サインα(3)

サインα(3)





 騒がしい居酒屋のボックス席で、青木は2杯目の生ビールのジョッキを一気に呷った。
 ひと息に飲み干して、はあっとため息を吐く。向かいの席で、雪子が呆れ顔でこちらを見ている。無茶な飲み方だとわかっているが、酒でも飲まなきゃやっていられない。
「ちょっと。お腹に何か入れないと、胃に響くわよ」
「食事は済ませました。さっき薪さんの家で」
「じゃ、なんであたしを呼んだわけ?」
 青木が電話した時、雪子が研究室にいなかったのは少し意外だった。周りが騒がしいからおかしいと思って訊くと、渋谷の居酒屋にいると言う。誰かと一緒ですか、と聞いたら一人だと言うので、店の名と場所を教えてもらって合流した。

「聞いて欲しい話があったんです」
 店はとても混んでいたが、雪子はボックス席をひとりで占領していた。テーブルの上には、食べかけの料理の皿がいくつもあった。もしかすると、誰かと一緒にここに来ていたのかもしれない。さっきの電話は、青木を気遣った嘘だったのかも。雪子の性格なら充分に考えられる。
「無理言ってすみません。でもオレ、三好先生以外に相談に乗ってくれる人いないから」
「薪くんのこと?」
 察しのいい雪子は、直ぐに青木の悩みを見抜いた。尤も、雪子に薪の事以外で相談を持ちかけたことは無いから、分かって当たり前かもしれない。

 薪に恋をした4年前から、青木はずっと雪子に頼ってきた。恋人同士になる前は、薪と親密になるにはどうしたらいいかアドバイスをしてくれて、念願叶って恋人になってからは、薪の冷たい態度に挫けそうになるたびに勇気付けてくれた。
 彼女には、薪との間に起きたトラブルは全部話した。元婚約者の鈴木のことだけは言うべきではないと考えたが、やっぱり話してしまった。よって、雪子は何もかも承知の上で、いま青木の泣き言を聞いているのだ。

「薪さん、ちっともオレのこと好きって言ってくれないし、どう思ってるかって訊いたら『セフレ』って言い切られちゃうし」
「だからそれは前にも言ったでしょ。薪くんは、好きでもない人とそういうことできるタイプじゃないって。天然記念物指定が付くくらい、純粋なひとなんだから」
「三好先生の買い被りじゃないんですか。薪さん、今でも鈴木さんのこと忘れてないですよ。オレには分かります。それでも、オレとの関係を断とうとはしない。それって純粋な人のやることなんですか?」
 雪子は聞き上手でおだて上手で、頭がいいから問題点の理解もその対策を立てるのも早い。対策と言っても、青木が薪を思い切ることなど絶対にできないことが解っているから、どうやって関係を修復するか、あるいは青木の考え方をいかにポジティブに持っていくか、ということに限られるが。
「いつまでもオレの一方通行なのかなって思ったら、辛くなっちゃって。今日もベッドの途中で出てきちゃったんです」

 雪子は、青木が何を言ってほしいのか、どんな風に勇気付けて欲しいのか、それもちゃんと心得ている。今日も青木は期待していた。
『薪くんは照れ屋だから。表に出さないだけで、心の中では青木くんのこと大好きなのよ。親友のあたしが言うんだから、間違いないって』
 薪の口から聞けなかった台詞を彼の友人の口から聞いて、それで何とか自分をなだめようと思った。雪子に甘えてばかりで申し訳ないと思ったが、自分ひとりで抱え込むには、今日のマイナス感情は強すぎた。
 雪子なら、きっとそんな風に慰めてくれる。一時的にでも、自分はそれで元気になれる。今までずっとそうしてきたのだ。今回だって、立て直せる。
 ところが。

「あんたたち、もう別れた方がいいかもね」
 常になく深刻な表情の雪子が口にした一言は、青木を驚愕させた。
「こんな最低の男と付き合ったって、いいことなんか何もないわ。別れた方が賢明よ」
 固い表情を崩さないまま、雪子は鳥の唐揚げを一口で食べた。それをビールで流し込み、焼きそばの皿を手に取る。黙々と食べ物を詰め込む彼女の態度に、青木は不安を感じた。雪子は機嫌が悪そうだ。もしかしたら、友だちと楽しくやっていたところを邪魔してしまったのかもしれない。

「いや、あの、薪さんは確かにヒドイ恋人ですけど、最低って程じゃ。いいとこもたくさんあってですね、本当に時々ですけど、優しい言葉もかけてくれるし」
 半年にいっぺんくらいですけど、と心の中で付け加えて、青木は雪子の次の言葉を待つ。雪子は空になった皿をテーブルの上に置いて、半開きの据わった目で青木を見た。

「サイテー野郎はあんたのほう」
 青木は絶句した。
 この件に関して、自分に落ち度はない。不実が疑われるのは薪の方だ。それなのに、どうして自分が責められなければならないのだ。

「なに言ってんの、いまさら」
 柔道の試合のときのように鋭い目で、雪子は青木を睨んだ。その黒い瞳には本物の怒りが宿っており、彼女が本気で青木に腹を立てていることが分かった。しかし、納得できない。自分は被害者なのに。
「あのとき訊いたでしょ? 他のひとを愛し続ける彼を、一生愛せるかって。あんた、納得して薪くんを追いかけたんじゃない」
 それはあの夏の日。
 あの時は、そう思った。あの気持ちは嘘ではなかった。だけど。

「三好先生には分かりませんよ。誰かの身代わりにされてるかもしれないって、そんなこと考えながら付き合わなきゃいけない気持ちなんて」
 こんな心境のときにそのことを持ち出されても、ああそうでした、と得心する気にはなれない。いま青木が欲しいのは叱咤激励ではなく、気分を上向きにしてくれる耳に心地よい言葉だ。恋人からそれを得られないから、雪子に相談したのに。

「ヘタレだヘタレだと思ってきたけど、ここまで最低の男だとは思わなかったわ」
 雪子の手の中で、割り箸がバキリと音を立てて折れた。料理はまだ沢山残っていたが、雪子は席を立った。
「あんたみたいな男のために泣いて、損したわ!」
 テーブルの上に料理を残したまま去る彼女を見たのは、初めてだった。これは只事ではない。雪子を怒らせたら、薪と本当に別れることになってしまうかもしれない。薪は雪子の言うことなら何でも聞く。職務に関する事以外で彼女の望みを叶えなかったことは、ただの一度もないのだ。

 青木は慌てて雪子の後を追いかけた。レジで清算をする彼女に追いつき、自分が払いますと申し出たが無視された。いくら話しかけても謝っても、何も答えずにずんずん歩いていく。青木は必死に彼女の後をついていく。
「三好先生、すみませんでした。もう弱音は吐きませんから、薪さんのこと信じますから」
「無理することないわよ。あたしから薪くんに別れるように言ってあげるわ」
 それを言われたら本気で終わる! 薪が優先する人間の順番はとても明確に決まっていて、雪子は青木の遥か上だ。

「違うんです、別に薪さんのことがイヤになったわけじゃなくて! オレがあのひとのこと、嫌いになれるわけがないじゃないですか」
「どうせ口先だけでしょ」
 雪子にこんなことを言われたのは初めてだ。雪子はいつでも青木の味方だった。姉のように母親のように、青木を癒し励まし、導いてくれたのだ。

「あんたみたいな男に薪くんを任せたあたしがバカだったわ」
「ちょっと待ってくださいよ。オレはちゃんと薪さんのこと愛してます! 信じてくださいよ」
 思わず声が大きくなって、通りすがりの酔っ払いに冷やかされた。下卑た笑い声と共に、「兄ちゃん、がんばりな!」と声が掛かる。言われなくてもそうする。雪子が敵に回ったら、薪との仲は絶対に上手くいかなくなる。

「じゃあ、身体で証明しなさい。そしたら信じてあげる」
「は?」
 夢中で追っていた背中が止まって、青木はほっと息をつき、しかし次の瞬間驚きに目を瞠った。後方の酔っ払いが何をがんばれと言ったのか、何故彼らが笑っていたのか、青木はやっと理解した。
 雪子が立ち止まったのは、ラブホテルの前だった。



*****


 何かを期待してる方、するだけ無駄ですからネ(笑)



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
文字サイズをお選びください
最新記事
最新コメント
拍手のお返事
いつもありがとうございます!

最新拍手コメのお返事はこちらです。

過去の拍手レスの確認は、該当記事の拍手欄を押してください。
鍵拍手コメのレスは、記事のコメント欄にお返しします。
月別アーカイブ
カテゴリ
詩 (1)
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
こんにちは(^^
現在の閲覧者数: