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きみのためにできること(6)

きみのためにできること(6)










 第九の建物が見える中庭の特別席で、薪は芝生の上に両膝を抱えて座っている。膝を引き寄せて軽く抱き、組み合わせた手首に顔を埋めるようにしてじっとしている。窮屈そうに見えるこの姿勢は、彼が考え事をしているときの癖だ。
 彼の亜麻色の瞳にあるのは、鬱屈した鈍い光。それは、春先に新しい恋人と付き合いだしたばかりの人間には、ひどくそぐわない輝きだった。

 僕は愛されてる、と薪は己の現況を評価する。自分には過ぎた幸福を、どうやって受け入れたらよいのか戸惑っている。
 小野田さんにも青木にも、返せない愛情をたくさんもらって。もらいっぱなしの愛情を、どうやって処理したらいいんだろう。何をすれば二人に報いることができるのだろう。

 僕が青木と別れたら、小野田さんは喜ぶけど青木は悲しむ。その逆になっても二人の気持ちが入れ替わるだけで、結果は同じだ。どちらかしか、喜ばせることはできない。あの二人の望みは真逆なんだから、両方とも喜ぶ選択肢なんか無いことは解っている。
 だけど、僕は両方に喜んで欲しい。
 二人とも僕にとっては大事なひとで、どちらかを切り捨てることなんてできない。このまま、ずっとふたりに甘えたままで、彼らの気持ちをごまかし続けていくのか。自分に都合のいいところだけを受け取って、残りの部分には目をつむって。そんな卑怯な真似を続けていいのだろうか。

 さわさわと湿気を含んだ空気が薪の髪を撫で、耳元を吹き抜けていく。風の行方を何となく目で追って、薪は近くの植え込みがガサガサと音を立てる様子を見るとはなしに見ていた。意外と強い風が吹いているのだな、とぼんやり考えていた薪の眼に、茂みの中からぬっと出てきた男の顔が飛び込んできた。
「あれ? 薪くん。何してるの、こんなところで」
 間宮だ。なんでこいつがここにいるんだ。
「部長こそ。どうしてここに」

 そこまで言いかけて、薪は茂みの中にもう一人の人間がいることに気付く。長い黒髪が見えるから、女性だ。葉の隙間から見え隠れしている彼女の足は間宮の腰を抱くように回され、右の足首には赤い下着が引っかかっていて……。
 研究所の中庭で昼間っから何やってんだ!!
 薪は慌てて立ち上がり、咄嗟のことに真っ赤になってしまった顔を隠してその場を離れようとした。

「あ、ちょっと待ってよ、薪くん。すぐに済むから」
 だれが待つか!! てか、すぐに済むって、なにが!?
 職場でふしだらな行為に及んだものは懲戒免職、自分がエラクなったら絶対にこの規則を発令してやる! ビシビシ取り締まってやる!

「薪くん、ちょっと話を、―――わっ!」
 速歩のスピードで足を運んでいた薪は、不意に後ろから腕を摑まれ、長年の経験から反射的に相手を投げ飛ばしていた。はた、と自分の足元を見ると、薪の規則では懲戒免職確定の警務部長が仰向けになっている。
「痛いなあ」
 知ったことか。神聖な職場を穢すような真似をしやがって。全国400万の警察官の怒りを思い知れ。

 それでも、乱れた精神状態で手加減もせずに素人を投げてしまった引け目もあって、薪は屈んで間宮に手を貸した。すると間宮は握った薪の手に素早く唇をつけ、薪は遠慮なく間宮の頬を靴底で蹴り飛ばした。
「感謝の気持ちを現しただけなのに。ひどいよ」
 なにが感謝の気持ちだ! ド変態の色魔が!
 女の子ならともかく男の手の甲にキスなんて、と思いかけて、今それを突っ込むと自分の立場もまずくなることに気付いて、薪は思考を止めようとする。脳の暴走を断ち切る刹那、『同じ穴の狢』という言葉が浮かんで、薪は危うく舌を噛み切りたくなる自分を抑えた。

「さっきの女子職員は」
「持ち場に戻ったよ。あの状況じゃね」
 しゅん、と沈んだ間宮の顔を見て、薪は心の中で手を叩く。どうやら振られたらしい。
 無理もない、あんなところを他人に見られたんだ。普通の女性ならそれが当然だ。とんでもない場面を見てしまったと思ったが、間宮の魔手から一人の女性を救うことができたのなら、結果オーライだ。

「仕切りなおすことにした。すぐに済ませちゃイヤだって言うから」
 そっち!?
 どうなってんだ、今時の婦警は!!
 目を白黒させて頬を赤らめる薪に、間宮は嬉しそうに言った。
「あ、もしかして、ヤキモチ?」
 あほか、おまえはっ!!

「うれしいなあ、薪くんに妬いてもらえるなんて。どう? もうひとり、恋人増やさない?」
 間宮の能天気な提案にがっくりと身体中の力が抜けて、薪はその場に腰を落とした。胡坐をかいて頬杖を付き、はあ、とため息を吐く。
 こいつを見てると、ウジウジ悩んでいるのがバカらしくなってくる。
 こんなふうに、なんでも自分の都合のいいように考えられたら、さぞ毎日が楽しくなるだろう。間宮のことは心の底から軽蔑しきっている薪だが、そのポジティブ精神は少しだけ羨ましい。

「どうしたの、ため息なんか吐いて」
 ひょいと上半身を起こし、薪と同じように安座した間宮は、肩や腕についた草を払いながら薪の憂いを気にする素振りをみせた。
「パトロンのご機嫌取りがうまく行かなかった?」
 小野田の名前を出されて、薪は間宮に借りがあったことを思い出す。この男のおかげで岡部の推薦状が貰えたのだ。こんな男に感謝するのは本意ではないが、筋は通さないと。

 薪は懐に入れたままだった推薦状を取り出し、間宮に見せた。
「ありがとうございました。部長のおかげです」
「俺? 俺は何もしてないけど」
「小野田さんに推薦状の話をしてくれたのは、間宮部長じゃないんですか」
「そうだったかなあ。忘れちゃった。あの時は確か、机の下で受付の女の子の太腿を触ってて、上の空だったからなあ」
 だから何をやってるんだ、おまえはっ! 痴漢行為をごまかす為のカモフラージュに岡部の昇任話を使うなっ! 感謝した僕の立場はどうなるんだっ!!

「彼女、すっごいもち肌でさ、あの太腿に顔を挟んでもらうと夢心地になるんだよね。こないだなんかベッドの中で」
「あなたと小野田さんは、派閥が違うでしょう。なのに、官房室の女性にまで手を出してるんですか」
 赤裸々な体験談に発展しそうな話を遮りたくて、つい口を挟んでしまった。こんな男と会話などしたくないし、同じ空気を吸っているだけでも腹立たしいのに。
「美人は全国共通だろ。派閥なんか関係ないよ」
「今の女性は、もしかして?」
「いや。今のは庶務課の女の子。官房室の娘とのデートは、明々後日だ」
 相も変わらず、曜日ごとの恋人がいるらしい。呆れたものだ。

「よくもそんな、不実な真似ができますね。相手に悪いと思わないんですか」
「だって仕方ないだろ。俺はどっちの娘も好きなんだもの」
 その前に、おまえには奥さんと子供がいるだろうが。
 この男に一夫一妻制に基づく道徳心を説いても無駄だと思うが、薪はこういう爛れた痴情関係が大嫌いだ。一言、言ってやらないと気がすまない。
「恋人のほうはあなたが既婚者だと分かって付き合ってるんですから、相手も遊びのつもりなんでしょうけど、奥さまのことはどうなるんです?」
「もちろん、愛してるよ。妻は別格だ」
「好きな女性を悲しませて、何とも思わないんですか」
「きみだって浮気中のクセに」
「してません!!」

 叫んでから、思い直す。
 今朝も見てしまった、彼の夢。昨夜は雨が降っていたせいか、鈴木とひとつの傘に入って歩く夢だった。濡れないようにと肩を抱かれて、僕はそれがとてもうれしくて。幸せな気分になって顔を上げたら、鈴木のくちびるが――――。
 薪は右手で口元を覆った。夢なのに生々しい感覚がそこには残っていて、それは自分の不実の証のように思えた。

「奥さまの気持ちを考えたら、こんなことはできないと思いますけど」
「平気だよ。妻は俺を愛してるから」
「その愛情を裏切って、心苦しくないんですか」
 間宮に向けた問いが、真っ直ぐ自分に跳ね返ってくる。
 青木にあんなに真剣に愛してもらってるのに、昔の恋人の夢を未だに見るというのは裏切りじゃないのか。友だちとしての夢ならいいけど、あの夢はそうじゃない。恋人としての夢だ。キスから先に進んじゃったことも、1度や2度じゃないし。

「好きなひとが充実した毎日を過ごしていたら、それは自分にとってもうれしいことだろう? だから俺の恋多き人生を、妻は喜んでくれてると思うな」
 ンなわけあるか!!
「よくそんなに身勝手な理屈が」
「きみだって、自分の好きなひとが元気でいてくれたら嬉しいだろう? 俺の元気の素は、沢山の恋人たちなんだ。彼らのおかげで、俺はいつも楽しく過ごせる。俺の妻も恋人たちも、そのことを喜んでくれるはずだ。
 だってひとは、自分が好きなひとの笑顔を見るのが一番の幸せなんだから」

 間宮の手前勝手な理論にどこから突っ込んでやろうかと牙を研いでいた薪は、最後の言葉に息を飲んだ。

『鈴木の望みは、僕に心から笑ってて欲しいって』
『オレの望みは、薪さんが昔の写真みたいな笑顔で笑ってくれることです』
『どうしたの、薪くん。なにか心配事?』

 ひとつだけ。
 たったひとつだけ、自分の大切なひとたちが望む共通事項に気付いて、薪は思わず泣きそうになる。
 それは亡き親友の最後の望みであり、現在の恋人の願いであり、おそらくは尊敬する上司の密かな心遣いの源にあるもの。
 自分のそれにそんな価値があるのかどうかは甚だ疑問だが、それは自分にしかできないこと。薪が彼らに返せる、唯一のこと。

「だから、俺はたくさんのひとに幸せを分けて……薪くん?」
 クスクスと笑い始めた薪を見て、間宮は首をかしげた。間宮の前で薪がこんな顔をすることは、とても稀なことだ。呆れましたね、と言いながら、薪はしばらくの間笑い続けると、
「いつか後ろから刺されますよ」
 と皮肉な顔つきになって不幸な予言をし、去って行った。

 その背中が普段通りピンと伸ばされていることに、間宮は満足する。
 やっぱり薪は、ああでないと。落とし甲斐のない彼は見たくない。
「さーて、つづきつづき」
 思わぬハプニングで中断した恋人との逢瀬を再会するために、間宮は携帯電話を取り出した。




*****


 間宮って、どこまでサイテーの男なんでしょう。
 もう、書きやすいったら(笑)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま。

>しづさん、本当に凄いです!

なんの話だろ~? と思ってブログを確認したら、まあ懐かしー(^^
うん、昔、こんなこと書いてたねえ。


>そんな大事なことに気づかせてくれたのが

あはははは!!
いや、ほんと、笑いごとじゃないよね!


>薪さん笑ってもいいんだよ、お腹が減るようにしあわせを感じてもいいんだよ(^^)それが、皆のしあわせなんだから・・

本当に。
鈴木さんや岡部さん、青木さんら、キャラはもちろん、読者のしあわせでもありますよね。

これからも先も薪さんが、幸せを感じて生きて行ってくれますように。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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