斜塔の頂(5)

斜塔の頂(5)












 マンションの地下駐車場で、薪は青木に揺り起こされた。
 青木と喋りたくなかったから、寝た振りをしていたら本当に眠り込んでしまった。朝は5時起きだったし、近頃おかしな夢にうなされたりして、睡眠不足だったのかもしれない。
 薪が目を覚ましたのを確認すると、青木はトランクに回ってディパックを取り出し、重そうに自分の肩に掛けた。中の弁当はそのままだ。重いわけだ。
 腕時計に目をやると、時刻は夕方の4時。帰り道、渋滞にでも嵌ったのだろうか。

 仮眠をとってスッキリしたのか、先刻の苛立ちは消えている。おずおずと薪の方を見ている年下の恋人に対する理不尽な感情は鳴りを潜め、代わりに大人気ない自分の態度に対する反省が薪の心に浮かぶ。
「部屋で弁当食ってくか?」
 詫びの意味を込めて部屋に誘うと、青木はうれしそうに付いてきた。こいつの機嫌を取るなら、エサで釣るのが一番だ。

 晩秋の日暮れは早くて、すでに部屋の中は照明が必要な暗さだった。
 薪が部屋の明かりを点けて、換気のために窓を開閉する間に、青木はキッチンに向かい、ダイニングテーブルの上に弁当を広げた。
「うわ、美味しそう!」
 青木の弾んだ声が聞こえてくる。予想通りの反応だ。
 弁当の中身は、ハンバーグにほうれん草のキッシュにポテトサラダ。海老チリ風の野菜炒めとアスパラ巻きに付け合せはブロッコリとトマト。ごはんはおかかの焼きおにぎりと、きのこと山菜の混ぜごはん。デザートはスイートポテトと林檎。

「これ作るの、大変だったでしょう? すごく時間掛かったんじゃないですか」
「べつに。大したことない」
 前の晩から仕込んでおいて、それでもたっぷり1時間かかった。でも、こいつの喜ぶ顔が目に浮かんだから、ちっとも大変じゃなかった。快晴を予想させる朝の澄んだ空気の中で、青空の下で美味そうにこれを食べる恋人の姿を想像したら、包丁もフライパンも踊るように動いた。

「あ、お箸は使い慣れたものの方がいいですよね?」
 青木はテーブルから離れて、食器棚から二膳の箸を持ってきた。弁当用の箸は、小さくて使いにくい、と青木が言っていたのを思い出す。

 毎日使っている箸を渡されて、薪はここが自分の家だということを改めて知る。
 ……あれ? なんでだ?
 なんでここで弁当食ってんだろ。
 頑張って仕事片付けて、朝だってあんなに早起きして。こっそりと手帳に印までつけて今日の日を待って、途中までは本当に楽しかったのに。
 ――僕が鈴木のことを思い出すまでは。

「はい、どうぞ」
 湯飲みに温かい日本茶を淹れて薪の方へ差し出すと、青木は冷蔵庫から牛乳を取り出して自分のマグカップに注いだ。なんでメシのときに牛乳なんだ、学校給食じゃあるまいし、といつもの突っ込みを入れる気にもならず、薪は黙って湯飲みを手に取った。

「いただきます! ああ、何から食べようかな」
 きちんと手を合わせつつ、青木は箸を迷わせている。行儀がいいのか悪いのか、分からないやつだ。
「好きなものばっかりだと、迷っちゃいます」
 そりゃそうだ。青木の好き嫌いを念頭に置いて、メニューを決めたんだから。今日は特別に、人参は細かくしてハンバーグの中に混ぜ込んでやったんだぞ。

 野菜嫌いの誰かさんのために、細かく刻んだ野菜をタネの中に入れるやり方は、昔の親友の母親から学んだものだ。というか、薪の料理のレシピは殆ど彼女から教わったのだ。鈴木の喜ぶ顔が見たくて、一所懸命特訓して。青木は食の好みも鈴木と似てるから、鈴木が好きだったものを作ればそれは大抵、青木には好評だった。
 煮込みハンバーグも鈴木の大好物だったし、キッシュや焼きおにぎりも好きだった。野菜はあんまり好きじゃなくて、鈴木のお母さんは、いつも何とかして彼に野菜を食べさせようと苦労していた。
 
 薪が初めて鈴木の家族と一緒に食事をしたとき、「鈴木、人参食べないの?」と何気なく聞いたら、「食べるよ」と軽く応じて鈴木が人参のグラッセを口に入れたことがあった。途端、周りにいた鈴木の家族がどよよっと上半身を仰け反らせ、千夏にいたっては立ち上がって、「お兄ちゃんが人参食べた! 薪兄、すごい!!」と拍手までしてくれた。
「何だよ、大げさだな」と言いながら即座に麦茶で人参を胃に流し込んでいた鈴木の様子がおかしくて、みんなが笑った。他人の家で夕飯をご馳走になっているのに大声で笑うなんて礼儀知らずだと思ったけれど、どうにも我慢ができなくて、薪も一緒になって笑った。

「薪さん?」
「え……あっ」
 名前を呼ばれて、薪は現在に帰ってくる。返ってきて、青くなる。

 またやってしまった。
 青木と一緒に食事してるのに。目の前には青木がいるのに。どうして僕は、鈴木のことばかり考えてしまうのだろう。

 弁当に一口もつけないまま、薪は箸を置いた。見ると、青木もまだ手をつけていない。取り皿がきれいなままだ。たぶん、薪が食べるのを待っていたのだ。
「ごめん」

 やっぱりダメだ、と思った。
 僕は青木の恋人ではいられない。僕には、その資格がない。

 考えちゃいけないって思えば思うほど、鈴木の思い出が鮮明に甦ってくる。僕が鈴木を好きだったことも、彼に抱かれて夜を過ごしたことも、そのとき僕がどんなに幸せだったかも。あまりにも鮮やかに思い起こせるものだから、現実との区別がつかなくなりそうで。
 区別できないのは当たり前かもしれない。
 鈴木を失ってからの2年間、僕にとってそれは現実だった。毎日毎日、鈴木の写真に語りかけて、キスをして好きだよって言って、何度も彼に抱かれて。あれは僕にとっては夢じゃなかった、現実だったんだ。そうしなかったら、生きていけなかった。

「ダメだ。どうしても駄目なんだ。やっぱり無理だ、僕たち」
 青木はいつもするように、テーブルをぐるりと回って薪の椅子の横に膝をついた。
「薪さん。もう、止しましょう」
 最終通告が突きつけられて、薪は言葉を失った。亜麻色の瞳をいっぱいに見開いて、別れを告げる恋人を見つめる。
 遠からず、言われるだろうと思っていた。いつもいつも自分の中に誰かの影を探している恋人なんか、僕だってイヤだ。
 恋人同士になって半年あまり。ここいらが潮時か。

 溢れそうになる涙をこらえて、みっともなく乱れる呼吸を整えて、薪は頷いた。
 鈴木との時は、ここで失敗した。今度は、うまくやらないと。

「僕も。おまえと同じこと考えてた」
 明日からは、別々の道。もう、こいつが僕の隣を歩くことはない。でも、職場は簡単に変えられないから、嫌でも顔を合わせなきゃいけない。気まずいだろうけど、職務を滞らせるわけにはいかない。
「元に戻れるかな、僕たち」
 元の、上司と部下に。何もなかったあの頃に。
「大丈夫ですよ。オレが保証します」
 うん、と頷いたら、ぽろっと一粒涙がこぼれた。

 一粒で止めるつもりだった涙は、後から後から湧いてきて、薪の頬を濡らしていく。細い指先では拭いきれない水分を、やさしいくちびるがそっと吸い取った。
 薪がびっくりしていると、くちびるはそのまま薪のくちびるに下りてきて、薪の大好きな甘いキスに変わった。
 お終いだ、と言っておきながらこの状況は。

 そうか、最後の思い出ってやつか。
 納得して、薪は目を閉じた。相手の腕に、身を任せる。

 これが最後なら。
 僕だって、とっておきの夜にしたい。ずっとずっと、忘れたくても忘れられないくらい強く、僕の細胞におまえの記憶を刻み込んで。
 おまえのこと、感じたい。

 薪は口を開いて、青木の舌を受け入れる。自分から服を脱いで、肌を合わせた。
 青木は手馴れた動作で薪のからだを抱き上げると、寝室へ入った。やさしく横たえられて、首や胸に熱い口唇が押し付けられる。
 忘れていた感覚が甦ってくる。恥ずかしくて、でも嬉しくて、泣きたくなるような怒りに震えるような、色々な感情がごちゃ混ぜになった何とも形容しがたい感覚。
 青木の舌が薪のからだに彼の徴を刻むたび、薪のこころから余計なものはどんどん剥がれ落ちていく。最後に残った羞恥心が落とされると、薪は純粋な悦びに満たされる。

「あ、青木っ……」
 薪はぎゅっと青木の首に抱きついて、彼の名前を呼ぶ。
「青木青木青木っ」

 好きだ、って言いたい。
 もう最後なんだから、これが最後のチャンスなんだから、ちゃんとおまえが好きだって言いたい。
 でも、明日からただの上司と部下に戻ろうと決心している青木に、そんなことは言えなくて。せっかく真っ当な道に戻ろうとしている彼の心を乱すようなことは言えなくて、だから薪はただただ青木の名前を呼び続ける。

「薪さん、薪さん」
 呼びかけた分だけ、青木が薪の名前を呼んでくれる。それだけで充分だ、幸せだと思った瞬間、背筋がぞくぞくっと震えて薪は達した。落ちていく感覚の中で、からだの奥に注ぎ込まれる熱を感じる。男の自分に子宮はないのに、こうして注ぎ込まれる男の精を体内に取り込みたいと願うのは何故なんだろう。

 荒い息を吐く男のくちびるが、薪のせわしない呼吸を吸い取った。深く重ねあわされて、息が止まる。
 身体をつなげたままの苦しい体勢で、呼吸もまともにさせてもらえなくて、それでもその時、薪はたしかに幸せだった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Rさまへ

Rさま、こんにちは。
先日は、丁寧なご挨拶ありがとうございました。
こちらにもコメントありがとうございます。(^^


「哭きました」というお言葉、うれしかったです。
普通に泣いたのではなく、慟哭だったと意味合いで、お気持ちを伝えてくださってありがとうございます。

これ、書いた時にはまだ、薪さんが青木さんを見間違えることはあまりなくて、原作を意識したわけではなかったんですけど。 その後、カニバリズム事件に入ってから、青木さんに鈴木さんが重なるようになって、今読むと、けっこうタイムリーな話になってますね~。 不思議。
Rさまの感想にも、そこが影響されているのだと思います。 ので、
Rさまの感動は、Rさまが原作を愛を持って読み込んでらっしゃるからで、わたしの力ではなく~、
ですから、お礼を言うのはこちらの方で!
こんな鬼畜なお話、泣きながら読んでくださってありがとうございました!

でもって、うちの話は基本、ギャグ小説ですから。
この話だって、薪さんカンチガイしてるだけだし。 あほだ、と笑っていただきたいんですけど~。
……無理ですかね?(^^;

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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