消せない罪(5)

消せない罪(5)






 亜麻色の瞳に、白い手が映っている。
 指の長いきれいな手だ。細く、優雅で苦労を知らない手。

 なんておぞましい、と薪は思う。
 どうしてこの右手は、引き金を引くことができたのか。
 反射的に? 防衛本能が働いて?
 一生涯の親友だと思っていたはずなのに。鈴木のいない人生なんか、僕にとっては何の意味もないと知っていたのに。
 あんなに、あんなに愛していたのに。
 なぜ。


「どっちでもいいんじゃないですか」
「えっ?」
 聞き間違いかと思った。
 大きく広げた目と口で振り返ると、青木はもう一度同じ言葉を繰り返した。

「いいですよ、どっちだって。殺意があろうがなかろうが、何も変わりませんよ」
「な……! いいわけないだろ、殺意があったかどうかは正当防衛と殺人罪の分かれ目っ、うわわっ!!」
「大丈夫ですか?」
 興奮して身を乗り出したら、手が滑って湯船の中に落ちてしまった。すぐに青木が救いあげてくれたが、口に入った湯が気管に流れ込んだらしく、激しい咳が止まらない。ゲホゲホと咳き込みつつ、誰のせいだ、と心の中で毒づいた。

 いくら青木がバカでも、そんな突拍子もないことを言ってくるとは思わなかった。それでも警察官か、と怒鳴りつけてやりたい。上司として説教してやる、この咳が落ち着いたら浴室の床に正座だ。
 咳のせいで不規則に波打つ薪の背中を撫でながら、青木は静かに言った。
「考えても無駄ですよ、そんなの。仮に殺意が証明、あるいは否定されたとしても、現状は何も変わらないでしょう」
 ずい分、きついことを言う。
 たしかに、それは青木の言う通りだけど。今更そんなことを明らかにしても鈴木は帰ってこない、それは事実だけど。他人に言われると、ずっしりと重い。無様に咳き込みつつ、薪はじくじくと痛む胸を押さえた。
 
「あなたは安心したいんですよ。どうにかして自分には殺意はなかったと証明して、あれは事故だったと思いたい。でも、そんなの無意味です。一部の隙もない証明が為されたとしても、どうせあなたはそれを否定する要因を必死で探すに決まってます。
 第一、人間が衝動的にしてしまったことに、理由なんかありません。その時の感情なんか、きちんと追えるわけないですよ」
「そんなことはない」
 ようやく息を整えて、薪は濡れた髪を掻きあげた。前髪を後ろに撫で付け、頭から落ちてくる水滴を後方に流す。両手でぐいっと顔を拭くと、バスタブの壁に打ち付けたらしく、右の額にコブができているのに気付いた。触ると痛い。

「長い間の鬱屈した感情が咄嗟の行動に出る。行動心理学の基本だろ」
「それはあくまで学説です。実際には、説明がつかないことだってたくさんあります。例えば」
 青木は何かを思い出すように視線を右上に泳がせ、次いで薪の顔を見て、
「これは実際に起きた事故です。池で溺れている子供がいて、咄嗟に飛び込んだ男が実はカナヅチで、子供は助かったけれど自分は死んでしまった。もちろん、子供と男は赤の他人です。さあ、彼の矛盾した行動の心理を説明してください」
 
 例題を提示して青木は湯船から上がり、薪の腋下に両手を入れて立たせた。洗い場の椅子に薪を座らせ、薪の背後に陣取ってボディタオルに石鹸をこすり付ける。
「目の前で子供が溺れていたら、助けるのが当然だろ」
「だけど、このひとはカナヅチです。池に入ったら自分の命が危険だと分かっていたはずです。それなのに、なぜ?」
「咄嗟のことで、冷静な判断を欠いたんだ。よくある」
  薪は言葉を止めた。危うく、青木の口車に乗せられるところだった。

「その男は普段から子供好きで」
「いいえ。子供に接する機会も、子供と遊んだこともない、どちらかというとアウトロー的なひとでした。恐喝の前科もありました」
 事件の背景を説明しながら、青木は薪の身体を洗い始める。寝汗をかいた背中に、きめ細かい泡とざらついた布の感触が心地よい。
「……それは仮の姿で、本当はとっても子供が好きだったんだ。いつも物陰から子供たちを見守っていて、恐喝で稼いだ金銭は全国の経営難の保育園に寄付を」
「薪さん。それ本気で言ってます?」
 本気のわけないだろ、バカ。

 薪がむっつりした顔で黙り込むと、青木はクスクスと笑いながら、またもやとんでもないことを言い出した。
「突発的な行動に感情面から理由をつけるなんて、不可能なんですよ。オレだって、一昨年の夏にあなたをレイプしたときの理由を説明しろと言われてもできません」
「レイプ? レイプなんかじゃないだろ、あれは。おまえが怒って当然のことを、僕がしたから……」
 弱々しい声音で、最後の頃は殆ど消え入りそうに言って、薪は視線を下方に落とした。
 思い出したくない過去を持ち出されて、薪はますます立つ瀬がなくなる。
 本当に僕って、青木に迷惑をかけてばっかりだ。

「いいえ。あれはレイプです。オレはあなたをレイプしました。これは事実です。
 でも、そうしようと思ってあなたのところへ行ったんじゃありません。それは信じてくれますよね?」
 とりあえず、頷く。
 薪はあのとき、自分がレイプされている意識はなかったし、今でも思ってはいないが、反論は青木の意見を全部聞いてからだ。
「あなたの言う、普段からの鬱屈した感情は確かにありました。オレは鈴木さんに嫉妬して、気が狂いそうだった。だけど、あの時あなたの家に行ったのは、あなたが自分の身体を傷つけているのを知って、それを止めさせたいと思ったんです。助けたいと思って行った筈なのに、逆にあんなことをしてしまった。何故、と言われても説明はできないです」
 青木は薪の腕と胴体を後ろから洗い、それから薪の身体を自分の方に向けさせると、右足を取って洗い始めた。白くて人形のように形のよい足を、真っ白な泡が埋めていく。膝の裏側にタオルが当たると、こそばゆい感じがした。

「あなたの理論で行くと、オレは常日頃からあなたを虐待したいという欲求を心の奥底に秘めていて、それが咄嗟の行動に現れたことになりますけど、そういう解釈でいいですか?」
「いいわけないだろ」
 虐待の対象となる人間の足の指を洗いながら、そんな理屈を吐かれても。
 青木がどれだけ自分を想ってくれているか、薪は分かっている。もう何年も前から青木は僕を―――― 僕のことだけを見つめ、僕のことだけ考えて、僕のためだけに行動してきた。彼の献身と愛情を養分に、僕はここまで生きてこれた。

「オレはあなたが大好きです。あなたも鈴木さんが大好きだった。条件は同じですよね。だから、あなたが自分を罪人だと言い張るなら、オレも罪人です。それで満足ですか?」
「……いや」
 右足が済んだら、次は左だ。薪は自分から足を差し出して、青木の手に乗せた。

「おまえって、やさしそうに見えてけっこうきついよな。こういう場合、殺意なんか無かったって否定してくれるのが普通じゃないのか」
「あなたが自分で自分を疑っている限り、オレが何を言ったって無駄でしょう」
 鋭い。
 薪は黙るしかなかった。

「オレにも罪はあります。あなたが訴えを起こさない限り刑法では裁かれませんけど、あなたを傷つけた罪は極刑に値すると思っています」
 薪の身体をすべて洗い終わると、青木はシャワーの温度を調整して、細い首から肩にかけた。温かい水流が、薪の身体についた泡を落としていく。
「オレの罪は一生消えません。だから、一生かけて償います。あなたを愛して、あなたを傷つけるものから守ります」
「そう思うんなら、一晩中フルスロットルで撃ちまくるのはやめてくれ」
 プロポーズのような青木の言葉を、おそらくはそのつもりで熱をこめたセリフを、薪は冗談ではぐらかした。青木はちょっと眉を寄せて、でもすぐに苦笑してくれた。

 すっかりきれいになった身体を見下ろして、薪は椅子から立ち上がった。浴室から出て、バスタオルで身体を拭き、鏡の前に立つ。ドライヤーで髪を乾かし、櫛を入れて軽く整える。
 遅れて出てきた恋人が、鏡の中で身体についた水滴を拭き取っている。短い黒髪をタオルでガシガシとこすり、前髪を垂らしたその姿は亡き親友にそっくりで、薪の胸はぎゅっと押し潰されたみたいに苦しくなる。
 だから薪はそっと目線を鏡から外して、彼を見ない振りで脱衣所を出ようとする。

「おこがましいとは思ってますよ。オレなんかが、あなたを守りたいなんて」
 ドアノブに掛かった手が、青木の言葉で止まる。身を固くしたまま、薪は動けなくなった。
「でも、オレはあなたを守りたくて、これまで必死にやってきたんです。オレが何年もかけて培ってきた努力を、あなたは否定するんですか?」
「それは、自分のために使ったらいい。あるいは、他の大切な誰かを見つけて、そのひとのために」
「他の誰かじゃダメなんです」
 薪の言葉が終わらぬうちに、青木は言葉を重ねた。彼らしくない性急さだった。

 濡れた髪をそのままに、腰にバスタオルを巻いただけの格好で、青木は薪が見つめているドアに両手をついた。 大きな2つの手が薪の左右の動きを封じ、薪は青木がドアとの間に作り出した空間に閉じ込められた。
 真剣に、真っ直ぐに、青木はいつも真っ向勝負を挑んでくる。警察機構で10余年の時を過ごし、強要される隠蔽工作や汚い裏取引にまみれるうち、薪が無くしてしまった高潔な魂。それを持ち続けている彼が眩しくて、薪は長い睫毛を伏せる。
「今のオレがあるのは、全部あなたのおかげです。どうか、今のオレを否定しないでください」

 それは違う。
 僕は何もしていない、青木が勝手に誤解してるだけで、僕は彼の尊敬を受けられるような人間じゃない。卑怯で汚くて意気地無しで……彼のような純粋さが僕の中にひと欠片でも残っていれば、僕だってもう少し自分を信じられるかもしれないのに。

「薪さん。こっち向いてください」
 できない、振り向けない。今は青木を見たくない。
 こんなふうに、自分が世界中の誰よりも卑小な存在だと思い知らされる夜に、僕の偶像を信じている男と向き合いたくない。彼の中の自分と現実の自分のギャップに、目眩がしそうだ。薪はぎゅっと拳を握り締め、歯を食いしばって足を踏ん張った。

「オレはもともと、格闘技は苦手だったんです。柔道も剣道も好きじゃなかった。でも、あなたを守るためには必要だと思ったから。だから続けてこれたんです。
 仕事だって同じです、昇格試験だって。あなたがオレの能力を引き上げた。あなたがいなかったら、幹部候補生の選抜に残った青木警視はこの世に存在しませんでした」
 耳孔に流れ込む熱い言葉。
 青木がこれまで続けてきた懸命な努力も、周りが目を瞠るような成長も、全部薪がいたからだと言い張る彼の口調の激しさに、薪は反論を封じられる。ちゃんと諭してやらなければと思うが、まともに喋れそうにない。今夜はどうも涙腺が緩くて、ちょっとのことで目の前がぼやけて困る。

「感謝してます」
 青木はその言葉を神の福音のように薪に告げ、髪にキスをした。かすかに触れただけのそれは、頭上から温かい雨のように身体中に広がり、末端の指先まで行き渡ると、静脈から還る血液のように薪の胸に戻ってきた。握り締めていたはずの拳は、いつの間にか開いていた。
 
 薪はやおらに青木を振り向くと、彼の顔をじっと見た。
 僕が殺した親友にとてもよく似ている、だけどこれは青木だ、青木一行。僕の現在の恋人だ。

「週末の予定だけど」
 深く息を吸い、腹の底に力を込めて、薪は努めて落ち着いた声を出した。急な話題の転換に目をパチパチさせつつも、青木は話を合わせる。
「あ、はい。海ですか、プールですか」
「ビキニの女の子が沢山いるほうがいい」
「……なんかフクザツなんですけど、その選択基準」
 ムッと尖らせた青木の唇に、薪は背伸びをしてキスをする。青木の首に両手で掴まれば、自然に青木の腕が薪の身体を抱き上げる。そのままベッドまで運んで、替えたばかりの清潔なシーツの上に寝せてくれる。
 朝まで、まだ時間がある。今夜は眠らないつもりだったが、少しでも睡眠を摂りたいと今の薪は思う。

「そうだ、やっぱり海がいい。波がきたらポロリもありえるだろ」
「……ほんっとに、エロオヤジなんだから」
「男なら当然だろ? エロオヤジ抱いて喜んでるおまえの方がおかしいんだ」
「そういうこと言うから、泣かせたくなっちゃうんですよ。覚悟してください」
「こ、こら! 昨夜しただろ、月2回の約束だぞ」
「自業自得です」
「なんでだ! あっ、あっ!」
 結局、睡眠時間はなくなってしまった。今日は一日、地獄だ。

 シーツをぎゅっと握り締め、打ち込まれる熱情を窮屈に折り曲げられたからだで受けつつ、薪は思う。
 僕は、存在していてもいいのですか、と神さまに訊いたら、否という答えが返ってくるのかも知れない。でも、ここに僕を必要としてくれるひとがいる。僕の存在こそが自分の存在意義だとまで言い切るカンチガイヤローだけど、でも彼は神の祝福を受けるべき人間だ。清らかで美しく一点の曇りもない、地上にいながら天上人の魂を持ち続けている。

 その彼が、望むなら。
 僕は、彼の望みを叶えたい。

 彼が信じる美しい僕、強く穢れない偶像。その姿に一歩でも近付きたい。
 彼のために、僕自身のために。
 きっとそれが僕たちの別れを遠いものにしてくれると信じて。

 薪はシーツを手放した。腕を伸ばして、自分を抱く男の背中に手を回す。指をいっぱいに広げて、汗ばんだ皮膚に押し付ける。
 白い背中を仰け反らせ、薪は青木の背中に思い切り爪を立てた。


 ―了―


(2010.5)



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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