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ジンクス(14)

ジンクス(14)







 誰もいなくなったモニタールームに、青木はひとり端末のキーボードを叩いている。
 研究室の明かりは消えている。デスクランプの明かりだけを頼りに、青木は作業を続けていた。これは外部には秘密の作業だからだ。

 時計の針が7時を指し、室長室のドアが開いた。
 薪が足早に出てくる。と、青木に気付いて足を止めた。
「青木。何をしている」
 声には剣呑な空気が含まれている。どうやら先刻のことで、いま青木がしていることに疑念を持っているようだ。
「ログファイルの削除です。これであのデータは完全に無くなりました」

 驚いた表情で青木の机に近付いてくる。いくつかの操作をしてモニターを確認し、青木の言葉が本当だと知ると、その驚きはますます大きくなったようだ。
「おまえ、できるのか? 普通のPCじゃないんだぞ」
 PCでファイルを削除してもハードディスクにその断片が残るように、MRIシステムも一度リーディングしたデータを削除キーだけで完全に消し去ることはできない。これが普通のPCであれば読取防止のプログラムをダウンロードすることで消去が可能だが、MRIシステムの完全削除はそう簡単にはいかない。スパコンのハードディスクから残された断片のひとつひとつをすくい上げ、個別に消去していかなくてはならないのだ。
 MRIはシステム自体が非常に複雑なため、完全な消去作業はプロのエンジニアでなくては不可能だ。もちろん、薪にもできない。

「いつの間に覚えたんだ? こんな普段使わないような」
「難しい専門書、読んだことが役に立ってよかったです」
「明日、宇野に頼もうと思ってたんだ。そうか……おまえがやったのか……」
 消え入りそうな声で室長が呟く。すまなかった、という言葉が聞こえてきそうだ。謝ってもらう筋合いは無い。これは自分の意思でしたことだ。

「さっきはすみませんでした、室長」
「気にしなくていい。おまえは間違ってない」
「はい。オレもそう思います。でも室長も間違ってません。だから、すみませんでした」
 青木の謝罪を受け入れる気があるのかどうか、薪は黙ったままだ。モニターから視線を逸らさずに、じっと立ち尽くしている。
 デスクランプの白い光が、その美貌を照らし出す。いつもより憔悴した室長の横顔――――― 赤く滲んだ眼。おそらくは悔し涙にくれて……。
 他の職員たちが何故今日に限って早々と帰ってしまったのか、青木はようやく分かった。部下たちが退室しなければ自分の部屋から出てこないであろう室長を気遣ってのことだったのだ。それなのに、また自分は余計なことをしてしまった。が、今更どうしようもない。室長の涙の跡には気付かない振りをするしかない。

「キリマンジャロAA」
「は?」
「昨日も今日も、半分しか飲めなかったんだ」
 朝のコーヒーを飲んでいると今井の叫び声で中断させられ、その後大変なことになる。そんなことが2日も続いたら、明日はそのコーヒーを飲むのをためらってしまうだろう。
「相性が悪いのかな。あんなに美味いのに。いやなジンクスができちゃいそうだ」
「なんなら、今から淹れましょうか」
「……いいのか?」

 端末の電源を落として、メインスイッチを切ると青木は給湯室へ向かった。薪が後ろからついてくる。広い研究室に、独りにはなりたくないのかもしれない。
 給湯室はあまり広くはないが、小型の冷蔵庫や流し台、IHヒーター等が備え付けられている。ここは新人の青木にとって第二の仕事場だ。
 民間の会社ならお茶を汲むのは年の若い女子社員の仕事かもしれないが、第九は国税で動く警察関連の研究室なので、そんな贅沢は許されていない。すべて新人の青木にお鉢が廻ってくる。
 が、そこは第九特有のシステムが働いて、青木が捜査で忙しいときには誰でも良いから手の空いているものがお茶汲みやコピー取りなどの雑務をこなすようになっている。
 だれの手も空いていないときは、恐ろしいことに室長が自らコーヒーを淹れたりもする。室長の面子だとかこんなことは室長の仕事じゃないとか、薪はあまりそういうことは気にしない。しかし周りは気が気ではない。薪が給湯室にいると真っ青になって誰かが飛んでくるので、最近はあまり来ないようにしている。

 青木はIHヒーターの電源を入れると、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、まずはお湯を沸かし始めた。
「この豆、オレも一度飲んでみたかったんですけど、いいですか?」
「自分で淹れてるのに、飲んだことないのか?」
「この豆は室長専用です。全員であの豆飲んでたら、経理の人に怒られちゃいますよ」
 職員たちのために普通のブレンドコーヒーやインスタントコーヒーなども置いてあるが、室長専用のコーヒー豆はちゃんと別に密封して閉ってある。それを戸棚から取り出して、少し多めに2人分の量を量る。コーヒーメーカーに付いているミルで豆を挽くと、ペーパーフィルターにセットして、お湯が沸くのをしばし待つ。

「コーヒーメーカーは使わないのか?」
「大人数のときとか、急ぐときはメーカー使ってます。でも、こっちのほうが口当たりが柔らかくて美味しいんですよ。時間がかかるから、朝くらいしかできませんけど」
「それでか。おまえが淹れたコーヒーは何か違うと思ってた」
 コーヒーポットとカップをお湯で温めてから、フィルターに湯を落とし始める。コーヒーのいい香りが狭い給湯室に広がる。コーヒー好きにはたまらない匂いだ。
「お湯の温度は90度くらい。最初は中央部分から、ゆっくり『の』の字を描くように。ちょうど点滴が落ちるくらいの速さで落とすんです」
 コーヒー専用の薬缶の細い注ぎ口から、ぼたぼたと湯が滴り落ちる。ペーパーフィルターの中で挽き立てのコーヒーが真ん丸く膨らんでいく。
「あ、丸くなった」
「焙煎の鮮度が新しいとこうなるそうですよ」
 へえ、と目を丸くしている室長が可愛らしくて、青木は手元が狂いそうだ。

「ん~、いい匂いだな」
 コーヒーの香りに酔いしれるように、薪は目を閉じる。実際、コーヒーは淹れている最中のほうが出来上がったものより香りが強い。
「お湯は3回に分けて注ぎます。2回目は初めより多く、3回目はもっと多く」
 3回目のお湯がドリッパーに半分ほど残った状態で青木はコーヒーポットを外し、ドリッパーを流し台に置く。薪が首を傾げて疑問を投げかけてくる。
「なんで途中で捨てちゃうんだ? もったいない」
「最後のところにコーヒーの雑味や余分な苦味が残るんです。ちょっと贅沢ですけど、豆もお湯も少し余分に入れて、こうして途中で取り出したほうが美味しいんですよ。
 はい、お待たせしました」
 暖めたカップにコーヒーを注いで薪に手渡す。ここには椅子もないが、さんざん匂いを嗅がされて、薪は待ちきれない様子だ。

 冷蔵庫の扉に行儀悪くもたれかかり、薪はカップに口をつけた。
 満足げな微笑。青木が一番、見たかった顔だ。
 
「ああ、美味いな」
「ありがとうございます」
「もう、今井は来ないよな」
 薪の冗談はシュールすぎて時々笑えないが、このかぐわしい液体がかれの心をほぐしてくれたのは間違いないようだ。
「本当に美味いな。うん、おまえに『第九のバリスタ』の称号を与えてやろう」
 青木をからかうように、意地悪そうな笑みを浮かべる。素直に笑う薪など見たことがない。
 初めの頃はこの笑みをとても好きになれそうもないと思っていたはずなのに、今はたまらなく愛らしいと思う。薪の本当の姿がわかってくるにつれ、嫌っていたはずの振る舞いが、行動が、好ましいものに思えてくる。恋とは不思議なものだ。

「オレは薪さんの専属のバリスタになりたいです」
「僕の専属? おまえ、僕が1日に何杯コーヒー飲むか知ってるのか? 休みの前の日なんか夜中でも飲むんだぞ」
 やはり、こんな回りくどい言い方では薪には伝わらないようだ。薪はこういうことにはひどく鈍い。が、そこがまた可愛いと思ってしまうのだから、青木も救いようがない。
「おまえ、コーヒーハウスでバイトでもしてたのか?」
「違いますよ。室長がお好きだと聞いたので、いろいろ研究したんです」
 青木は正直に答えた。少し照れくさいが、本当のことだ。薪に好かれるためだったら努力は惜しまない。
「言ったでしょ。室長に憧れてここに来たって」
「……悪かったな。幻滅させて」
「幻滅なんかしてません」
 自分のカップにコーヒーを注ぎ終えて、青木は室長の眼を見る。自分の言葉に嘘がないことを知って欲しかった。

「薪さんはオレが思った以上のひとでした。仕事ができるだけじゃなくて、強くてやさしくて。オレが未熟で、さっきはそれに気付けなかっただけです。本当にすみませんでした」
 亜麻色の瞳に翳りが差す。自分はそんな立派な人間じゃない―――― そう言いたげな表情で、薪は顔を伏せた。
 そのまま黙ってコーヒーを飲む。何事か考え込んでいるらしく、無意識のうちにマグカップを両手で持っている。まるで子供のようなしぐさに、青木はあることを試してみようと思いつく。
 殴られるかもしれないが、そのときはそのときだ。

 空になったマグカップを薪の手から取り上げ、うつむいたままの亜麻色の頭にそっと手を置く。薪は一瞬、肩を強張らせたが、青木の手を振り払わなかった。
「オレじゃ効かないかもしれませんけど」
 さらさらした髪を撫でる。亜麻色の頭は青木の大きな手にすっぽりと収まって、そのコンパクトさが男の庇護欲を駆り立てる。

「……ちがう」

 低い声で、薪が呟く。
 予想はしていたが、やはり自分ではだめか。
 
「すみません。やっぱオレじゃダメですよね」
 引こうとした青木の手を押さえて、薪は首を振った。
「そうじゃなくて……昨日のは、本当は違うんだ。手はこう……」
 青木の手を引き、自分の後ろに回す。頭上に置いた手は後頭部に、もう一方の手はその背中に置いて、薪は青木の胸に頭をもたせかけてきた。
 これは……抱きしめてしまってもいいんだろうか。というか、その先までいってしまいそうなのだが。
 
「……っ、ぐっ」
 亜麻色の髪が揺れて、肩が震え始める。その震えを止めてやりたくて、青木は背中に回した腕に力をこめ、髪を撫でた。
「ひうっ……ふッ……!」
 両手の拳を白くなるほど握り締め、薪の嗚咽は激しくなった。涙が床に滴り落ちる。
「くやっし……いっ、ちっくしょ……!」

 今回のことがどれだけ薪の心を傷つけたのか、青木には想像もつかない。
 衆目の中で三田村に土下座をさせられたときでさえ平然としていた室長が、新人の自分の前で涙を流している。くやしい、と臆面もなく訴えている。
 自分の信じる正義を自ら裏切らねばならない現実―――― 薪のプライドを傷つけるのは、それだけなのかもしれない。

 狭い給湯室の壁に薪の嗚咽だけがいつまでも響いて、研究室の夜は更けていった。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Mさまへ

Mさま、こんにちは。


こちらにお手紙ありがとうございました。
お返事は控えさせていただきますが、お気持ちはとてもよく伝わってまいりました。
いろいろ、本当にいろいろ、言葉にはしにくいことも話してくださって、逆に申し訳なかったです。


彼氏さん、素敵な方ですね。
Mさまのお話を聞いてわたしがどんなに感動したか、詳しく書けないのが残念ですけど、とにかく素晴らしい人ですね。 
正義感が強くて、高潔です。 薪さんを地で行ってます。 Mさまがベタ惚れなさるわけです。(^^
そして、そのルーツはやっぱりわたしの想像を超えてました。 思わず涙ぐんでしまいました。 失礼ですよね、すみません。


そしてMさまご自身、彼氏さん同様、徳の高い方なのですね。
子供のためにボランティアをなさってらっしゃるなんて、素晴らしいです。 
・・・・・・・どーしてそんな方がこんな腐れブログにっ!?

海中の、見事な比喩をいただいて、
お、おかしいなあ・・・そんな美しい物語は書いた覚えがないんだけどなあ・・・・。
みちゅうさんのところはこういう感じだと思います。(←また勝手に名前を出す。 だってファンなんだもん)
彼女の作品は、Mさまが仰るように、透明度が高くてキラキラしてる。 喜びも痛みも悲しみも苦しみも、全部煌いているんです。 憧れてます。
わたしのはせいぜい道端の石ころで~、ちょっと形が変わってたり、色が着いてたりする。 自分のイメージとしてはそんな感じです。


Mさまがわたしの話に好印象を抱いてくださるのは、Mさまの物語に対する価値観のためかと思います。 コメントにいただいた、

> 本棚に最後に残るのは、見たこともない斬新な設定とか、空前絶後のトリックとか、びっくりする様な犯人の動機とかではなく
> 他人の幸せを一心に祈って書かれた物語なのではないかと

この話は、薪さんの幸せを一心に祈って書いたんです。 
それが伝わったのだと思えて、すごく嬉しかったです。

しかーし!
しづは本来はそんなに優しい人間じゃなくて~~、(もう、本当にMさま、ここだけは誤解されてます!!)
対象が薪さんだから! 
だからこんな、周りの人はみんないいひと、みたいな話になるんです。 彼にはそういう夢のような世界で生きて欲しいから。
これがもしオリキャラだったら不幸上等ってなもんで、そりゃーヒドイ扱いを受けるんですよ~~。(^^;
痛いしグロイし、子供になんか読ませられません☆



Mさまが彼氏さんに話したくないこと。
まさか同じような経験をされてるとは露ほども考えず、苦しませてしまったのではないかと心配になりました。 
わたしもオットには話してません。 てか、リアルでお友だちの人には誰にも話してないかなあ。
顔を上げて胸を張ったものの勝ち、本当にその通りです!(^^


露出系のお話は、
すみません、Mさま、迷惑されてるのに、とっても傷つかれたでしょうに、
ごめんなさい、爆笑しました。(←人でなし)
だって! 「あけましておめでとうを言いたかった」って!!! Mさまもまた、気付きますか、そこにっ!!
あれを身体を張ったギャグと捉えれば、なるほど、指差してゲラゲラ笑ってやればよかったんですね! ←刺されるかもしれないからやめましょう。



> 原作青木くんは
> (ちょっと残念なお母さんがいる)普通の家庭で(お姉さんが上手に母親の役割をカバーし)愛されながらすくすくと真っ直ぐ育った人!?Σ( ̄□ ̄;)

ですね!
キャリアでありながら、謙虚で素直な青木さん。 菩薩のようなお母さんに育てられたのかと思いきや、あの葬儀の場面(@@) 
彼女は以前から、青木さんの所属が第九であることを親戚に隠そうとしたりして、「息子の選んだ道なら信じて応援してあげよう」とは思わない人だったのですよね。(--;) 青木さん、よくグレなかったね?
お姉さんが彼を救っていたのでしょうね。 そうなると、姉を喪った悲しみは、鈴木さんを喪った薪さんに匹敵するほどのものなのかもしれませんね。 しかも、彼は原因が自分にあると思っていて。 ますます薪さんと被るんですね。
青木さんも辛いけど、それを見ている薪さんも辛いでしょうね。 彼の痛みが、分かり過ぎるほど分かってしまうから。


それと、薪さんの目隠しについては、
わたしもお相手はプロの女の方だと思ってて、うちの男爵が風俗好きなのもそのせいです。 ごめんなさい。
オットに「何も見たくない」と言われて目隠しされたら、やっぱりベッドから蹴りだすと思います。(・∀・)  だって失礼だよね! 
・・・・まあ、風呂上りに自分を鏡で見ると、オットに同情しますけどね☆


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
10万拍手ありがとうございます!
いつの間にか9歳になってました。( ゚Д゚)
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