消せない罪(2)

消せない罪(2)






「あああああっ!!」

 悲鳴と同時に細いからだが大きく震えて、薪の背中をベッドから引き離した。髪の毛を引き毟るように両手で摑み、陸に上がったばかりの人魚のように乱れた呼吸でひりつく喉をこじ開ける。
 ヒューヒューと掠れた声が喉奥から洩れ、空気を取り込むことに困難を覚えて、彼は生命の危機を感じる。呼吸の方法を思い出すために、彼はいつもの儀式を自分に施そうとする。薄い爪を腕に立て、力を入れて下方に引く。痛みによる刺激だけが薪に平常を連れてきてくれる、何年か前まではそれが彼の日常だった。

 だれかの手が薪の手を取り、その指先を導いた。手に触れたあたたかい肌に、薪は遠慮なく爪を立てる。爪で肉を抉る感触、削り取られた皮膚と血が爪の間から溢れる感覚。薪の顔は弾力のある板のようなものに押し当てられて、頬を流れ落ちる涙がその物体との間に冷たい水の膜を作った。

「ちがうっ、僕はそんな……ちがうちがうちが……」

 だれに対する釈明なのか、自分でもよく分からない。それ以前に、何が違うのかもはっきりしない。でもその言葉を外に出さなかったら、身体が破裂してしまいそうで怖い。今自分の中を満たしている正体不明の恐怖感、それを払拭しようと薪は同じ言葉を繰り返し、悪魔を調伏する呪文のごとく唱え続けた。
 息をするのも忘れたように吐き続けた呪文は、やがて彼に肉体的な疲労とそれに伴う緩心を連れてくる。時間の経過と共にガチガチに強張っていた肩と背中の力が抜け、白い腕がだらりと落ちた。

「落ち着きました?」
 上から、低い男の声が聞こえた。耳に親しんだテノール。いつも穏やかで、荒ぶるときは滅多とない。特に薪には徹底的に甘いその声。
 この声を聞くと安心する。と同時に、大きな手が自分の髪を撫でていたことにも気付く。
「手を拭きましょう。シーツが汚れちゃいます」
 見ると、薪の爪先は血に塗れている。自分の手足を見るが、傷はない。顔を上げると、背中の傷を隠すように素早くローブをまとう恋人の姿が亜麻色の瞳に映った。

 寝室から出て行く長身の後姿に、薪は慌てて取り縋ろうとする。今はひとりになりたくない。
だけど、血に汚れた自分の手を見れば、焦燥のままに彼を止めることもできない。この手で誰かに触れることは許されない。
 
 やがて帰ってきた恋人に、湯気の立つ蒸しタオルを渡されて両手を拭い、それで表面の汚れは落ちるけれど、骨の髄に沁みこんだ穢れは消えない。薪が本当に浄化したいのはこちらのほうだ。もしも肉を裂き骨を出し、直接それを拭き取ることが可能なら迷わずにそうする。

 詮無いことを考えて、薪は苦く笑う。
 そんなことをしても、罪は消えない。消してはいけない。

「眠れないときにはホットミルクがいいんですけど。薪さん、牛乳嫌いだから」
 そう言って、大きな手から渡されたマグカップには熱いレモネード。薪の好きなレモンの香りと甘酸っぱい味わいが、彼の心を切なくさせる。
 空になったカップをベッドシェルフの上に置き、薪は隣に座った男のローブの紐を緩める。布地の隙間から手を入れて、あたたかい胸に頬を押し付け、一定のリズムで刻まれるトクトクという音を聞く。

「青木。今日は」
「薪さん、オレ今夜泊まってもいいですか?」
 言おうとした言葉を相手から先に言ってもらえる、なんて愛情に溢れた、だけどそれは見透かされた会話。この状況なら青木は、きっとそう言ってくれるだろうと思っていた。浅ましく計算高い自分。薪は自嘲の形にくちびるを歪める。
 平日に上司の家に泊まって夜中に何度も起こされて、その上翌朝はいつもより早く起きて自宅に帰って出勤の準備。それでも仕事には100%の力を注げと、彼の睡眠時間を削った本人は主張する。その命令に彼が甘んじて従うだろうということも、薪には分かっている。どこまでも身勝手な自分とやさしい青木。彼の愛情を温床にして、僕はどんどん醜く育つ。

 裸のまま、再びベッドに横になって、互いの背中に手を回す。眠りに就く前とは違う穏やかな抱擁が薪を包み、その安らぎに彼の心は痛みを覚える。

 僕の罪は死んでも消えない。

 鈴木の命を奪ったこの右手を切り落としたって、身体中バラバラに切り裂いたって、この穢れは消えない。多分、死んでも消えない。そんな汚れきった自分がなおも、残された人生を共に歩むだれかを求めてしまうという傲慢なまでの脆弱さ。自分だけが穢れているのが耐えられないのか、共に堕ちてくれる犠牲者を欲しているのか。
 罪に罪を重ねるように毎日を過ごして、きっと僕はそのうち地獄に落ちるのだろう。一緒に落ちて欲しいと頼んだら、青木はつきあってくれるだろうか。それとも、青木らしい大胆さで僕を天国に押し上げようとするだろうか。自分を身代わりにと閻魔に頼み込んで、僕の気持ちなんかきれいに無視して、かつて鈴木が僕を救おうとその身を犠牲にしたように、僕が望んでもいない自己犠牲を押し付けてくるのだろうか。

「ごめんな。背中、痛かったろ」
 感情も籠めずに謝って、彼の自己犠牲の証を指でなぞる。こんなことをしてもらっても、嬉しくもないし申し訳なくも思わない、僕がそんな冷酷な人間だと青木は知らない。

 僕は犠牲なんか望まない。守ってなんか欲しくなかった、鈴木が死ぬなら僕も死にたかった。自分の命まで差し出したのに、それを向けられた僕はありがたいとも思わない、そんなに僕を大事に思ってくれて、と感動もしない。そんな人間のために鈴木は死んだ。親友の鈴木でさえ分からなかった僕の非情さを、青木が分かるとも思えない。

「大丈夫ですよ、背中はしょっちゅう薪さんに引っかかれてますから。噛まれるより痛くないです」
 常ならば傷口をつねってやるところだが、今はそんな気にならない。天井の送風口から送られてくる涼やかな風と青木の胸の温度差が、薪の気持ちをなだらかにする。このまま眠ったら、さぞ気持ちがいいだろう。
 でも今夜はダメだ。多分、またすぐうなされる。ひとりではいたくないけれど、青木に負担をかけるのもいやだ。
 黙って目を閉じて身じろぎもせず、眠った振りをして神経を尖らせ、薪は必死で睡魔に抵抗する。
 青木が眠ったら、寝顔を見てやろう。いつも自分の方が先に眠ってしまうから、たまには逆の立場になって、口の周りにヒゲでも描いてやろう。

「ちょっとお喋りしましょうか。薪さん、眠くないんでしょう?」
 不意に提案されて、薪は驚く。じっとしていたのに、どうして起きてるってわかったんだろう。
「オレもなんか、目が冴えちゃって。せっかくだから、週末の予定を決めましょうよ。海とプール、どっちがいいですか?」
「なんで両方水系なんだ」
「夏ですから。夏にしかできないことをしましょうよ」
 ずっと昔、夏が大好きだった頃の自分のように、青木はウキウキした口調で言った。大人になってからは、夏の到来を心待ちにすることはなくなった。ギラギラと無遠慮に照り付ける太陽、ゆらゆらと立ち上るアスファルトの陽炎、湿度が高く不快な熱帯夜――― 今では嫌悪さえ感じる。どうして子供の頃はこの季節が嬉しかったのか、不思議だ。
 それとも。

 鈴木を殺したのが冬だったら、僕は冬が嫌いになったのだろうか。潔くピンと張った朝の空気が、凍てつく夜の魂を奪われるような星空が、真っ白な雪の美しさが、嫌悪すべきものとして感じられたのだろうか。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Cさんへ

教えていただいてありがとうございました!!!

早速見ました~~~!!
すごかったです、よかったです、サイコーでしたっ!
もう、泣きそうになっちゃいましたっ(><)
この方、ぜったいにあおまきすとですよねっ(←決め付け)

1回目はひたすらきゃーきゃー騒いで、
3回目くらいにやっと、よくここまで上手く画を重ねたなあ、と感心しました。

ちゃんとストーリー仕立てになってて、青雪さんの接近に苦悩する薪さんとか、扉の向こうで青木さんを思う薪さんとか、そこから青木さんが薪さんに惹かれる様子とか、最後はあおまきさん成立で・・・・・・すばらしいっ!!!
(あ、そんなストーリー無かったですか? わたしにはそう見えたんですけど(^^;)

情報をくださったCさまと、素晴らしい作品を作成してくださった方に心からお礼申し上げます!
ありがとうございました!!
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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