クッキング(13)

クッキング(13)





 銀食器の優雅な光沢が慎ましく輝く店内で、雪子はフォークを操る手を止め、にっこりと向かいの男性に笑いかけた。流れるモーツァルトの調べに合わせたやわらかい声を心掛け、小さめに口を開く。

「ステキなお店ですね。よくこういうお店でお食事を?」
「いいえ、今日は特別です。雪子先生をお誘いしたんですから、おかしな店へはお連れできません」
 お腹いっぱい食べられればラーメン屋でも牛丼屋でも大歓迎だけど、と心の中で返しつつ、雪子はニコニコと微笑み続けた。
「うれしいわ。ありがとうございます」
 ドレスアップに注ぎ込まれた菅井の苦労を無にしないように、雪子は淑やかな言動を心掛ける。それほど得意ではないが、そこは年の功。こういう店の出入も慣れているし、ツラの皮も厚い。

「素敵なのは貴女のほうだ。今日は驚きましたよ。前から美しい人だとは思ってましたけど、こんなにきれいだったなんて。もったいないですよ、どうして普段からそういう格好をなさらないんですか?」
 これを毎日やってたら神経衰弱で入院だわ、と心の中で呟き、「おだてても何もでませんよ」とありきたりの応えを返す。
 美辞麗句は雪子の心を動かさない。人間の美醜は皮一枚、服一枚のことだとイヤになるほど分かっているからだ。
 むしろこんなときは菅井のように、『馬子どころか馬にも衣装ですよ!』などと無礼極まりない言葉を吐きながらもハシバミ色の瞳をキラキラさせる、そんな真実が雪子を喜ばせる。

 無礼つながりで思い出すのはやっぱりあの男のことで、彼なら何て言うだろう、と雪子はまたもや考える。暖かい茶色の瞳を無邪気に細めて、悪戯っ子みたいにニヤッと笑う。彼の口から出るのは、そう、きっとこんなセリフ。
『先生、女装似合うじゃないですか』
 クスッと笑って雪子は、桜色のテリーヌにナイフを入れる。季節に合わせて桜のソースをあしらった、上品な味わいの一品。食器を縁取るピンクの曲線が、春らしさと華やぎを演出している。

「なんですか? 思い出し笑い?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと助手の女の子に言われたことを思い出して」
 後から思い浮かべたひとのことは内緒にして、菅井に言われたことを正直に話す。そうして菅井ひとりに罪を被せると、雪子は何食わぬ顔で風間と笑い合った。

 こんなふうに、自分の心と身体をバラバラに操る術を覚えたのは、いつの頃からだったろう。監察医の仕事は滅入ることが多くて、だけどそれを表に出したくない雪子は、人前で虚勢を張ることがいつしか当たり前になっていた。
 他人は口を揃えて自分のことを強い女性だと言うけれど、それは過大評価だ。自分は弱さも狡さも併せ持った、ただの女。でなかったら、あんなバカな真似はしなかった。

 4年前の夏。
 彼を喪って、自分の中に穿たれた底の見えない空虚に飲み込まれ、挙句の果てに自殺未遂。その傷は今も雪子の左手首に残っている。整形手術で消えないことはない。だけど、雪子はその傷をわざと残している。これは自分への戒めだ。もう二度と、弱さに溺れないように。

 わたしは強い女性。他人に頼らずとも生きていける。
 少なくとも、自分の気持ちを偽り続けることと寂しさの二者択一なら、後者を選ぶ。それくらいの強さはある。

「風間先生。先日のお話ですけど」
 コースがメインに移ったころ、雪子はそう切り出した。
「申し訳ありませんが。私には、もったいないお話だと」
「そんなに答えを急がなくてもいいじゃないですか。これからゆっくり付き合って、その上で僕が貴女の夫に相応しいかどうか、見極めてくれればいい。
 僕だって、貴女に投げ飛ばされるかもしれないと思いつつ、勇気を出して告白したんですよ。そのくらいの猶予は与えてください」

「投げ……どうして私の特技を知ってるんですか」
「菅井さんに聞きました。柔道のことだけじゃなくて、先生が本当はすごく気さくで、勇ましい方だということも。今度は、そんな貴女も見てみたい」
 風間から菅井との会話の内容を聞くと、雪子が家事全般が苦手なこと、特に料理は壊滅的なこと、痴漢を投げ飛ばして肋骨を折る重傷を負わせてしまい、裁判沙汰になりかけたことまで筒抜けだった。
 あたしにはお淑やかに振舞えとか言っておいて、自分がバラしてどういう気だ、と思いかけて雪子は、菅井が雪子のためにフォローを入れてくれていたのだとすぐに気付く。虚勢は張っても見栄っ張りな嘘は苦手なのだ。付き合い始めたらすぐにバレてしまう。

「菅井さんが言ってましたよ。先生は正義感が強くて、勇気があるって。その痴漢ていうのも、菅井さんに付きまとってたストーカーだったんでしょう? 彼女、すごく感謝してましたよ。
 それに、先生は努力家だから、料理も習い始めたら上手になる筈だって。メスを扱う監察医が包丁を使えないわけはないから、上達も早いでしょうって」

 ――――― 先生、がんばってくださいね。

 両の拳を胸の前でぎゅっと握り、小動物のような笑顔で自分を送り出してくれた後輩の顔を思い出す。彼女のエールが耳に届いて、雪子は何も言えなくなった。

 曖昧に微笑み、運ばれてきたメインディッシュを見る。雪子の好きなサーロイン。薄切りのレモンの上に載せられたバターが溶け出して、食欲をそそる匂いをさせている。
「僕はコレステロールが高いから、肉は控えてるんですけど。今夜は特別です。先生をダシに使わせていただきます」
「あら。じゃあ、私を誘った本当の目的はこれだったんですか?」
 顔を見合わせてクスクス笑う。ユーモアを交えた穏やかな会話は、最高のスパイスだ。美味しい食事がもっとおいしくなる。

 答えは今でなくともよいと風間に言われたことで、大分気持ちが楽になった。何も風間のことが嫌いなわけではないし、彼の言うことにも一理ある。
 自分の中に生まれかけている感情があることは認めるが、それが必ず育つとは、雪子自身はっきりと断定できないものだし、風間との間に同種の感情が芽生えないとも限らない。
 アラフォーの恋愛は日和見主義。鈴木に恋をした20代とは違うのだ。

 鈴木の恋人だった、あのころ。
 この人以外に考えられない、どんな立場でもいいからこの人の傍にいたいと思った。彼が心の奥底で一番大事にしているのが誰なのか、雪子は薄々感づいてはいたけれど、決してそれを表面に出すことはしなかった。大らかに許したと見せかけて、本音では鈴木を失うのが怖かった。それに、鈴木の愛情は贋物ではなかった。一番にはなれなくても、愛されていた。それで充分だった。

 雪子は右手のワイングラスに手を伸ばした。美しい赤色の液体が、芳醇な香りを漂わせる。グラスを空けたとき、彼女は初めて2つ向こうの席の人影に気付いた。

「……なんでいるわけ」
「はい?」
「あ、いえ。何でも」
 僅かに首を傾げた風間は、雪子の微笑に安心したように笑って、ボトルのワインを雪子のグラスに注いでくれた。テーブルに置いたワイングラスの足を押さえ、雪子はチラリと風間の先に視線を送る。

 見間違いであって欲しいとの願いは、虚しくも消えた。
 やっぱり竹内だ。あんな俳優顔が、そう多く存在しているはずがない。
 
 彼女と来たのかと思いきや、竹内はひとりだった。一人分の食器の前に、ひとりでぽつんと座って、それは彼の華やかな容姿にまるで相応しくなかった。
 いったい、いつからそこにいたのだろう。 
 雪子の疑問は、レストランのホールスタッフが彼のテーブルにメインディッシュを運んで行ったことで解決された。この店は夜はコース料理しか扱っていない、ということは、雪子たちのすぐ後に席に着いたのだ。

 竹内は品良くワインを飲みながら、嫌な目つきでこちらを見ている。まるで自分が犯人になって、彼に張り込みをされているような気分だ。
 いやだ、あんなにジロジロ見られたら、せっかくのステーキの味が台無しだ。ていうか、彼が同じ店にいると知った時点で、料理の味なんか分からなくなったんだけど。

「雪子先生? ステーキがミンチになっちゃいますよ?」
「え? あ」
 風間に指摘されて雪子は手元を見る。無意識のうちに、肉を切り刻んでしまった。しかも検査用に5ミリピッチで。習性とは恐ろしい。
「ちょっと、緊張してるみたいです」
「今になってですか? ユニークなひとですねえ、先生は」
 急にソワソワしだした雪子をどう思ったのか、風間は大人らしい落ち着きを見せているが、本心は分からない。申し訳なさでいっぱいになって、雪子は激しく自分を恥じる。
 風間は真面目な気持ちで交際を申し込んでくれて、それを承知の上で自分はここに来たのに、他の人が気になって彼の存在を忘れるなんて、最低だ。

 しかし、真の最低野郎は別にいた。
 そいつは礼儀知らずにも、食事の途中で席を立った。そして他人が食事をしているテーブルにつかつかと近寄ってきた。
 ナイフを持った女性の右手を出し抜けに掴み、威嚇するような声で、
「三好先生。行きましょう」
「……どこへ」
「ここじゃないとこなら何処でもいいですから。とにかく、出ましょう」
 あまりのことに唖然として、風間は声も出ない様子だった。周りの客はひたすら下を向いて、雪子たちの席を見ないふり。でも聞き耳はしっかり立てている。

「いやよ」
 当然、雪子は断った。当たり前だ、ここで応じたら自分もサイテー野郎の仲間入りだ。
「まだデザート食べてないもん」
 その理由はどうかと思われたが、雪子にはそれ以上の断り文句は浮かばなかった。
「コンビニでハーゲンダッツのトリュフショコラ買ってあげますから」
「ふざけないでよ」
 流石に頭にきて、雪子は強い口調で言い返した。

「レストランのデザートよ? せめてサーティワンにしてよ」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Cさまへ

Cさま、こんにちは~。


>か、風間先生、,,先生は悪くないのに、、、(判官贔屓の為,こういうキャラに弱い)

Cさま、やさしい~。
理不尽に虐げられるひとの味方になる、高潔な方ですね(^^

ですよねー、風間先生、いい人だと思いますよ。(なんだろう、このよそよそしい言い方・・・・・自分で作ったキャラだろうに(^^;))
よくいますよね、『いいひと』で終わっちゃう人。 彼はそういうタイプなんだと思います。


>しづさん、風間先生にも春を、、、。(スピンオフすぎるだろ!)

大丈夫です、フォローは入れます。
・・・・・取ってつけたようになっちゃったかもですけど、一応ね(^^


>ってか,それよりも,なに、何ですって!次、タ、タッキーのお話?なにそれ?読みたいような恐ろしいような、、、、ぶるぶる

あ、これはまだ書いてる途中で・・・・・
ラストまで話はできてるから大丈夫かな。
過去編なんで、別に怖くはないと思いますよ。 個人的には、滝沢さんの鈴木さんイジメが楽しいです♪
忘れた頃に公開すると思いますので、(いい加減、本編に戻らんと(^^;)) その際はよろしくお願いします。

Mさまへ

Mさま、こんにちは!
お元気でお過ごしのことと思います(^^


蝶のテンプレ、褒めていただいてありがとうございます。
あちらは蝶で統一してみました。 携帯も蝶なんですよ~。

引越しの件は、わたしも前々から考えてはいたんですけど、なかなか腰を上げることができなくて~、すみません、ただの怠慢ヤローです(^^;
今回、コメントくださった方がいて、その方が背中を押してくださいました。 おかげでわたし自身の引け目も減りまして・・・・・感謝しています。 もっと早くやればよかったです。


しづの身体のことを心配していただいて、ありがとうございます。
ですね、もう年なんでね、無理しないでゆっくりやっていこうと思います。 負担になってしまったら、楽しくないですからね。 自分が楽しいのが一番♪(←超じこちゅー)


>クッキングも楽しく読ませていただいてますよ~♪
>原作の雪子さんだって、薪さんが青木君のことを好きだってわかっていながら婚約さえしなければいい人なのに・・・って思うんですけどね・・・。←(そこが一番問題なんですが(-_-メ))

でしょう?
これ、風間先生もしくは竹内が青木くんだったら大ブーイングですよね。
だから、彼女が幸せになること自体には、誰も反対しないと思うんです。 でも、相手がなー。 
男の人はたくさんいるのに、どうして2回とも薪さんの思い人なんだー!? って思っちゃいますよね(^^;
そしてますます秘密にハマる、と。 さすが清水先生(笑)


プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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