ハプニング(17)

ハプニング(17)




 日曜日の第九研究室は、ひっそりと静まり返っていた。
 MRIの電源が落とされているため、ハードディスクの音もファンの回転音もない。青木の釈明を聞く場所として薪がここを選んだのは、他人の耳を気にしたのと、彼なりの考えがあってのことだった。

 モニタールームに入って薪が真っ先にしたのは、キャビネットの中に設えた簡易式の神棚から鈴木の写真を下ろすことだった。それを室長室に持って行き、すぐにモニタールームに戻ってくる。
「室長室じゃなくていいんですか?」
 てっきり室長室で話をするものと思っていた青木は、意外そうな顔で疑問を口にした。モニタールームは廊下のドアから直結だから、間にドアがある室長室のほうがより安全と言える。彼の意見は尤もだと思われたが。
「室長室はダメだ」
 薪の机の一番下の引き出しには、鈴木のアルバムが隠されている。彼の目があるところには、彼女は出て来れない。

 青木の席に座り、薪はぎこちなく足を組む。慣れない長足を、薪は少々もてあましている。
「で? 言い訳があるなら聞こうか」
 あのノートを見た今では、薪の中に青木の不実を疑う気持ちは残っていなかった。青木は、自分を裏切るような真似はしない。

「あの。怒らないで聞いてもらえます?」
 ……怒られるようなことなのか?
 こいつやっぱり、いやまさか、だけどああでもっ。

 ぐるぐると渦巻く疑問詞が頭の中から漏れ出ないように懸命に自分を抑えて、薪は拳を握り締めた。事と次第によっては、殴るぞ。
「内容による」
 薪が冷たく返すと、青木は俯いてため息を吐き、細い膝に乗せた小さな手を組み合わせた。それから恐る恐る顔を上げ、薪のほうを見て「本当のことを言いますから、怒っても殴らないでくださいね」と取引を持ちかけてきた。第九に入って3年、交渉術も達者になった。
 わかった、と頷いて薪が了承の意を示すと、青木は安心したように話し始めた。

「薪さんて、すごくモテるじゃないですか。薪さんから声を掛けたら、みんなホイホイついてきますよね。その、大人の付き合いまで了承の上で」
 それは決してお世辞でも尾ひれの付いた武勇伝でもなく、純粋な事実だった。青木が薪の口で誘いをかけた相手は、見事百発百中、約束の場所に来た。男も女も、独身者も既婚者も、呆れるくらい簡単だった。薪の性質がここまで淡白でなかったら、彼の人生はもっと華やかな恋愛関係に彩られていたことだろう。
「大人の付き合いって……まさかおまえ、僕の身体で軽はずみなことを」
「いえ、逆です。いくら想ってくれても無駄だから、二度と手紙は送ってこないでくださいって言っちゃいました」
 呼び出した人々に、青木はきっちりと引導を渡しておいた。薪本人の口からはっきりと、将来を誓い合ったひとがいる、と彼らに伝えたのだ。相手の名前は濁すしかなかったが。

「なんでこないだ、そう言わなかったんだ? 僕はてっきりあの娘とおまえが、その」
「え? 話の内容を聞いてなかったんですか? あの距離なら、聞き取れたはずですけど……そうか。オレの耳じゃ聞こえないんですね」
 初めてそこに気付いた、というように、青木は軽く手を打ち合わせた。
「本当に、薪さんは目も耳も特別製ですね。よっぽど神さまに愛されて生まれてきたんですねえ」
 青木はそれをとても嬉しそうな口調で言い、「さすがはオレの薪さんです」とわけのわからない自慢をした。

「僕があそこにいるの、解ってたのか」
「薪さんが木の後ろに隠れたときから、全部見えてました。オレの身体は大きいから、あの木じゃ目隠しにはなりません」
「知ってて、彼女と抱き合ったのか?」
「あー、すみません。一度だけ抱きしめてくれたら諦めるって言われて。キスを求められたら断リましたけど……あのとき、薪さん黙って見てたじゃないですか。オレは薪さんに話が聞こえてると思ってたから、口を挟んでこないって事はさっさと済ませて彼女を追い払えってことなんだろうと思って」
 ショックで動けなかったんだ! それくらい解れよ!

「すみません、勝手なことして」
 なるほど、それで怒らないでください、か。
 他人に来たラブレターの相手を呼び出して、本人の意向も聞かずにその返事をしたのだ。本人に無断で、広がるかもしれなかったパラダイスをぶち壊したのだ、怒られて当然だ。
 が、それは普通の男の場合だ。せっかくお膳立てしてもらっても、その関係を維持できる体力も時間も薪にはないし、その気もない。ラブレターに関しては、数も多いし返事をするのも面倒で、ほったらかしていたのだ。きちんと断ってくれて良かったくらいだ。それに、青木は自分の恋人だ。全く権利が無いとも言いきれない。
 しかし。

「どうしてそんなことを」
 青木は、薪が自分宛てのラブレターを読み捨てているのは知っているはずだ。読んだ後の手紙をシュレッターに掛けるのは、青木の仕事だからだ。なのに、どうしてそんな面倒なことをしたのだろう。

「オレ、正直言うと心配でたまらなかったんです。薪さんにラブレターを送ってくる人たちの中には、オレなんかより素敵なひとは沢山いたし。ていうか、薪さん本当は女性の方がお好きでしょう? だから、陰でこっそり浮気してるんじゃないかって」
「ば……っかじゃないのか! 僕がそんなことするはずないだろ!」
「だって、薪さん異様に薄いから。もしかしてオレ以外の人ともしてて、だから欲しがらないのかなって」
「ちがう! 僕は根っから薄いんだ。若い頃から3ヶ月に1ぺんくらいしかその気にならなくて、だから女の子も本当は2,3人しか」
 しまった、口が滑った。青木があんまり馬鹿なことを言うから、トサカに来て、つい。

「そうなんですか?」
 ええい、こうなりゃヤケだ。

「風俗入れても3人しか知らない。一人は僕の初めての女性で、名前も知らない。もう一人は、おまえと一緒に行ったソープに昔勤めてた人で、風俗はこの二人。普通の女性で身体の関係まで持ったのは一人だけ。でも、彼女はもう、この世にいない」
 青木は、その彼女のことを雪子から聞いている。鈴木と別れた後に、寂しさを埋めるためだけに付き合っていた。薪がそのことを、とても後悔していることも。

「疑ってすみませんでした。あなたの身体に入って、あなたの美しさを改めて知って、オレなんかが薪さんを独占できるわけはないって、そう思っちゃったんです。
 だから、戻れなくてもいいって、チラッと考えてしまいました。だって、オレがこの身体に入っていれば、そんなことは防げる。完全にあなたの行動を掌握できる、独占できる」
 バカなやつだ。僕はとっくにおまえのものなのに。でなきゃ、この僕が男とあんなことするか。基本が解ってないんだ、こいつは。まあ、そこが可愛いんだけど。

「それだけじゃない。オレの思うままに、どんなことでもさせられるし……」
「どんなことでもって」
「あ、だからその、薪さんが絶対にしてくれないこととか、あるじゃないですか。色っぽい下着をつけてくれるとか、スケスケのナイトウェアを着てくれるとか。そういうことを鏡の前で」
 人の体で何してくれてんだ!! このドヘンタイっっ!!
「色目を使いながら服を脱いでくれるとか、エロいポーズで誘ってくれるとか」
 青木との約束も忘れて、薪は咄嗟に拳を握り締めた。
 鉄拳制裁、性犯罪被害者の怒りを思い知れ!!

「オレのこと、愛してるって言ってくれるとか」

 顔面5センチのところで、大きな拳が止まった。呆れ果てたため息と共に薪は拳を開き、椅子にどっかりと腰を下ろした。
「虚しくなかったか、それ」
「ええ、まあ。興奮が冷めると、ガックリきました」
「バカ」
「……反省してます」
 とりあえず、青木の釈明は済んだ。
 これで今日ここに来た目的の半分は達成された。ここからが、本当の勝負だ。

 西園冴子との決着。
 彼女の脳データはMRIシステムに保存されている。だから薪はこの場所を選んだのだ。
 彼女の要求どおり、ここで薪が『理想の自分』になって見せれば、元に戻れるかもしれない。可能性は低い、というか、そもそもあれは夢だ。だから、これは自分の身体を取り戻すための試行錯誤のひとつというよりは、自分自身に決着を付けたいだけかもしれない。
 正直に言うと、MRIの神さまを騙ったあの死刑囚が求める解答がどんなものかは分からない。それでも、自分の理想に近付く努力は怠ってはならない。日々精進するのが人間の在り方だ。

 自分のなりたい自分になる、そのために必要なのは勇気と理想に近付く努力。
 薪の理想は、強く、たくましく、男らしく。大事なひとを守れる力、しっかりと身体に通した信念。努力に努力を重ねて手に入れてきたそれらを、これからもっとレベルアップする気でいる。

 そして自分に欠けているのは。
 前へと進む勇気。

「これはおまえの口であって、僕の口じゃない。だから、僕から聞いたことにはならないかもしれないけど」

 細い膝の上に置かれた小さな手を握る。青木の半分ほどしかない、薪の手。細くて女のように繊細で、でもその手に託されたものの何という重みだろう。今までこの手が支えてきた重みを、薪は誇りに思う。
 
「僕はおまえが好きだから。誰よりも好きだから」

 薪は青木を、自分の顔をじっと見る。
 亜麻色の大きな瞳、その澄み切った美しさ。この瞳を曇らさないように、清浄を保てるように、僕は精一杯の努力をする。鈴木が僕に遺してくれた僕の純真、僕が心から笑うために必要な僕の中核。それを守れるのは僕しかいないのだから。

「だから、自分に戻りたい。おまえが愛してくれる僕に戻って、おまえに愛されたい。おまえを愛してる僕に戻って、おまえを愛したい」

 冴子が自分と青木を入れ替えた本当の理由に、薪はひとつの答えを出していた。それはこの珍現象に納得の行く説明をつけて、冴子という特殊な要因がなければこんなことは二度と起きない、そう信じたい薪のこじつけに過ぎなかったが。
 彼女は、僕に脳を見て欲しかった。だから、自分の脳を見ることに決まっていた青木の身体に僕を入れたんだ。
 あれだけの大罪を犯してやっと学んだ彼女なりの真理を、僕に伝えたかった。自分と同じように過去に囚われてもがいている僕に、後ろばかり見て今目の前にある大事なものを見失おうとしている僕に、一番大切なのは何かを気付かせたかった。
 でっかいお世話だ、超ド級のお節介め。てか、死刑囚の脳に心配されるって、どんだけだ。

 目の前の小作りな美貌が、ふわりと微笑む。周りのすべての生物を癒すような、そのやわらかさとあたたかさ。
 よく覚えておいてくれ、僕の細胞たち。僕がその身体に戻っても、こんなふうに微笑めるように。

「今の、戻ったらもう一度言ってくれます?」
「やなこった」
「お願いします、薪さんの声で聞きたいんです」
「自分で言ったらいいだろ。鏡の前で」
「ええ~……」
「いいから、目つぶれ」
 ふっくらとした頬に両手を添えて上向かせ、薪は咲き初めの薔薇みたいに開きかけた彼のくちびるに、自分のくちびるを重ねた。小さな舌を捕らえて吸い、突き、角度を変えてさらに深く。

 吐息と共にくちびるを離して、薪は呟く。
「なんか、ヘンな感じだ。自分で自分にキスしたみたい」
「オレもです」
 額を合わせて手を握り、指と指を絡める。ぎゅ、と握り合ってもう一度キスをした。

 そして――――。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Sさまへ

Sさま、いらっしゃいませ~。


>ぎゃ~、薪さんからのラヴ宣言!

Sさまが絶叫してる(笑)
ふふふ、これは特別編なので、こんなこともできちゃったりして。
本編ではありえない現象ですね!(←言い切ってどうする?)


原作の青木さん。
本当に辛い状況で・・・・・・・今まで、薪さんを泣かして、(いや、どこにも描いてないですけど) 青木さんなんか青木さんなんか、と思っていたのですが。
10月号あたりから本当に可哀相で・・・・・・・・今回はMAXでしたね。 さすがにあの状態の青木さんを苛める気にはなれないです(;_;)


>次回作ではまたしづさんのつらい仕打ちが待っているようなので心の準備をしなくては。

あははは!!!
Sさま、学習されましたねっ。(←否定しない)
あ、でもですね、『ロジックゲーム』はほのぼの系だと思います。 ご安心ください。
・・・・・警戒されてる・・・・・・?


>ところで青木の奴、お姉さんのお葬式なのに薪さんのお顔を見たとたんあんな笑顔が出るというのは、やはりしづさんのトコの二人がホントのふたりなのだと・・・。

うちのふたりがホントだったら、『秘密』がギャグになっちゃいますけど(笑)

あの時の青木さん、ホッとしたような笑顔でしたよね。
わたし、あれ見て思ったんですけど、
青木さんは、薪さんのことを神格化してるんじゃないでしょうか。 
どんな状況下にあっても、絶対に狂わない、乱れない、揺るがない強いひと。 彼についていけば間違いない、この狂った世界からも抜け出せる。
そんな風に、信じているんじゃないかな。 
だから薪さんの顔を見て、安心して、あの笑顔が出たのかな、って。

ひきかえ、雪子さんなんか、あんなに一生懸命に慰めたりとりなしたりしてたのに、顔もマトモに見てもらえなくて・・・・・・ちょっと可哀相でしたね(^^;


来月号では、MRI捜査によって事件の謎が解明されるのでしょうか?
今から待ち遠しいですね。

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hさまへ

hさま。

はじめまして。ようこそいらっしゃいました。

映画化の話題から、と言うと、ごく最近、秘密にハマられた方ですね?
それでは、今はもう薪さんへの愛が燃え盛っている時期ではないでしょうか?
そんな時期にうちのへんてこりんなお話を読んでくださり、感想まで送ってくださって、ありがとうございました。

お話を書いていくうちに、原作からどんどん離れてしまったのですけど、楽しんでいただけたようでよかったです(^^)
オリキャラについても、お褒めいただき恐縮です。


>薪さん青木鈴木さんと心の移り変わりと置かれる状況や
>周囲の変化が少しずつ描かれていて、

言われてみれば、薪さんも最初の頃と大分変りましたねえ。
初めはこんな、オヤジじゃなかったものねえ(^^;


>特に青木を慕う遠藤、青木を庇う薪さんが見られる須崎の登場は面白かったです。

遠藤とか須崎とか、わー、なつかしー、です。
書いたの、6年前ですよ~。


>薪さんを包む青木のちょっとアホ犬だけど真っ直ぐで巨大な愛情と優しさが愛おしいです。
>珈琲の淹れ方を勉強したくなりました(笑)

ありがとうございます。
うちの青木さん、ちょっとストーカー入ってますけど、大丈夫でしたでしょうか(^_^;


>「おまえを愛してくれる僕に戻って~」の言葉と「よく覚えておいてくれ僕の細胞たち」

心を動かしてもらえて嬉しいです。
素敵な言葉、ていうか、こっぱずかしーと言うか、すみません、ヘンな汗出そうです(@@;)


>周囲からの愛を感じた薪さんの心中の葛藤も終結されていて、読み終わった後とても幸せな気分になりました。

うちの話は、途中は色々あるんですけどね、
薪さんに幸せになって欲しくて書いてるので、ハッピーエンドを信条にしてます。
一緒に幸せを感じてくださって、筆者冥利に尽きます。


>鈴木さんに向けた時の様な表情が真っ直ぐ青木に届く日が来て欲しいですね。

それにはまず、薪さんのオヤジ化をどうにかしないと(笑)

冗談はともかく、現在の薪さんは、鈴木さん以上に青木さんを愛してますので。
(それが表面に出るかどうかはまた別の問題ですね、彼の場合(^^;)
その気持ちはきっと、青木さんにも伝わっている、のかなあ?←いま一つ自信が持てない。


コメントありがとうございました。
hさまのまたのお越しを、心よりお待ちしております(^^
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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