折れない翼(8)

折れない翼(8)






 世良義之は自分の班の職員に号令を掛け、事件の概要が簡潔に書かれたホワイトボードの前に集合させた。現在捜査中の容疑者について、各々が持ち帰った成果を報告させる。
「で? 狩谷はなんて?」
「その場所には一度も行ったことがない、って言ってました。今のところ目撃者も出ませんし、最寄り駅の防犯カメラにも映ってません」
 部下の報告を受け、世良は太い眉毛を険しく寄せてボードを睨んだ。ボードには数枚の写真が貼り付けられ、事件関係者の相関図が書いてある。その中の一枚の写真に、五部刈頭の丸い顔に眼鏡を掛け、あごひげを生やした恰幅のよい男が映っていた。

「捜索範囲を広げるか。それとも、こっちの男の線を」
「嘘ですよ」
 捜査線上に浮かび上がった狩谷ともう一人の男、風間にターゲットを変更するべきかと言おうとした世良の声を遮って、涼やかなアルトの声が響いた。この部屋には相応しくない、気取った声。
 休憩に出てきたのか、右手に白いコーヒーカップを持っている。薄いグレーのスーツを着てモデルのように姿勢よく立った彼は、周りの空気がそこだけ浄化されたかのような清涼感を漂わせていた。

 初めて見た時から、世良はこの新人が気に食わなかった。男のクセに、女みたいな顔と細っこい体つき。こんなオカマみたいなやつが捜一の刑事だなんて、所轄に知られたらバカにされること請け合いだ。
 ていうか、こいつまだいたのか。
 課長に進言して資料室に追っ払ったと思ってたのに、そこまでされれば自分から異動願いを出すだろうと踏んでいたのに。意外と図太いやつだ。……少し、見直した。

「狩谷仁は嘘を吐いてます。任意同行して、調べるべきです」
「何で言いきれるんだ。いい加減なことぬかしてんじゃねえぞ」
「写真がありました。その」
 細い指がボードの写真を指差す。薪が示したのは、事件現場となったアパートを映したものだった。
「事件現場の周辺を映した写真と同じものが。そこに彼が写っていました。だから、その場所を一度も訪れたことがない、というのは明らかな嘘です」
「待てよ、おい! そんな写真をどこで」
 自分の仕事場、つまり資料室へと戻っていく薪を追いかけて、世良は部屋の中を横切った。同僚たちが呆然と見送る中、ふたりは奥の部屋へと入っていく。

 窓のない、息の詰まるような密閉された部屋に、ぽつんと机が置いてある。机上にはパソコンと何冊かのファイル。両脇には段ボール箱がいくつも重ねてあって、左に置かれたものにはきちんとラベルが貼ってあった。まだ朝の10時くらいなのに、もうあんなに終わったのか。まあ、資料整理なんか形だけで、事件発生の年数別に分けてラベルを貼って、神奈川の倉庫に送る分と手元に保存する分を分けるだけのことだから、箱の中をちらりと見て済ませているのだろうが。
 
 薪はコーヒーカップを机の上に置くと、更に部屋の奥へと進んだ。5列ほどある資料棚の2番目の列に入っていく。上を向いて一つの箱に手を伸ばすが、どうも微妙な高さだ。箱の底に背伸びをした薪の手がやっと届く、それくらいの高さで、ぎっしりと詰まった捜査資料が入っている箱がもしも落ちてきたら、さぞ見ものだろうと思った。
 思ったが、今は情報の方が大事だ。
「こいつか?」
「あ、すみません」
 ダンボールを床に降ろすと、薪は箱を開封して、中のファイルを探し始めた。けっこう、重かった。こいつの細腕では、かなりきつい作業だったろう。さっきからこいつの動きがぎこちないのは、もしかすると筋肉痛のせいかもしれない。

 周りを見ると、ラベルが貼られた箱がずらりと並んでいた。これはすべて検証済みということだろうか。
 黒い表紙の捜査ファイルを開くと、確かに事件現場は問題のアパートの直ぐ傍だ。目的の箱は、これで間違いないようだ。
 先刻、薪は迷う様子もなかったが、まさか中身を覚えているのか? 整理済みのダンボールは30個は下らない、中に入っている資料は最低でも10冊はあるはず。その内容を全部覚えて、ってそんな人間いるわけないか。いたらバケモンだ。

「確か、このファイルに」
 一冊のファイルを選び出すと、薪はそれを棚の上に置き、表紙を開いた。
 パラパラと中を見るのではなく、頁の端を指で弾いて枚数を数えている。まさか、その写真が添付してあったページ数まで覚えているのか?

「これです」
 薪に顔を寄せて、世良は資料を覗き込んだ。近付くと、薪はとてもいい匂いがした。
 細い指が示した写真には、事件現場に群がる野次馬が写されており、その中に容疑者の顔が鮮明に映っていた。髪型は今と違うが、間違いない。
「3年前に解決した事件の資料ですけど。揺さぶりの材料としては充分かと」
 事件の犯人は、事件現場に帰ってくるものだ。常識で考えても危険な行為だと犯人も分かっているはずなのに、何故かその確率は高い。犯人側のジンクスを逃すほど、警察は寛大ではない。肖像権の問題があるから表立っては映さないが、現状写真を撮るついでに、こうして必ず2,3枚は野次馬の写真を撮っておくのだ。

「おまえ、内容だけじゃなくて、どの頁に何が書いてあったかまで覚えてるのか?」
「ページ数は普通、覚えるでしょう? 覚えておかなかったら、続きから読もうと思ったとき不便だし。公式を探そうと思ったときにも」
「付箋とか栞が、何のためにあるか知ってるか?」
「あれは他人に該当箇所を知らせるためのものでしょう?」
 ……だからキャリアはキライなんだ。常識が通じない。

「まあ、本人は忘れてたって主張するでしょうけど、しょっぴくネタにはなると」
「ありがとな!」
 容疑者に迫ることができる、その単純な喜びに、世良はついつい普段の悪感情を忘れた。言ってしまってから失敗したと気付いて表情を戒めるが、言葉は戻せない。
 こいつはエリート意識剥き出しのキャリア野郎だ。礼なんか言ったら、図に乗ってキャリア風吹かされて、また嫌な思いをさせられるに決まってる。

「いいえ。お役に立てて嬉しいです」
 素直な言葉が素直な声音で帰ってきて、世良は驚いて下を見る。眼下、20センチの場所にあるいけ好かない新入りの顔は、あどけなく微笑んでいて。それが一瞬、7歳になる自分の目に入れても痛くないほど可愛い娘の笑顔と重なって、世良は自分の頭がおかしくなったのかと首をかしげた。

 世良はファイルを抱えて資料室を出た。ボードの前で待っていた部下たちに問題の写真を見せると、彼らは額を寄せ集めてそれを覗き込んだ。
「え、え? なんで? どうして3年も前の事件の現場写真に偶然写りこんでいただけの狩谷の写真を、3ヶ月前に捜一に来たあいつが見つけられるんですか?」
「資料室の整理をしてたからだろ」
「それって、整理した書類の内容を全部覚えてるってことですか? ありえないでしょ!」
「普通だろ」
「普通のわけないでしょ! しかもこんな群集の写真で、一瞬見ただけの容疑者を見つけるなんて。公安のベテランだって難しいんじゃ」
「難しかねえんだよ。あいつはキャリアなんだから。俺やおまえらとは、ここのデキが違うんだ」

 世良班の刑事たちは、一斉に口を閉ざした。
 班長の世良は今年の新人をことのほか嫌っていて、だからそれが嫌味な口調だったら、彼らはヘラヘラと追従の笑いを浮かべて、仕事に戻ったに違いない。しかし、その時の世良の口調は、自分に良く似た娘の写真を無理矢理同僚に見せて『世界一可愛いだろう』と自慢するときの口振りに果てしなく似通っていて、資料室に入る前の彼と同じ人間だとは思えなかった。
 もしかしたら資料室には魔女がいて、世良はそこで魔法にかけられたのかも。

「よし、早速この写真プリントして」
 世良の言葉が終わらぬうちに、捜査会議のテーブルに数枚の写真が差し出される。男とは思えないほっそりとした手を辿っていくと、資料室の魔女、もとい見るのもムカつく新入りだ。知り合って3ヶ月、碌な交流を持ったわけではないからこの男がどういう人間かは知らないが、決して自分たちの仲間ではない。キャリアはノンキャリアの敵だからだ。
「使ってください」
「おう。気が利くな」
 にこっと世良に笑いかける新人を見て、同僚たちは言葉を失う。さらにはそれを笑顔で受け取る自分たちのリーダーを見て、昨日までの記憶を失いそうになった。

「よし、行くぞ!」
 戸惑いの中、班長の号令が下って部屋を駆け出していく世良班を少し羨ましそうに見送って、捜一の新人は再び資料室に戻っていった。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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