QED(6)

QED(6)




 室内にチャイムの音が響き、薪は顔を上げた。

 もしかして、青木が来たのか?
 ……もう遅い。料理もケーキも、全部ゴミ箱の中だ。

「薪さん。オレです、開けてください」
 知るか。
「早く開けてくださいよ。お酒が温くなっちゃいますよ」
 カメラを確認すると、百合の花束と例の酒屋の袋を持った長身の男が、うれしそうな顔をして立っている。ものすごく幸せそうに、薪がドアを開けるのを待っている。

 別に、こいつの愛情を疑っているわけじゃない。ずっと許さなかったのは僕だし。
 あれは単なる生理現象だ。僕だってあのくらいの年齢には月に何回か。だからこのことは、気付かなかった振りをしてやり過ごすのが大人の関係というものだ。年上の恋人らしく、見て見ぬ振りをしてやろう。
 もとより、僕はこいつの要求にはとても応えきれない。12歳も年が違うんだから、当然と言えば当然だ。月日が経つほどに、その差は広がっていくだろう。
 遅かれ早かれ、こいつは僕から離れていく。それは1ヶ月後かもしれないし、明日かもしれない。きっとあまり時間は残されていない。だからつまらないことでケンカなんかしないで、限られた時間を楽しく過ごしたほうがいい。
 そう心に決めて、ドアを開けたはずなのに。

「さわるな!」
 自分を抱きしめようとした手を、薪は反射的に振り払っていた。
「他の人間を抱いた手で、僕にさわるな! 裏切り者!」
 相手を責める言葉が、勝手に口から飛び出していく。こんなことを言うつもりはなかったのに。鉄の自制心はどこへ行ったんだ。
「僕以外の人とはできないって言ったくせに! 嘘つき!」
 これじゃ鈴木のときと同じだ。醜い嫉妬に苛まれて、みっともなく取り乱して。
 相手のこういう態度に、男はウンザリする生き物だ。行き過ぎた嫉妬心は相手を白けさせるだけだと解っているのに、どうしてこんなことを言ってしまうのだろう。

「あの、なんのことですか?」
 玄関口に立ったまま、青木は訝しげな顔をして、薪に説明を求めてきた。素直に謝ってくるならともかく、とぼけられると本当に腹が立つ。
「とぼけたって無駄だ。銀座のラブオールっていうラブホで」
 そこまで言いかけて、薪はあのホテル街からの情報が先日の事件の証人の協力を得るきっかけとなったことを思い出す。
 ラブホテルの情報を元に脅しまがいのことをして証人を喋らせたわけだから、当然報告書にはそのことは載らない。あのときは頭に血が昇っていてその可能性に思い至らなかったけど、もしかしたら捜査の一環で?
 いやいや、あの事件は木曜には完全に終結を見たはずだ。もう、あのホテルから聞き出すことは何もない。

 薪の剣幕に怯むこともなく、青木は靴を脱いで部屋に上がってきた。薪の前を通り過ぎ、リビングのローテーブルに買ってきた花束と吟醸酒を置く。
「オレはあなたを裏切ったりしてないです。あの娘は捜査に協力してくれただけです。あのホテルは、彼女の叔母さんの持ち物なんですよ。そこにCCDをちょっとね。
 本当はもっと早くに回収に行かなくちゃいけなかったんですけど、報告書をまとめてたら遅くなっちゃいまして」
「盗撮したのか? ていうか、証人を脅したのか? それ、違法捜査だろ」
「オレは何枚かの写真を提示しただけです。あとは向こうが勝手に喋ったんです」
 なんてやつだ。
 こいつをこんな、狡すっからい真似をする捜査官に育てた覚えはない。……まあ、自分も似たような方法を考えていたが。

 自分の貞節を疑われたというのに、青木は何故か笑みを浮かべている。ひとの気も知らないで、なにがおかしいんだ。
「うれしいです。薪さんがヤキモチ妬いてくれるなんて」
「ヤキモチなんかじゃない! 僕は昔っから不倫とか浮気とか許せないんだ。不倫するくらいなら、離婚してからやればいいんだ」
「それは色々と事情が。子供のこととかあるし」
「だったらやらなきゃいいだろ」
「みんながみんな、薪さんみたいに自制心の強い人間じゃないんですよ。オレだって昔はあなたが結婚したら諦めようと思ってましたけど、今は例えあなたが誰かの父親になっても諦められるかどうか。自信ないです」
「なに調子いいこと言ってんだ。あの娘と寝たくせに」

 青木の態度はとても誠実で、たった今恋人を裏切って他の女性と楽しい時間を過ごしてきた男にはとても見えなかった。薪はその言葉を信じたい気持ちでいっぱいになっていたが、憎まれ口のほうは止まってくれなかった。
「僕は裏切り者は一生許さない。もう二度と僕の身体にさわるな!」
 言ってしまってから、薪はすぐに後悔した。
 こんな決定的な決別の言葉まで口にするつもりはなかったのに。ここまで言ってしまったら、こいつだって後に引けなくなってしまう。

 謝ったほうがいいと思ったが、薪の口は開いてくれなかった。
 肝心なときに限って、自分の気持ちと反対のことばかり出てくる。これまで何度、この性質のせいで失敗してきたことだろう。
 気持ちの制御を失ったとき、人は大切なものも一緒に失くしてしまう。長い間かけて培ってきた、信頼とか絆とか、そういったかけがえのないものを一瞬で壊してしまう。
 決してそんなことを望んでいるわけじゃないのに。どうして僕はいつもいつも、素直になれないんだろう。

 薪の葛藤をよそに、青木はいつもの穏やかな顔を崩さなかった。苦笑しつつ、大きな手で薪の両手を包み、
「なんでそんなに自分勝手なんですか? こないだオレに、ソープ行けとか言いませんでした?」
 言った。というか、怒鳴りつけた。
「だって、進行中の事件の最中におまえがヘンなこと言い出すから」
「捜査中は禁止ってことですか?」
「そんなことをしている間に被害者が増えたりしたら、僕は自分を許せなくなる。きっと、おまえのことも恨みがましく思ってしまう。だから」

 自分の考えが一般的でないことは、薪にも解っていた。それとこれとは別だと考えるのが普通だ。自分で思い込むのは勝手だが、それを相手にも強要しようなんて。しかも相手の男の事情まで封じてしまおうなんて。
 我ながら、どこまで身勝手なんだろう。

 自分がやっていることの愚かさに気付いて、薪はうなだれた。
 それでも自分には、こうすることしかできない。自分が犯した罪を償うためにも、できる限りの人々を救いたい。が、それに青木を巻き込むのは筋違いだ。
 悪かった、と言おうとしたとき、ふいに抱きすくめられた。

「意地悪言って、すみませんでした」
 ひと月ぶりの温かさに、薪はうっとりと目を細める。おずおずと背中に手を回して、そのぬくもりを抱き返した。
「オレは薪さんのそういうところに惹かれたんです」
 どこまでもやさしい青木。
 こいつは僕のことを好きでいてくれる。大切なのは気持ちだ。他の女と寝たか寝ないかなんて、どうでも――――。
 ……………。
 やっぱり面白くない。

 そんなに簡単に割り切れるものじゃないけど、でも今は我慢しよう。せっかくこうして、自分に会いに来てくれたのだから。この時間を大切にしなければ。
 薪は目を閉じて、愛しい恋人の香りを吸い込んだ。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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