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ジンクス(16)

ジンクス(16)








 第九の室長室には、今日もまだ明かりが点っていた。
 部屋の中では、大きなスチール製の事務机の上で、室長が書類と格闘している。
 さすがというか馬鹿正直というか、第九の部下たちは室長の言ったことを素直に実行して、その結果大量の報告書を上げてきた。ちょっと調子に乗りすぎたか、と自分の発言を悔やんだ室長である。
 部下が作成した報告書に室長所見を添付して、所長に提出するのが薪の仕事だ。つまり、部下の尻を叩けば叩くほど自分の仕事が増えるのだ。

 この2日ばかりは仕事にならなかった。
 そのせいで溜め込んでしまっていた報告書の山が、昼間の鬼のような仕事ぶりでさらに大きくなってしまった。
 が、今日は大丈夫だ。仕事の妨げになるようなことは何もなかったし、岡部のマッサージのおかげで肩の調子もすこぶる良い。おかげで普段の倍も仕事がはかどった。
 明日また少し踏ん張れば、書類の山はすっかりきれいに片付きそうだ。
 今日はこのくらいにして帰ろうと、残りの書類を鍵付きのキャビネットにしまう。出来上がった報告書は田城のところへ所内メールで送るため、配送用のボックスに入れて鍵をかける。ボックスからはみ出しそうな報告書の量に、明日田城がこれを見たらどんな顔をするだろうと意地の悪いことを考えて、にやりとしてしまう。薪の意地悪は細胞レベルだ。

 革張りの椅子の上で、大きく伸びをする。両手の指を交差して両腕を耳につけ、思い切り上に伸ばす。一昨日はこの腕が肩より上に上がらないほど痛かった。岡部のマッサージはたいしたものだ。
 ついつい岡部には甘えてしまうが、あまり頻繁にやらせては悪いので、次のボーナスが出たらマッサージ機を買おうかと真面目に検討している。部屋が狭くなるので見送っていたのだが、最近どうにもならなくなってきた。今年で薪も36。四捨五入すれば40だ。肩こりと縁のなかった20代が懐かしい。

 時刻は九時を回った。
 たくさん仕事をしたからか、珍しく空腹を覚えている。今日はちゃんとしたものを夕食に食べたい気分だ。久しぶりに『瑞樹』に行って旬の秋刀魚で一杯飲むか、などと浮かれたことを考える。
 戸締りを確認しようと窓辺に寄った薪の目に、庭のベンチに腰掛けている2人の男女の姿が映った。
 青木と―――― あれは雪子だ。

 ふいに。

 薪は心臓をわしづかみにされたようなショックを覚えて、その場に立ち尽くした。
 今までの浮かれた気分が嘘のように醒めて、暗鬱な気持ちが戻ってくる。
 二人が何を話しているかは察しがついた。昨日の今日だ。青木は自分の悩みを彼女に打ち明けているのだろう。
 しかしなぜ、雪子なのか。
 一緒に仕事をしている第九の人間ではなく、大学の友人でも警察庁の同期でもなく、法一の監察医という謂わば部外者に過ぎないはずの雪子が、どうして青木の相談相手になっているのだろう。
 薪には話せない、と言った青木の『信じられるひと』が雪子なのか。

 そして、どうして自分はこんな気持ちになっているのだろう。
 いたたまれない焦燥感。胸を焦がすチリチリとした痛み。去年まではおなじみだったマイナスの感情だ。
 前にも二人で話しているところは見たことがあるし、あの二人がけっこう仲が良いことも知っている。お似合いだとさえ思っていたはずだ。
 でも、こんな気持ちになったことはない。この気持ちはまるで、鈴木と雪子を見ていたときの、あの身を切られるようなせつなさ……。

 これは―――― 嫉妬だ。

 青木はあまりにも似すぎている。何から何まで、鈴木の生まれ変わりとしか思えない。
 鈴木の脳を見ているから? 鈴木の霊が青木にのりうつって?
 馬鹿な。そんなことはありえない。
 あり得ないけれど、あの時のセリフまで一緒だった――――。

 あれは薪がまだ鈴木と関係を持つ前のことだ。
 自分が鈴木に恋をしていることは自覚していたが、さすがに言い出せなくて悶々としていた頃、サークルのコンパで薪は嫌な目にあった。
 普段はコンパなどに顔を出さないのだが、鈴木のことばかり考えてしまう自分に少しうんざりして、別の付き合いも広げてみればいくらかは気持ちも紛れるかと思って参加してみた。そのときはそんな目的もあったから、わざと鈴木の隣は避けて他の友人の隣に座った。

 酒が回ってゲームも盛り上がって、それなりに楽しかったのだが、酔っ払った友人の一人が薪に絡んできた。特別、仲が良いわけでも悪いわけでもない友達だったのだが、何故か薪に抱きついてきてキスをしようとしてきた。今なら投げ飛ばすところだが、その頃は柔道も空手も習っていなかったし、力もなかったから簡単に押さえつけられてしまった。
 あれは多分、ただ単にふざけていただけだと思うのだが、鈴木の前だということもあって薪は必死で抵抗してしまった。
 やめろ、よせ、と叫ぼうとしたときに、鈴木が助けてくれた。そのときのセリフが、
『オレの薪に手を出すな!』だった。

 普段は怒ったことなどない鈴木が、薪には見せたことのない怖い顔をして、その友人の首根っこを摑んで宙に持ち上げた。部屋中の人間が目を丸くしていた。みんな鈴木がこんなに怒ったのを見たのは初めてだと後で言っていた。
 そのときはまだ、ただの親友だったから『オレの親友の薪に手を出すな』の言い間違いに過ぎなかったのだろうが、既に鈴木への恋心を自覚していた薪にとっては、一気にその想いを募らせるきっかけになってしまった。

 あれで完全に持っていかれたんだよな、と薪はその当時のことを振り返る。
 そのセリフともろにかぶった、一昨日の青木のセリフ。
『オレの室長に手を出すな!』
 これも『うちの室長に』の間違いだ。言い間違いまで似ているなんて反則だ、と薪は思う。

 加えて昨夜のジンクス。

 薪は同性愛者ではないから、男に抱きしめられて喜ぶ趣味はない。ただ、鈴木だけは例外なのだ。
 警察庁に勤め始めて最初の大失敗をやらかしたとき、上司と喧嘩になったとき、どうしても証拠を挙げることができず確実にクロだと思っていた容疑者を送検できなかったとき―――― 落ち込むと鈴木のところに行って、あの『おまじない』をしてもらった。薪が涙を流せるのは、鈴木の前だけだった。
 鈴木は薪のすべてを知っている。弱いところも、脆いところも、性感帯まで知り尽くしているのだから、いまさら恥ずかしいことなど何もない。だから何でも言えた。思い切り泣けた。
 第九の室長を務めるようになると、鈴木にも言えない秘密が出来てしまったが、ジンクスは続いた。鈴木に抱きしめてもらってありったけの声で泣き喚くと、不思議とすっきりして元気になり、次の日の仕事は最高にうまくいくのだ。
 昨日は相手が青木だったから嗚咽に抑えたが、あれが鈴木だったら研究室中に響き渡るような大声で泣き喚いていた。さすがに部下の前でそれは出来ない。いや、鈴木以外の人間の前では、そんな自分を見せられない。薪は第九の室長なのだ。
 本来は青木の前で泣いてしまったことも削除したいのだが、あれは不意をつかれた。やってしまったことはどうしようもない。他人にぺらぺら喋ったりしないやつだからその辺は心配ないが、どうにも顔が合わせづらい。

 青木は、鈴木に似すぎている。
 だからこんなに胸が苦しくなるのだ。それ以外、理由が考え付かない。

 ブラインドを閉めて、室長室の明かりを消す。いつの間にか涙ぐんでいる自分に気がついて、思わずその場にしゃがみこんだ。
 嗚咽が込み上げてくる。これは鈴木への涙だ。

「鈴木……やっぱりおまえじゃなきゃ、効かないみたいだな」

 誰もおまえの代わりになんかなれない。
 はやくはやく迎えに来い。
 僕はここで待ってる。ずっと待ってる。
 いつまで待たせる? いつまで待てばいい?

「1年も頑張ったんだぞ。おまえのおまじないもなしで、おまえの顔も見られない世界で、1年も……もう、いいだろ。勘弁してくれよ……」

 だれもいない部屋。だれもいない世界。
 明かりの消えた室長室に、薪の嗚咽がひっそりと響く。

 秋の夜の冴えた月だけが、薪の涙を見ていた。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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