、警察庁刑事局組織犯罪対策課第5課の仕事である。しかし、それとは別に厚生労働省にも麻薬取締部があり、専門の麻薬捜査官が在籍している。
 そもそも5課は組織犯罪対策課と銘打たれるように、暴力団対策課の4課と生活安全部の銃器対策課及び薬物対策課が合併して設立されたもので、麻薬犯罪だけを取り扱っているわけではない。どちらかというと暴力団自体の犯罪検挙に力を注いでいる。対象とする犯罪の範囲が広いため、麻薬犯罪の検挙に関しては、それを専門とする麻薬取締部の実績に今一歩及ばないのが現状だ。同じ麻薬捜査をするもの同士仲良くすればいいと思うようだが、実際は手柄を奪い合っているようで、とても仲が悪い。
 このデータはその麻薬取締部のものだ。つまり、警察庁が未だ未検挙の麻薬犯罪が満載されているのだ。厚生労働省は国の機関だから、政治がらみの圧力は警察庁より大きい。だからもちろん、高名な政治家の検挙はしない。
 
「しかし、何故こんなものが」
 薪は首を傾げて昨夜の記憶を辿る。そしてすぐに工藤の台詞を思い出した。
 あの時、工藤は『三田村の分も』と言っていた。それがこの売買データだったわけだ。
 今までもこうして三田村は、あの友人からこういった秘密のデータを受け取っていたのだろう。その裏の功績により出世してきた、というわけだ。そしてその見返りには、金や今回の薪のような生贄が差し出されていたと想像がつく。
 
「なんでロクな実績もない三田村が警務部長になれたのか不思議だったが、このご友人のおかげってわけか。まったく反吐が出そうな関係だな」
 汚い駆け引きや裏取引が大嫌いな岡部が、顔を歪めて吐き捨てるように言った。
 言葉にはしないが、室長の眼にも厳しい光が宿っている。怒ったときのくせで、目を大きく開いて唇を引き結び、微かに頬を紅潮させている。

「どうします? こいつの裏を当たるよう、5課に要請入れますか?」
 興奮を隠しきれない今井の言葉に、しかし何故か室長は少し考え込むような素振りを見せた。
 その小さな頭の中で、このデータが公表された際のあらゆる可能性が試算されている。亜麻色の瞳がじっと空を睨んだ。
「僕が行く。今井、バックアップはとってあるな」
「もちろんです」
 今井から手渡されたメモリーを握り締め、薪は足早に研究室を出て行った。室長がいなくなった研究室では、興奮冷めやらぬ職員たちが、これから日本中を驚愕させるであろうセンセーショナルな事件の展開にあれこれと予想を立て始める。

「これで三田村も終わりですね。裏取引が公になるわけですから」
「室長、また出世しちゃいますね」
「これだけのでかいヤマ(事件)ですからね。2階級特進もありかも」
「それは無理だろ。巡査長が警部になるのとはわけが違う。でも、警視長昇任は間違いないな」
「次の試験を受けられるのは来年だから、警視長昇任は36歳かあ。さすがうちの室長ですね。また警察庁の歴史を塗り替えちゃいますね」
「警視長の試験て、すごく難しいって聞きましたけど。まだ誰も一発で合格した人はいないって話ですよね」
「薪さんだぞ。落ちるわけないだろ。あのひとトップで東大入ってトップのまま卒業してんだぞ。人間じゃないよ」
「そうでした」

 明るい見通しに浮かれる第九の面々に混ざらず、一人だけ難しい顔をしているものがいた。室長の腹心の部下、岡部である。
「そう、うまくはいかんと思うぞ」
「岡部さん?」
「薪さん逆に……」

 今回の事件は大きすぎる。
 本当に日本中がひっくり返ってしまう。そんな騒ぎを警察は好まない。警察が検挙したいのは国の根底を揺るがすような事件ではなく、世間がその解決を知って安心できるようなレベルのものなのだ。
 薪は第九の室長として、それをよく知っているはずだ。だから自らが足を運ぶことにした。行き先は5課ではなく、おそらく警視総監のところだろう。この件について直談判をしに行ったとしたら、上層部は秘密を守るために薪の権限を削ごうとするかも知れない。相手が例え警察幹部でも媚へつらわない薪は、ただでさえ上の連中に受けが悪いのだ。

 果たして、岡部の読みは当たっていた。
 朝一で出て行ったはずの室長は、どこまで行ったものか夕方になるまで帰ってこなかった。帰ってきたかと思えば、心配顔の部下たちには何の説明もせず、人形のように無表情な顔でシステムの端末に手を伸ばした。
「今井。データのバックアップはこれか」
 先刻のデータを確認すると、冷静な顔でそれを睥睨し、ためらう様子もなく削除のキーを押した。
「室長!」
「この件は終わりだ。放火事件の捜査に戻れ」

 冷たい目だった。
 すべての感情を殺した冷徹な室長の姿に、第九の部下たちは何があったのかを悟った。
 が、ひとりだけ、それを察することのできない人間がいた。新人という厄介な人種である。

「捜査権は5課に移ったんですか?」
「この件は終わりだと言ったんだ。捜査はしない」
「そんな! あれだけの事件を隠蔽するんですか!?」
「よせ、青木!」
 岡部の制止も耳に入らない。
 真っ直ぐな正義感が、青木の口調を強くしていた。普段なら室長の言うことに逆らったりはしない。が、今回だけは自分の言い分が正しいはずだ。

「このデータは不法なものだ。初めから存在しなかったんだ」
「あるじゃないですか、ここに!」
「青木、やめろ!」
 非難がましい青木の叫びに、しかし室長はどこまでも冷静さを失わない。いつも通りの静かな声音で、当たり前のように事件の隠蔽を指示する。
「もうない。おまえたちもこの件は他言無用だ。絶対に誰にも言うな」
「見損ないましたよ、室長はそんなひとだったんですか!? 上のひとに言われて事件を隠蔽するなんて……!」
「うるさい! 僕が終わりだと言ったら終わりなんだ! さっさと持ち場に戻れ、青木警部補!」

 凄まじい恫喝に青木が怯んだ隙に、薪は室長室へ入ってしまった。
 なおも追いかけようとする青木の腕を、がっしりとした岡部の手が捕まえる。その強い力に引き戻されて、青木は床に尻もちをついた。
「ばかやろう! 室長を責めてどうするんだ!」
「だって! オレ、室長は上の命令なんかに屈しないで、正しいことを貫けるひとだと信じてたのにっ!」
 尊敬の念が強すぎて、自分の理想と違うことをした時にはそのひとを許せなくなる。憧れゆえの思い込みは相手にとっては迷惑この上ないが、青木にしてみれば純粋な気持ちだ。岡部にもそれは分かる。

「薪さんだってやりたくてやってるわけないだろ。あのひとがそんな人間じゃないのは、おまえだって知ってるだろう」
「でも!」
「青木。警察ってとこはな、こんなことはよくあるんだ。仕方ないんだよ」
「納得できません。犯罪者を野放しにするんですか?」
「納得できようができまいが、おまえがこれからも警察機構に属する気なら、それを飲み込まなきゃいかん。それができなきゃ、辞表を出すんだな」
 青木は黙り込んだ。
 岡部にこんな厳しいことを言われたのは初めてだ。こんなに理不尽なことを言われたのも。
「室長はな、俺たちが知らないこともたくさん知ってるんだ。俺たち部下には言えないことも、秘密にしておかなきゃならないことも、山のように抱え込んでる。それが室長の責務ではあるけれど、あのひとの性格には辛い仕事だと思う」
 しかし、隠蔽の事実に変わりはない。どんな辛い気持ちでそれを為そうとも、事実の前にはただの言い訳に過ぎない。
 
「じゃあ辛い気持ちで人を殺したら、それは無罪になるんですか? 岡部さんが言ってるのってそういうことですよね」
「いい加減にしろ、青木。
 おまえ、あの人ほど真剣に捜査に取り組む捜査官を見たことがあるか? 被害者のために、遺族のために、自分の身を削ってまで捜査を続けるあのひとの正義を疑うのか? いったい、今まで室長の何を見てきたんだ」
 それは確かに、青木が惹かれた室長の姿だ。
 そんな室長だから好きになった。でも、今回のことだけは会得がいかない。清濁併せ呑むには、青木はまだ若すぎた。

「青木。おまえ、室長に守られすぎだよ」
 小池が意外なことを言い出す。何のことか分からず、青木は首を捻った。
「警察署内の隠蔽工作なんて日常茶飯事だ。おまえ、ここに来てもう8ヶ月だろ。他の部署なら1ヶ月で分かることだぞ。俺なんか二週間で分かった」
「おまえだけじゃない。俺たちだって、室長に守ってもらってるんだ。今回のことだって、この事実を知っているのは自分だけだと上層部に信じ込ませるために、室長がデータを持っていったんだ。俺たちに隠蔽工作の罪悪感を抱かせないために、バックアップの削除キーも自分の手で押した」

 守られている―――― それは感じていた。

 自分を庇護する優しい手を、いつも見守っていてくれる亜麻色の瞳を、進むべき方向を示してくれる小さな背中を、求めて追いかけてここまで来たのだ。
 薪の優しい微笑を思い出して、青木の心が沈みこむ。

 その通りだ。
 薪は保身のためにこんなことはしない。全部自分たちのためなのだ。

「青木。おまえの気性には、警察の水は合わないかもしれない。自分の人生だ。よく考えてこれからのことを決めろ」
 岡部の言葉が重くのしかかる。
 人生の岐路に立たされて、青木は床に座り込んだまま、立つことができなかった。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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