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QED(4)

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 信号が青に変わって、青木は車をスタートさせた。
 街並みはすっかり春の風景に変わり、道行く人々は薄手のコートやブラウスに身を包んでいる。桜並木も見ごろになっていたが、それをゆっくりと楽しむ余裕は青木にはなかった。

「参ったな。何とかしてあの女性から、話を聞けないものかな」
 後部座席で捜査資料を捲りながら、薪が思案顔で舌打ちする。彼の不興の原因は、先刻の事情聴取の失敗によるものだ。
 捜査中の事件の関係者に話を聞きに行ったところ、取り付く島もなく追い帰されてしまった。とにかく自分は何も知らないの一点張りで、有益な情報どころかまともな会話すらできなかった。
 彼女が重要な情報提供者になり得ることは間違いない。事件現場のすぐ近くにいたことが目撃されているし、被疑者と面識があったことも確認されている。要は、犯人と目される男が犯行時刻に現場にいた、という証言を彼女から引き出すことができれば、この事件は片がつくのだ。

「犯人からの報復を恐れて、口を噤んでいるんでしょうか」
 下手に証言をして、犯人に逆恨みされるのが怖いとか、面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだとかいう保身的な理由から、情報提供を拒む人間はたくさんいる。自分の身を守る術のない一般人には、仕方のないことかもしれない。
 青木はそう考えていたが、上司は他の可能性を見出しているようだった。

「あるいは、言いたくない理由があるのか」
「言いたくない理由?」
「事件現場は銀座のアートビル。43歳の主婦が夜の10時頃歩くには、似つかわしくない場所だと思わないか」
 なるほど。すぐ近くにホテル街がある。薪が言いたいのはそういうことか。

「夜の10時じゃ、スーパーのタイムセールは終わってますね」
 とぼけた返事を上司に返して、青木は彼女の口を軽くする手段を考える。まずはラブホテルの聞き込みからだ。
「その時間に営業していた店舗を当たってみます」
「うん。5課のバッジを借りるといい」
「わかりました」
 捜査5課は、暴力団や風俗店の取り締まりに当たっている。ラブホテルもそれに関連する商売だから、5課の人間には頭が上がらない。5課の捜査官である証のバッジを付けていけば、相手は驚くほど素直に質問に答えてくれるのだ。

「青木。帰りに僕の家に寄ってくれ。着替えを取りに行きたいんだ」
 はい、と返事をして、青木は左の車線に進路を変更した。
「室長。一日くらい休んでくださいよ。もう2週間もぶっ続けじゃないですか」
 警視長の研修を終えた日から2週間。火急の捜査は続いている。薪はいつものように第九に泊まり込んで、不眠不休で捜査に当たっている。
「僕は大丈夫だ」
 何年か前にもこんなことがあった。あのときは確か、23日間という泊り込みの新記録を樹立してしまった。今回、記録が更新されないことを祈るばかりだ。
「やばいのはうちの冷蔵庫だ。きっとまた魔窟になってる」
 ああなっちゃうと掃除が大変なんだよな、とぶつぶつ言いながら、捜査資料の確認に余念がない。もう2日くらい眠っていないはずなのに、相変わらず仕事中の室長は、限りなく自分に厳しい。

「薪さん。来週の月曜日、何の日だか覚えてます?」
「部長会議だろ。それまでにはカタをつける」
 やっぱり覚えてない。
 2ヶ月も前から、この日は薪と特別な夜を過ごそうと約束していたのに。

 4月中旬の忘れられない日。1年前の同じ日に、薪は初めて青木を受け入れると言ってくれた。
 思えば薪と出会った最初の年、春に芽生えた恋心を彼に告げたのは秋の半ば。
 薪に好きだと言った後、室長室で初めてのキス―――― 事実を端的に並べると元から両想いだったように見えるが、実際はひどかった。
 告白した直後、『僕はそういうジョークは嫌いだ』と恋心自体を否定されてしまったし、キスのお返しには往復ビンタと正拳突きが飛んできた。頭からコーヒーをぶっかけられ、最終的には室長室から蹴り出されたのだ。
 それから何回、薪に好きだと言っただろう。そのたびに断られて、雪子との交際を勧められ、僕のことは諦めろと突き放されて。

 あれから2年。
 薪はようやく自分の想いに応えてくれた。
 恋人同士になって、初めての記念日。青木はその日をとても楽しみにしていたのだ。

 しかし。
 捜査官モードに入ってしまった薪は、青木との約束など1億光年の彼方に追いやってしまう。薪はとても頭がいいくせに、自分に都合の悪いことはきれいに忘れる、という特技を持っている。
 薪が忘れるのは、デートの予定ばかりではない。
 青木がまだ25歳の若い男だということも、自分がその愛情と欲望を受け止める唯一の人間であることも、完全に忘れ去っているにちがいない。仕事中の薪の態度を見ていると、そうとしか思えない。
 今だってせっかくふたりきりでいるのだから、少しくらい甘い雰囲気になってもいいのに。例えばデートのときのように助手席に座ってくれるとか、信号待ちの間は手を握らせてくれるとか。マンションの地下駐車場に入って周囲から遮断されたら、キスを許してくれるとか。

 青木の期待を無視して、薪はクローゼットの中で着替えを用意している。ハンガーに掛かったワイシャツを何枚かとスーツを2組。クロークから何本かのネクタイを引き抜いて、それらをすべて青木に手渡した。運べ、ということだ。
 次に薪はチェストを探る。チェストには下着と靴下が入っている。
「これだけじゃ足りないかな」
 5、6枚の清潔な下着を手にして、枚数の不足を気にしている。いったい、あと何日泊り込む気でいるのだろう。

「奥のほうに新しいのがあったかな」
 薪は床に両膝をついて、両手を引き出しの奥に伸ばした。
 四つん這いになって腰を高く上げた後姿に、青木は思わず唾を飲み込む。
 このポーズは……ヤバい。
 お尻を突き出したその体勢は、薪のかわいいヒップを強調する。薪のそれはキュッと上向きで程よく肉がついていて、プリッと丸い。うつ伏せに寝ていると、頬ずりせずにはいられない愛らしさだ。
 それが青木の前で、もぞもぞと動いている。手を前に伸ばすたびに、色っぽくしなる腰。その奥に自分を埋めたときの快楽を思い出して、青木の下腹部が熱を持った。

「……何をする」
 無意識に、青木の腕は薪に渡された衣服を床に落とした。その代わりに服を着る本人を後ろから抱きすくめていた。
 青木の腕に、薪のからだの感触が伝わる。しっかりとした肉の感触。しなやかでバネの強い身体。このスーツの下に隠れた美しさを、青木は知っている。
「お願いします。一度だけでいいですから」
「なにトチ狂ってんだ、バカ。捜査状況、解って言ってんのか。容疑者が確定できない状態なんだぞ?」
 それは解っているが、殺人事件の捜査中にセックスをしてはいけないという決まりはないはずだ。でなければ、捜一の人間の家庭には子供ができないことになる。

「だってもう1ヶ月も。薪さんは淡白だから平気でしょうけど、オレは限界なんです」
 研修期間中は、顔を見ることもできなかった。帰ってきたと思ったら、緊急捜査で呼び出された。それもあんな中途半端なところで。
 それから捜査が始まって2週間。青木は薪の身体に指一本触れていない。計算してみると、薪と最後に愛を交わしたのは1ヶ月以上も前のことだ。欲しくなって当たり前だ。
 
「お願いします。1時間だけ、いえ、30分でもいいですからオレに時間をください」
「1時間と言わず、一晩中でもくれてやる」
 薪は低い声で呟くと、青木の顔を見上げた。
 亜麻色の眼が氷のように冷たい。めちゃくちゃ怒っている。軽蔑しきった目で睥睨されて、青木は何も言えなくなった。
「そんなに抜きたきゃ、ソープへでも行って抜いてこい」

 あんまりだ。
 相手が薪だから我慢しきれないのに。まるで性欲処理の目的だけで迫ったみたいな言い方をされて。
 この人のこういう言い方には、ものすごく傷つく。デリカシーがないというか相手の気持ちを考えないというか。
 もともと自分勝手な人なのだ。
 ベッドの中でも、薪は自分だけ満足したら眠ってしまう。薪の仕事がどれだけハードなものか青木は知っているし、年齢的なこともあったりするから、無理に起こして続きを強要したことはないが、こんな酷いことを言われてしまうとそういうことも思い出されて、つい恨みがましい気持ちになってしまう。素直に謝れない心境だ。

 黙り込んだ青木を、薪はぎろりとねめつけた。それは間違っても恋人に対する視線ではない。愛情も真心も感じられない。薪が仕事にプライベートを持ち込まない主義なのは解っているが、ふたりきりのときまでこんなに厳しくしなくたって。

 帰りの車中で、薪は口もきいてくれなかった。
 ルームミラーに映ったきれいな顔は冷徹な捜査官の顔で、薪は事件のことで頭がいっぱいなのだと解った。
 薪はいつもこの調子だ。
 仕事が1番、第九が2番。3番が雪子で、4番目が……鈴木のことだ。自分は薪の何番目なのだろう。せめてベスト10に入っていることを祈りたい。

 薪が書類を読みやすいようブレーキのかけ具合に注意しながら、青木は小さくため息をついた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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