折れない翼(6)

 こんにちは。

 先日、どなた様か、過去作品に拍手をありがとうございました。
 懐かしいなあ、と思ってちらっと読み返してみたら、あんまりアホみたいなこと書いてて泣きたくな  とにかく、ありがとうございました。 うれしかったです。





折れない翼(6)





 薪はその日も定時で1課を出た。
 捜査に参加もさせてもらえない身としては、職場にいても仕方がないし、資料室の仕事は、残業してまで進めたいと思えるような魅力のあるものではないのだろう。

「お先に失礼します」ときちんと挨拶をして帰っていく薪を、羽佐間は目で追った。薪の姿がドアの向こうに消えると、席を立って彼の後を追いかけた。
 スタスタと歩いていく彼の後ろを、物陰に隠れながらそっと着いて行く。尾行はお手の物だが、相手も刑事だ。気取られないように、間隔は普段より多めにとることにした。

 尾行の理由は、薪の足の痣。
 それほど気になっているわけではないが、あれは明らかに打撲痕だ。誰かに殴られたか、強く打ち付けたのだ。本人は転んだと言っていたが、刑事を舐めてんのか、あいつは。誰がそんなミエミエの嘘に騙されるか。膝や前脛ならともかく、ふくらはぎの後ろや足首にまで複数の痣をつけるなんて、どんな器用な転び方だ。
 薪の不自然な動きから、打撲痕は足だけではなく、腰や背中にも付いている感じだった。もしかしたら署内の悪い連中に目をつけられて、恒常的に暴行を受けているのかも。

 思いかけて、羽佐間はその可能性を否定する。薪の歩き方は迫害を受けているもののそれではない。多少ヨロヨロしているが、ビクついてはいない。
 薪は警視庁の地下通路を通って、隣接する科学警察研究所の敷地に出た。
 捜査の関係で何回か足を運んだことがあるが、羽佐間はどうもここの雰囲気は苦手だ。ここにいるのは警察学校を出た警察官ではなく、研究を生業とする研究者たちだ。管理者の中には警察官もいるが、大半は研究所が直接採用した研究者である。学者のような風体の彼らに囲まれると、自分が異端者のようで落ち着かないのだ。

 羽佐間の前を歩く後輩は、中庭を過ぎって、大きな建物の裏手に出た。そこには広大なグラウンドがあり、テニスコートにバスケットゴール、バレーボール等のネットのポールが立ててあり、様々なスポーツを楽しむことができるようになっていた。その片隅には小さな道場があって、薪はその中に入っていった。
 羽佐間が窓から中を覗きこむと、中の畳は青々として美しく、強いいぐさの匂いから、最近取り替えたばかりだろうと思われた。研究者たちの待遇の良さに羽佐間は、自分たちが利用している警視庁の汚い道場の擦り切れた畳を思い出し、面白くない気分になったが、インドア派の研究員たちがそこを利用する確率は極めて低いことに思い至り、単なる使用頻度の問題かと考えを改めた。
 それにしても、研究所に道場だの運動場だのと、なんて無駄なものを、とその時羽佐間が思ったとおり、この道場と運動場は数年後に取り壊され、そこには9番目の研究所が建つことになる。

 やがてジャージ姿の薪が、道場の中に現れた。童顔も手伝って、スーツを着ていないと本物の高校生に見える。それも、入学したての年頃に。薪の顔を知らない5課辺りの荒っぽい連中が見たら、襟を摑み上げて施設内から放り出しそうだ。
 彼は道場を出て、グラウンドに向かった。薪の顔には似合わないと思ったが、道場へは着替えの為に寄っただけらしい。
 薪は見られていることには全然気付かないようで、羽佐間が隠れている茂みのまん前を通って運動場へと歩いていく。足の屈伸運動をしてから、トラックを走り始めた。

 なるほど、体力作りのためのジョギングをしていたのか。誰にも何も言わず、こいつはけっこう気合が入ってるじゃねえか。気合の入ったやつは嫌いじゃない。表情が乏しい人間は苦手だが、キャリアというのは大概そうだ。もしかしたら警大で、表情を殺す訓練を受けてきたのかもしれない。
 しかし、あの痣は? まさか、本当に転んだのか?
 だとしたら、どこまでドンくさいやつだ。とても面倒見切れねえ。

 羽佐間が頭を抱えていると、薪はトラックを走り終え、息を弾ませながら道場へ戻っていった。4週、つまり4キロで限界か。まあ大卒のキャリアなんか、そんなもんだろう。
 道場の更衣室で着替えて帰るのかと思いきや、薪は今度は道着姿になって出てきた。羽佐間が窓からその様子を見ていると、誰もいない道場で柔軟体操を始めた。
 薪はびっくりするくらい身体が柔らかかった。座位前屈は胸が床につくくらいだし、背筋は90度を超えそうだ。180度開脚もいけるんじゃないだろうか。が、その後に続く腕立て伏せと腹筋運動は、悲しいくらいお粗末だった。捜一の連中なら最低でも50回はできる。それが10回しか続かない。

 しかし、これは薪が悪いわけではないと、羽佐間には分かっていた。
 羽佐間たちのように警察学校を卒業したものは、そこで徹底的に鍛えられる。日常的なトレーニングは強制されるし、柔道または剣道の初段は必須資格で、受かるまで何度も挑戦させられる。学校というよりは軍隊。規律も厳しいし、それを犯したときの体罰もかなりきつい。ちょっと集合時間に遅れただけで、竹刀で殴る教官もいる。
 引き換え、薪が大学で学んできたのは管理者としての心得だ。体力訓練も体罰も、無縁のものだったろう。ノンキャリアの羽佐間にその内容は分からないが、人を支配する術を学んできたと思えば間違いない。
 言い方は悪いが、ノンキャリアは兵隊、キャリアは司令官だ。命令を下す側の人間は、前線には出ない。強靭な肉体も武術も必要ないのだ。その司令官が、訓練期間も置かずにいきなり前線に出ようというのだから。無理が生じて当たり前だ。

 黙々とトレーニングを続ける薪を見て、羽佐間はどうしてこいつは捜一に来たがったのだろう、と不思議になる。
 変わったやつだ。他のキャリアのように、所轄で判を押しながら試験で出世して行こうとは思わなかったのだろうか。
 今のキャリアの昇任制度は、警視正までなら試験だけで昇進できたはずだ。そこから先は何か褒章に値する手柄を立てないと進めないが、警視正といえば、ノンキャリアが退職までに望める最高のポストだ。勉強さえしていれば、苦労せずにそこまで進めるというのに、どうしてこんな苦しい道を選んだのだろう。
 課内であれほどみんなに煙たがられても、異動したがる様子はないし。こうして自主トレをしているということは、これからもこの人間関係も仕事内容もキツイ職場で耐える覚悟をしている、ということだ。

 後輩が頑張っているのなら、指導員として手を貸すべきかと羽佐間は思う。しかし、薪は自分に何の相談もしてこなかった。足の痣を見られても、姑息な嘘で隠そうとした。キャリアのプライドというやつかもしれない。それを傷つけていいものだろうか。
 
 薪以外は動くもののない道場に、やがてひとりの人物が現れた。道場の入口から入ってきて、トレーニングを続ける薪に手を振ったのは、短く切り揃えた黒髪と意志の強そうな黒い瞳が印象的な女性だった。
 薪が軽く手をあげて、彼女に微笑みかけた。羽佐間が見たこともないような、やわらかい笑い方だ。いや、昼間電話をしていたときにも、薪はこんな顔をしていたか。

 幾何学模様の赤い半袖シャツに黒いズボンという派手めの格好をした彼女は、しっかりと胸腰が張っていて、遠目にもかなりの美人だ。薪のやろう、こんな美人の彼女がいたのか。ヒヨコどころかたまごのクセに。なんて生意気なやつだ。

 しかし彼女は薪の所へは行かず、道場の奥に二つ並んだ右側の扉、つまり女子更衣室へと姿を消した。しばらくして、道着に着替えて出てくる。背が高いおかげで、胴着姿がビシッと決まっている。女三四郎ってやつだ。
 道場でデート?しかし、ふたりとも道着姿なのが気になるが。

 女三四郎は、軽く準備体操をすると、薪に声をかけた。何を言ったかは聞き取れなかったが、薪が彼女に近付き、礼をしたところをみると、打ち込み(技の形の反復動作をする稽古法)でもする気かもしれない。
 彼女と柔道の稽古?いや、それは個人の自由だが。

 ずい分変わったデートもあったもんだ、と呑気なことを思っている羽佐間の目の前で、薪の細い身体が床になぎ倒された。
 打ち込みなんて、やさしいもんじゃねえ。こりゃ、乱取りだ。

 大外刈り、払腰、浮き落とし、内股―― 女子に次々と技を掛けられる不甲斐ない後輩を見て、このふたりは本当に付き合っているんだろうか、と羽佐間は思う。いくら何でも容赦がなさ過ぎる。痣だらけになるわけだ。
 しかし、これで納得がいった。後輩の痣の原因は、自己鍛錬によるもの。どういう知り合いだか知らないが、薪は彼女に特訓を受けていたのだ。おそらく、現場を外されてからずっと。

 何度倒れても、薪は直ぐに立ち上がって彼女に向かっていく。明らかに実力の違う相手から、それでも何とか隙を見つけては技をかけようと足を伸ばす。が、薪の蹴りは弱く、技は悉く返される。でも、諦めない。
 嫌いじゃねえな、と羽佐間は思った。
 資料室の無表情な後輩はいけ好かないが、道場の彼には好感を持てる。一生懸命な人間には、誰だって手を貸したくなるものだ。

 閑職に追いやられて、キャリアのプライドは悲鳴を上げただろうに、誰を恨むわけでもなく、ひねこびるわけでもなく。こうして自分を磨く努力を続ける。キャリアってのは思ったよりも、根性の座った人種らしい。
 嫌いじゃねえな、と羽佐間はもう一度心の中で思い、だから署内に戻って、自分のロッカーに常備してある道着を手に持って、再び道場を訪れた。

「羽佐間さん」
 道着姿の羽佐間を見て、薪は、羽佐間が噴き出しそうな顔をした。子供が親に悪戯を見つかったときのような、何ともバツの悪い表情。しかしそれは、とても可愛らしかった。
「あ、紹介します。友人の三好雪子さん。こちらは僕の指導員の羽佐間匡さんです」
 初めまして、と挨拶をして、ぺこりと頭を下げる彼女に、羽佐間は好感を抱く。近くで見ると、ますますいい女だ。うちの山の神ほどじゃねえが。
 聞くと彼女は今年度大学を卒業する予定で、早々と内定を定め、研究所内の法医学教室で研修前のアルバイト中だと言った。

「友人? 恋人じゃねえのか」
「違います。雪子さんは、僕の友だちの恋人で」
「ダチの恋人? なんだなんだ、三角関係か」
「「違います!」」
 ふたりの声が見事にハモって、3人は顔を見合わせる。誰からともなく笑いを洩らすと、後は言葉は要らなくなった。
 
 その日から、薪の練習相手は二人に増えた。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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