ハプニング(9)

ハプニング(9)





「室長。特捜の報告書、見てもらえますか」
 十数枚に渡る緻密な報告書の束を持って、青木は恐る恐る言った。
 何があったか不明だが、今日の薪の機嫌は地面スレスレの低空飛行。二人きりの特捜だというのに朝から一言も喋らないし、にこりともしない。
 
「あの……?」
 長方形の角だけが丸みを帯びたレンズの向こうから、ぎろりと凶悪な視線が青木を見据える。ふん、と鼻を鳴らして青木の手から書類をひったくり、乱暴に頁をめくり始める。イライラしたときのクセでつま先を上げ下げし、時折、やりきれないというようにハッと強く息を吐く。そんな薪と二人きりで部屋にいる青木はたまったものではない。
「ツバメも真っ青の超低空飛行だ……どわっ!!」
 ぼそりと呟いた陰口に、ワイヤレスキーボードが飛んできた。青木の身体になっても、薪の手の早さは変わらない。
「危ないですよ」と青木が思わず言うのに、
「僕はあんなこと絶対にやらないぞ!!」と真っ赤になって叫んだ。相変わらず、薪の思考回路は理解不能だ。

 尚も不機嫌な顔つきで報告書を読んでいた薪の顔が、急に真顔に戻った。口元に手を当ててじっと考え込むようだったが、やがて、
「青木。この最後の文は不要だ。削っとけ」とぶっきらぼうに言った。
「死刑囚に同情してどうする。何の罪もない女性と、更には子供を2人も殺した女だぞ」
「そうなんですけど。彼女、ずっと辛い人生を送ってきていたから」

 先日刑が執行された西園冴子(38)は、8年前に不倫相手とその家族、1家4人を惨殺して死刑が確定した。 捜査の過程で不倫相手に騙されての交際だったことが判明し、彼女に僅かな同情が集まったものの、そのあまりにも残酷な殺害方法が人々の同情心を遠ざけ、彼女は稀代の魔女として世間を震撼させた。
 更に、誌面を賑わせた彼女の美しい顔が作り物だったことを知るや、世論はますます彼女に辛いものとなった。
 冴子は、何度も整形手術を繰り返していた。元からそれ程、醜い顔だったわけではない。しかし何かに取り付かれたように、彼女は自分の顔を変え続けた。

「人間関係に躓くたびに、整形を繰り返していたように思うんです。外見が変わることで、何かが改善する――― そんな思いに取り付かれていたんじゃないかと。彼女の整形歴は15年にも及びますから、過去のことは推測でしかありませんが。
 彼女の母親はシングルマザーで、不倫の末に彼女を産んだそうです。母親はすぐに新しい男を作って冴子を置き去りにし、彼女は祖母に育てられたんですが、彼女の顔は母親にそっくりで、そのことをいつも祖母に責められながら育った、との証言が冴子の幼馴染みから取れてます。
 こんなことを身内から言われたら、きついですよね」
 青木は取調べ調書の該当頁をさぐり、その一行を指で指した。細い指の先の、桜貝のような爪が触れた一文を、眼鏡の奥の黒い眼がさっと読む。

『おまえみたいな顔の女は、他人様のものを盗む泥棒猫になる』

「だから彼女は整形を繰り返して、母親の呪縛から逃れようとしたんじゃないでしょうか。なのに、この男に騙されて関係を持って、結局はお祖母さんから言われたとおりに。真実を知ったときの彼女の絶望は、とても深かったと思います。だから」
 青木はもう一度ページを繰り、冴子自身の供述調書にある一文を示した。

『幸せそうな家族を見ていたら、気が狂ったみたいになって、自分が止められなかった』

 それから、モニターに被害者となった一家の画を呼び出した。
 ごく普通の、当たり前の4人家族。何と言うことはない、ただ一緒に夕飯を摂っているだけの画だ。取り立てて賑やかでもなく、笑い合っているわけでもなく、テレビはついたままだし会話をしている様子もない。ギスギスしているわけではないが、愛情一杯という様子もない、こんな家庭が今は普通だ。
 しかし、西園冴子というフィルターを通した途端、その光景は光り輝いた。
 4人の間に流れる愛情のパルスが、光の奔流のように溢れていた。表面に現れるものはなくとも、彼らの間にはしっかりと繋がった糸がある。
 それはきっと、彼女が求めて止まなかったもの。死ぬまで手に入れることの叶わなかったもの。

「こんな平凡な家庭が、彼女にはこんなに眩しかったんですね。彼女の犯行は許されることじゃありませんけど、ひとかけらの同情の余地もないとは」
「ない」
 青木の熱意に冷水を浴びせるように、薪はにべもなく言い捨てた。薪はやさしいひとだと思うが、時々こんなふうにひどく冷たい言い方をする。
「同情の余地はない。いくら何でもやりすぎだ。普通なら、騙した男に平手打ちのひとつでもして、不倫の事実を奥さんにばらして、夫婦喧嘩でオチがつく話だろ」
「これを見てください」
 青木はマウスを操作して、犯行現場をモニターに映した。そこには、包丁で滅多突きにされた男の死体と、同じく喉を裂かれて息絶えた妻が台所の床に転がっていた。

「……っ!」
 モニターを見た薪が、思わず息を飲む。
 部屋中に飛び散った大量の血液は、平凡なキッチンを地獄絵図に変えていた。ダイニングテーブルの上に置かれた四人分のポークソテーにと、大きな器に盛りつけられたポテトサラダが血に染まっている。冷蔵庫の扉に貼られた子供向けのアニメキャラのシールに赤い飛沫が飛んでいる。木目の床に、血溜りができている。血の池に顔を伏せるようにして息絶えている、子供の後頭部が見える。
 凄惨な画の中で冴子は、手にした包丁で女の死体から顔の皮を剥いでいた。身に付けた白いワンピースを返り血で真っ赤に染め、血の池に膝を着いて被害者に覆いかぶさるその姿は、魔女の称号に相応しかった。

 包丁を立てて切っ先を使い、顔の周りをぐるりと切り取る。眼窩に人差し指を入れ、親指の爪でこめかみの皮を剥く。女の皮の下にびっしりと付いた黄色い脂肪と真っ赤な血が、冴子の爪の間から溢れ落ちる。
 慎重な手つきで冴子は悪鬼のような作業を進め、やがて女の顔は赤黒く潰れた石榴のようになった。冴子はそれを一瞥し、すぐに自分が切り取った皮膚を見つめた。
 彼女の戦利品ともいえるそれは、人間の肌の色をして、ぐにょぐにょと布のように波打つ。冴子はそれを食卓の上に置くと、指で丁寧に広げ、布巾で汚れを拭き取った。額の部分を両手の人差し指と親指で挟むように持ち上げ、自分の目の前にかざす。

 徐々に近付いてくる皮膚の内側がモニター画面を満たし、薪は不覚にも腰が引けた。生皮の仮面に開いた二つの穴を通して再び部屋の中の光景が映ったとき、まるで自分の顔に他人の生皮が張り付いたような錯覚を覚えた。
 体温を失った人の皮膚の、ひやりとした感触。生理的な嫌悪感に、背筋がゾッと粟立つ。刹那、床に落ちていくかと思われた両膝が何かに引っかかって止まり、薪は自分の腰にさりげなく添えられた小さな手に気付く。
 ぐっと足を踏ん張って、薪は冷静な口調で言った。

「これが本物のデスマスクってやつだな」
「室長はさすがですね。オレはここで吐きました」
 苦笑して、青木は大きな眼で薪を見た。亜麻色の瞳の中に、強張った男の顔が映っている。

「この後、西園冴子は自分の姿を鏡に映します」
 サニタリーに備え付けられた手洗い用の鏡に、不気味な仮面をつけた女が写っている。しかし仮面はすぐに剥がされ、その下から美しい女の顔が現れた。所々、血に汚れた凄惨な美貌。額の真ん中から長い黒髪を両脇に垂らし、一見儚そうに見える彼女の眼は、絶望と狂気に濁っていた。
「それから彼女は、この作業を残りの3人に施し、やはり同じように剥いだ皮を自分の顔に当て、鏡に写すことを繰り返します。最後に当てたのは、自分が愛した男の皮でした。
 それを外したとき、彼女は初めて涙を零しました」

 鏡の前で、彼女は男の皮を頬に当て、身も世もなく泣いた。それは自分が犯した罪の重さに気付いての悔恨なのか、愛した男を永遠に失ったことへの悲しみなのか。
「どちらでもないと思うんです。室長も、同じ考えですよね」
「顔だけ変えたって、別の人間にはなれない。やっとそのことに気付いたんだろ。バカな女だ」
 冷酷な薪の言葉に、青木は自分の立場を忘れる。室長の薪に対する反論の言葉が、自然に口をついて出た。

「変身願望は誰にでもあります」
 不幸な子供時代を過ごして、近しい人からの非難を恒常的に受け、深い闇を抱えることを余儀なくされた挙句に過ちを犯してしまった彼女を馬鹿な女と言い捨てる、その酷薄な態度に憤りを覚える。
「西園冴子の場合、子供の頃に受けた祖母からの刷り込みによってその願望が異常なまでに大きくなり、その結果この凶行に到ったものと思われます。なので、検察側の起訴内容にある『自分を騙した不倫相手への恨みと、その家族への嫉妬心から顔の皮を剥いだ』という記述には、疑問があると」
「その疑問は不要だ」
 断定的な口調で、薪は青木の言を遮った。

「青木、特捜は犯行の事実だけを確認すればいいんだ。死刑囚の動機まで追うことはない。情状酌量の可能性があったとしても、彼女はもう死んでいる。無駄なことだ」
 青木にも、それは分かっている。特捜は、犯人の罪状に誤りがないか、余罪がないかを調査するものだ。犯行の動機や犯罪に至った心情を掘り起こすものではない。
 しかし、今回の件はあまりにも世間の誤解が酷い。このままではこの女性は、冷酷非道で血も涙もない魔女の烙印を押されたままになってしまう。

「でも」
「自分を認めることができなくて、整形手術を繰り返す。そこが既にバカだろ。外見だけ変えたって、中身が変わらなきゃ意味がない」
「彼女だって、変わりたかったんです。整形はきっかけにしたかっただけだと思います。でも、変われなかった。持って生まれた性質を変えるのはとても難しいし、今まで積み重ねてきた過去を消すのはもっと難しいからです」
 青木も時々、自分のこの愚鈍さを何とかしたいと思うときがある。おおらかと言えば聞こえはいいが、要は鈍いのだ。早い展開には付いていけなくて、目から鼻に抜けるタイプの薪をしばしば苛立たせる。

「他人を変えるのは大変だけど、自分を変えるのは簡単だ。努力次第でどうにでもなる。なりたい自分になればいい」
 それは薪が、生まれつき優れた能力を持っているからだ。あれだけの頭脳と運動神経、さらにその美貌を持ってすれば、努力で叶わないことなんかこの世にないだろう。でも、普通の人間はそうじゃない。いくら努力しても手に入らないものがあることを、幾度も思い知らされて大人になるのだ。
「そりゃ、薪さんくらいの地力があれば」
「顔を変えたくらいで、自分の過去が消せるもんか。そんなことをしなくたって、いくらでも人生をやり直すチャンスはあったのに。この女はバカだ」
 ぎゅ、と唇を噛む薪の仕草に、青木はようやく彼の本音に気づく。

 自分の感情を素直に出せない薪は、偽りの言葉で自分の本心を幾重にもガードする。中心に収められたそれが、ひどく脆いものだと自分でも分かっているからだ。常ならば、亜麻色の瞳を見れば彼の気持ちが伝わってくる、しかし今、薪の心は眼鏡の奥の黒い瞳に隠されてしまっている。小さくて色素の濃いその瞳は、情感を表すには単調すぎる。

 自分の人生をやり直したい、過去を抹消したい。
 夜毎、自分の罪に恐れ慄く薪が、夢で幾度も自分の親友に殺される薪が。
 それを思わないわけがない。

「そうですね」
 やっとの思いでそれだけ搾り出し、青木は薪を見つめた。他に、どう言っていいか分からなかった。
 青木は黙って報告書の訂正に取り掛かった。重い沈黙がふたりの間に落ち、部屋の中には紙を捲る音と青木が叩くキーボードの音だけが響いた。

「……僕は、思ってない」
 やがて薪は、静かに言った。
「別の人生を歩みたいなんて、僕は思わない。これは、僕の道だ」
 青木が振り向くと薪は、強い意志を宿した黒い瞳で、じっと空を睨んでいた。





テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Cさまへ

Cさま、こんにちは。

叫んでくださってありがとうございます。
ええ、うちの薪さんは 「仕事中だけ」 はカッコイイんでございますのよ☆
他はなんかアレですけど(笑)

本当にねえ・・・・・・・このひとから仕事取ったら、ただのカンチガイヤローのダメ人間に・・・・・・・・あはは(^^;
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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