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トライアングル(14)

トライアングル(14)









 雨の音が、室長室を満たしている。
 薪は執務席に座ってモニターを見つめながら、青木から受け取った封筒を気にしていた。

 やけにうるさい雨だ。頭がガンガンする。
 呼吸が乱れるのも頭痛のせいだ。青木の異動に動揺しているわけじゃない。
 自分が異動を勧めたのだ。青木はそれに従って、異動願いを書いてきた。何もおかしいことはない。これは薪が望んだことだ。

 それなのに、まるで裏切られたような……身勝手なこの気持ちはなんだろう。
 青木は僕に何を言われても、第九を去ることはないと、僕の傍を離れることはないとでも思っていたのか?

 青木とはもう終わった。僕が終りにした。
 すべて終わったんだ―――――。

 4回目の逡巡で、薪は封筒を取り上げた。
 ダメだ、こちらを先に処理しないと。モニターに集中できない。早いところ、室長印と推薦状を付けて所長に提出してしまおう。自分の手の届かないところに行ってしまえば、諦めもつく。

 封筒は、がっちりと糊付けしてあった。
 普通、こういう書類は封を開けておくものだ。こんな常識も知らないとは。他の部署に行って恥をかく前に、教えておいてやらなければ。

 薪は鋏で封を切った。
 所定の転属願。したためられた文字に、亜麻色の瞳が大きく瞠られた。
 
「なんだ、こりゃ」


   私こと青木一行は、下記の理由により記載部署への転属を希望いたします。

    転属希望部署    薪さんの隣
    希望業務内容    薪さんの私生活におけるすべての雑務
    転属希望理由    薪さんの傍に居たいです

   希望部署に転属が叶いました暁には、生涯を捧げる所存です。どうか宜しくお取り計らい下さいますよう、
  お願い申し上げます。



「……最近の若いもんは、異動届の書き方も知らんのか」
 呆れると同時に腹が立ってくる。こんなもののために、あんなに心を乱されたのかと思うと、口惜しいやら情けないやら。

 ふざけやがって、あの野郎。
 顔の形が変わるまでぶん殴ってやる。

 怒りに任せてドアを開ける。が、薪の制裁を受けるはずの新人の姿はなかった。
「青木はどこ行った!?」
 室長室から飛び出してきた薪の剣幕に、モニタールームが慄然とした。曽我が小さな声で、青木の行き先を告げる。
「昼の弁当買いに行きましたけど。木根屋の定番」
 目的地が定まるや否や、薪は走り出した。
 エレベーターを待たずに階段を駆け下りる。長い廊下を走ってエントランスを出る。冷たい雨が薪の身体を濡らすが、そんなものは気にもならなかった。
 中庭を突っ切って研究所の北に走る。青木が向かった店には、その出口が一番近い。

 北面に建っている研究棟が目の端に入った。薪の優れた動体視力が、その建物の中に白衣姿の人影を視認する。途端に、薪の足がすくんだ。
 白衣が連想させる人物。黒髪に黒い瞳の、魅力的な女性が脳裏に浮かぶ。

 自分は、なにを。
 何をしようとしているのだろう。
 青木を追いかけて、どうしようというのだろう。
 運命は、変わらないのに。早いか遅いかの違いだけで、必ず訪れるものなのに。先延ばしにすることは、相手を苦しませるだけだとわかっているのに。

 薪は立ち止まったまま、動くことができなくなった。
 雨の中、行くも帰るもできない。ただ雨に打たれて佇むことしか――――。

 冷たい雨が、薪の頭を冷やしてくれる。冷静さを取り戻させてくれる。
 こんな大事なときに、僕は何をやってるんだろう。
 容疑者の確定は、まだできていない。あのバイクの男が有力だが、未だ犯行時の画が出ない。遺体の損壊が激しく、脳データの修復に時間が掛かっている。
 第九へ帰ろう。早く、犯人を確定しなくては。
 どんなに心が乱れていても、仕事には影響させない。それが室長たる自分のあるべき姿だ。だから、回れ右だ。引き返すんだ。

 でも、足が動かない。
 冷えて固まってしまった蝋燭みたいに、動かしたら折れてしまいそうな不安を感じる。
 この雨は普通じゃない。なにか特殊な薬品でも入っているのかもしれない。筋肉弛緩剤とか神経毒とか。でなければ、今の自分に説明がつかない。
 ――――― バカなことを。僕が弱虫なだけだ。

 薪は空を見上げた。落ちてくる雨が、ただの水だと確認するつもりだった。
 暗雲を映すはずの目に映ったのは、何故か鮮やかな赤い色だった。
 これは、傘だ。
「……雪子さん」

 白衣姿の美女が、薪の前に立っていた。
 右手に持った傘を薪に差しかけ、左手にどこかで聞いた総菜屋の名前が入ったビニール袋を下げている。
 いつものように背筋をしゃきっと伸ばして、昂然と頭を上げている。雪子は薪よりも背が高いから、その視線は自然と上からのものになるが、そこに蔑みや軽蔑を感じたことは一度もなかった。
 今日も、彼女の眼は温かかった。
 強くてやさしくて、魅力的な女性。親友の愛した、大切な女性。
 彼女の幸せを見届けることが、自分の役目だと思っていた。彼女の婚約者の命を奪った自分にできる、せめてもの償いだと。
 その自分が彼女の幸せを邪魔するような真似を。あんな卑劣な裏切りを……。

「薪くん。いい加減、彼を返してくれる?」
 赤く縁取られたくちびるが、当然の権利を主張した。
 青木はもう、雪子さんのものだ。彼女の言い分はもっともだ。

 はい、と言おうとした。
 すみませんでした、と謝ろうとした。
 しかし、特殊な液体に侵された薪のくちびるは、わななくばかりで言葉を成さなかった。喘ぐように呼吸を繰り返すばかりの薪に、雪子はたたみかけた。

「克洋くんはあたしのものよ」
 腰に手を当てて顎を反らし、傲然と彼女は言い放った。
「克洋くんは、あたしの婚約者よ。妻のあたしに返して。あんたには、あのヘタレがお似合いよ」
 呼吸さえできずに、薪は美しい恋敵を見つめた。

「知ってる? このお店、すっごく美味しいとんかつ屋さんでね、なんとランチタイム限定で、とんかつ弁当が半額なのよ」
 突然彼女は総菜屋の宣伝を始め、手に持っていたビニール袋を掲げた。
 黒い瞳を強い光に煌かせて、大きな口をぎゅっと引き結ぶ。あのときと同じ、強引で強気な態度。
 印刷された店名が薪に良く見えるように、雪子は薪の目の前にビニール袋を突き出した。
「急げば、まだ間に合うわよ」
 雪子の強さが、薪に勇気をくれる。つややかなくちびるが、やっと本来の機能を取り戻した。

「ずっと……ずっと昔」
 ぎゅっと拳を握り締めて、腹の底に力を入れる。
 あのときもこうして、僕は強くなった。

「僕が鈴木に振られてヤケになって、どっかのオヤジに抱かれようとしたとき、雪子さんが助けてくれましたよね。ドア蹴破ってオヤジを投げ飛ばして。僕に往復ビンタをくれて」
 雨に濡れながら、雪子は黙って薪の話を聞いている。
 あのときも、彼女は薪が落ち着くのをずっと待っていてくれた―――――。

「あの時から」
 傘のおかげで遮られたはずの雨が、薪の頬を濡らしている。それは薪の動きを奪った先刻の冷たい雨ではなかった。じんわりと温かく、凍り付いてしまっていた彼の足を溶かし、解放するものだった。
「あの時から雪子さんは、僕の女神です」
 薪の歯の浮くような賛辞を、雪子は笑顔で受け止めてくれた。大学時代と変わらない、頼もしい友人の笑顔。

 薪に差しかけていた赤い傘を、雪子はすっと外した。再び冷たい雨が薪を襲う。しかし、今度の雨は薪の身体を凍てつかせなかった。
「早く行きなさい。走って!」
「はい!」
 上官の命令を受けたときのように元気良く返事をして、薪は走り出した。一度も振り返らずに、一目散に走っていった。

 その後姿を雨の中で見送ったまま、雪子はしばらくそこに立っていた。
 雨が小降りになってきたのに気付いて、彼女は顔を上げた。暗雲は去って、薄灰色の空が見えた。
「克洋くん。ヤキモチ妬いてちょっかい出したら、承知しないわよ」
 そんな脅し文句を虚空へ放つと、雪子は研究棟に入っていった。




*****


 薪さんのセリフの『あの時』というのは、『言えない理由sideA』(5)の中のエピソードです。

 それと、鈴木さんと雪子さんが婚約していた、というのはうちの設定です。原作では指輪を渡してなかったから、交際してただけだったんですね。
『コピーキャット』でその事実が解る前に色々書いちゃってたので、こちらはそのままで。あちこち改ざんしてて、すみません。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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No title

しづ様
こんにちは(^-^)/

前章、ティーラウンジに薪さんを追いかけていった青木は“雪子さんとは”話をして、とんでもない誤解をしてしまったことを知ったはずなのに、どうして異動願いを出したのだろうと思っていたんですよ。
実はもう関係修復されていて、(昇任試験がどうなっているのかわかりませんが)監察か、対外的なカムフラージュのための諍いを演じたのかとも考えていました。(^_^;)
やっぱり雪子さんはお日様ですね。アマテラス? 手の焼ける薪さんはスサノオとか(笑)。
(私の住んでいる所の天気、ただいま快晴です。)

サンショウウオさんへ

こんにちは、サンショウウオさん。
いつもコメントありがとうございます(^^


> 前章、ティーラウンジに薪さんを追いかけていった青木は“雪子さんとは”話をして、とんでもない誤解をしてしまったことを知ったはずなのに、どうして異動願いを出したのだろうと思っていたんですよ。

あらら、もうバレてる(笑)
そうです、あのとき雪子さんに掛かってきた電話は、助手の女の子ではなく、青木くんからでした。


> 実はもう関係修復されていて、(昇任試験がどうなっているのかわかりませんが)監察か、対外的なカムフラージュのための諍いを演じたのかとも考えていました。(^_^;)

おおお、読みが深いですね。 さすが!
カモフラージュのためのケンカかあ・・・・なんか、途中からうちの薪さん、本気になっちゃいそうですね。 でもって、墓穴を掘ると(笑)


> やっぱり雪子さんはお日様ですね。アマテラス? 手の焼ける薪さんはスサノオとか(笑)。

ですね♪
うちの雪子さんは、女神さまです。(そして原作を読んで落ち込む・・・・・ああ、どうして雪子さん、あんな普通の女の人になっちゃったの? 4巻のカッコイイ女医先生は何処に・・・・・?)

薪さんは~、
そうですね、やんちゃ坊主のスサノオで。
雪子さんとの関係も、姉弟みたいですしね。


> (私の住んでいる所の天気、ただいま快晴です。)

急に暑くなりましたねえ。
そのせいか、ちょっとバテ気味です(^^;
サンショウウオさんも、体調など崩されませんように。

ありがとうございました☆☆☆

Kさまへ

こんにちは、Kさま♪


>うんうん、こう来なくっちゃねえ!こういうニヤニヤときめきがあるからこそ、あの痛々しい部分が活きてくるんですよねー(^^;)

おおっ、Kさま、Sの心理を解ってらっしゃる!!
そうです、痛いだけじゃ意味はないです。 この愛を貴重なものと認識するためにも、痛い場面は必要なんですよ! ←むりくり正当化してみた。


>しづ様の書く雪子って、ホントいい女ですよね!!原作の雪子に爪の垢煎じて飲ませてやりたいです。

ありがとうございます~~~!!
秘密界一の雪子さんを目指しております! って、虚しすぎますよね(^^;
はああ・・・・・原作の彼女があんな女になるとは・・・・・・4巻の雪子さんは、こういう女性だったと思うんですけどね・・・・・・。


>このまま素直にもとさやに納まるのか、しづ様薪さんの事だから少々ひねくれるのか、それはそれで楽しみです。

どっちも当たってます(^^
楽しみにしていただいて、本当にうれしいですっ!


一日が早く感じられるとのお言葉・・・・・・(;∇;)
ちょっとでもKさまの日常を潤すことができたら、それは創作者にとって、すごく幸せなことです。
本当に、ありがとうございます・・・・・!!
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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10万拍手ありがとうございます!
いつの間にか9歳になってました。( ゚Д゚)
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