クッキング(14)

クッキング(14)





 春の宵の街には、薄ぼんやりした灯りがよく似合う。霞が掛かって、まるでガス燈のように見えるLEDの光が、ロマンティックな夜の演出に一役買っていた。

 その街灯が照らす青山通りの歩道に、一組の男女が肩を並べて歩いていた。
 彼らとすれ違う人々は、だれもが思わず彼らに見惚れた。プラズマ画面の向こう側でしか見られないような、美男美女の組み合わせだったからだ。
 特に男の方は、芸能プロダクションに所属していること請け合いの美形で、だから隣の女性に向けられる同性の眼は厳しいものがあった。しかし彼女たちも結局は、ライトグリーンのワンピースに身を包んだ彼女の美しさを認めて、口を噤むのだった。

 傍目にもお似合いのふたりで、並んで歩いていることからも彼らは恋人同士だと思われたが。彼らの心中は、憤怨に満ちて荒々しく乱れていた。
「どうしてくれるのよ。あんたのせいでA5等級のサーロイン、味が全然分からなかったじゃないの」
 つんけんした態度で憤慨を口にして、雪子は忌々しそうに舌打ちした。フェミニンなワンピースが台無しだ。
「俺なんか、前菜の時点から分かりませんでしたよ」
 相手の男も相当怒っていて、肩を並べているふたりの間にはギスギスした空気が流れていた。

 雪子はこれ見よがしにため息をつき、ショルダーバックを肩に掛け直した。
 レストランが少し暑かったのか、頭に血が昇っているようだ。おかげで外気が心地よい。季節は春でも夜の空気はまだまだ冷たくて、レストランの空調以外の理由でも火照っている雪子の頬を冷ましてくれる。

「風間さん、って言うんでしたっけ。大人ですね、あのひと」
 いくらか気持ちが冷えたのか、竹内が静かに言った。
 レストランでの一幕を思い出し、雪子は自責の念に駆られる。自分たちの大人気ない振舞いを、風間は寛大にも許してくれた。

『僕は最初から気付いてましたよ。あなたが席に着いたときから、ずーっと睨まれてましたから。それに』
 何故レストランの場所が解ったのだろうと考えて、竹内の職業を思い出す。竹内は捜査一課のエース。尾行はお手の物だ。
『雪子先生もずっと、心ここに在らずでしたよね?』
『……ごめんなさい』
『いいえ。僕がお願いして来てもらったんですから、贅沢は言いませんよ。僕は充分楽しかった』
 そう言って笑うと、自分もデザートはキャンセルする、コレステロールの他に血糖値も高めだから、と片手を上げて、さっさと会計を済ませて堂々と店を出て行った。彼は本当の紳士だった。
 ひきかえ、この男ときたら。

「あんたがコドモなんでしょ」
「先生だって、アイスクリームに釣られて出てきたくせに」
 あんたはアホか、と怒鳴り返してやろうとして、雪子は口を大きく開く。が、隣を歩く未熟な男の玄妙な横顔に出会って口をつぐんだ。
 きっと、同じことを考えている。

 自分の感情を厳密に突き詰めることは、怖くてしんどい。曖昧な気持ちのまま友だち感覚で付き合っていたほうがずっと楽しい。認めてしまったら、この関係が終わってしまうかもしれない、そんなことを考えてしまうから。
 それは自分たちの勝手で、そのまま関係が途絶えるのも自然の摂理だと思うけれど、こんなふうに誰かを巻き込んで、負う必要のない傷を負わせていいわけがない。

 滅多に吐かないため息を吐いて、雪子が口を開こうとした、そのとき。
 一陣の風が、ふたりの間を吹き抜けた。
 軽い生地のスカートはふわりと舞い上がって、雪子は慌てて裾を押さえる。その仕草は女を感じさせて、通りすがりの男性のさりげない視線を集めた。

 竹内がじっとこちらを見ているのに気付き、次いでその目つきが険悪なことに気付く。まだ怒っているのか、この常識知らずは。
「分かってるわよ、ガラじゃないって言いたいんでしょ。どうせ似合わないわよ、こんなフワフワしたワンピース」
 これは菅井が選んでくれたのだ、自分の趣味ではない。でも鏡を見たとき、似合わないこともない、と少しだけ思った。思ったのに。

「似合わないです。ぜんっぜん似合ってない」
 ……そんなに力を込めて言わなくても。
 他人に100%の否定を食らうと、かなり凹む。竹内はセンスが良いから尚更だ。

「そんな、女みたいな服を着て、男の傍でニコニコ笑ってるだけの先生なんて。全然、似合ってません」
「女みたいって、生物学的には一応女なんだけど?」
 雪子が控えめに抗議を挟むと、竹内はくわっと眼を剥いて叫んだ。

「俺、頼んだじゃないですか! 先生は仕事と食事に生きてくださいって!」
「……はあ!?」

 竹内の主張を聞いて、雪子は思わず大声を上げる。わずかに間が空いたのは、一瞬、言葉の意味が解らなくなったからだ。なんて無茶苦茶なことを言う男だ。
 冗談じゃない、ひとの人生の貴重な瞬間を台無しにしただけでは飽き足らず、仕事と食事以外の楽しみをすべて諦めろと言う。どうしてそんなことをこの男に強制されなければならないのだ、少しでも心を揺らした自分がバカだった。

「あのねえ。あたしにだって恋愛の自由くらい」
 抗議の言葉は突然途絶えた。
 何が起きたのか、咄嗟にはわからなかった。鼻先に竹内の肩がぶつかってきて、あっと思う間もなく身体を拘束された。
 数年前までは婚約者がいたのだ、男に抱きしめられるのはもちろん初めてではない。
 だけど雪子が知っている抱擁はもっとやさしくてあたたかく、すっぽりと包み込まれるような感触で。まるで自分のオモチャを他所の子供に取られまいとするような身勝手で懸命な竹内の抱き方は、正に拘束という言葉が相応しかった。

 驚きのあまり硬直した雪子の耳に、男の情けない声が聞こえた。
「約束したじゃないですか。俺の泣き言、一生聞いてくれるって」

 それは、雪子が今まで聴いたことのない彼の声だった。
 男友達と喋る陽気な声でもない。女性に向けるやさしい声でもない。初めて聞く、だけど何故かそれとわかる、これが本当の彼の声。

「他の男の話なんか、聞かないでください。俺の話だけ聞いてください」
 自分にだけ聞かせてくれる、彼の真実。雪子の心がざわざわと騒ぎ出す。
 この気持ちは優越? それとも……。

 ―――――― 認めよう。これは恋だ。

「わかった。わかったから、放してよ。人が見るわ」
「本当に?」
 雪子の言葉は確かに聞こえたはずなのに、竹内は腕を緩めようとはしない。都合よく前者だけ聞いて、後者は無視するつもりか。まったく、自分勝手な男だ。

「約束ですよ」
 雪子の耳元を彼の声がくすぐる。春の夜にはぴったりの、ひそやかな囁き声。桜の花びらのようにふわりと雪子の耳に忍び込んできて、聴覚から脳髄を痺れされる。

「一生、俺の傍で。俺の泣き言聞いてください」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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