スキャンダル(16)

スキャンダル(16)





 金曜日、定時を回った官房室に今日は研究室にいるはずの部下が訪れたとき、小野田はついに来るべき時がきたことを悟った。

 この1週間、常に自分への尊敬を含んでいた亜麻色の瞳は暗く、小野田の前ではついぞ見せたことのない陰鬱な表情で彼は日々を過ごしていた。彼が真実に到達し、そのことで思い悩んでいるのはわかっていたが、小野田にはどうすることもできなかった。
「どうしたの、薪くん。何か急用?」
 仕事の手を一旦止めて部下をソファに座らせ、自分も向かいに腰を下ろす。心臓の鼓動が早くなっていることに驚き、いつの間に自分はこんなにこの子から受ける尊敬を失いがたいものだと認識していたのかと更に驚く。

「申し上げたいことがありまして」
「言ってごらん」
 小野田が促しても、彼の口唇はなかなか開かれなかった。言いあぐねているのか言葉を選んでいるのか、小野田に気を使っているのか。俯いたきりくちびるを噛んで、長い睫毛を伏せている。

「薪くん」
 小野田が彼の名を呼ぶと、薪はようやく顔を上げた。
 寡黙なくちびるより遥かに雄弁な彼の大きな瞳が、悲しみを湛えて小野田を包み込んだ。亜麻色の瞳から響く、悲痛な叫び。

 ――――― あなたが、こんなことをなさるなんて。
 
 そこまでして断ち切らねばならないと、あなたのようなやさしい方が思われるほどに。
 僕らの関係は、忌み嫌われるものなのですか。
 僕たちは別に法を犯しているわけじゃない、誰にも迷惑なんか掛けてない。ただ一緒にいたい、愛し合っていたい。それだけしか望まないのに。
 それは許されないことなのですか。あってはいけないものなのですか。

 彼の穢れない瞳は、そう訴えていた。小野田が取った卑怯な行動を非難するでもなく、ただただ哀しみに満ちて、そんな彼のつややかなくちびるがついに発したのは、しごく控えめな願いの言葉。

「信じてください」

 じっと小野田の瞳を見つめ、真剣な声音で誓うように言う。まるで教会で神に祈るように姿勢を正し、信者が神父に洗礼を受けるときのように敬虔に。
「小野田さんと約束したことは、必ず守りますから。もう少しだけ、猶予をください」
 かれの望みに頷くでもなく首を振るでもない小野田を、薪は静かに見つめ続けた。その視線に含まれるのは、変わらぬ尊敬と敬慕の色だった。

「小野田さん。僕は」
 またもや薪は言い淀んで、それは彼が実はこういう本音の会話が不得手だということを暴露する。そのくせ一旦口を開けば、照れながらもひどくストレートに、亜麻色の瞳を煌かせて薪は言った。
「僕は、小野田さんが大好きなんです」
 まるで小さな子供が自分の親に言うように、無邪気に、何の計算もなく。
 薪は、こういう男だっただろうか?天邪鬼で皮肉な物言いはポーズで、本当の彼は他人のことを慈しめる愛情溢れる人間だと知ってはいたが、それをストレートに表わせるような強さを持っていただろうか。

「小野田さんはずっと僕のことを守ってくれて、いつもいつも庇ってくれて……小さい頃に死んだ父や、僕を育ててくれた叔父より、僕は小野田さんのことを本当の父のように思っています」
 以前の薪はこうではなかった。人付き合いが下手で、特に他人に言葉で好意を伝えることは壊滅的に不器用だった。それでも薪がいつもひとの輪の中にいられたのは、それを見抜く仲間に恵まれたのと、時おり見せる薪の素の顔の魅力のおかげだった。

「だから、僕は小野田さんに嫌われたくないんです。がっかりさせたくないんです。それくらいなら、あなたの目の届かないところに行きたいです」
 素直な言葉と素直な表情。人が人と心を通じ合わせる時に、それ以外のものは必要ないと、そんな単純なものが人の世の核を成しているのだと、彼はどこで学んだのだろう。いつ、だれから?

 薪はまた新しい武器を手に入れた、と小野田は思った。
 認めるのはシャクだが、これもあの男の仕事か。

「お仕事の邪魔をしてすみませんでした。失礼します」
 薪は立ち上がり、小野田に深く一礼した。さらりと流れる亜麻色の髪に光の粒が輪になって、それは彼の心が天上のものであることを示しているように思えた。
「ああ、薪くん」
 ドアから出て行こうとした彼を、小野田は呼び止めた。もう、小細工は必要ない。
「ゴルフコンペはキャンセルしたから。明日は休んでいいよ」
「ありがとうございます」

 薪がいなくなった後、小野田は共犯者に電話を掛けた。相手の男は受話器の向こう側で大げさに驚き、小野田官房長殿からお電話をいただけるなんて恐縮であります、と思い切りおどけてみせた。どうやら、大分飲んでいるらしい。
「バレちゃった」
『なに凹んでんだよ。あの薪くんに隠し通せると思ってたわけじゃないだろ?』
「そこまで楽天家じゃないよ」
『小野田さんなんか嫌いです! とでも言われて、落ち込んだか』
「いや。本当のお父さんだと思ってる、って言われちゃったよ。だから、嫌われたくない、失望させたくない、ってさ」
 悪友のズケズケした言い方に、不思議と気持ちが軽くなっていく。ヘンに優しい言葉をかけたりしないところが、こいつのいいところだ。

「いいよ、今回はぼくの負けだよ。おまえもこれ以上、あのふたりに手を出さないでくれ」
『認めるのか? あのふたりのこと』
「そうじゃないけど……薪くんてば、青木くんと別れたって言ったときより、自分を懲戒免職にしてくれって言ったときより、ずっと悲痛な顔しちゃってさ。あんな顔見せられたら、これ以上は、もう」
『天下の小野田官房長殿が、おやさしくなったもんだ』
「自分をやさしいと信じている相手に、冷たくするのは難しいんだよ。特に薪くんみたいなタイプにはね」
『じゃあ、このまま放っとくのか』
「うん。あの子の言葉を信じることにするよ」
『薪くんはなんて?』
「自分できちんとケリをつけるから、猶予が欲しいってさ」
『甘いな』
 中園はそれを吐き捨てる調子で言い、小野田はフォローの必要性を感じた。中園はまだ、薪という人間が解っていない。幾重にもトラの皮やら蛇の皮やらを被っている薪の本性を見抜くには、それ相応の時間が要る。

「薪くんの性格は知ってるよ。その場凌ぎの言い逃れをする子じゃない。尤もそういう子だったら、もう少し簡単にことが運ぶんだけどな」
『わかったわかった。久しぶりに一緒に飲もうぜ』
「今日はケンジくんとデートじゃなかったのかい」
『ああ、あの子とは先週切れた。今週の恋人はまだいないよ』
「珍しいな。おまえが恋人のいない週末を過ごすなんて」
『薪くんのせいだよ』
「彼らの純情が羨ましくなった?」
 だとしたら、これは思わぬ天佑だ。中園の困ったクセが、治るかもしれない。
『そんなわけないだろ。男同士であんな関係が築けるほうが異常なんだよ。そうじゃなくてさ、薪くんの顔を毎日見てるだろ? 合格ラインが上がっちゃって、食指が動かないんだよ』
 なんとも中園らしい。彼は絶対に、男同士に男女間のような愛情が育つとは認めないのだ。

「実にいい傾向だね」
『いいから出て来いよ。慰めてやるから』
「いらないよ。たまには早く、家に帰ってあげなさいよ」
 中園の答えを待たず、小野田は電話を切った。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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