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トライアングル(6)

トライアングル(6)






 定刻を1時間ほど回って室長室から出てきた薪は、残っているはずの部下の姿が見えないことに驚いた。
 モニタールームにいるのはメンテナンス当番の今井だけで、他には誰もいなかった。急ぎの事件はないからそれはかまわないのだが、今日は室長会議の資料を作成する日だ。

 第2と第4の水曜日。
 青木と一緒に資料を作って、その後ふたりで夕食を摂る。それから薪のマンションに行って、ムニャムニャ……まあ、とにかく、そういう日なのだ。

 素早く走った亜麻色の瞳が、青木の机に留まる。鞄がない。帰ってしまったのだろうか。
 水曜日の残業は、もはや当たり前のことになっていて、いちいち青木に声を掛けたりしなかった。でも、こんなことは今まで一回も――。

「室長。これ、青木から預かりました」
 薪の姿に気付いた今井が、大判の封筒を手に歩いてきた。預かって中を確認すると、会議用にまとめられたMRIのメンテナンスに関する資料だ。合理化の軌跡が時系列で並べられており、新しいシステムの導入によってメンテナンス費用の削減が図られていることが記されている。つまり、新システムの導入費用はメンテナンスにかかる費用の削減で十分に賄われることが可能だ、というのがこの資料の趣旨だ。

「この資料の元データも預かってます。これを室長に見ていただいて、手直しがあればしておいて欲しいって。そうしたら、コピーとまとめは明日するって言ってました」
「そうか」
 薪はもう一度その資料を見直すと、元通り封筒に入れて今井に返した。
「特に直すところはない。このまま使えと青木に伝えろ」
「は? あの、室長から青木に仰ってくだ」
 ひゅうっと冷たい空気が流れてきた気がして、今井は口を閉ざした。薪の横顔が、氷のように固くなっている。
「伝えろ」
「……はい」
 薪は黙って室長室に戻った。

 しばらくして、今井がドアから顔を覗かせ、「お先に失礼します」と挨拶をした。薪は無愛想に頷いただけで、「お疲れさま」の一言も言ってやらなかった。
 モニタールームの明かりが消えて、研究室にひとりになると、薪は自分が取った子供っぽい行動をすぐに後悔した。
 今井は何も悪くないのに、ついつい八つ当たりしてしまった。
 八つ当たりの原因ははっきりしている。青木だ。

 青木はどうして、自分に何も言わずに帰ってしまったのだろう。用事があるならそう言ってくれれば、別に咎めだてたりしない。これは青木の本来の仕事ではないのだから、遠慮する必要もないのだ。
 資料だってデータだって、自分に直接渡せばいい。それをわざわざ今井に頼むなんて。

 ……避けられている。

 先週の初めから、いや、正確にいえば日曜日――――あの翌日からだ。
 あの日、ずっと待っていたのに、青木からの電話はなかった。翌日、そのことを問い質そうとしても、青木とふたりきりになる機会が無くて言えなかった。
 仕事はきちんとしている。薪専属のバリスタとしても、これまで通りだ。
 しかし、薪とふたりだけになると、青木はわざとらしく用事を思い出してみたり、呼ばれてもいない職員のところに歩いていったりして、結局薪は、あの日どうして青木がマンションから黙っていなくなったのか、聞き出すことができないままだ。

 薪は、目を通していた書類を脇に押しやった。机に頬杖をついて、背中を丸める。
 どう対処していいのかわからない。青木が自ら薪との距離を置こうとするなんて、初めてのことだ。今までは何かと理由をつけて、うざったいくらいに寄ってきたくせに。

 あんまり乱れちゃったから、びっくりされたのかな。引かれちゃった?
 でも、僕が喜んでくれたほうが嬉しいとか言ってたのに。

 あの日を境に、青木は薪のことを抱かなくなった。
 最初の1週間は、夕飯の誘いも週末のデートも、友人との付き合いや実家の用事などを理由に断られた。
 2週目に入って薪の料理に飢えたのか、食事には来るようになったが、薪のからだに触れてくることはなかった。
 一緒に食事をして、たあいもないお喋りをしながら酒を飲んで。くだらない推理物の2時間ドラマを見て、そのありえない犯罪計画にゲラゲラ笑う。まるで友人だったころに戻ったみたいで、それはそれで楽しかったが、薪は物足りなさを感じていた。
 セックスはともかくとして、キスくらいしてもいいのに。
 不満だったが、プライドの高い薪には自分からそれを言い出すような真似はできなかった。

 そして土曜日の夜。
 迷った末、薪は湯上りの火照った肌を青木の前へ晒してみた。
 以前なら平気だったこの行動は、恋人同士になった今では何だか誘いを掛けているみたいで妙に恥ずかしく、ずっと慎んでいたのだが、まる2週間自分に指一本触れてこない恋人に少しだけかまって欲しくて、思い切ってしてみた。羞恥心の強い薪にしてみれば、清水の舞台から飛び降りるくらいの勇気が要った。

 薪の裸を見た途端に飛びついてくるはずの恋人は、しかしその日は何故か憎らしいくらい冷静で、「夏でも冷房がかかってますから、風邪引きますよ」なんておためごかしを言った挙句、薪にバスローブを着せてくれた。
 やっぱりおかしい。

 東京スカイツリーから飛び降りるくらいの勇気を出して、その日、薪は自分から恋人にキスをしてみた。
 青木は薪の舌に応えてくれたが、そこまでだった。相手の股間に伸ばした手をやんわりと遮られ、身体を離された。
「すみません。オレ、今日は帰ります」
 薪の顔を見ようともせず、青木は部屋を出て行ってしまった。
 取り残された薪は、たった2週間の間に急変した恋人の態度に呆然とするしかなかった。

 信じられない。
 青木が僕の誘いを断るなんて。
 これまでは僕がイヤだって言っても、「させてください」ってしつこく頼んできたくせに。僕の身体に触るためなら、土下座までしてたくせに。

 為す術もなく、窓辺に立って、薪は背の高い男の後姿を見送った。足早に去っていくその背中には、今別れた恋人に対する未練の欠片も感じられなかった。
「なんで……?」
 
 青木の姿が視界から消えて、薪はゆっくりと床に崩折れた。ぼうっと目の前の白い壁を見つめる。自然に涙が浮かんできた。

 どうして? どうして?
 わけを教えて欲しい。どうして僕を抱かなくなったのか。
 飽きたのか?
 男の身体の醜さに、今更ながら気付いた?
 それとも、僕の浅ましさに嫌気が差して、嫌われた?

 青木は何も言わない。
 言ってくれなきゃわからない。でも、こちらから訊くことはできない。

 こわい。
 怖くて訊けない。

 夏だというのに寒気に身震いして、薪は自分の細い肩を抱きしめた。




*****


 これを書いたのは去年の5月だったので、薪さんは東京スカイツリーではなく、東京タワーから飛び降りてました。
 一年以上も寝かせちゃうと、色々と不都合が出てきますねえ。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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