スキャンダル(8)

スキャンダル(8)





「薪くん。週末の予定、入れちゃったかい?」
 やさしい上司が軽い調子で話しかけてきたとき、薪はてっきり温泉のお供に連れて行ってもらえるものと思った。だから、いいえと首を振りつつ、今頃の時期なら奥日光か那須高原あたりが涼しくていいかもしれない、などといくつかの候補を思い浮かべた。小野田好みの静かでくつろげる温泉宿を探し予約を入れ、かれを宿まで車に乗せていくのが部下である自分の役目だ。

「じゃあ、出張の付き添いを頼める? 土曜日なんだけど、どうしても出席しなきゃいけない会合があってさ」
 それを聞いて、薪は忙しい上司を気の毒に思う。
 第九の室長を務めてきた自分も警察庁の中ではかなり繁忙な部類に入ると自負していたが、小野田の仕事ぶりを見ていると、自分はまだまだ甘いと痛感させられる。あれだけ大量の懸案事項を抱え、多くの人と接見を持ちながら、小野田にはいつも余裕がある。自分では、ああはいかない。書類を捌くだけでキャパシティを振り切ってしまいそうだし、この忙しいのに下らない用事で訪ねてくるな、と来訪客を怒鳴りつけてしまいそうだ。
 薪は小野田のことを尊敬している。彼のような人間になるのだと自分に言い聞かせて、なるべく穏やかな気持ちを保つようにしている。

「はい。よろこんでお供します」
「悪いね。坂崎には休暇をあげるって言っちゃったから、新幹線を手配してくれる?」
 小野田の命に笑顔で応じ、薪はさっそく名古屋の国際会議場までのルートを調べ、会合の時間に合わせて新幹線のチケットを手配した。東京から名古屋までは約1時間。昔は2時間近くかかったそうだが、新幹線も速くなった。
 東京発8時10分のグリーン車の席を2つ。自分は普通車両で充分なのに、公費がもったいないな、と密かに思う。
 以前、小野田の席だけをグリーン車に指定したら、押し問答の挙句普通車両に移って来られて、えらく肩身の狭い思いをした。それに懲りてそれからは、何も言われなくとも2人分の特別席を用意することにした。

 当日の朝は、小野田と東京駅で7時半に待ち合わせた。間接照明の落ち着いた車内に入り、窓際の席に腰を下ろした途端、小野田はそわそわした口調で言った。
「薪くん、あれ、作って来てくれた?」
「はい。え、もう食べるんですか?」
「当たり前だよ。これが楽しみで、朝ごはん食べないで来たんだから」
 子供みたいに主張する上司に苦笑して、薪は自分の荷物の中からタッパを取り出した。蓋を開けると、薄黄色の薄焼きたまごに包まれた丸くて小ぶりな寿司が現れる。

「うん、美味しい。きみの茶巾寿司は相変わらず絶品だね。きみは食べないの?」
「僕は家で済ませましたから」
「じゃ、これ全部食べていいの?」と聞かれて、我慢できずに薪は噴き出した。
 何がおかしいんだい、と小野田は少しへそを曲げたようだったが、寿司を口に入れると直ぐに笑顔を取り戻した。笑いをこらえて、薪がステンレスポットに入れてきた緑茶を差し出すと、小野田はごくりと口の中のものを飲み込んで、心底羨ましそうな顔をした。
「いいなあ、きみはいつもこんな美味しいものが食べられるんだね。贅沢だなあ」
 何年か前に誰かにも、似たようなことを言われた気がする。
 小野田さんたら時々子供みたいなんだから、と心の中でクスクスと笑って、でもこれは彼の気遣いだと、ちゃんと薪にはわかっている。

 先日、中園は小野田に事情を話した、と薪に教えてくれた。とんでもない不始末をしでかした部下の身の振り方については、『かれを守ることを最優先に考える』と宣言したそうだ。免職どころか異動も考えていないと言う。
 薪からも、青木とは別れたこと、懲戒免職は覚悟していることを進言したが、小野田はまったく取り合ってくれなかった。そんなことを考えている暇があったら、この書類を頼むよ、と言われてファイルを重ねられた。言えば言うほど仕事が増えるので、薪もとうとう根負けした。
 こんな面倒を起こされて腹が立たないわけは無いのに、薪に対する態度を1ミリも変えない。それどころか、こうして自分を元気付けてくれようとしている。小野田に報いるためにも早く過去のことは忘れて、職務に邁進しなくては。

「きみの茶巾寿司を食べたら、市販のものが不味くってさ。妻が困ってる」
「よろしかったら、奥様にレシピを差し上げましょうか」
「できれば家に来て、作り方を教えてくれるとうれしいな。会議の後、時間ある?」
「はい」
「そうだ。せっかく名古屋に行くんだから、名古屋コーチンも食べなきゃね。それから、徳川園を見にいこうよ。きっと緑がきれいだよ」
「いいですね」
 徳川園は、名古屋駅近くにある日本庭園の名所だ。龍仙湖と名づけられた人工の湖を抱き、四季折々の花が観光客を楽しませる造りになっている。薪は心から喜んで、小野田の提案を受け入れた。

 なにか、していたほうがいい。無為の時間があると、余計なことを考えてしまうから。

 名古屋の国際会議場で行なわれた市民団体による犯罪遺族者の救済に関するイベントは、正直、小野田本人がどうしても出席しなければならないほど重要な催しだとは思えなかった。題目の重要性は認めるが、規模はそれほど大きなものではなく、部屋も中程度のレセプションホールが使われていた。この程度のイベントに官房長を呼び出すなんて、主催者は度胸があるな、と思ったくらいだ。
 しかし、主催者が小野田に駆け寄ってきて、その小太りな身体を必死に丸め、赤ら顔の頬を更に赤くし、しきりに恐縮するのを見て、薪はこの茶番の裏側に気付いた。

 それで、名古屋コーチンだの徳川園だのと。
 小野田はおそらく薪の気を引き立てようとして、この小旅行を目論んだのだ。温泉では薪が気を使うと考えて、だから会議にかこつけて。

 自分は幸せ者だと薪は思った。上司にこんなに可愛がってもらえる部下なんか、日本中探したっていやしない。
 この恩情に報いたいと、小野田が一番喜ぶことはなんだろうと考えて、すぐにあることに思い当たって、でもやっぱりそれだけは承諾できないと薪は暗い気持ちになる。
 いくら青木と別れたからと言って、小野田の娘と結婚することはできない。そんなに簡単に、薪の心のスイッチは切り替えられない。

 会合は2時間ほどで終了し、軽く食事を摂ろうということになった。
 7階にレストランが入っているからそこで、と薪が言うと、小野田は2階の喫茶ラウンジに行こうと言う。名古屋コーチンを食べたがっていたから、ここは軽食をつまんで、本格的な昼食は外で摂るつもりなのかもしれない。

「うーん、このコーヒーはいただけないな」
 席に落ち着き、運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、小野田は苦笑した。会議場にあるラウンジのコーヒーなんか不味いに決まっているが、これは曽我が淹れたものよりひどい。
「薪くんのコーヒーの味に慣れちゃったからな。寿司といいコーヒーといい、いろいろ不便だな」
「すみませんね、器用で。僕って何をやっても上手にできちゃうんですよね」
 薪はそれをヌケヌケとした口調で言って、その高慢な態度は上司を喜ばせた。
 薪の恋人はコーヒーを淹れるのがとても上手な男で、薪も彼から手ほどきを受けている。コーヒードリップの腕前は、官房室の誰にも負けない。

 …………いや、元恋人だ。今はもう、仕事以外では顔を見ることも許されない。薪のバリスタとしての技術は、ここで頭打ちだ。

「人目があるってのに、ガン見か。中園の心配も分かるな」
「はい?」
 沈もうとした薪の気分を止めたのは、小野田の脈絡の無いセリフだった。
 小野田の視線を追って、薪は開け放たれた喫茶コーナーの入口に背の高い男の姿を見つけた。亜麻色の瞳が驚愕に引き絞られる。

 どうして。
 どうして青木がこんなところに。

「あの背高のっぽが突っ立ってたら、目立って仕方ないね。薪くん、注意してきて」
「で、でも」
「別れたんでしょ? だったら問題ないよね。上司として部下に注意してきなさい」
 小野田に命令されても、薪はその場から動くことができなかった。
 ひと目見ただけで、胸が苦しくてたまらなくなった。話なんかとてもできないと思った。薪は俯いて、自分の靴先をじっと見た。膝の上で拳を握り締める。

 薪の向かいでゆらりと影が動いて、ひとの気配が消えた。小野田が立ち上がったのだ。
「ぼくは一足先に帰るから。明日は休んでいいよ」
「……小野田さん」
「きちんと話し合って、後々トラブルの無いようにしてきなさい。いいね」
 薪の尊敬する上司は悠々と歩いて、入口の側にバカのように立っている男に近付いた。自分に対して頭を下げる長身の男に、ポケットから何やら紙片のようなものを差し出す。

 まさか、例の写真だろうか。こんなところでそんなものを、あのバカに見せたら。

 が、薪の心配は杞憂に終わった。それは写真ではなかった。
 小野田の背中を深いお辞儀で見送って、青木はこちらに歩いてきた。小野田に渡された紙片を薪に見せて、にっこりと笑う。
「オレ、ここの手伝いが二時に終わるんです。もう少し待っててもらえますか」
 大きな手が差し出したそれは、徳川園のパンフレットだった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんにちは!
いつも楽しいコメントをありがとうございます!

>小野田さん、いい人ですねー。

でしょでしょー♪ (←オリキャラ自慢。 見苦しい)


>薪さんは仕事では超優秀ですが、プライベートな恋愛問題で上司にこんなに心配や迷惑をかけて、でもそんな不器用なもどかしい面も含めて、小野田さんは可愛くてしょうがないんだろうなという気がします。
>役職的に無茶苦茶忙しいのに、恋愛問題で傷心の部下の為にわざわざ名古屋に行っちゃったり、小野田さんは良い上司ですねo(^-^)o。

そりゃーもう、娘婿にして慈しみたいと思っているくらいですから(^^
小野田さんの心中にも色々ありまして、薪さんのそういう純なところに対する憧れなんかも混じってたりして、だからそんな感情面のフォローまでしてあげたくなっちゃうんです。 
そういう意味で小野田さんが薪さんを思う気持ちは、きっと、青木くんに負けない。 勝てるとしたら、うちでは鈴木さんだけかな。(・・・・・・・あおまきすと??)


>ところで偶然ですが、

まあ、そうなんですか!
ありゃりゃー、わたし実は行った事ないんですv-356
すみません、嘘ばっかり書いてて~、しかもこの後徳川園に行かないしー。
国際会議場はネットで平面図を確認しまして、7階のレストランとか2階のコーヒーショップとか、その辺は現物に合わせて書きました。 でも、図面からの情報なので、見当違いのことを書いていたらすみません(^^;


>徳川園の横の美術館で美術品を見ながらうんちくをたれる薪さんとか、駅ビルで名古屋のグルメを一人で寂しく食べている小野田さんとかを、一瞬勝手に想像してしまいましたo(^-^)o。

そうなんだ、隣に美術館があるんだ。(下調べいい加減すぎ)
駅ビルで名古屋グルメを一人寂しく食べる小野田さんは、きゃははは! ですね、名古屋コーチンは一人で食べたんですかね。


>話は変わりますが、昨日のコメントに

うふふっ、書いて書いて! 
Aさまが書いて!
わたし、本当にAさまのギャグのファンなんですよー。 R系のギャグ、大好きなんだもん。
わがままを言って困らせちゃったらごめんなさい、でも読みたいなー。
お暇と気が向きましたら、ぜひ文章にしてくださいね(^^

ありがとうございました。

Wさまへ

Wさま、こんにちは!
また来てくださってうれしいです!(^^


Wさま、お近くなんですね?
まあ、うれしい偶然、と思いきや、
すみませんっ! 徳川園には行きませんっ!!
いかにも行きそうに振っといて、ごめんなさい~~~!!!


わたしは徳川園は行った事ないんです。
義父の出身が岡山だから、後楽園には行ったことがあるんですけど。
そんなに素敵なところなんですね。 行ってみたいなあ・・・・・そういう場所なら、甘いあおまきさん妄想が浮かぶかもしれませんよね。


> しずさま、楽しい妄想の機会を与えてくださって、ありがとうございました。
> 「法医第十研究室」、毎日の活力になっています。
> 本当です。

こちらこそ!
わたしなんかの書いたあおまきさんで、Wさまにちょっとでも楽しい空想を広げていただけるなら、これ以上うれしいことはございません。 その上、毎日の活力なんて・・・・・(じーん・・・・・)
こんなん公開してていいのかしら、といっつも思うんですけど、(だって内容的にひどいから)
そう仰っていただける方がお一人でもいれば、続けていいのかな、という気持ちになります。
本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします!

Yさまへ

Yさま、こんにちは!
コメントありがとうございます! うれしいですっ!


で、4から先に進めなかったんですね(^^;
すーみーまーせーんーー!! 
ですよね、S展開にハラハラしながら先を待つと言うのは、原作だけで十分ですよね。(原作批判じゃないですよ! Sにとっては最大級の褒め言葉!)


> よかった!想像してたより心臓に悪くなかったです。

当たり前じゃないですか~。
わたしがうちのかわいい薪さんに、酷いことなんかするわけないですよ~。(ものっそ白々しい)


> 薪さん、小野田さんから愛されていてますね。しみじみ。

そうなんですよお。
この話って、実は小野田×薪で。<ちがう。


> しづさんの愛もヒシヒシ感じました!大丈夫ですよ~って言われてたのに、チキンですみません~最終的にはハッピーエンドとわかっていてもすごく酷い展開←?なところで以下次号となるのが怖くて。

わかります~。
わたしも、原作で青木さんが逮捕されて引いたところでは、えええ~~!!ってなりました。
あれで待たされるのってたまらないですよね(^^;

もっといぢめても(ぢ、の文字がかわいいです(^^)) 大丈夫ですか?
じゃあ、もうちょっとだけ~。
お楽しみにっv-354


> 追伸:青木が大人になりましたね…(薪さんが若がえるにつれ…)

そうなんですよ(笑)
うちの薪さんが年上らしく青木くんを導けるのは仕事のときだけで、恋愛関係になると途端に中学生レベルに・・・・・・必然的に、青木くんが大人になると。 下克上も甚だしいです(^^; 


勇気を出して読んでくださって、ありがとうございました。
これからもお付き合いいただけるとうれしいです(^^

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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