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消せない罪(4)

消せない罪(4)





 温めのお湯に、薪はゆっくりと身を沈めた。
 ほっと息をついて、手足を伸ばす。安心しきったように彼が背中を預けたのはバスタブの冷たい壁ではなく、暖かい恋人の胸だった。
 青木は薪の後ろにいて、彼を軽く抱くように腕を回した。薪が首を傾けて、その腕に甘えてくる。怖い夢を見て弱気になっているのだろう、薪には悪いが、青木はうれしい。彼の愛情を疑っているわけではないが、薪は意地っ張りでプライドが高く、素直に青木に甘えてくれることなど滅多にないのだ。

 浮力でいつもの何倍も軽い薪の身体を持ち上げて、自分の左腿の上に座らせ、濡れたくちびるにやさしくキスをする。洗い立ての亜麻色の髪からは柑橘系のシャンプーの香りがして、甘酸っぱい切なさを青木の胸に生じさせる。
「他人じゃなかったら、薪さんの恋人にはなれませんでした。血がつながってなくて、本当に良かったです」
「男同士だけどな」
 薪に皮肉な口調が戻っていることに、青木は安心する。意地悪と皮肉は、薪の元気のバロメーターだ。

「僕かおまえのどっちかが女だったら、本当に良かったって言い切れるかもしれないけど」
「さあ、どうでしょう? オレが女だったら、きっと薪さんには見向きもされなかったでしょうし、薪さんが女性だったら容姿的にも年齢的にもとっくに誰かのものになってて、結局オレの恋人にはなってくれなかったんじゃないですかね。
 だからきっと、男で良かったんですよ」
「おまえって、ほんとポジティブだな。おめでたい奴だ」
 鼻で笑う口調で言って、薪はくるりと青木に背を向ける。再び青木にもたれかかって、細い首を左に倒し、青木の左腕を両手で抱いた。夢のように美しく伸びた後ろ首に、青木はそっとくちびるをつけた。

「なんで僕なんか選んだんだ。ゲイでもないくせに」
 お湯を指で弾いてパチャパチャと青木の腕にかけながら、薪は独り言のように言った。
「僕は男だし、やさしくもないし可愛くもないぞ。我が儘だし自分勝手だし、年上のクセにエッチは下手だし、って悪かったな!!」
 薪らしくなってきた。一人ツッコミが入ったら、それは本来の明るさとユーモアを持った彼が水面に顔を出し始めた証拠だ。

「自分で言って逆切れしないでくださいよ」
 わざと閉口した口調を作って、青木は薪の身体を両腕で抱く。小さな貝殻みたいな耳に口づけて、
「薪さんは、やさしいですよ」
 単純な言葉で、青木は薪の自己評価を否定する。言葉を飾る必要は無い。だってそれは本当のことだから。薪は本当にやさしいのだ。表面に表れないだけで。

「どこが?」
「さっき、オレの背中を気遣ってくださいました」
「心配したわけじゃない、社交辞令みたいなもんだ。てか、ああいうことはするな」
 ぐい、と青木の頭を押しのけて、薪は身体の向きを変えた。青木の顔をじっと見て、キッと眉毛を吊り上げる。
「前にも言っただろ。僕は僕のために誰も傷ついて欲しくないって。忘れたのか?」
 亜麻色の瞳が、強く光る。薪の強さは青木の憧れだ。最初青木は、薪のこの強さに惹かれたのだ。
 強い人に釣り合うように、強い男になりたいと思った。その後で、薪の抱えた傷の深さを知り、もっと強くなりたいと思った。彼をこの手で守りたいと、努力して努力して、だから今の青木があるのだ。

「言ったでしょ、何度でも同じことをするって。忘れちゃったんですか?」
「それはダメだって言っただろ」
「承諾した覚えはありません」
「じゃあ、この場で承諾しろ。でなけりゃ、おまえとはこれきりだ」
「どっちも聞けませんね。オレは、あなたを守ると決めてますから。いくらあなたの頼みでも、それだけは譲れません」
 瞬間、薪は心の底から哀しそうな表情になった。伏せた睫毛が湯気に濡れて、いつもより黒々と見える。

「おまえは親切のつもりなのかもしれないけど、僕には迷惑なんだ。頼むから、僕を庇って自分を傷つけるのはやめてくれ」
 薪は再び後ろを向いて、湯の中から立ち上がった。薄紅色に染まった肌が、匂い立つような色香を添えて青木の目の前にある。こんな会話をしていなければ、襲い掛かっているところだ。

「僕には……誰かに守ってもらう資格なんて……」

 薪は湯から上がり、湯船の縁に腰掛けて、自分の足元に視線を落とした。丸められた背中が、とても小さく見える。青木がもっと強くなりたいと願うのは、薪のこの背中を知っているからだ。
「そんなものは必要ありません。オレがやりたくてすることですから、このさい薪さんの人間性は関係ありません。それに」
 薪の懇願は、今宵彼を苦しめた悪夢の内容と深く関わっている。5年の歳月を経過してなお薪を苦しめる悪魔を打ち倒す術を、青木は未だ見つけ出すことができない。それはおそらく、薪自身にしか見つけられないものなのだろう。だからと言って、指を咥えて見ているのは青木の性に合わない。自分にできることが、何かしらあるはずだ。

「人間は、みんな支えあって生きてくもんだと思いますよ。守り守られて、慈しみあって愛しあって、人としての生を全うして死んでいく。オレたち警察官はそういう社会を創るためにいるんだって、薪さんがオレに教えてくれたんじゃないですか」
「そのコミュニティに、僕は含まれない。僕は……罪深い人間だから」
 搾り出すように、薪は言った。
「やさしくされる資格も、大事にされる資格もない。ましてや、だれかと愛を育むなんて。本当は、一番やっちゃいけないことなんだ」

 薪が愛すること、愛されることに臆病なのは、あの殺人鬼が遺した傷が、まだ治りきっていない証拠だ。貝沼は薪を愛して、だから沢山の少年たちが犠牲になった。鈴木も薪のことを大事に想って、そのせいで命を落とした。
 それは残酷な事実だった。薪に刑法上の罪があるかどうかではなく、自分に向けられた愛情を発端として多くの死体が築かれた、その事実が薪をひとの愛から遠ざけた。

「この世に、罪のない人間なんかいません」
 青木は、敢えてそう言った。ここで正当防衛や殺人教唆の定義を説いても、何の救いにもならない。
「たとえ刑法上の罪に科せられなくても、人間は過ちを犯す生き物です。だけど、どんな過ちを犯したとしても、ひとは幸せになる権利があると思います」
「おまえの言うとおりだ。一度罪を犯した人間は幸せになっちゃいけない、なんてことは僕だって思ってない。僕が言ってるのは、そういうことじゃないんだ。僕は」

 言いかけて止め、薪はきゅ、とくちびるを噛んだ。
 バスタブの縁に置かれた手が震えているのに気付き、青木がその手をそっと握る。青木の手のひらの下で薪の手が動き、ぎゅっと握り返してくる。しかしそこには、恋人の手を握るときの甘さもなければやさしさもなく、まるで崖から落ちかけた人間が差し出された手を夢中で掴む、そんな必死さだけがあって、青木の胸をつまらせた。

「怖いんだ」
 囁くように、薪が言った。

「分からないんだ……あのとき、鈴木を殺したとき。僕は本当に、彼を殺すつもりがなかったのかどうか。
 自分が自覚していなかっただけで、心の底では鈴木に殺意を抱いていたんじゃないのか。いくら恋焦がれても自分のものになってくれない彼を憎んでいた、あるいは、この手で殺すことで彼を独占したいと思っていた。
 貝沼の脳を見た捜査官は、全員狂った。みんな優秀な捜査官だった、残酷な画にも免疫がついていたはずだった、それなのに。貝沼の画には、残虐性以上の何かがあったんだ。人間の心の闇を増幅する何かが。
 僕だって、貝沼の脳を見ているんだ。僕だけが全く影響を受けなかったはずはない。ずっと心の底に押し込めていた、諦めたつもりでいた鈴木への想いが、貝沼に感化されて増幅したのかもしれない。
 それがはっきりしない以上、また同じことを繰り返すかもしれない。その状況に陥ったら、無意識のうちに同じことを……怖いんだ」

 妙に抑揚のない声で、薪は早口に捲くし立てた。記憶した文章を暗誦するように、それは今までに何回も彼の頭の中で繰り返し組み立てられたに違いない、自分を追い詰める検察側の弁証だった。
 大きく振られた亜麻色の髪から、冷たい水滴が飛び散った。ついさっきまで温かい湯の中にいたはずなのに、薪の顔色は紙のように白くなっていた。

「だから……僕はもう、誰も愛さない」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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