ラストです。
ここまで読んでいただいて、誠にありがとうございました。
ハプニング(19) 食事の後、軽く飲みに行くという小池たちと別れて、薪と青木の二人は帰途についた。
自分たちから疑いを招くような真似は決してしない彼らだが、今日は岡部が「青木、悪いが薪さんを送ってやってくれ」とさりげないフォローを入れてくれて、心の中で照れながらも、それに甘えた。
真実こそわかっていないが、二人の間に何かがあったことは、おそらく第九の全員が気付いている。だから薪が元の溌剌さを取り戻した今日は、お祝いに付き合ってくれたのだろう。
「ったく、あいつら。奢りと聞いた途端に群がってきやがって」
「またそんな言い方して」
お得意の皮肉で仲間の好意を否定する薪を嗜めようとして青木は、滅多に見られない彼の表情を見て口をつぐむ。
幸せそうな、素直な笑顔。薪にもちゃんと分かっているのだ。
辺りはすっかり夜の帳が落ちて、街灯や店の明かりが眩しく輝いている。通り過ぎる車のライトに目を細めて青木は、先日の出来事を思い出していた。
日曜日のモニタールームで、二人は初めて自分の身体とキスを交わした。互いの指を絡ませた両手を肩の横に置き、何度も角度を変えて重ね合わせた。
しっかりと絡んだ舌の甘さに酔いしれたとき、それが起きた。ジンと頭が痺れるような感覚がふたりを襲い、ライトに照らされたように辺りが明るくなった。目を開けたら、互いの姿が見えた。
ふたりとも、何故か驚かなかった。それを不思議とも思わなかった。
ああ、戻ってきた、と思っただけだった。
「これで鏡を見なくても、あなたに会える」
薪は珍しく、うん、と素直に頷き、ふたりはもう一度、甘いキスを交わした。
薪の舌の甘さと濡れたくちびるの感触を思い出し、青木は彼が欲しいと思う気持ちを止められなくなる。幸い、周りには誰もいない。信号待ちで立ち止まった彼の小さな耳にくちびるを寄せ、青木はこっそりささやいた。
「あの。今夜、いいですか?」
「ダメだ」
「オレ、もう1月もお預け食ってるんですけど」
即決で返ってきた拒絶に、青木はつい非難めいた口調になる。
短い間とはいえ青木の身体で生きてきた薪には、彼の気持ちも逼迫した状況も良く分かっていたが、ここはもう少し我慢させないといけない。薪にも考えがあってのことだ。理由は言えないが。
「どうしてですか? せっかく元に戻れたのに。昨日も、もう少しだけ待てって。いつまで待てばいいんですか」
「7月29日の午後14時34分22秒までだ」
「……なんでそんなに明確なんですか?」
この日時の49日前に、彼女の死亡が確認されたからだ。
あれは自分の脳が作り出した幻だったと、薪は確信を持っているが、それでも念には念を入れておくべきだ。
青木には言えない。彼女と交わした会話は、青木には秘密だ。
だから薪は、また小さなウソを吐く。
「キスで元に戻ったんだぞ? セックスなんかしたら、また入れ替わっちゃうかもしれないだろ。この不安定な細胞が全部生まれ替わるまで、おあずけだ」
「そ、そんなあ……」
青木警視の苦悩の日々は、つづく。
―了―
(2010.6)
テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学