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消せない罪(3)

消せない罪(3)




「夏は、あまり外に出たくないんだ。暑いから」
 目を閉じて額を青木の胸につけたままの姿勢で、薪は一般的な言い訳を口にした。青木も薪を腕の中におさめたまま、応えを返す。
「薪さん、暑さには強いんじゃなかったんですか?」
「日焼けすると痛いし」
「プールなら大丈夫ですよ。室内ですから」
「夏は……楽しむ気分になれないんだ」
 どんなにフォローしたってムダだ、この季節には僕は何もできない。

 だって、夏のすべてが僕にあのことを思い出させる。入道雲の浮いた空を見れば、あの日の太陽も眩しかったと、背中に汗が伝えば、あの日もとても暑い日だったと。蝉時雨も野鳥のさえずりも、夕立も夏祭りも花火も蛍もみんなみんな、鈴木との最後の季節を思い起こさせる。

 正直に言うことで、青木に嫌な思いをさせてしまうという危惧はあった。でも、これ以上喋りたくない。今はただこうしていたい、言葉は欲しくない。
 薪の予想通り、青木は黙り込んだ。そりゃそうだ、掛ける言葉なんか見つからないだろう。青木は僕の過去を知っている。
 どんな言葉で取り繕っても、僕が人を殺した事実は消えない。鈴木は僕を守ろうとあんなことをした、貝沼の犯行は僕が指示したわけじゃない、僕のせいじゃない、僕はむしろ被害者だ。弁護側の主張はしかし、この右手を見た途端あっさりと覆る。血に染まった自分の手、彼の命を奪った右手。どんなに優秀な弁護士もたちどころに声を失う、決定的な物的証拠。この右手は、彼の命を奪った一連の所作を細胞に刻み込んでいる。その記憶は久遠のものだ。

「楽しむ気分になれないんじゃなくて、楽しんじゃいけないと思ってるんじゃないですか」

 ぎくりと背中を強張らせて、薪は肩を竦めた。青木はやさしいくせに、時々ものすごく鋭いことを言う。普通の人間なら気を使って言わないようなことをあっさり口にする、それは彼の恋人としての優越なのか、それとも。
「夏は毎年来るんですよ。薪さんがいくらがんばったって、無くすことも止めることもできないんです。その度にそんなに落ち込んで暗くなる気なんですか? こっちもいい迷惑なんですけど」
「頼んでないだろ!」
 カッとして薪は叫んだ。
「だれもおまえに慰めてくれなんて頼んでない! 放っときゃいいだろ、僕のことなんか」

 両の手で青木の腕を押し、身体を離そうとするが、大きな男の身体はビクともしない。自分の非力を思い知らされて、こめかみの辺りがかあっと熱くなるのを感じて、薪はめちゃくちゃに青木の腕を叩いた。
「それができれば、オレも苦労しないんですけど」
「苦労かけて悪かったな。わかった、今すぐ別れてやる。僕とおまえは今から他人だ」
「もともと他人でしょ、オレたち」
 思いがけない青木の言葉に、薪は咄嗟に息を飲んだ。

 たしかに。何年付き合ったって、僕たちは夫婦にはなれないし。
 青木は腕を緩め、薪の身体を離した。逃げるなら今がチャンスだ。が、薪は動くことができない。いつもの脅し文句に返ってきた、いつもとは違う言葉。その冷たさが、薪の心臓を凍りつかせた。

 青木のことだからきっと、「そんなこと言わないでください、オレ、薪さんと別れたら生きていけないです」とか、僕に自信を持たせる言葉を言ってくれると期待していた。それなのに、売り言葉に買い言葉みたいなことを。
 もしかして、青木は本当に僕のことがイヤになっちゃったのかな。我が儘が過ぎたかな。それとも、いつまでも犯してしまった過ちに拘ってウジウジしてる弱虫に呆れたかな。
 弱気になった亜麻色の瞳が、ウロウロと青木の胸の上をさまよう。厚い胸板に添えた自分の手の甲を見て、その小ささに哀しくなった。

 青木の広い胸に比べて、この手はなんて小さいんだろう。彼との人間性の差がそのまま現れているようで、ひどく自分が嫌になる。
 あらゆるものを受け入れて自分の糧にしていく青木と、自分が決めた枠組みの中でしか生きられない僕。閉じられた世界に生きる僕には、これ以上の成長は望むべくもなく。やがて青木は僕を見捨てる。共に過ごす時間が長くなるほどに偶像は崩れて、彼の理想だった僕はどこにもいなくなる。そうしたら、青木は僕を置いて先に進むだろう。

 僕の手、赤子のようなこの手は握ることしか知らなくて、だから何も新しいものを掴むことができない。曲げられた指を開けば、ようやくの思いで留めているものまで零れ落ちていってしまうような気がして。永遠に失ったかれの、わずかに僕に残された一滴まで失くしてしまいそうで。
 頑ななまでの強さで握り締められた拳は、僕が過去から抜け出せないことの証拠だ。この手を開かない限りだれの手も摑むことができない、それが分かっているのに指を伸ばすことができない。
 両手を使えばたくさんの金貨が掬えると分かっているのに、握り締めたたった一枚の金貨を失くすことが怖くて手を開けない愚鈍な子供のように。その手のひらの金貨はいつの間にか土くれに変わってしまっているかもしれないのに、それを確認することすらできずにいる。目の前にいたら蹴り飛ばしてやりたい、蒙昧な子供。

 握られたままの小さな手は、しかし、すぐに大きな手に包まれてやさしく撫でられた。薪がおずおずと顔を上げると、羽毛みたいにやわらかなキスが降りてきた。
「他人で良かったですよね。親兄弟と、こんなことできませんもんね」

 うっすらと、薪の視界に水の膜が掛かる。光の屈折のせいで、青木の輪郭がぼやけて見える。いつものように穏やかに笑って、薪の髪を撫でる寛大な恋人。
 青木はやさしい。
 いくらでも甘やかしてくれるし、どんな我が儘もきいてくれる。こんな親に育てられた子供はきっと、手のつけられない不良に育つのだろう。ていうか、僕の性格がどんどん悪くなっていくのは、みんなこいつのせいだ。こいつがやさしすぎるから悪いんだ。
 でも。
 青木の限りないやさしさは、薪の心に活力をくれる。自分が何を言っても、どんな態度を取っても、こいつは僕を嫌いにならない。そんな自惚れを与えてくれる青木の熱っぽい瞳が、薪のネガティブな考えを打ち消してくれる。
 
 薪の心を満たしていた切なさは、いつしか甘い疼きに変わって、薪は思わず青木の頭を抱きしめる。若く張った頬に頬ずりし、深く唇を重ね合わせた。
 薪の頬を伝う涙が口の端について流れ込み、ふたりの舌に吸い込まれた。塩辛い、だけど幸せなキスだった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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