サインα(5)

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 薪のマンションのチャイムを鳴らす前に、青木は時計を確認した。
 時刻は10時半。仕事最優先の薪の主張で、平日のデートは10時までという決まりがあるから、この時間ではドアを開けてもらえないかもしれない。そうしたら、インターホンで謝罪だけして、ドアの前で土下座して、今日は一旦引き上げよう。
 
 そんな頭があったから、ボタンを押すと同時にドアが開いたことに青木は驚いた。扉の向こうで青木を見上げている亜麻色の瞳が、哀しそうな色を湛えている。先刻の自分の行動が薪をひどく傷つけたことを知って、青木は申し訳ない気持ちで一杯になった。

「ごめんなさい、薪さん。今日みたいなことは二度としませんから、許してください」
 亜麻色の頭がこくりと頷いて、青木はもう一度びっくりする。あの意地悪な薪が、こんなに簡単に青木のことを許してくれるなんて。今までもこんなケンカは日常茶飯だったのだが、その度に薪は陰険に青木のことを苛めて、一度の謝罪で許してくれたことなど記憶にない。心の中では許していても、必ず二言三言は皮肉を言って、ネチネチと青木をいたぶって楽しむのが薪のスタンダードな仲直りの仕方なのだ。

「雪子さんから電話があった。今日だけは、おまえのこと許してやれって」
 なるほど、雪子が口添えをしてくれたのか。さすが雪子だ、ナイスフォローだ。
 薪はソファに腰を下ろすと、じっと足元を見つめた。うなだれた可憐な姿に、彼が寂しさを感じていることを知る。きっと薪は今、自分に側にいて欲しいと思っている。
 隣に座って彼を抱きしめる。胸の中に抱き込んで、サラサラした髪に頬ずりした。
「薪さ……えっ?」

 くちびるを寄せていた前髪の不自然な震えに気付いて、青木は身体を離した。見ると、丸みを帯びたやわらかな頬を涙が濡らしている。
「薪さん。あの」
「気にしなくていいから」
 こんなに泣くほど傷ついているとは思わなかった。もしかして、これまでに何回かあったケンカのたびに、薪はこんなふうに泣いていたのだろうか。自分が知らなかっただけで、このひとは陰でたくさんの涙を流していたのだろうか。

「僕がいつまでも未熟なのが悪いんだから、僕におまえを止める権利なんか無いんだ。子供じゃないんだし、知らない振りしようとしたんだけど……でも、やっぱり悔しくて、情けなくて」
「なにがですか?」
「雪子さんにも許してやれって言われたし、自分でも大人気ないと思うけど、でも。おまえが僕以外の誰かを抱いたんだと思ったら、涙が勝手に」
「はい!?」
 わからないっ、薪の思考経路はぜんぜん解らない! 雪子から「許してやれ」と電話があっただけで、なぜ浮気と結びつく!?

「おまえの気持ちを疑ってるわけじゃないんだ。僕も男だから、事情はわかるし。だから、気に病まなくていい」
「誤解ですよ。三好先生は、オレが薪さんとケンカしたまま家を出ちゃったことを許してやって、って言ったんです。オレはそれ以外、薪さんに謝らなきゃいけないようなことはしてません」
「隠さなくていい。わざわざ雪子さんが電話をしてきたんだ。いつものケンカとは違うことが起こったんだって、すぐにわかった」
 三好先生、余計なことしないでください!

 感謝の気持ちは5分もしないうちに翻って、青木は非難の言葉を胸で叫んだ。
 雪子にしてみれば、彼らがこんなケンカを頻繁にしているとは知る由もないのだから、これは気配りだ。それを非難されたら立場がない。
 しかし、電話があったくらいで浮気を決め付けるなんて、短絡的過ぎる。薪はもともと思い込みが激しいところがあるが、これは酷すぎる。青木にも失礼だ。

「オレがそんなこと、するはずないでしょう? 薪さん以外のひとなんか眼に入らないって、いつも言ってるじゃないですか」
 薪は両腕を伸ばし、青木の胸をとんと突いた。自分と恋人の間に距離を作って、浮気の証拠を次々と提示し始める。
「だっておまえ、すっごい香水臭いし」
 しまった、彩華の香水だ。鼻が慣れてしまって、自分では気付かなかった。
「首にはキスマークがついてるし、ワイシャツには口紅がべったりだし」
「ち、違うんです。これはその」
 青木はその先を続けることができなかった。オカマに押し倒されたなんて、薪には知られたくない。いや、浮気とかじゃなくて、単純に恥ずかしい。
「もしかしたら雪子さんと、って思ったんだけど。この茶色くて長い髪は、雪子さんのじゃないだろ? 雪子さん、ピンクの口紅なんてつけないし」
 人差し指と親指でつまんだ髪の毛を青木の前で振り、ワイシャツの襟についた口紅の痕を顎で指す。数々の物的証拠を挙げて、どうだ、と薪は挑戦的な眼で青木を睨んだ。

「察するに、おまえはこの髪の持ち主と」
「ちがいますっ! この髪の人物とは、死んでも関係したくありません!」
 青木の剣幕に怯みつつも、くっと細い顎を引き、肩を引き上げるように首を竦めて、薪はフェミニストを気取った。
「死んでもって。おまえ、それは相手の娘に失礼じゃないか?」
 青木にとっては心からの叫びだったのだが、事情を知らない薪には外見による蔑視に聞こえたらしい。青木も相手が本物の女性ならこんなことは言わないが、しかし。

「いろいろと方法はあるだろ。部屋を真っ暗にするとか、顔に紙袋を被せるとか」
 紙袋ってなに!? どんなプレイ!?
「薪さんの方がよっぽど失礼ですよ、てか、紙袋が米倉○子のマスクでもダメです。あのムダ毛が気持ち悪くって」
「ムダ毛の処理を怠ってるのか? それはちょっと引くな。だけど、毛深い女は情も深いって言うぞ。いろんなサービスしてくれるかも」
 薪は一旦言葉を止め、顔に似合わない猥談をするときの眼で、うぷぷと笑った。
「そっか、してもらったんだな。よかったな」
「されてません!! 逃げてきたんですよ!」
「逃げた? そんなおまえ、もったいないことを。いや、ウソつかなくていいぞ、僕は大人だから。気にしないから」
「信じてくださいったら!」
「わかったわかった、安心しろ。そういうことにしておいてやるから」
「しておいてやるじゃなくて! 本当に何もしてませんよ!!」

 青木は薪に掛けられた容疑を晴らそうと躍起になって、いつの間にか彼が、普段の意地悪な口調を取り戻していることにも気付かない。青木の様子を見れば鋭い薪のこと、純朴でウソのつけない彼が無実であることはすぐにわかった。だから、これはもういつもの言葉遊びなのだが、青木の方は大真面目だ。それがますますイタズラ心を刺激して、薪の演技は迫真を極める。
「いいんだ、僕に気を使ってウソをついてくれなくても。隠される方が、よっぽど悲しい……」
 両手で顔を覆って肩を震わせる。手のひらに当たる顔の筋肉は、もちろん笑っている。
 オロオロする青木の顔が、とてつもなく面白い。腹を抱えて笑いたいが、それではこの楽しい遊びの時間が終わってしまう。薪は必死に笑いを噛み殺した。

 肩の震えを激しくする薪を見て、いよいよ窮した青木が携帯電話を取り出した。薪が青木の勇み足を止める間もなく、リダイヤルのボタンを押す。
「三好先生っ、彩華さん連れて薪さんのマンションに来てください! オレの無実を証明してください!!」




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Mさまへ

鍵拍手いただきましたMさまへ

ええ、次こそは彩華×青木をガチで!って、うげおろごg(←ゲシュタルト崩壊)

もう、Mさまったら~~、
しづをどこまで行かせる気ですか(笑)

Kさまへ

鍵拍手いただきましたKさまへ

>ひゃーははははーっ!(≧▽≦) か、「紙袋」!!(変なところに反応してスミマセン)…ハァ~面白すぎます…(T∀T)。

きゃー、ウケたわ、ウケたわ!
これ、車の運転しながら思いついて、思わず路肩に止めてメモ帳に書きなぐったという(←すぐに書かないと忘れる)
てか、薪さんひどすぎでしょう!!
女性を何だと思ってるんだか!! (すみません、わたしが書きました)
そうだわ、薪さんのあの目隠しも紙袋だったら めっちゃ笑える いえ、何でもないです。


>しづさま、拍手10000突破おめでとうございます!これからもしづさまの「青薪面白珍百景」楽しくワクワクしながら拝見させていただきます!

ありがとうございますっ!
ええ、まさに面白珍百景ですねっ、当サイトの売りでございます!(笑)
これからもよろしくお願いします!


それと、
Kさまも彩華×青木をご所望で(言ってない)
げらげらげら☆★☆
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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