クッキング(10)
クッキング(10)
「で、相手は? どんなやつか知ってるか」
「オレもよくは知りませんけど。法一の同僚で、班のリーダーになってて、年は三好先生より5歳上。人格、将来性ともに良好、女性関係も心配なし。敢えて欠点を挙げるとすれば、少しだけ潔癖症のきらいがあるみたいです。 両親共に健在で、四谷の1戸建てに親と一緒に住んでます。好きな食べ物はエビのチリソース、嫌いな食べ物はオクラや納豆のネバネバ系。お酒はウィスキーやバーボン等の洋酒が好みで」
「……めちゃめちゃ詳しいじゃん」
やや呆れ顔の竹内は、やっぱり俳優みたいにかっこいい。どんな表情をしてもサマになる、ハンサムは得だ。
「そっか。同じ職場で、5歳年上……顔は? いい男か?」
青木は自らがシュレッダーに掛けて極細に分断した男の顔を思い出す。白衣姿がよく似合う、穏やかな紳士だった。
「イケメンの部類に入ると思いますよ」
「完璧じゃないか」
なにやら難しい表情になって、竹内は右手の拳を唇に当てる。この春の連ドラで売れっ子のイケメン俳優が名探偵の役をやっていたが、彼より遥かにカッコイイ。薪は男性には興味がないはずだが、ここまでカッコイイ男が自分を好きだと知ったら気持ちが揺れるかもしれない、などと意味のない仮定をして青木は焦る。
本当に薪が男に興味がなくて良かっ……待って、それだとオレにも興味ないってことになるんじゃ? うう、凹みそう。
「先生、プロポーズ受ける気なのか?」
さりげない仕草が青木の不安を煽っているのに気付かず、竹内はあからさまな野次馬根性で質問を重ねてくる。その浅ましさに1割、残りは完全なやっかみで、青木は彼の質問を素っ気無く跳ね除けた。
「知りませんよ」
「なんで知らないんだよ。おまえ、先生と仲いいだろ」
「悪くはないですけど、別にオレ、三好先生とは何でもないし。てか、竹内さんには関係ないじゃないですか。なんでそんなに気にするんですか?」
「だから気にしてるわけじゃないって。受けるかどうか、そこが知りたいだけなんだ」
両者の違いが分からない。青木にはどちらも同じことのように聞こえるが、気のせいだろうか。
「どうしてそんなこと、オレに訊くんですか? そんなに知りたきゃ本人に訊いたらいいじゃないですか。知らない仲じゃないでしょう」
竹内は捜査一課、雪子は監察医。それなりに仕事上の接点もある。顔見知り以上の間柄ではあるのだから、自分で聞けばいい。青木がその程度の気持ちで言ったことに対して竹内が返してきた言葉は、少なからず青木を驚かせた。
「な……ち、違うからな! あれはそういうんじゃない、そういう意味で付き合ってるわけじゃないんだ!!」
「は? 付き合ってる?」
鸚鵡返しに尋ねて、尚も青木は自分の耳を疑う。
竹内が雪子と?何がどうしてそんなことに??
びっくり眼で固まった青木に今度は竹内が驚いて、強張った顔で詰め寄ってくる。形の良い唇から弾丸のように放たれる言葉は、不自然なくらい強い否定口調。
「付き合ってない! ただ一緒に食事したり、酒飲んだり、休みの日に遊園地とか映画館とか、あ、プラネタリウムも行った。それから先週は水族館でホウジロザメを」
「それ、普通に付き合ってません?」
「だから違うって言ってんだろ! 先生とは、男友達みたいな感覚で」
たしかに雪子は性を感じさせない女性だ。男に媚びないというか、男を男とも思わないというか。青木も雪子とは数え切れないくらいのプライベイトを一緒に過ごしたが、そんな雰囲気は生まれなかった。
まあ、雪子は自分よりも12歳も年上だし、そういう対象には見てもらえないだけかもしれな……だから待ってくれってば、薪さんもオレより12歳年上じゃないか。やっぱりオレのことなんか……ダメだ、泥沼だ。
「それに」
虚ろな目になった青木に頓着せず、竹内は言葉を継ぐ。普段は気配り上手な彼だが、今は自分のことでいっぱいいっぱいらしい。
「先生も俺のこと、男として見てないし。何度か誘いを掛けたこともあったんだけど、うまくはぐらかされちゃって」
「あの」
なんだか恋愛相談みたいになってきた会話に、青木は休符を挟んだ。薪の怒り狂う様子が目に浮かんだからだ。
薪は竹内が大嫌いだ。彼を嫌悪する最大の理由は、竹内が警視庁一のプレイボーイだからだ。察するに、10年以上も同じひとを想い続けていた薪には、竹内の行動は不誠実さの象徴のように見えて、自分の不器用さを思い知らされるようで、耐えられないのだろう。
その一方で、亡き妻の忘れ形見の一人娘を盲目的にかわいがる父親もかくやという状態で雪子を大切にしている。そんな薪が、彼らが付き合っているなんて知ったら何をしでかすか。青木には薪の暴走を止める自信はない。
「竹内さん。もしかして三好先生のことを?」
「それが……自分でもよく分からないんだ」
分からない? 警視庁一のモテ男で、恋愛経験は星の数ほどあるはずの竹内が、自分の気持ちが恋愛感情かどうか分からないなんてことがあるのだろうか。
「ときめかないんだ、先生といても。幸せな気分になったり、ウキウキしたり、手を握りたいと思ったりキスしたいと思ったり、そういう風にならないんだ。だからこれは恋ではないんだな、と自分では割り切っていたんだけど」
竹内の主張はもっともだ。ときめきのない恋なんか恋愛とは言えないだろう。
青木なんか、薪と一緒にいるときには心臓がドキドキしっぱなしだ。次はどんな意地悪をされるんだろうとか、いきなり別れるって言い出されるんじゃないかとか、て、なんか、これも恋のときめきとは別物のような気が……ああ、泥沼に底が見えない。
「じゃあ、どうして一緒にプライベイトを過ごしてるんですか?」
「楽だから」
そりゃーまた、明確な答えで。
「とにかく、先生が相手だと楽なんだ。何にも飾らなくていいし、わけのわからない女性ファッションの話を聞かされることもないし、話を合わせるために雑誌を買ってその情報を仕入れておく必要もない。相手のチャームポイントを探して褒めなくてもいいし、高級なレストランとか行かなくてもいいから、金もかからないし」
「プレイボーイって大変なんですね」
「毎日が緊張と気配りと勉強の連続だ」
自分には無理だ、と思いかけて青木は、薪と接するときには自分もまた強制的に竹内と同じ状況に陥っていることに気付く。でも、あれは薪が相手だから頑張れるのだ。それが不特定多数を相手取るとなったら、とても続かない。やっぱり竹内はすごい。
「そんな調子だったから、今まで先生の男関係なんか気にしたことなかったんだ。でも、先生がプロポーズされたって聞いて、だれか他の男のものになるかもしれないって思ったら、何も手につかなくなって……確かめずにはいられなくて」
竹内の話を聞いて、青木は複雑な気分になる。
竹内のことは友人として好きだし、優秀な先輩刑事として尊敬してもいる。しかし、彼は何年も前から薪に恋をしていて、青木の立場からは目障りな男だった。薪が竹内のことを嫌っているのは分かっていたから頭痛の種というほどでもなかったのだが、喉に刺さった小骨くらいには邪魔だと思っていた。だから彼に好きな女性ができるのは喜ばしいことなのだが、相手が雪子となると、そう簡単に首を縦に振ることはできない。
雪子に恋愛感情はないが、今までさんざん世話になった恩義がある。だから彼女には幸せな恋愛と結婚をしてもらいたい。それは薪が切望することでもあるし、青木も心からそう願っている。
竹内は、自他共に認めるプレイボーイだ。恋愛は上手かもしれないが、平和な結婚生活は望めないだろう。友人として付き合うにはいいが、恋人や夫にするには不向きな男だ。彼の妻になった女性は、女性関係の心配を一生しなくてはならない。
はっきり言って、お勧めできない。
「竹内さん。真剣な気持ちじゃないなら、余計な真似しないでくださいね」
「まだ手は出してない」
「まだって、今から出す気なんですか?」
「出せないんだよっ、この俺が! 初めてだ、こんなこと」
竹内には珍しく逆ギレされて、青木は口を噤む。オシャレでスマートで軽い恋愛が得意な竹内らしくもない。
迂闊に手を出せないのは雪子の武勇を恐れてのことか、あるいは。
大切に思っているから、簡単に手が出せないのか。
「そうだ、おまえ、俺に嘘の情報教えただろ。三好先生、料理めちゃめちゃ上手かったぞ」
「えっ。そんなはずは」
ない、と言い掛けて、青木はその情報が他人からの伝聞だったことに思い当たる。実際に彼女の手料理を食べたことはないのだ。あれはむかし薪から聞いたのだが、さては冗談だったのか。薪が雪子を悪く言うとは思えないが、その場のノリだったのかもしれない。
「俺が食べたのは和食の弁当だったけど。今まで食った差し入れの中で、一番美味かった。聞いたら料理は得意で、和洋中なんでもござれだって言ってたぞ」
「そうですか。すみませんでした」
「ったく、ガセネタはカンベンしてくれよ」
イラついた表情で腕を組み、抑え切れないため息を吐く年上の友人を見やり、青木は困惑するばかりだった。
「で、相手は? どんなやつか知ってるか」
「オレもよくは知りませんけど。法一の同僚で、班のリーダーになってて、年は三好先生より5歳上。人格、将来性ともに良好、女性関係も心配なし。敢えて欠点を挙げるとすれば、少しだけ潔癖症のきらいがあるみたいです。 両親共に健在で、四谷の1戸建てに親と一緒に住んでます。好きな食べ物はエビのチリソース、嫌いな食べ物はオクラや納豆のネバネバ系。お酒はウィスキーやバーボン等の洋酒が好みで」
「……めちゃめちゃ詳しいじゃん」
やや呆れ顔の竹内は、やっぱり俳優みたいにかっこいい。どんな表情をしてもサマになる、ハンサムは得だ。
「そっか。同じ職場で、5歳年上……顔は? いい男か?」
青木は自らがシュレッダーに掛けて極細に分断した男の顔を思い出す。白衣姿がよく似合う、穏やかな紳士だった。
「イケメンの部類に入ると思いますよ」
「完璧じゃないか」
なにやら難しい表情になって、竹内は右手の拳を唇に当てる。この春の連ドラで売れっ子のイケメン俳優が名探偵の役をやっていたが、彼より遥かにカッコイイ。薪は男性には興味がないはずだが、ここまでカッコイイ男が自分を好きだと知ったら気持ちが揺れるかもしれない、などと意味のない仮定をして青木は焦る。
本当に薪が男に興味がなくて良かっ……待って、それだとオレにも興味ないってことになるんじゃ? うう、凹みそう。
「先生、プロポーズ受ける気なのか?」
さりげない仕草が青木の不安を煽っているのに気付かず、竹内はあからさまな野次馬根性で質問を重ねてくる。その浅ましさに1割、残りは完全なやっかみで、青木は彼の質問を素っ気無く跳ね除けた。
「知りませんよ」
「なんで知らないんだよ。おまえ、先生と仲いいだろ」
「悪くはないですけど、別にオレ、三好先生とは何でもないし。てか、竹内さんには関係ないじゃないですか。なんでそんなに気にするんですか?」
「だから気にしてるわけじゃないって。受けるかどうか、そこが知りたいだけなんだ」
両者の違いが分からない。青木にはどちらも同じことのように聞こえるが、気のせいだろうか。
「どうしてそんなこと、オレに訊くんですか? そんなに知りたきゃ本人に訊いたらいいじゃないですか。知らない仲じゃないでしょう」
竹内は捜査一課、雪子は監察医。それなりに仕事上の接点もある。顔見知り以上の間柄ではあるのだから、自分で聞けばいい。青木がその程度の気持ちで言ったことに対して竹内が返してきた言葉は、少なからず青木を驚かせた。
「な……ち、違うからな! あれはそういうんじゃない、そういう意味で付き合ってるわけじゃないんだ!!」
「は? 付き合ってる?」
鸚鵡返しに尋ねて、尚も青木は自分の耳を疑う。
竹内が雪子と?何がどうしてそんなことに??
びっくり眼で固まった青木に今度は竹内が驚いて、強張った顔で詰め寄ってくる。形の良い唇から弾丸のように放たれる言葉は、不自然なくらい強い否定口調。
「付き合ってない! ただ一緒に食事したり、酒飲んだり、休みの日に遊園地とか映画館とか、あ、プラネタリウムも行った。それから先週は水族館でホウジロザメを」
「それ、普通に付き合ってません?」
「だから違うって言ってんだろ! 先生とは、男友達みたいな感覚で」
たしかに雪子は性を感じさせない女性だ。男に媚びないというか、男を男とも思わないというか。青木も雪子とは数え切れないくらいのプライベイトを一緒に過ごしたが、そんな雰囲気は生まれなかった。
まあ、雪子は自分よりも12歳も年上だし、そういう対象には見てもらえないだけかもしれな……だから待ってくれってば、薪さんもオレより12歳年上じゃないか。やっぱりオレのことなんか……ダメだ、泥沼だ。
「それに」
虚ろな目になった青木に頓着せず、竹内は言葉を継ぐ。普段は気配り上手な彼だが、今は自分のことでいっぱいいっぱいらしい。
「先生も俺のこと、男として見てないし。何度か誘いを掛けたこともあったんだけど、うまくはぐらかされちゃって」
「あの」
なんだか恋愛相談みたいになってきた会話に、青木は休符を挟んだ。薪の怒り狂う様子が目に浮かんだからだ。
薪は竹内が大嫌いだ。彼を嫌悪する最大の理由は、竹内が警視庁一のプレイボーイだからだ。察するに、10年以上も同じひとを想い続けていた薪には、竹内の行動は不誠実さの象徴のように見えて、自分の不器用さを思い知らされるようで、耐えられないのだろう。
その一方で、亡き妻の忘れ形見の一人娘を盲目的にかわいがる父親もかくやという状態で雪子を大切にしている。そんな薪が、彼らが付き合っているなんて知ったら何をしでかすか。青木には薪の暴走を止める自信はない。
「竹内さん。もしかして三好先生のことを?」
「それが……自分でもよく分からないんだ」
分からない? 警視庁一のモテ男で、恋愛経験は星の数ほどあるはずの竹内が、自分の気持ちが恋愛感情かどうか分からないなんてことがあるのだろうか。
「ときめかないんだ、先生といても。幸せな気分になったり、ウキウキしたり、手を握りたいと思ったりキスしたいと思ったり、そういう風にならないんだ。だからこれは恋ではないんだな、と自分では割り切っていたんだけど」
竹内の主張はもっともだ。ときめきのない恋なんか恋愛とは言えないだろう。
青木なんか、薪と一緒にいるときには心臓がドキドキしっぱなしだ。次はどんな意地悪をされるんだろうとか、いきなり別れるって言い出されるんじゃないかとか、て、なんか、これも恋のときめきとは別物のような気が……ああ、泥沼に底が見えない。
「じゃあ、どうして一緒にプライベイトを過ごしてるんですか?」
「楽だから」
そりゃーまた、明確な答えで。
「とにかく、先生が相手だと楽なんだ。何にも飾らなくていいし、わけのわからない女性ファッションの話を聞かされることもないし、話を合わせるために雑誌を買ってその情報を仕入れておく必要もない。相手のチャームポイントを探して褒めなくてもいいし、高級なレストランとか行かなくてもいいから、金もかからないし」
「プレイボーイって大変なんですね」
「毎日が緊張と気配りと勉強の連続だ」
自分には無理だ、と思いかけて青木は、薪と接するときには自分もまた強制的に竹内と同じ状況に陥っていることに気付く。でも、あれは薪が相手だから頑張れるのだ。それが不特定多数を相手取るとなったら、とても続かない。やっぱり竹内はすごい。
「そんな調子だったから、今まで先生の男関係なんか気にしたことなかったんだ。でも、先生がプロポーズされたって聞いて、だれか他の男のものになるかもしれないって思ったら、何も手につかなくなって……確かめずにはいられなくて」
竹内の話を聞いて、青木は複雑な気分になる。
竹内のことは友人として好きだし、優秀な先輩刑事として尊敬してもいる。しかし、彼は何年も前から薪に恋をしていて、青木の立場からは目障りな男だった。薪が竹内のことを嫌っているのは分かっていたから頭痛の種というほどでもなかったのだが、喉に刺さった小骨くらいには邪魔だと思っていた。だから彼に好きな女性ができるのは喜ばしいことなのだが、相手が雪子となると、そう簡単に首を縦に振ることはできない。
雪子に恋愛感情はないが、今までさんざん世話になった恩義がある。だから彼女には幸せな恋愛と結婚をしてもらいたい。それは薪が切望することでもあるし、青木も心からそう願っている。
竹内は、自他共に認めるプレイボーイだ。恋愛は上手かもしれないが、平和な結婚生活は望めないだろう。友人として付き合うにはいいが、恋人や夫にするには不向きな男だ。彼の妻になった女性は、女性関係の心配を一生しなくてはならない。
はっきり言って、お勧めできない。
「竹内さん。真剣な気持ちじゃないなら、余計な真似しないでくださいね」
「まだ手は出してない」
「まだって、今から出す気なんですか?」
「出せないんだよっ、この俺が! 初めてだ、こんなこと」
竹内には珍しく逆ギレされて、青木は口を噤む。オシャレでスマートで軽い恋愛が得意な竹内らしくもない。
迂闊に手を出せないのは雪子の武勇を恐れてのことか、あるいは。
大切に思っているから、簡単に手が出せないのか。
「そうだ、おまえ、俺に嘘の情報教えただろ。三好先生、料理めちゃめちゃ上手かったぞ」
「えっ。そんなはずは」
ない、と言い掛けて、青木はその情報が他人からの伝聞だったことに思い当たる。実際に彼女の手料理を食べたことはないのだ。あれはむかし薪から聞いたのだが、さては冗談だったのか。薪が雪子を悪く言うとは思えないが、その場のノリだったのかもしれない。
「俺が食べたのは和食の弁当だったけど。今まで食った差し入れの中で、一番美味かった。聞いたら料理は得意で、和洋中なんでもござれだって言ってたぞ」
「そうですか。すみませんでした」
「ったく、ガセネタはカンベンしてくれよ」
イラついた表情で腕を組み、抑え切れないため息を吐く年上の友人を見やり、青木は困惑するばかりだった。