クッキング(7)

クッキング(7)




 バシャンと派手な水音を立てて、ゴムボートが1メートルほどの滝を滑り降りた。ボートのヘリに取り付けられた取っ手をぎゅっと掴み、雪子は衝撃に備える。盛大に立った水飛沫が、冬の陽光に照らされてキラキラときらめいた。

「きゃあ!」
 甲高い悲鳴は、もちろん雪子のものではない。偶然乗り合わせた女性たちの声だ。
『デッドリバー』と銘打たれたアトラクションのボートは6人乗りで、雪子と竹内が乗ったボートに居合わせたのは、カップルが一組、仲の良い友達同士の若い女の子が二人。カップルの女性に到っては、取っ手には摑まらず彼氏の胴体に抱きついたままだ。安全ベルトも勝手に外してしまっているし、見ているこっちがハラハラする。最近の若者は、係員の注意も満足に聞けないらしい。

「けっこう揺れますね、これ。濡れませんでした?」
「あたしは大丈夫だけど」
 座った場所が悪かったのか、竹内は左側の髪とダウンジャケットの肩が濡れている。夏ならともかく、今は冬だ。濡れたままでは震えてしまうだろう。
 バックからタオルを出そうとして、雪子の手は途中で止まる。

「あのう、良かったらこれ。使って下さい」
 竹内の隣に座った2人組みの若い女性が、イチゴ柄のタオルを差し出しているのを見て、雪子はバックの中でラルフローレンのハンドタオルを握り締めた。
 実情はどうあれ、一応は男と女が並んでいるのだ、どうして他の女性にタオルを差し出さなければならないのだろう。
 ふたりで人前に出るたびにこんな思いをするが、そこまで不釣合いかしら、と雪子は首を傾げる。なんだか芸能人とでも付き合っているような気分だ。

「いえ、結構です。すぐに乾きますから」
 ニコッと笑ってタオルを断ると、竹内は雪子の方へ向き直った。
「あ、やっぱり濡れてますよ、先生。ほら、ここ」
 右耳の下に、竹内が自分のハンカチを当ててくれる。彼の後ろで、女の子たちが複雑な表情になる。「シュミ悪いよね」とこっそり囁く声が聞こえる。心配しなくても大丈夫、あたしは彼の男友達から、と彼女たちに教えてやるべきだろうか。
 失礼な彼女たちの態度に対してもそんな余裕を持てるのは、多分竹内のおかげだ。日曜日の遊園地、若い女の子たちは大勢いて、イケメンの竹内は何処へ行っても彼女たちの熱いまなざしを一身に集めている。それなのに、彼は楽しそうに雪子と喋り、笑ったりふざけたりしている。

「かわいい娘たちだったわね。せっかく向こうから話し掛けてきたんだから、口説けばよかったのに」
 5分ほどのアトラクションが終わり、ボートから降りて雪子は、順番待ちに並ぶ人々を眺めながらゆっくり歩く。
 同じ速度で隣を歩く竹内が雪子の言葉にふっと笑い、ズケズケした口調で言うのに、
「言ったでしょ。『モテ男』はしばらく休業したい気分なんですよ。女の子に気を使うのは、けっこう疲れるんです」
「……あたしも女だけど?」
「ご安心ください。三好先生は同性だと思ってますから」
 ちょっと待って、いつの間に転換されたの、あたしの染色体っ!

 スカートを穿いている自分相手にどういう言いがかりだ、と腹を立てるが、竹内の思い人が止むを得ない事情で女装したときの姿を思い出し、あれが竹内の基準になってしまったとしたら、普通の女性のスカート姿など小学生の女児と変わるまいと確信する。どこまでも不憫な男だ。
 かくなる上は、もっとメンタルな部分で、女らしいとかセクシーだとか、そういう認識を――――― そこまで考えて、雪子は39年の人生の中で一度も他人にその評価をされたことがないことに気付いた。雪子に与えられるのはいつも、『勇ましい』『凛々しい』『カッコイイ』といった男性に相応しい形容詞ばかり。某歌劇団の男役ではあるまいに、そんな言葉が褒め言葉になるはずもない。

「不思議だなあ。あのひととは、まるで逆だ」
 相手が男だと分かっているのに自分の気持を止められない。そう言いたいのだろう。

 それは別に珍しいことでも何でもない、雪子の知り合いにだって、男しか愛せない男も女しか愛せない女も、何人かいる。が、次々と女性と関係を持っていることからも分かるように、竹内はノーマルな男だ。
 彼だけが特別。この男も、きっとそうなのだ。

『薪は特別なんだ』
「特別」というキーワードで、不意に甦ってきた昔の恋人の面影に、雪子はじりっと胸の奥が焦げるような感覚を覚える。
『薪さんは、特別なんです』
 恋人のやさしい笑顔は、若い第九の職員の顔に取って代わる。艱難辛苦を舐め尽した片思いの時期、幾度となく彼の相談に乗ってやった折、数え切れないくらい聞かされたその言葉。

 特別特別特別。
 たしかに彼は特殊だ。人から天才と称される頭脳を持ちながら、人間関係にはひどく不器用で。自分が幸せになることにはもっと不器用で、未だに恋人とのトラブルは絶えない。彼の恋人の相談役でもある雪子は、その殆どを知っている。


「先生、腹空きません? あの辺で昼にしましょうよ」
「えっ、なんで」
 竹内が屋外のフードコートを指差したことに、雪子は驚く。スタンドではホットドックやハンバーガー、焼きそばにラーメンにカレーといったものが売られていて、野外で食べるそれらの簡単な食事は妙に美味しいことを雪子も知ってはいたが。

「軽いものでいいでしょ? 夕飯はちゃんとしたものをご馳走しますから」
「そうじゃなくて。お弁当は?」
「え? 本当に作ってきてくれたんですか?」
 あんたが作れって言ったんでしょうが!

 竹内の勝手な言い草に、雪子はムッとして唇を尖らせる。慣れない包丁と格闘しながら、これでも精一杯頑張ったのだ。まあ、味付けは全部薪がしたのだけれど。
 というのも、何故か薪はすべての調味料を抱え込み、雪子には触れさせてもくれなかったのだ。彼とは20年近い付き合いになるが、未だによくわからないところがある。

 自販機でペットボトルの緑茶を買って、芝生の上にレジャーシートを敷く。周りを見ると、広場になった芝生には幾組もの家族連れやカップルがたむろして、手料理に舌鼓を打っている。
 平和で楽しい風景。その中に身を置くのは、心休まるひと時だ。殺伐とした職業に就いているからこそ、こういう時間は貴重だ。

「えっ!?」
 頓狂な声に驚いて振り向くと、竹内が弁当の蓋を開けて眼を丸くしている。
 弁当の中身は、一口大のブリの照り焼き、鳥ささ身のシソ巻き、かぼちゃの含煮に根菜の煮物にアスパラベーコン。海老の天ぷらに牛蒡と人参の掻き揚げ。海苔を巻いた俵型のおむすびは、じゃこと青菜の混ぜごはん。
 我ながら会心の出来、というか、さすが薪というか。実は雪子は材料を洗っただけ、作ったのは彼だ。

「食べれば?」
 ハッと我に返ったように、竹内は割り箸を割って、シソ巻きを口に入れた。雪子も同じものを食べてみる。うん、さすが薪くん。甘辛いたれが肉にしっかりと絡んで、でも青紫蘇の香りでさっぱりすっきり、ささみ肉もパサつかせないプロの腕。
 なのに竹内と来たら、
「あれ? あれえ?」
 何だか思惑と違った事が起きたようで、しきりに首を捻っている。竹内は知らないが、今彼は、自分の思い人の手料理を食べているのだ。もっと感動すればいいのに。
 
 本当のことを教えてあげたら、竹内は喜ぶだろう。でも、それをすると竹内がますます薪のことを好きになってしまう。あのふたりの仲を掻き乱したくない雪子としては、ここは唇にチャックだ。
「煮物の野菜はちゃんと面取りしてあるし、鳥ささみは湯引きしてある。これ、どこで買ってきたんですか?」
「どういう意味よ。全部作ったのよ」
 薪くんが、という言葉を心の中で付け加えて、雪子はおむすびを齧った。程よい固さに握られたおむすびは、口の中でふわりとほぐれ、食べる者の心をやさしい気持ちでいっぱいにする。おむすびくらいは雪子も自分で作って食べるが、いつも餅のようになってしまう。あれはどうしてなんだろう。

「本当ですか? ふうん……」
 なにもそこまで疑わなくたって。刑事と言うのは厄介な人種だ。
 尚も訝しがる様子を見せていた竹内だが、一度軽く肩を竦めると、そこからは軽快に箸を動かし始めた。
「美味しいです」
「そう。よかった」
「いや、驚きました。三好先生、料理上手なんですね」
 まあね、と雪子は竹内の方を見ずに頷く。罪悪感を覚えつつ、本当のことは言えない。最初は友だちに作ってもらったと白状しようかとも思ったが、あそこまで疑われたら言いたくなくなった。

 それに。
 上機嫌で弁当を平らげる彼を見ていたら、余計なことは言わない方がいいような気がした。これを作ったのが薪だと知ったら、彼はきっと苦しくなる。

 ちくりと胸が痛むのは、良心の呵責か。それとも。
 それとも――――― 他に何がある?

 痺れを防ぐために足の向きを変えようとして、雪子はスカートの裾を押さえる。中身が見えないように足を組み替えるのは、けっこう気を使う。
「そういえば。先生、今日は珍しくスカートなんですね」
 別に深い意味はない。定番のパンツルックをやめてスカートにしたのは、ただの気分だ。おかしな勘繰りをするようならとっちめてやる、と思ったが、竹内はそれ以上、何も言わなかった。
 
 言葉はなかったが、自分を見る竹内の眼がいつもとは違うような気がした。竹内は雪子の前ではいつも、澄んだ無邪気な瞳をしていた。
 この眼は、裏に色々と含んだ眼だ。相手の気持ちを探ったり、駆け引きをしたり。狡賢さと欲を秘めた眼だ。

「これ食べたら場所を変えましょうか。それとも、もう少し遊んでいきますか」
「なに甘いこと言ってんのよ。あたしは遊ぶわよ。フリーパス買ったんだから、元取らなくちゃ」
 雪子が息巻いて言うと、竹内は面食らったように表情を固めて、次いで噴き出した。
「あははっ、さすが三好先生。そうこなくちゃ」
 ケラケラと笑ってもう一度雪子を見る、その眼はいつもの無邪気な瞳。
 それに安心して雪子は、大きく口を開けて海老の天ぷらを一口で食べた。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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竹内の失礼が留まることを知らない件について

こんにちは、竹内の失礼が留まるところを知らないのですが・・
前回の破壊の章で食材達が無駄死にしたかと思いましたが、大丈夫みたいですね(@_@;)
そんなあっちこっちで、釣り合わない釣り合わない言わなくたっていいのにねえ・・
(-"-)僻みと意地悪もあるんでしょうけど

>「不思議だなあ・・・・・・・あのひととは、まるで逆だ」
ん・・?竹内もしかして・・(@_@;)

>「え?本当に作ってきてくれたんですか?」
この・・貴様をごま油でカラッと揚げてやろうか!?って感じですねヽ(^。^)ノ


そうそう前回のコメのあれですが・・
サイ・アイの絆は泣きそうでした。いっぱい酷いことしたのに・・
笹塚さんの件は悲しすぎて涙もでませんでしたよ(T_T)ネウロの男性キャラでは一番好きだったのに・・

わんすけさんへ

わんすけさん、こんにちは!!
お元気ですか?
うちはねー、これから夜間工事で、すぐそこにみんながいて、絶賛打ち合わせ中なのです。<おい。


> こんにちは、竹内の失礼が留まるところを知らないのですが・・

留まるところを知らない(笑)
(いつも思うんですけど、わんすけさんの言葉のセンスって、さいこーですよねっ。)
本当に、とことん失礼ですね~。 怖いもの知らずというか(^^;


> 前回の破壊の章で食材達が無駄死にしたかと思いましたが、大丈夫みたいですね(@_@;)

『破壊の章』って!! げらげらげら!!
そうですね、薪さんが見事に甦らせてくれたみたいですね。


> そんなあっちこっちで、釣り合わない釣り合わない言わなくたっていいのにねえ・・
> (-"-)僻みと意地悪もあるんでしょうけど

うちの雪子さんて、化粧が下手なんですよ★
ケバイというか、濃ゆいというか、だから老けて見えるんです。 真っ赤なルージュとかね、流行りませんて。
これからちょっと、マイフェアレディしますから。 スガちゃんが(笑)


> >「不思議だなあ・・・・・・・あのひととは、まるで逆だ」
> ん・・?竹内もしかして・・(@_@;)

あっ、ちょっ、言わないで。
わんすけさんとはシンクロ率高いから、多分バレてるような気が(^^;


> >「え?本当に作ってきてくれたんですか?」
> この・・貴様をごま油でカラッと揚げてやろうか!?って感じですねヽ(^。^)ノ

きゃははは!
はい、ごま油は独特の風味が出て、さぞ美味しいことと(^^



> そうそう前回のコメのあれですが・・
> サイ・アイの絆は泣きそうでした。いっぱい酷いことしたのに・・

やっぱりやっぱり?
ううう~っ、ってなりました?
わたしもです(TT)


> 笹塚さんの件は悲しすぎて涙もでませんでしたよ(T_T)ネウロの男性キャラでは一番好きだったのに・・

ああ、そうなんですね。
わたしは笛吹さんと笹塚さんの関係が好きでした。 表面に強く出ることは無いけど、でも笛吹さんは笹塚さんをすっごく大事に思ってましたよね。 
あと、イチオシは電人ハルですね。 刹那さんとの純愛が、泣ける。 しかし、刹那さんのお父さんがダンボール教授で、それがシックスに惑わされて、って、キリがないですね(^^;


あ、そうだ、『君に届け』の2NDシーズン(アニメ)始まってますけど、見てますか?
最初の回、くるみちゃんが主役で出てきて、爽子、主役喰われた!?と思いましたが。
でもわたし、くるみちゃん好きなんですよ~。
めちゃくちゃ一生懸命、風早のこと好きなんですよね。 敵役なんでしょうけど、憎めないんだなあ。
って、
『秘密』に関係ない話ばっかり・・・・・まあ、記事じゃなくてコメント欄だし、いいですよね(^^;



プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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